第12話

             十ニ


「ふむ、ボクは君のことを正気じゃないバカだと仮定していてよ。すまなかった湊」

「…………」

「今ハッキリしたね。ボクには良く分かった」

「…………」

「ガチの狂人だな君は」

「そこまで言うことねーだろ、千寿」

 保健室。オレはベッドに腰かけて自分の右腕を見つめていた。

 幸い動脈には突き刺さらなかったらしく、出血はひどくなかった。傷口を水で洗い流してからガーゼを押し当てて止血をしてもらった。

 保健室の先生曰く、

「あんれまー、若いからって無茶しちゃって、しばらく安静だな。腕を心臓より高く上げとけ」

 とのことだった。

 ちなみに出血した理由については、事故、ということにしておいた。高坂さんは彫刻刀を持ったまま転び、誤ってオレを刺してしまった。

 今、高坂さんは先生達に事情聴取を受けているんだろう。この嘘が露見しないか心配だ。

 最悪ばれても退学ってことにはならないだろうが……。

「はぁ」

 案外、疲れるな。ずっと腕上げとくの。

 すると、そんなオレの表情を読んだかのように、すっと千寿がオレの腕を支えてくれた。

「あの時どれだけボクの心臓が凍り付いたか君は分かってないだろう」

「そんなに心配してくれたのかよ」

「当たり前だッ!」

 オレはびっくりして右腕がちょっと跳ね上がった。千寿がここまで語調を荒くしたのは久しぶりだった。具体的には小学校の時、千寿のプッチンプリンをオレが勝手に食った時以来だった。

 あんときはマジ竹刀でしばかれた。

「……すまない、カッとなってしまった。だが君を殺すのはこのボクだ。それまで万が一にでも君に死んでもらっては困るということだ」

「なんでお前ライバルキャラみたいになってんの」

 そして仲間になるパターンだよね、それ。

「そもそもあんな素人の突き、ボクなら簡単に避けられた。湊、出しゃばった真似をしない」

「へーい、スンマセン」

「もう、反省していないな。今日の晩御飯は抜きだ」

「なんでお前がウチの台所の実権を握っているんだよ」

 さすがに晩御飯を幼馴染に作ってもらってねえよ。

「それに、ボクが刺されそうになった遠因は君にあるんだろう。責任を取ってくれるのかい」

「うーん、ブックオフで勘弁」

 さすがに五千円の本とかは買えない。

「……ぁりがとぅ」

「え?」

「だからッ……守ってくれて、ありがとぅ、って言ってるんだよ」

「んー、悪いなオレの耳が不調で。もう一回大きな声で頼む、千寿」

「っ~~~~、わだとだろ湊。絶対わざとだ」

 千寿は赤面しながらオレを軽く睨みつける。

「もう湊のことなど知らん。どこぞの女にでも刺されて勝手にくたばってしまえば良いんだ」

 そう言いながら千寿はずんずんと歩いて保健室を出て行ってしまった。

 からかい過ぎたかな。幼馴染にお礼を言うのがそんなに恥ずかしいか。でも千寿がオレに礼を言うなんて珍しい。言うなればガリガリ君で「あたり」が出るとか、おみくじで「大凶」が出るとか、マルマインが「大爆発」起こさないとかそのレベルで珍しい。

 天地異変の前触れとまでもは言わないが、今日の授業が潰れる、なんてことくらいはあるかもしれない。

 そんな下らないことをボーッと考えているとガラガラっと保健室の扉が開く音がした。

「先輩……いますか?」

「あー、いるよ。そこのカーテンの中。奥のベッド。彼、ケガしてるんだから。あんまり激しいことはするなよ」

 ナッハッハッハと笑うセクハラ保健教諭。

 そんな笑い声を意にも介さないような面持ちで高坂さんはオレの腰かけているベッドにやってきた。

 目が少し赤い。泣いたらしい。

「本当に……ごめんなさい」

 高坂さんは開口一番、深々と頭を下げた。

「高坂さん、頭を上げて」

 オレはなるべく口調が穏やかになるのを意識して話す。

「別れよう、高坂さん」

「ッ! 何でですか。私が間違って先輩を刺してしまったからですか。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、許してください、何でも言うこと聞きますから」

「違うんだ。聞いてくれ高坂さん。お互いのため、なんだよ」

「だめです。私は先輩がいないと死んでしまいます」

「君は死なないよ。生きれる、生きろ、生きてくれ。高坂さんは一人で立って生きていける。このままオレと一緒にいたらダメになる」

「ダメになる? そんなわけないです。私は先輩を愛しているんです、恋しているんです。それなのにダメになるわけないじゃありませんかッ!」

「高坂さんがしているのは恋じゃないよ」

「じゃあ、何なんですかッ!?」

「依存、だよ」

 オレはゆっくりと息を吸った。

「色々と、その、君のご家庭のこと聞いた。君の友達から。大変なんだな」

 高坂さんの家は老舗のお煎餅屋さんらしい。そして敬虔なキリスト教徒だったのだとか。

 ところが、経営が厳しくなり、両親はキリスト教をあまり熱心に信仰しなくなってしまった。そこを悪徳な新興宗教団体につけこまれた、という。

「……キリスト教は邪教だってそいつらは嘯いて。どんどん効果のないパワーアイテムを送り付けてきました。それからお布施を取るようになって来て、段々金額がはね上がっていったんです。ウチの親、借金してまでお布施払ってんですよ。お金払わないと祟られてお店が潰れるって妄想してて。三百万借りるなんてアホですよね」

 辛そうな顔だった。

「でも、私はあんな両親なんかとは違います。悪い奴なんかには騙されません。先輩と二人で幸せな未来を……」

「それが、依存なんだ。君がやっていることは君のご両親と一緒なんだ。誰かにすがって生きている」

「そんな……」

「すごい失礼なことを言うけど、高坂さんは自分に優しくしてくれる人だったら誰でも良かったんじゃないのかな?」

「ッ、そんなわけないです。いくら先輩だって怒りますよ!」

「じゃあ、オレより前に傘貸してくれる人がいて、それでもオレに告白していた?」

「そ、それは……」

「それが見かけ上の良い奴でも、根はそうじゃなかったら? すげー不安定だよ、高坂さんの今の状況は」

「でも、先輩は良い人ですッ。そうでしょ、そうですよね!?」

 オレは首を振った。自分に好きな人が出来て、これだけ辛そうな彼女を振ろうというのだから。自分も高坂さんが思うほど、良い奴じゃないんだろう。

「実を言うとオレも高坂さんに依存してた。この状況が心地よくて、高坂さんに甘えていた。でもやっぱりだめなんだ。状況に甘んじていて、自分で動こうとしなくなるのは」

 本当は怖かったのだ。あいつに告白するのが。オレの小さい下じゃあ、あいつは失望するんじゃないかと。

「別れよう、高坂さん」

「婚約破棄、ですか先輩」

「本当にごめん」

 オレは頭を下げた。

 高坂さんは視線を天井に向けた。号泣してしまうのをこらえるように。

「……お金は貸せないけど。オレにできることはなんでもする。お店手伝うことくらいは……」

「ふざけないでッ……優しい言葉を……かけるなッ」

 そう怒鳴って、高坂さんは手を振り上げて――何もすることなく保健室を駆けて出て行った。

 激しい罪悪感。

 でも良いんだ。良かったはずだ。両者ともに幸福になるにはこの道が最善だった。完璧ではないかもしれないが、最善ではあったのだ。あったハズだ。

 あったハズ。

「若いねぇ……」

 カーテン越しに保健教諭が呟いた。


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