夢見屋

道透

第1話

 世界は人の生み出した革命である機械が人と同じように活動している。医療では新薬、新技術、新細胞が日々生まれ、病気への心配はない。新しい技術に頼り、機械が世界をまわしていると言っても過言ではない。車はタイヤなんて必要ない。交通機関の基本であるバスや電車も自動で時間きっちりとセットされている。どの時代でも親しんできた書物。小説や漫画、雑誌。これらも全て機械の中での物だ。紙の中では楽しめない。脳内で遊ぶことは出来るようになった。そんな今でこそ当たり前のこの世界。いろんな職業が消え、新たな職業も増えた。私たちはそんな世界で過ごし、青春し、遊んでいる。学校の帰りのほとんど私は友達とよく行く店がある。

「今日、彼と初めて話したんじゃない?」

「……そうかも」

「良かったやん」

「てか、私ばっかりずるくない? そっちの恋愛事情も聞かせてよ」

「いないし、好きな人。残念でしたー」

 私は持ち歩きの出来る最新型のパソコンを片手にキーボードをたたいた。

「出来た」

「私にも書かしてよ、その小説の一部。ゲームに勝ったら書かしてくれるって言ったじゃん」

 持っていたパソコンを彼女に手渡して店に着くまで待った。その間、私はバスに揺らされることしか出来なかった。店に着いた時には私の小説は完成していた。私はパソコンに書いた物語を店のパソコンのデータの中に移してもらった。そして、人ひとり入れる大きさのドーム状の中に私は横になった。私は目を瞑った。


 ある人は言いました。『恋は道の妨げである』と。あの日の私も同じことを思っていた。私の座右の銘である。思われれることは容易ではないが果たして思うことは簡単であるのか。思うまでは簡単かもしれない。でも、思い続けることというのは人の心を左右に乱させるのだ。恋。形こそ変われど、今も昔も共通して持っている感情の一つ。

 私はそれを三度経験したことがある。一度目は小学生の時だった。彼は両親の仕事の都合で五年生の時に転入してきた。私は小学生ながらに彼の人の良さ、そして性格の明るさ。私と対照的なところをきっかけに惹かれた。しかし、数か月後に失恋した。彼に彼女が出来たからだ。二度目は中学生の時だった。彼とは小学校に入る前から顔見知りだった。中学に入って、部活が一緒だったのがきっかけだったはず。この時は、好きになったタイミングをよく覚えてない。中学生になって、少しずつではあるが恋愛というものを知っていくことになった。それ故に、より感情が深く刻まれている。大好きだった。毎日、部活に行くのが楽しみになっていた。しかし、これも失恋に終わっていた。行き過ぎた気持ちが自らの足を引っかけてしまった。つまずくどころではない。ずっこけたレベルだ。おかげで彼から避けられていた。この時ばかりは部活への足取りが重くて仕方なかった。そして三度目。これは現在だ。挫折の痛みもそこへ行くまでの対処法を知っている私にとっては三度目なんて願ってなかった。何なら恋なんて一生しなくてもよい。そう思うようになっていた。一人でも大切に出来る友人が出来るだけでも贅沢だろう。三人目を好きになったのは高校に入って、初めての夏だった。蝉の声が教室一帯に散らかっていた。窓を開けると強い日差しと熱気が流れ込んでくる。彼と初めて口をきいたのはあの時だけだろう。

「あ、ごめん」

「え? あ、ごめん」

 以上だ。ただ、肩をぶつけた後に発せられた言葉。最初も最後もこの一言のみだ。だからか、このことについて話した友人にはよく背中を押される。二年になった今では押されるというか、叩かれるようなものだ。

香帆かほ、早く行くよ? 授業始まるよ」

「梓、ちょっと待って。数学だよね」

「うん。次、英語もだよ。ん? 花だ。摘んできたの?」

 私の机の上には見覚えのない花が一つ置かれていた。進路が植物関係に纏わることだとはいえ朝から花を摘んで来ることはとてもじゃないがないだろう。白くて綺麗ではあったが何であるのかは知れない。風が飛ばしたにしては不自然だが今はそんなことを言ってる場合でない。私達は移動教室のため、その分の教材やノートを持って急いだ。廊下を気持ち速めに歩きながら、あずさは例の件について首を突っ込んできた。

