始まりだした日々

 鐘が鳴ってから約束の時間に気付いて、走って待ち合わせの場所に行ったけれど、そこには既にハルトさんの姿があった。

「すみませんっ! ちょっと、ごたごたしちゃいまして、お待たせしました!」

 ハルトさんの元に駆け寄って、膝に手をついて肩で息をしながら、とにかく謝る。

「いや、僕は大丈夫だよ。ただ、何かあった……?」

 その声音がいかにも深刻そうだったので、見上げると眉をひそめて心配そうな表情をしていた。ダルク・スメールはハルトさんの元にも行っていたと自分で言っていたし、それについて考えてくれているのだろうか。

「大丈夫って、何がですか? ちょっと練習に集中しすぎちゃって、時間を忘れてしまっていたみたいで、特に問題はありませんでしたよ」

 あれはどちらかというと、私の問題なのだ。ハルトさんが気に病むことではないと思う。だから至って普通のテンションで答えた。

「そう、ならいいんだけど。それじゃ行こうか」

「はいっ」

 そうして人が少なめの練習場へ行く。これはハルトさんからの申し出で、あまり多くの人に自分の技を見られたくないらしい。

 私の目から見ればただ単純に凄い技だけれど、ハルトさん自身にとってはおそらく違うのだろう。いつか自信をもってステージに立って、それで多くの人に喝采を受けられるようになればいいな、と心のどこかで思う。

「じゃあ、始めようか。今はどんな技の練習をしてるの?」

 荷物を降ろして、そう尋ねてくる。

「はい。いまは5ボールの技を練習していてですね、ピルエット関係のもので悩んでいます」

「そうなんだ。もともと難易度が高い5ボールにピルエットを混ぜるのは見栄えはいいけど、簡単じゃないからね」

 体を軽く動かしながら、そんな会話をする。

「技は……なんとか成功するんですけど、どうにも姿勢が崩れてしまって。ふとした瞬間に、例えば本番でもプレッシャーとかで、一気にボールを落としてしまうんじゃないか、って」

 脳裏には実際のステージの演技がリピートされる。事実、そうして失敗してしまった技がたくさんある。

「本番で、失敗してしまう、か。僕はあまり緊張とかプレッシャーとか感じるタイプではないから、その点に関しては何も言えないけれど。ボールを落としてしまう理由は、一つずつの技で無理が積もっていって、それに自分の容量が耐え切れなくなった時だと思うんだ。ま、こうして、話していても上手くなるわけでもないし、とりあえず、その技を見てみて、それでどうするのか一緒に考えようか」

「はいっ、分かりました」

 その声だけで自分が緊張しているのだと実感する。思えば人に技を見せるのなんて半年ぶりだ。ずっと自分としか向き合ってなくて、久しぶりの気持ちになる。

 5つのボールを手にし、そこからゆっくりと順に投げ始める。いままで何千回、何万回と投げてきた行動に緊張が宿る。ぎこちなくはない。状態も悪くはない。手は動いているし、ボールも見えている。

 そして、5つのボールを順に頭上に投げ上げる。それぞれに意識を向け、足はピルエットの準備をし、ボールが両手からなくなる瞬間に自身の体を回転させる。移り変わりゆく景色の中に橙色のボールを見つけ順にキャッチをしていく。

 やはりそれも完璧な動きとは言えず、どうしてもキャッチするときしゃがみ込んでしまう。

 ゆっくりと立ち上がり、

「どう、でしたか?」

 恐る恐るハルトさんの顔を見ながら、聞く。

「うん…………いいんじゃないかな」

「え?」

 思ったより前向きな言葉がハルトさんの口から出てきて少しびっくりする。身構えていた心がやわらぐ。

「いい、んですか?」

「うん。大丈夫だと思うよ。ボールの軌道は至って綺麗だし、しゃがみ込んでキャッチするのは、滞空時間を伸ばしてキャッチしやすくするためだから、そのうち練習していけば直っていくと思う。問題になるのは、その技をどういう演技の中で、行うかだよ」

「どういう流れで……」

 もちろん考えてはいた。本番となるロハティネスフェスまで3か月と少し。どういう構成で挑むのかはいつもいつも心の中で思っていた。

「まだきちんとした形にはなっていないんですけど、5ボールの技のフィニッシュとして用いようとしています。もちろん私の演技の最後で」

 その先の技までやろうとするとどうしても成功率が落ちてしまう。いま私の持てるすべてでお客さんがいるということを考えると、そこが最高の難易度だと思う。

「だったら、そっちの構成を考えたほうがいい。それと5ボールを主軸にするんだったら、カスケードとそれぞれの技のエンデュランスをひたすらに練習して…………」

 そうして私と、ハルトさんの練習会は始まった。

 今まで、手探りで進んできた雲海の中に一筋の光が差したように、誰か道を示してくれたり、一緒に考えてくれたりする人がいるというのは、こんなにも心強いものなんだと思う。

 手つきが怪しかったりする場所は外から見て指摘してくれるし、もっといい練習法や方法論を教えてくれる。

 そうして時間は過ぎていき、日々も過ぎて行って、一日また一日と本番に近くなっていった。

 そんなある日、自然と私が次に演技をする場についての話になった。

「そういえば、アイゼアルトさんは次に演技をするのはいつ?」

「私ですか。もちろんロハティネスフェスティバルですよ。去年も出たんですけど、全く結果がでなくて大衆選考で落ちてしまいました。今年こそは、審査員の方々に認めてもらって学院への推薦状をもらうんです!!」

「学院への推薦状……って?」

「王都王立学院に入学するための推薦状です。プロのパフォーマーになるために必要な技術を唯一系統だって教えている場所で、そこに入るためには倍率がとてつもない高い試験に受かるか、名門貴族からの推薦状と目立った大会での実績が必要なんです。ロハティネスフェスは大会であるとともに、貴族の目に止まったら推薦状をもらうこともできるんです」

 説明しながら、ちょっと疑問に思う。これはパフォーマーを目指す人も、そうでない人も当然のように知っていることで、

「へぇ、そうなんだ」

 そんな風に頷くのを見ると、本当に初めて知ったのだとわかる。

「…………」

 本当ならそこから先のハルトさんの話を聞いてみたくもあった。

 けれどふと頭に浮かぶ。以前、ハルトさんが言っていた言葉、『1年前、まだ僕が本気でパフォーマーを目指していて』

 ハルトさんの今の状態にも、きっといろいろあるんだろう。

 そう思って、実際に言葉にはできなかった。

「それでそのロハティネスフェスは、いつから……?」

「ロハティネスフェスは夏の開催なので、ちょうど3か月くらいですね。受け付けは2か月前からなので、もうすぐです」

「そっか。じゃあ、余計頑張らないとね。僕も気を引き締めるよ」

「はいっ。お願いします」

 そうして本当にあっという間に時は過ぎていって、例年よりも早くそのポスターは貼りだされた。中央には筆頭パフォーマー、ヴァンパトリック・グランバニアの姿が描かれ、その脇にロハティネスフェスの概要が書かれている。そして例年と違う文言が一つ、その概要の最後に付け加えられていた。


“それまでの大会での行いなどを理由として、一部参加者に出場資格が付与されない場合があります”


 その事に気づいている者はほんの一握り。まだ多くの者は、この事を知らずにロハティネスフェスに多くの希望を抱いていた。

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