第8話
八
「そうですね、先輩、三十万で結婚式なんてあげられるんですね」
世の中には二つの神話がある。
「ん~、うちはくそったれの両親で祝い金は払ってくれないでしょうし、結婚後の事も考えるとこのあたりが妥当ですかね、先輩」
一つはギリシャ神話だとか北欧神話とかの正当な神話だ。古来イギリスやドイツにも独自の神話が伝わっていたらしいのだが、キリスト教が広まったことにより今はあまり文献は残されてないそうな。
「あ、そっかハネムーンどこ行くかも考えなきゃ。うーんフランスとか良いなぁ。でも今は危ないですもんね、先輩」
もう一つは根拠なく信じられてきた邪道な神話だ。安全神話なんかがあげられる。これは迷信だ、言うまでもなく。安全神話が所詮は幻に過ぎなかったということを今更オレが語る必要もないだろう。
そしてその邪道な神話にはもう一つ。
巨根神話だ。
「ねえ、先輩、聞いてないですよね、……殺しますよ」
「ハッ」
高坂さんはオレの喉元に彫刻刀を突きつける。――なんで彫刻刀を持ち歩いているんだ?
「いやいや、聞いてる聞いてる。フランス良いね」
放課後。オレは高坂さんに捕まった。連行された。現在は近場の公園にて取り調べ中と言ったところか。
「まさか、他の女のこと考えてた、なんてことはないですよね?」
高坂さんは今まで持っていた先端の丸い彫刻刀ではなく、刃が逆三角形の鋭利な物に持ち替える。
「いやいやいや、違うよ」
「本当ですか?」
「ホントホント」
「じゃあ何考えてたんですか?」
「世の中には二種類の神話があることを客観的かつ論理的に分析・分類をし、世にはびこる低俗な迷信をどう打ち払えば良いかと、多角的かつ比較的に思考・勘案してたんだ」
「なんか良くわかんないですけど先輩かぁっくいい――!」
「だろだろ~」
なんだこの会話は。
「なあさ、高坂さん。場も盛り上がったところで、そろそろオレおいとましたいな、なんて――」
「死にます。醤油一リットル飲んで死にます」
「――ことは言いません、ハイ」
オレは腕時計をチラリと確認する。もうかれこれ二時間は話しているな。
口を湿らせるためにオレはペットボトルの茶を含む。
「そうですね、先輩が結婚式の話に興味を持って下さないので、もっと掘り下げた話をしましょう。子作りです」
「ぶふぉっ」
吹いた。
「先輩は何人くらいが欲しいですか? やっぱ一姫二太郎ですかね。でもざっと十人くらいは欲しいですよね」
「十人?」
「そーですよ。精力絶倫な先輩のスティックなら可能ですよね?」
「…………」
キラキラとした無邪気な瞳でオレに問う、高坂さん。
言えない。スティックじゃなく小枝だとはとても言えない。
「きっと先輩の下の方は長くて硬いんだろうなぁ……。二メートルはある大根みたいなサイズですかね。私は先輩のその大根で二時間ほど突かれて一夜のうちに何度もイってしまうんです。『可愛いよ、あゆな』とか耳元でささやいてくれて最後は優しく……キャ――――」
高坂さんは赤くなった頬に両手をあて身を悶えさせた。
「………………」
言えない。大根じゃなくてラディッシュだなんてとても言えない。
「ちなみに先輩は何時間ほど赤ちゃんの素出せるんですか?」
「それほとんどの男、死に絶えるから」
ハードルが高すぎるよ。アフリカ行ってもそんな男いないんじゃなかろうか。
つーか絶対にこの子には下半身を晒せないな。まあ勿論女子に下半身を晒すなんて誰だろうと出来ないのだが。
「ねえ、高坂さん」
「はい、なんでしょう先輩」
「言い方がアレなんだけど……なんでそんなオレにぞっこんなの?」
なんかマジモンの恋人みたいなセリフだった。
「えーーーー先輩ったらヤダー、恥ずかしいじゃないですか。……先輩の全部ですよ」
「そういうんではなくて、こう具体的に」
「んー、敢えて一つあげるなら優しい、とこですかね」
「優しい?」
「そうですね。そう、私は忘れることはありません。あれは今から一ヵ月前、雨が降りしきる一日でした。そこで奇跡は起きたのです。神のお導きとしか言いようのない出来事、聖書に乗せるべき慈悲深い行いでした。傘を忘れ下駄箱で呆然と立ち尽くす私にさっと傘を渡して『オレは家まで歩いて十分だから、これどうぞ』と差し出したのは先輩ではありませんか。当時面識がないのにも関わらず、まるで聖母マリア様のような温かい笑顔とともにです。私は体が震えるほど喜び、キリスト教徒なのに思わず五体投地してしまいそうになりました。クソ両親がインチキ宗教に鞍替えしてダウナーになっていた私にとって、先輩は砂漠の中のオアシス、ツンドラの中のキャンプファイアーでした」
……途中で重い話をサラっと言っていたが。
そんなことがあったっけ?
「でも、それだけの事で?」
「それだけの事? 先輩にとってあれは平凡なことだったんですか。異性にそんなことをしないでしょう、普通。見知らぬ、後輩にいくら家が近いからって傘を渡すなんて。多分この学校にいる男子の中でそんなことを出来るのは先輩だけだと思いますが」
「うーむ。そうかなー」
例えば千寿あたりなら、やる可能性は……ないか。いや、でも、あいつ面倒見がいいとこちょっとあるし……。
「あれ? あれは先輩が私に告白したも同義なんですよねッ、そうなんですよねッ!?」
すごい勢いで迫られた。
まさか、高坂さんがオレに告白してきたのは(いささか乱暴で半ば脅迫だったとはいえ)壮大な誤解、ということか。
「高坂さん、落ち着いて。その、言いにくいんだけど、オレは知らない奴に傘を貸したことは何度かある」
「男ですか、それとも女ですか?」
「男女問わずに。えと、でもさ、それが告白にあたるような行為になっていたなんて思ってもいな――」
「そんなそんなそんな。……あっ、分かりました、きっと先輩は言わされてるんですね、そんなセリフを、他の女に。きっとそうです。先輩がそんなこと言うはずありませんもん」
「いや、あの――」
「きっと私と先輩の仲を羨んだ女でしょう。誰ですか、誰に言わされたんですか? 私がハッキリ言ってやります。先輩は私に告白したんであってあなたになんか興味はないと」
「落ち着いて、落ち着いて高坂さん」
「大丈夫です、先輩は何もしなくて。私がその女に引導を渡してやります。先輩はもう私のものなんですから。誰にも渡しはしない。その女、私が自分で見つけてみせますから。私が解決してみせますから、安心してください、先輩」
それだけの事を一方的に告げると、高坂さんは立ち上がりバッグとスマホを掴んだ。
「先輩は私との子作りの計画を考えてだけいれば良いですから。それじゃ」
そう言って高坂さんは一人でずんずんとどこかに行ってしまった。
オレは一人、夕暮れの公園に取り残された。
ヒグラシの「かなかなかな」というもの悲しい声。
参ったな、どうしたもんか。
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