何でもない毎日の、かけがえのない人
それから3日後の夜。日中はいつもと同じように技の練習をして、家に戻る。
「ただいま」
アパート二階にある部屋の扉を開け、そう言葉にする。
「おー、おかえりー」
そうするとキッチンに立ち夕食の準備をしている同居人から声が返る。
「うん。あ、いいにおい。毎日毎日ありがとね、コルティ」
部屋の中にはまろやかな甘い匂いが充満していて、一気にお腹が減る。
「いいって。これ以外のことはやってもらってるし。それに、アイゼアの料理って食べれたものじゃないだもん」
くるりとカールのかかった金髪をたなびかせ私のほうに振り返り、悪戯っぽく微笑む。
「それは……そうなんだけど。あれでも一応、練習してるんだよ?」
「うんうん、練習の成果はちゃんとでてたよ。ぎり食べれるんだから。ちっちゃいころのアイゼアの料理なんて食べただけで――」
「も、もういいじゃん、子供のころの話は!」
「あはは、ごめんごめん」
手に持っていた荷物を棚に仕舞い、テーブルの上に食器を並べながらそんな他愛もない話をする。夕飯の準備もすぐに終わり席に着いて、料理を食べ始める。
「あっ、そうそう。もうすぐで橙灯石が切れそうなんだよね、今度買ってきてくれる?」
コルティが天井にある電燈を見上げながらそう口にする。
「確かに、部屋の明かりが大分淡くなってきてるね。照明用だけでいいの?」
「うーん、点火用も一つ、予備でお願い。あとはいつも通りに野菜とお肉と、ミルク。調味料は……まだあるから大丈夫かな」
「わかった。明日の帰りに買ってくるよ」
「お野菜はフレヴィルって、ところで買ってきてもいいからね。少しくらいの予算越えは認めます!」
「ッ、ちょっ、なんでそうな――」
コルティの言葉で危うく口に含んでいたスープを吹き出しそうになる。
「まあまあ、もしかしたら通いつづけてひたすらお願いしてたら根負けしてくれるかもじゃん」
「いや、それはさすがに迷惑だと……」
「いいじゃん。だって、上手くなるための道なんでしょ。それくらい凄い人だって、この前、熱弁してたし。上にいくためには、どんな手だって使わないと。お兄さんみたくなりたいんでしょ?」
「それは……そうなんだけど…………。なんか、あの雰囲気だといくら頼み込んでも、受けてくれそうになくて……」
「ふーん…………」
「ていうか、コルティの方はどうなの? 工房での修行、うまくいってるの?」
「あぁ、あたしの方は……まぁ、ぼちぼちかな。どんなに頑張っても理想まではすぐに届かないし、目の前の仕事もままならないーて感じ。昨日見せてもらったヴィンベルトのおじさんの仕事が、ほんと凄く遠く見えるわ」
料理をひとしきり食べ終わり、コルティは窓の外を見ながらそう言う。
「ふーん…………」
「さ、浮かない話ばかりしてても仕方ないし、そろそろ片付けよ」
「うん、そうだね」
そうして、食器を片付けて、着替えて、お湯を浴びて、寝床に就き、1日が終わっていく。
大事な大事な1日が終わっていく。
ハルトさんと会ってから、いくら練習しても自分が下手くそに見えてしょうがない。どうしたらあそこまで上手くなれるのか。いくら練習しても、全く身につかなかった感覚がそこにあって、それはどうしたら手に入れられるのか。そんな思いが頭から離れなくて、考え込んでしまう。
分かっている。こんなこと考えても、練習する手が重くなるだけで、いいことなんて何一つないってことを。それでも、思ってしまうのだ。
「はぁ……」
こんなんで3か月後にきちんと結果を出せるんだろうか。
兄さんは同じ年で既にプロの資格を取って各地で公演をしていたのに、私はその足元にも及ばない。
灯りの消えた部屋の中、横になりながらそんなことを考えていると、
「ねぇ、アイゼア……まだ起きてる?」
と、2段ベッドの上にいるコルティから声が掛かる。
「うん、まだ起きてるよ。どうしたの?」
「フレヴィルの……ハルトさん、だっけ? 冗談じゃなくてさ、気になっているんだったら会って話したほうがいいよ。お願いじゃなくても、話して、気になってるところちゃんとした方がいいと思う」
「どうして……?」
その言葉はまるで私の心を見透かしたようで、反射的に言葉が出た。
「それくらい見ればわかるよ。何年の付き合いだと思っているの? それに、ハルトさんの話をしているときのアイゼアの顔がさ、この街に来る前のいかにもこれからが楽しみなアイゼアにそっくりだったからさ。わかったんだ。アイゼアがそれにちゃんと向き合えば、きちんと前に進めるって。ちゃんとした表舞台でみんなを感動させることができるって。あたし、それ楽しみにしてるから」
その言葉は寒空の下から暖かい家に戻ってきたときのような安心感があって、心にじんと響く。
「言いたかったことはそれだけ。おやすみ」
その言葉とともに寝返りを打つ音が聞こえる。
「うん……。コルティも、ちゃんと自信持ってやっていっていいと思うよ。前に作ってくれた私の道具、凄い良い出来だったから。だから、明日も頑張って。それじゃ、おやすみ」
「……うん、ありがと」
短いやり取りだけれど、なんだか不思議と体の中にあったもやもやが少しだけ晴れたような気がする。きっとコルティがいなければ半年前のあの日で、ロハトの街を去っていたことだろう。それでもみっともなくこの場所にしがみ付いているのは、私の中にまだ夢が残ってるからだ。そのためにやることはやらなくちゃいけない。
コルティの言う通り、ここで立ち止まっててもしょうがない。
前に進むために――
そうして迎えた次の日、それは私にとって、そして多分ハルトさんにとっても忘れられない1日になった。
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