不穏な横入れ
朝起きて、街に出て、いつも通りに練習をする。
いつもと違うのは、少し、胸が高鳴っていること。
それは今日の練習が特別だからで、まだ約束の時間よりもだいぶ前なのに、その気持ちは穏やかになることを知らない。
心なしか、普段よりも技の調子もいいような感じがする。この状態が続いて、それで今わたしが持っていないものを手に入れることができるとしたら、今度こそロハティネスフェスでちゃんとした結果を出すことができるかもしれない。
少し前まで、あーだこーだと悩んでいた自分が嘘みたいに思えるほど好調だ。
「おいっ!」
だけど、そんな気分も不穏な掛け声で打ち消される。
振り向くと、恰幅のいい、この場所にいるには似つかわしくない体格の男が、数人引き連れて私の方を向いていた。そばかすが顔に浮かんでいて、その厚ぼったい唇が声を発したのだとすぐわかった。よく知っている顔だ。忘れるはずもない。忘れられるわけがない。
――私たちは君の練習風景を見に来ているわけじゃないんだ
その声によく似ている。その声を発した人の顔に、よく似ている。
「お前がアイゼアルト・リアンだな。ふんっ、随分湿気た技ばっかりを練習するんだな。まぁ、いい。お前に話がある。来い」
嫌味を忘れずつけ、命令口調の上から目線で一方的に言われる。肝心のその男は言葉を発し、私の返答を待たないまま、既に歩き始めている。
「………………ダルク・スメール」
その男の名を呼ぶのは、私からの些細な反抗。確かスメール家の長男だったはずだ。グランバニア家に取り入って、特に功績を上げてはいないけれど権力はそこそこ持っている、そんな噂をよく耳にする。
「あぁ? 気のせいか、今、俺の名前が呼ばれた気がした、が……」
ダルク・スメールは私の言葉に反応して、一瞬足を止めるも、
「ま、気のせいか。こんなくだらない場所にいる奴等が、俺の名を、様もつけずに呼ぶはずがないものな!! ふはははっ」
高らかにも笑えていないダルクの笑い声に同調して、取り巻きの人たちが共に笑う。
嫌な雰囲気だ。練習場にいるほかの人がダルクとその取り巻きと、そして私のことを見ている。早く出ていけ、厄介ごとをこの場所に持ち込むな、そう言っているようで、その空気に従って嫌々、ダルクの後を歩く。
着いた場所は練習場から通りを挟んで反対側の路地裏。薄暗い通りに入っていき、私もそこに行く。
「それで……私に何か用、ですか?」
一歩、裏路地に入ると、ダルクを中心として、取り巻き達がぐるりと私を囲む。すぐ後ろには建物の壁があって、少し怖い。だけど、そんな自分を偽って取ってつけたような敬語で、私は目の前の人に尋ねる。
「ハルト・イツキを知っているな。野菜屋で働いている男だ。この前、そこの練習場でお前と共にいた」
多分、ハルトさんのことだろう。そういえば家名を聞いていなかったけれど、イツキっていうんだ。少し珍しい名前だ。
「はい…………」
「てこと、は。お前が今の飼い主だろ? いくらだ?」
偉そうに不遜な態度で一歩私に近づいて、意味の分からない単語を羅列する。背中に感じる壁の感触がやけに冷たく感じる。
「えっと…………何を言っているのか」
「はあっ! ったく、んなことも分かんねぇのかよ」
ホント呆れるぜ、と小さく付け加えて、首を横に振る。
「お前があいつを縛っているんだろう? ほかの奴に行かないよう、に。そりゃ、そうだもんな! あんな金になりそうな奴を手放すわけないよな!! 見世物にでもすりゃ、すぐに人は来る。そうさな、小屋の名前は“動くパフォーマー人形”とかでどうだ? がははっ」
その下劣な考えを聞いて、気分が悪くなる。多分、この男は普段もほかの人をそういう風にしか見ていないのだろう。だから、そんな言葉をいとも容易く吐くことができる。
「私は、何かハルトさんにしているわけじゃない。縛っているわけでもない」
「んなこと聞いているんじゃねえよ。実際、今日会いに行ってきたんだよ。俺の元で働け、金は十分払ってやるってな。だが、奴はそれに首を振った。自分には大事なことがあるから、それを無下にはできない、とかほざいてな。お前がその“大事なこと”なんだろ? 俺が聞いてんのは、俺がいくら払えばお前が奴から離れるのか、ってことなんだよ!」
「ッ…………」
