Act.2 ステージに立つその日のために

たった一人の訪れで…

 気づけば太陽が街の外に落ちていくのが見える。夕焼け色の光が街を照らして、建物や道路が赤く染まる。道行く人々はそれぞれに家路へと着いて、かくいう私もそのうちの一人だ。

 手にはコルティに頼まれた橙灯石と、約束通りにフレヴィルで買った野菜と、ほかの食材を持って2階建てのアパートの玄関をくぐる。

 中には真ん中に大きな階段があって、それが2階に続いている。その階段を上り、コルティと一緒に借りている部屋の鍵を開け、中に入る。

「ただいま」

 扉を開けて、そう言葉にするけれど、中には誰もいない。

「コルティはまだ帰ってきてないのかな……」

 買ってきた荷物をテーブルの上に置き、自分の荷物はいつも通りに棚に入れる。それから買ってきた野菜とかを保管棚に入れて、

「先に汗、流しちゃおうかな……」

 コルティはまだ帰ってこないようだし、夕食も少し先のことだろう。そう思って部屋の入口横にある脱衣所に向かい、お湯を浴びる。

 そうしていると、

「ただいま~」

 ドア越しにそんなコルティの声が聞こえてきて、

「おかえりー」

「おう! あ、昨日の買ってきてくれたんだ。ありがとね!」

「うんー」

「にししっ、無事、フレヴィルでお野菜変えたようでよかったよ」

 野菜が入っていた袋を見てか、悪戯口調でそんなことを言う。

「うん。あ、それなんだけど、昨日は本当に――」

 そう言ったのが、ちょうど着替え終わってコルティのいる部屋の方に戻った時で、顔を見るとだらしなくにやっと笑っていた。

「どうしたの、コルティ?」

「いーやー、大分ご機嫌だなぁと思って……こっちまで嬉しくなっただけだよ」

 またしても心を読まれた、と少しどきっとする。

「えっ………顔に出てた?」

「顔、というか、行動? 鼻歌とか? まぁ、アイゼアは分かりやすいから」

「…………うぅ」

 自分でも気づいていなかった。そんなにも浮かれていたなんて。

「まあまあ、とにかく前に進めたようでよかったよ。あ、そうだっ。何だか街がちょっと騒がしいなぁと思ったら、はいこれ」

 そういいながらコルティはテーブルの上に1枚のチラシを置いた。そこには金髪の青年の似顔絵と共に、『最も頂に近い者、クライル・ナハティガード はじまりの街ロハトにて公演開始!!』と書かれていた。

「街で配ってたんだ。アレストアホール辺りだったかな。来週の終わりにやるみたいだよ。もしかしたら、もうロハトに来てるんじゃないかな…………アイゼアのお兄さん」

「……そう、なんだ。全然、知らせとか来ないから分からなかった」

 一瞬、心の中が空っぽになる。

 兄さんと会わなくなってしまってから、どれくらい経つのだろう。私が家を出ようと決心した頃に顔を見せに帰ってきたことがあったから、大体3年ぶりくらいか。時々来る便りや噂では聞いていたけれど、こうしていま兄さんがいる場所をきちんとした形で知ると、気が遠くなるほど高い場所にいるのだなと思い知らされる。

「そっか。やっぱ、アイゼアも知らなかったんだね。いや、結構上の方はこの話題で持ち切りでさ。この時期にこの街に来るってことは、今年のロハティネスフェスの審査員はシンドレア・グランバニア、リンドルフ・アレストアに並んでクライル・ナハティガードがやるんじゃないかって、とか。新たにクラブを作るために、メンバーを探しに来ているんじゃないか、とか。そりゃ、大騒ぎだよね。まさに、お祭り状態」

「そっか……」

 一人。たった一人が街に来ただけで、こんなにも騒がしくなってしまう。それだけ兄さんの影響力は大きいってことだ。

「ありゃ、あんま嬉しそうじゃないね。久しぶりに会えて、嬉しがると思ってたけど」

「あっ、もちろん会えたら嬉しいよ。でも、同じ場所を目指すもの同士としては、なんだか大分遠いところにいるなって思って」

 私が頑張ってステージに立とうとしている一方で、とてつもなく大勢の人に影響を与えているんだ。ちょっと前に進めたって、追いつける気がしない。

「ふーん。そんなもんかね」

「そんなもん、だよ。さて夕飯の準備しなきゃだよね、なにか手伝うよ」

「よしっ。それじゃ、今日買ってきた野菜を洗って、切っておいて。スープに入れるから」

「うん、わかった」

 確かに、追いつける気はしない。だけど、だからといってその背中を目指して歩くことを、走っていくことをやめたわけじゃない。

 きっと昨日までの私だったら、後ろめたさがあって会うことができなかったかもしれない。でも今の私だったら、ちょっと勇気はいるけれど、それでも久しぶりって、そう言って、話すことができそうな気がする。

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