第4話

              四


 先輩に連れて行かれたのは剣道場からつながる人気のない更衣室だった。もちろん、使用中ではない部屋だ。

 先輩はどういうわけか電灯をつけず、部屋の中は薄暗かった。明かりといえば小窓からさしこんでくる陽光だけだ。

「えーと、それでなんのご用でしたっけ、先輩」

「ふむ。別にどうというわけでは無いのだが……」

 そわそわ足の立ち位置を変える先輩。

「その……君が彼女と別れたなんて話を友人から聞いてな。……どうなんだ」

 いきなり初対面の人にそんなこと聞くか。正直、あまり良い気分ではない。

「ええ……まあ、ハイ。振られました」

「そうなのか。なるほど、なるほど。いや、それは実に残念だったな、久我君」

 言葉ではそう言っているものの、先輩の頬は少しニヤけていた。そんなに嫌われているのか、オレは。

「っていうか、なんでそんなこと聞くんですか?」

 まさかアレか、久我湊粗チン説を確かめるために聞いた、なんてことは無いよな?

「いや……その…………き……だからだ」

「え?」

「好きだからだ」

「ええっ!?」

「君の事が好きだからだ。……何回も言わせるな、ばか」

「いや、いやいやいやいやいや」

 可能性一。オレの耳が腐ってる。

 可能性二。罰ゲームで告白。

 可能性三。剣道部ドッキリ(主催者千寿の可能性大)

「だから付き合ってくれと言っているのだ」

 耳まで赤くしながら先輩はもじもじと両手をいじる。

「ちょっと落ち着きましょう。先輩は雛見沢症候群でも患っているんですよ」

 きっと些細なことで今この現場が血の惨劇になるかもしれない。刺激を与えず逃げ出すには、どどどうすればいいんだ!?

「なんか良く分からないが、君が落ち着け」

「だってですよ、先輩。初対面ですよ。もうこれはドッキリと言うしか……」

「人が真剣に告白してるというのに、ドッキリとは何だよ」

 先輩が怒ったように唇を尖らせる。

「それに君とは初対面ではない、忘れてしまったのか?」

 えっと。さっきから頭が良く回っていない。どういう状況なんだ、これは。

「本当に忘れてしまったのか。錦川駅の事。……まあ、良い」

 口ではそう言っているものの陣内先輩は少しうつむいた。

「思い出なんてものは今から作れば良いのだからな」

 作る気満々らしい。

 しかし良く良く考えてみる。これはビッグチャンスではあるまいか。

 つい先ほど千寿に「彼女作って元カノを見返そう」と言われて合意したばかりだ。

 これまでのオレなら一も二もオーケーの二つ返事だ。

 だが……、とオレは自分の下半身を見つめる。結局また、相手に失望されてしまうのではないか。本番直前、振られて傷つくのはもうごめんだった。いや、そんなこと言っていたらいつまでたっても彼女なんて出来ないんだろうが。

 あ――――、一体どうすりゃいいんだ、ちっくしょう。

「ダメ……なのか?」

 先輩が悲しそうに上目遣いで聞いてくる。

「えっと、いや……その……」

 なんて言えば良い? 誰かオレに教えて欲しい。

 実はオレ下の方のがオットセイじゃなくてアザラシの赤ちゃんなんですよね。

 口が裂けても言えるかよ。

「久我君。私は君の事がどうしても欲しいのだ。そのためなら私は君が望むことどんなことでもする」

 先輩はそう言うとおもむろに自信の袴の帯をシュルシュルッと解いた。そして後ろの腰上部にある腰板を下ろした。つまり今、先輩を後ろから眺めれば下着が丸見えということだ。

「久我君……初めて、なんだからな」

 先輩の声が少し震えていた。

「待って待って待て待て待て」

 これなんてエロゲ? 

「私は剣道くらいしか能のない女だ。だから君に出来ることはこれくらいしかない」

 あるよあるよ、いっぱいありますよ。

 普通の男子高生なら狂喜乱舞でここでヒャッホ――――! とか奇声をあげるに違いない。だが、今オレはこの状況だけは避けねばならないのだ。

 先輩を傷つけることなく断らなければいけない。そしてオレのベイビーアザラシも女性にさらすわけにはいかないのだ。

「先輩いくらなんでもそれはマズいですよ。そのいきなりっていうか……その嬉しいんですけど、先輩のご好意は」

「私の体は魅力がない、のかな」

「いえいえそんなことないです。鼻血ものです、そのくびれたウエストとか張りのある美尻とかたまりません!」

「そ、そんな目で私を見ていたのか……ちょっと嬉しい」

 嬉しいんだ。

「でもでもでも、やっぱり段階をぶっ飛ばし過ぎというか階段を駆けあがり過ぎというか……。そうですよ、避妊はどうするんですか」

 生々しいが大事な話だ。

「今日は安全日だ。それに君の子供なら産んでも良い」

 重い重い重い。重すぎる。どうしてここまで一途なんだよ。

「しかしながら先輩……、誰かに見られたらやばいですよ。ここ剣道場とたいして距離離れていないですし、誰かが先輩の帰りが遅いことを気にして確認しにくるかも」

「弟が『男はエッチを見られるかもしれないスリリングな状況でやると余計に興奮する』と言っていた」

 姉弟間で一体どんな会話が交わされてるんだよ。

「もし仮にそうだとしても、先輩はそんな状況を部員に見られたら選手生命絶たれるでしょ。良いんですか、棒に振って」

「最近は剣道がめんどくさくなってきてしまってな」

 うっそーん。主将あるまじきセリフだろ。

 くぅ、かくなるうえは。

「先輩、実はオレ、性病を患っているんです。今あなたとそういうことをしたらうつしてしまう。だからオレはできないんです。ごめんなさい」

 しばらくの間。

先輩が恥ずかしそうに小声でつぶやいた。

「だったら、私が…………お口で、する」

 そ う く る か。

「ここまで来てしまっては私も後にはひけんのだ」

 真剣なまなざしの先輩。ズイっと一歩前に歩み寄ってきた。

 オレは覚悟を決める。真剣な眼差しで彼女を見返し――

「ごめんなさいッ!」

 全力で逃げ出した。

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