それが私の理想だった
あれから移動をして、一つの練習場に来た。
そこまで混んでいなくて、真ん中に割と広めのスペースがとれたからそこにいる。
移動中、ハルトさんはずっと無言で、おまけに怖い顔をしていて、なんだか私はとても悪いことをしてしまっているのではないか、とふとそんなことを思ってしまう。
「ごめん。自前のボールを持ってきていなくて…………よかったら貸してくれないかな?」
軽い準備運動をして、そう私に声が掛かる。
「あっ、はい。どうぞ」
そうやって差し出したのは、ついこないだ新調したボール。
そのボールを受け取って、
「……こんなに良さそうな道具、使っていいの?」と目を丸くして言葉にした。
「はい。ハルトさんの演技が見れるなら、どうぞお使いください! 私はここで一瞬たりとも見逃さないように見ていますから」
「そっか、ありがとね」
短く一言。特に緊張している様子もないけれど、お店にいるときより声のトーンが低かった。
「それじゃ、始めるよ。2年前、まだ僕が本気でパフォーマーを目指していて、作った演技を」
その言葉は、ステージで言うなれば一礼。
次の瞬間には、ハルトさんは足元に7つのボールを並べて、そこから5つを取り、投げ出していた。
あの時は遠目で見ていて、扱っていたボールも3つだった。だから、冷静に物事が見れたのかもしれない。
けれど、今は手を伸ばせば届く距離で、あの時よりも多くのボールを扱っていた。それらをただ目で追っていくだけで、精一杯だった。
5つのボールは寸分たがわず同じ軌道を描いていて、その軌道が時々跳ねて、別の形になる。雨が地面で跳ねるように、旋律が音を変えていくように、馬車から見える景色が次々と変わっていくように、それがまるで当たり前と言わんかのように、淡々と次々に技を繰り出していく。そこに雑味はまったくなくて、ただただ正確無比な動きが再現されていき、綺麗だなと思った。職人が丹精込めて作ったオルゴールのように、それがあらかじめ決められていた動きだって言ってもおかしくないものだった。
同時に信じられなかった。
これが、こんなに人間からかけ離れている演技を、まぎれもなく人が行っているのが。
一体どれだけの練度で、密度で、効率で、ひたすらに技を磨きあげればこんな風になることができるのか。それを平然とした表情で何でもないかのように、行ってしまうハルトさん末恐ろしさすら感じてしまった。
でも、そんな凄みからくる恐ろしさを超えて、心が震えていた。その震えがすべての感情を私の中から消し去って、残ったのは、これが私の求めていたものだと、心の中で叫んでいる私だった。
なんと人に伝えればいいだろうか。
世界中の凄いものを、綺麗なものを、大事なものを1か所に集めて、形にしたらこんなものになるのかなと、仕舞いには7つの道具を自由自在に扱い、緻密で、精細な演技を行うハルトさんを見て、そう思った。
それは、どこまでも遠くて、遠くて、遠い、限りない私の理想だった。何よりも、今まで見てきたどの人の演技よりも、私がパフォーマーを目指したきっかけだった兄さんの熱よりも、上にある理想だった。
そう思えると、今まで感じていた同じ場所でぐるぐると歩き回っていた感覚が、どこか大空へ羽ばたいていくようなものに変わっていった。
そうして、いつまでも終わらないでほしいと感じる、ハルトさんの演技は終わる。
気づけば、両の瞳から熱いものが零れ落ちていて、
「最後まで見てくれてありがとう…………ごめんね、嫌なもの……見せたね」
そんな私を見て、ハルトさんは暗い言葉を吐く。視界は滲んで、いまどんな表情をしているのか分からなくて、何を思ってそんな言葉を言っているのかわからなかった。
「でも、これで……分かった、よね。僕の演技を見た人は、みんなして、感動するよりも感嘆する。評価はするけれど、機械仕掛けの時計のようだなんて言って、人と比較しようとしない。置物のように言うだけだ。そんな僕が、人に、人々を感動させて、心を震わせるパフォーマンスを教えることなんて、できない…………」
本当に、何を思って、そんなことを言っているのか分からなかった。
私の涙が、恐怖とか畏怖から来るものだとからでも思ったのだろうか。そんな経験が過去にあったのだろうか。
全く違うのに。
「ハルトさんの……言ってることが全く分かりません」