言葉が出なかった。じりじりと距離を詰めてくるその動きも、汚く怒鳴る声も、怖かったけれど、それよりも頭にきていたのかもしれない。
その男の言葉を聞いて、言葉を失ったのは、心の中に口に出すべき声が山のようにあって、どれから言っていいのかが分からなかったからだ。
『ふざけないで!! 人を物のように扱って、そんな風な態度の人に何を言われたって、たとえ私とハルトさんが何の関係もなくなったとしても、彼があなたなんかに従うなんて思えない!』
なんて言えたら、どんなにいいだろうか。とてもそんな風に怒鳴ることなんて、できないだろう。そんな度胸も器量も今の私にはない。
「……お金で、何でも解決できると思っているのは、間違いだと思う」
言えるのはせいぜいそんな、途切れ途切れの弱弱しい言葉。
「はん。それは持っていない奴の言葉だな。何か物事を上手くすすめるには力がいる。人を魅了する技術も、莫大な資産も力の一種だ。態度も表情も、世の渡り方もな! リアンズファミリーも、そのうちのどれか、を持っていれば潰れなくて済んだかもしれないな。お前には、お前の親には、それが分かっていないんだよ!!」
そういいながら、私の頭上に手を持っていて、そこから幾枚かの紙幣を落とす。
「それは手切れ金だ。今後、奴に近づいたら、お前の周りにも影響が及ぶと思え」
「………………」
そう言い放って、路地裏から外へと出ていこうとする。私はそれに何も言えずに下を向いて立ち尽くすしかない。やけに唇の端が傷む。それは口の端を強く噛みすぎているのだろう。
何も言えないわけじゃない。だけど、言い返したところで結果は同じなように思えて、結局何もできなくなってしまう。それは心のどこかで、あいつの言ったことに正しさを感じてしまったからだろう。
私に、周りの人に何か思わせられるような技量があれば、もしくは他に反抗できるような力があれば結果は変わったのかもしれない。だけど、私自身には何の力はない。
それはきっと両親も同じだったのだろう。いつか聞いた言葉がまさにそれその通りだったから。
少し前までの、高鳴った気持ちはすべてどこかに行って、壁にもたれかかって、空を見上げるしかなかった。昨日まではすごく近くにあったと思ったのに、今はひどく遠い。
「――あら、やけに匂っていると思って来てみたら、どうりで。こうも腐った肉がいくつもあると、さすがにキツイわね」
これから先、どうしようか。去っていく男たちの背中を見て、そんなことを思ってた時だった。男たちの行く先、路地裏の外からそんな響き渡る声がした。
「なんだぁ? 邪魔だ、どけっ!!」
続けてダルクの声がする。男たちの姿の間からちらっと声を発している人の姿が見えた。光を受けて反射しているブロンドの長髪に、宝石のような蒼色の瞳、服装は真っ白なブラウスに黒いプリーツスカートを身に着けていて、胸元には獅子の描かれた盾と剣の紋様が刺繍してあった。
確か、あの紋様は……
どこかで見たことのある模様を思い出していると、
「とんだ言葉使いね。とても同じ人種だとは思えないわ」
「はっ、同じ人種だと。少しは身なりがいいようだが、俺を誰だと思って、いる…………ッ!!」
最初は威勢よく偉そうな言葉を並べていたけれど、しばらくすると何かに気付いたように、口を噤む。
「そっ、そのっ、家紋は……ッ! まっ、まさか……」
遠目からもダルクの顔色が青くなっていくのが見える。
「どうしたの? 何か気づいたの? いいのよ、言おうとしていた言葉の続きを言っても。まあ、大体『俺はあの名門貴族スメール家の長男だぞ。同じ人種だなんて、どの口が言えるんだ、この女!』て、とこでしょうけど」
「いっ、いえ、そんな滅相もございません!! このような場所にアレストア家の方がいらっしゃるなんて、思わなかったものですから……」
そうだ、あの紋様はこの街ロハトの領家であるアレストアの家紋。てことは、あの人はアレストアのご令嬢だろうか。
「へぇ、それじゃあ、次からは気をつけることね。この街におかしな者が湧かないように、“こんな”場所にも来るのよ。それで、何をしていたの? そこの彼女と何か関係ありそうだけど……?」
私の方を見ながら、ダルクにそう問いかける。
「いえ、何分、分不相応な態度を示していたので、少しその点について伺っていただけでございます。何も問題はございません」
