一目で心に深く刺さった

 パフォーマンスの種類としてはトスジャグリングと呼ばれているジャンルだ。

 何かいくつかの物を―ボールでも、ナイフでも、ごみ箱でもいいから―投げて、キャッチする。パフォーマンスの中で最も基本的で、そしてプロになるためには最も競争の激しい、誰もが必死に練習して、常に新しい道を探している、そんなジャンルの技を私は磨いている。

「ふぅ……」

 地面は固く、滑りがよくて、動きやすい。広く空間がとれていて、風はほとんどない。手にはついこないだ新調したボールが5つ収まっている。

 何もかも環境としては完璧な状態だと思う。

 それを確認して、そして両手に収まっていたボールを一つずつ、順に宙へと放り投げる。

 右手から左手へ、左手から右手へ、ボールは放物線を描き動き出す。視線は宙を、手には落ちてくる球の感触が柔らかに伝わってくる。

 そうして5つのボールが手から零れ落ちないように、宙でぶつからないように、コントロールし、そして流れを変える。

 今までは音楽でいうなら序奏、料理で言うなら下ごしらえ、つまるところ、次に繰り出すものが技で、

「ッ!!」

 自分の中で気合を入れて、それら5つボールを頭上に投げ上げ、そして落ちてくるまでの間に右足を軸にして自分自身の体を一回転―ピルエットさせる。視界が目まぐるしく変化していく中で、元の位置を見極め回転を止め、落ちてくるボールをすべてキャッチする。

「はぁ……これで4回連続で成功……」

 手に収まっているボールの感触を確かに感じながら、そう言葉にする。だけど、そこには技が成功した嬉しさ以外の何かが入ってきてしょうがない。

 上手くはなっているはずだ。事実一か月前では、2回に1回程度しか成功しなかった技だったのだから。

 けれど、心はあまり晴れない。

 苦心に苦心を重ねて材料と重さと大きさを指定して、一流といっても過言ではない工房で作ってもらった道具を使って、環境はこれ以上はないくらいのベストで、入念にアップを行って、自分の中でボールを投げる感覚を、キャッチする感覚をきちんと培って、それで技に挑み、成功はさせている。でも投げ上げたボールは前後にぶれて、キャッチするときにどうしても体勢を崩さなければいけなくなる。それを直そうとするとピルエットがぶれて、それを直そうとするとボールの高さが合わなくなる。

「このままじゃ、本番に使うことなんてできない……」

 こんな見栄えでは練習風景を見せているのかと嘲笑われてしまう。そんな記憶が甦る。

 今は練習の時間でしょ、そんなことを考えている暇じゃない、そんな風に頭を振り自分に言い聞かせ、そして周りの様子を見る。

 いつもと変わらない。

 色とりどりの人が、自分なりに技を、演技を磨いている。一つの技をひたすらに反復している人もいれば、一つの演技の流れ―シークエンスを磨いている人もいる。ここにいる人は、みな等しくプロを目指している人で、ライバルで、負けたくない人たちで、

 そのきっかけが何だったのかは分からない。

 けれどふと、目についた。

 それは、風貌がいかにもマーケットの野菜売りをやっている人のようだったからかもしれないし、使っている道具が道端を永遠と引きずりまわしたように泥だらけで、すり切れたどうしようもないものだったからかもしれない。

 とにかくこの場にいる人と明らかに違っていて、それで視界が彼に止まって、ただ心が震えた。

 やっている技なんて、ごくごく初歩的な、ボールを扱うものならば最初にやるようなものだ。扱っているボールの数も3つ。けれど、その手の動きが、ボールの動きが、姿勢が、これっぽちもぶれていなかった。同じ軌道をこのまま永遠と続いてしまうのではないかというくらいの正確さで再現し続けている。まるで機械仕掛けの人形のように、ひたすら繰り返していたその動きを見て、ただ茫然と立ち尽くしてしまっていた。

 初歩的な技であっても、人が行っている限りブレは存在してしまう。それを限りなく小さくするのが求められるわけで、たとえブレたとしても続けて繰り出す技に支障がないように鍛錬を重ねている。

 でも、それは、その人は、そんなもの必要ないというかのように、圧倒的で、夢でもみているかのような、そんな動きをしていた。

 身長も、年齢も私より少し上くらいだろうか。癖のある黒髪が風に吹かれ揺れガラス玉のような翡翠色の瞳が見える。

そうしてどれくらいの間、人とは思えない動きを見ていただろう。とにかくふと彼は手を止め、持っていたボールを無造作にポケットに突っ込んで、練習場の外に向かって歩き出した。

――もう練習は終わり

――またこの場所に来てれば、その練習を

――何か、技を、いやそれよりもぶれない姿勢について

――今、声をかけるべきか

 この場から去ってしまう彼を見て、一瞬の間にいろんな考えが巡った。

「ちょっと、待ってください!!」

 気づけば体が動いていた。足が回り走り、その後ろ姿に声を掛けた。

 けれど、

「…………」

 まったく反応はなく、彼の足は止まらなかった。

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