「え…………?」
言わなければいけないと思ったのだ。
私が、見て、感じて、思ったことを、言葉にして伝えなければいけない。
それがパフォーマンスを見たお客のするべきことで、
「私は、ハルトさんの演技を見て、信じられないと思いました。人間のできることでもないって……。でもなによりも、きっと私がこうしているのは、それが私がずっと求めていた理想だったからです。理想だからこそ、どれだけの努力が、日々が必要なのかわかっていて、それを微塵を感じさせず、綺麗に、幻想的に、演じていたのが、私の心に響いたんです。感動したんです」
「………………」
ハルトさんの演技を見るまでは、断られたら今日できっぱり忘れようと思っていた。いや、糧にして忘れて前に進もうと思っていた。
でも、もうそんなことできない。
「だから、決めました。……何がなんでもしがみ付いて、私の理想から得られるものを得て、それで絶対にステージに立つって」
「…………」
こんなに一気に捲し立てるなんて、今までの私からしたら絶対にしない。まず、性格とあわない。だけど言うしかない。自分を偽ってでも言うんだ。
「でも、さすがに取るだけ取るのも可哀そうなので、代わりと言ってはなんですが、私からはハルトさんにもっと多くの人に響くような演技の仕方を教えます。それに関してはハルトさんの演技を見る限り、私のほうが上手ですから。それで、二人で、ステージのてっぺんまで上り詰めましょう!!」
言い切ると、大分息が上がってることがわかる。
普段、こんなに大きな声を出すことなんてなくて、でも、それだけこの気持ちはそうしてでも出さなきゃと思った。
「……………………ははっ、随分と無茶苦茶なことを言うんだね」
はじめは私の言葉の意味が分かっていないようだった。でもしばらくして理解が落ち着いたみたいで、表情を崩して吐息を吐き出し、少しだけ笑って、言葉にした。
「ハルトさんのパフォーマンスよりかは、無茶苦茶じゃありませんよ」
「……うん、そうかもしれないけど…………こっちは怖くて怖くてたまらなかったんだけどな」
「…………? なにか言いましたか?」
「ううん、なんでも」
「あの…………それで……私の提案はどうですか?」
「そうだね…………。僕がステージに立つかどうかは置いておいて、アイゼアルトさんからは大分たくさんのものをもらったような気がするんだ。だから、そのお返しとして、僕の技でよければ教えるよ。それで、どうかな?」
その言葉は、ハルトさんにとってはただの、会話の中にでてくる文でしかなかったのかもしれない。けれど、私にとってはとてつもなく大きな希望で、
「はいっ!!」
とにかく嬉しくて舞い上がってしまったのを覚えている。
その日、パフォーマーのはじまりの地とよばれるロハトは変わり始めた。
今までよりも賑やかに、騒がしくなる方向に、確実に。
それはハルト・イツキの演技を見て、感動を覚えたアイゼアルト・リアンの影響かもしれないし、彼女に大きなものを貰った彼自身によるものかもしれないし、
「なんだ、あいつは? 見たことない顔だが、これは…………へへっ、上手く使えば一気にのし上がることができるぜ」
偶然にも彼の演技を通りがかって見た、下卑た考えを持つ男によるものかもしれないし、
「おっ、なんだなんだ。つまらない奴ばっかと思ってたが、とんだバケモンがいるじゃねぇか。こりゃあ、楽しみになってきたねぇ」
高見台から望遠鏡で街の様子をみていた、競争心を燃やすこの男によるものかもしれない。
「ッ! まだまだ、もう一度ね。これじゃ、全然ダメ」
それとも必死に自らの運命に抗う少女かもしれないし、
「そろそろ…………ロハトへ視察に行く時期か……。さて、今年の脱落者はどれ程いるか見物だな」
はたまた、全く別の地で思索にふける男によるものかもしれない。それ以外の大勢の小さな動きが重なりあったことによるかもしれない。
ともかく言えることは、これは世の中に溢れている無数の劇の一つの、一幕の最初の物語だっていうことで、次の幕は準備ができようとそうでなくとも、すでに切って落とされているということだ。
To be continued...
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