「そう、ならいいわ」
「へへっ、それでは、手前共はこの辺りで失礼いたします」
そういいつつダルクは足早に表通りに出ようとする。そんな背中に向けて一言、
「でも一つだけ知っておくことね」
そう言い放った。ダルクは振り返って、“なんでしょうか?”と手をこすりながら言わんばかりの表情になる。
「この街には分不相応という言葉は存在しないわ。貴族もそうでない人も、すべては己の技量一つで勝負する場所、だからこその“はじまりの街”ロハト。だから、あなたたちが彼女の技量関係なく、何かしようとしているのだったら、それはこの街にふさわしくないわ。その時は私が持つすべてを持って、あなた達を排除させてもらう」
毅然とした態度で言い放ったその姿を、綺麗でかっこいいと思った。
「……………………クソッ、覚えてろッ」
ダルクはその言葉に怯み、私の方を睨みながら、長い沈黙の後そう吐き捨てて去っていった。
「本当くだらない人間ね。まったくあんなのを認めるなんて、グランバニアもどうかしたのかしら…………。さて、そこのあなた、大丈夫だった?」
表通りの方から路地裏に入ってきて、私の目の前に近づき、そういわれる。
「あっ、はい。特に何かされたわけではなかったので……」
「そう? そこを歩いていて、どうにも不穏な言葉が聞こえたから。もし、あいつらに何か言われてたとしても、気にすることはないわ。何かあれば私に言ってちょうだい」
そう言いつつ、家紋の入ったカードを手渡された。
「そういえばまだ名乗っていなかったわね。私はクレア・アレストア。一応、この“はじまりの街ロハト”の領家であるアレストアの長女よ」
「わ、私は、アイゼアルト・リアンです。その、ありがとうございます!!」
目の前で、あのアレストア家の方がいて、実際に話しているという状況に頭がついていかない。緊張で胸はバクバク言っているし、声も変に高くなっているかもしれない。
けれど、この人のおかげで救われたのは確かだ。その気持ちが行動にも出てて、気づけば頭を下げていた。
「私は大したことをしたわけではないから、大げさよ。ただあんな奴らがいるのに黙っているのは間違っていると思っただけ。それじゃ、これからは絡まれないように気をつけてね」
「はいっ。本当に、あの、ありがとうございました!!」
去っていく後ろ姿を見ながら、もう一度頭を下げて感謝の言葉を告げる。
本当に、この場所にはいろんな人がいる。
多分、クレアさんは技量も持っていて、何人もの人に立ち向かう勇気も、もちろん地位もあって、そのどれも持っていない私からすれば尊敬に値する人だった。
きっと兄さんと同じように私の凄い前を歩いているんだろう。
そこまで行きたいって改めて思った。少なくとも自分に関わることは自分でどうにかできるように。だって、クレアさんが来てくれていなかったら、私の道は細く短くなっていたはずで、それに抗う術を私は持っていなかった。
「早く…………強く、なりたい」
そう口に出したところで、叶うわけもないのに言葉にしてしまう。
それと同時に、街中に大きく鐘が鳴り響く。
「あっ、もうハルトさんと約束した時間」
それに気づいて、慌てて表通りに出て待ち合わせの場所に走る。
残った路地裏には、数枚の紙幣が落ちたままで、それもやがて風に吹かれ飛んでいく。誰にとっても何も変わらない日常に戻った。そう自ら行動したダルク・スメール以外は誰一人……。
「クソッ、なんなんだよ、あの女は!!」
アイゼアルトがハルトとの待ち合わせに向かっている頃、ダルクは自室に戻り壁を拳でたたきながら、言葉をこぼしていた。
「アレストアもハルト・イツキもこの際もうどうでもいい! 運が悪かった。そういうときもあるさ、力が俺よりもあったってことだ。だが、あの女、アイゼアルト・リアンは違う。目立った地位も、技量も、度胸さえないのに、それなのに、この俺に恥をかかせたっ! それが一体どういうことだが、教えてやる!! くそっ、くそっ、絶対に! 絶対に後悔させてやる。俺の身がどうなったとしても、あいつの、あいつの未来だけは……ッ!!」
ただ永遠と壁を叩き、歯を食いしばりながら言葉を垂れ流す。その目は野獣のようで、ひどく歪んでいた。
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