「そういえば今日、ごうくん見かけないね?」

 にやついた梓の頭を私は叩いた。

「てか、剛くんって……別に永里ながさとくんが来ても来なくても私には関係ないし」

 クラスメートに勘づかれでもしたらどうするというのだ。梓の言う剛くんというのはクラスメートで、私の三人目の好きな人、永里剛ながさとごうのことだ。

「あ、来てるじゃん。良かったね、香帆」

 永里くんは、廊下を先に歩いていた。永里くんを意識しだして、既に一年以上の月日が立っていた。私はいつも持ち歩いている手帳にはさんでいる一枚の写真を覗くように見た。それにはクラス三十人が笑顔で写っていた。昨年の文化祭の写真だ。思い出としてはもちろん、彼も写っているというのを理由に手帳から覗かせる。教室に入ると同時に手帳をたたんだ。見られては少し恥ずかしい。私はいつもと同じ席についた。しかし、斜め二つ後ろの席は空いたままだった。いつも変わらぬ授業。やはり手帳に手をかけたくなってしまう。それを偶然察したのであろう梓は、離れた席からその顔をにやつかせていた。私はそれと対抗すべく、ノートにかじりついた。恋は道の妨げである。私の座右の銘であるその言葉が私の胸を刺す。あっという間に一限分の授業は終わってしまった。手にかけた手帳の中の写真は担任の先生が皆にくれたものだった。皆がどんな思いで、どのように持っているのか知れない。しかし、私にとっては大切な一枚だった。どの人も欠けてはいけない。私にとって嫌いな人も苦手な人も。憧れの人も好きな人も。右端に写る彼。左端に写る私。距離は遠けれども一枚の写真の中。そんなことばかり考えて授業はとっくに七限分終わっていった。体力はそれなりに削がれていた。七限が終わると彼は教室の後ろからぬけて、すぐに部活へ行ってしまう。私はその時、すれ違うように私は七限の時の教科書やノートを後ろのロッカーにしまいに行った。すれ違っても彼は私を華麗に避けていき教室を去った。あっさりと終わってしまった時間を思いながら席に戻った。日誌をひろげて残りの空白を埋めていった。

「香帆、今日バス?」

「自転車だよ。梓は?」

 日誌を書き終えた私は開けていたページを閉じて返事した。

「私はバス。じゃあ、今日はバス停までか」

 私たちは帰る支度をしながら話した。教室には、あまり人も残っておらず、残っている人は友人との会話に花を咲かせていた。教室を出てバス停まで徒歩五分。私は梓と別れた後、自転車に乗り緩やかな下り坂を下った。流れる風が気持ちかった。

「はー」

 自然と溜息が漏れた。少し暗くなった道に映る自分の影を自転車を滑らせながら眺めた。私は一人になった途端、不安な気持ちに襲われた。永里くんのことだ。彼は私のことをどう思っているのか。もしかして、既に好きな人がいるのか。どんな子が好みなのか。気が塞ぐばかりだ。不安が自分を消してしまいそうだ。そして、それは突然だった。指から全ての神経を蝕んでいくようだった。体に運転が利かなくなる。自転車のペダルから足が外れた。バランスが取れなくなったが最後、転倒した。転倒した時の一刹那に私の見ていた世界がぐらりと歪み、混ざり合った。転倒後、さっきまで運転の利かなかった体が一回の瞬きで戻っていた。その時、誰かが走ってくる音が聞こえた。

「大丈夫ですか」

「え、はい。すみません」

 逆光で顔はしっかり見えなかったがたまたま通り掛かった通行人が私の自転車を起こしてくれた。幸いにも私と自転車は擦り傷だけで済んだ。その後はちゃんと安全に気をまわしながら無事、帰宅した。自室へ戻ってから手帳を机に置き、唯一私が持っている本のあるページを開いた。そのページしか開けてないせいで、開きやすいくらいの跡が本にはついていた。目をつぶっても感覚だけでページが分かった。開けたページを見て私は絶句した。我が目を疑った。いや、いくら私でもその一文を見間違うはずがない。

 ――『恋は道を行くための足である』

 私の座右の銘と違う。疲れているのだろうか。でないとすれば、ページを間違えたか。しかし、いつもの開き慣れたページだ。間違うはずはない。私の視界は次第に歪んでいき、体の運転がまたも利かなくなった。

「……やばい」

 まただ。部屋であるが故にか、体が倒れていくのが怖いと思わなかった。私、死ぬのかな? 不思議にも倒れる体に反して、神経を蝕んでいくあの感覚はじんわりと体に流れていった。微かに見えた窓の外にはさっきまで降ってなかった雨が降っていた。私の見えている世界はいつもの世界とまるで違っていた。

 次、目覚めた時には教室の机に顔を伏せていた。顔を起こして自分の体が正常だと分かった。しかし、私の頭は混乱に満たされていた。どうして教室にいるのか。ましてや、教室から射す光は明るかった。天気も晴れていた。私が最後に見た景色は薄暗く、雨が降っていた。教室はいつものようにざわついていた。

「香帆、早く行くよ? 授業始まるよ」

 梓が私の肩を叩いた。

「え」

「えって。次、数学だから移動教室だよ? その次の英語も」

 とりあえず、私は移動教室のため、その分の教材やノートを持って急いだ。私の横には一緒に持って帰った教科書の入った鞄が掛けてあった。中に入っている時間割を書いているノートを見た。時間割は今日と一緒だった。時間が戻った?だとすると、私は今日、日誌を書く順番がまわってきてるはずだ。そして、いつものように永里くんの話題で痛めつけられる。しかし、廊下には永里くんの姿は前後左右、四方八方どこにもなかった。

「今日、永里くん来てないの?」

 私はさり気なく梓に尋ねた。しかし、言い訳程度に余計な言葉も付け足した。

「日誌に欠席つけないといけないし」

「香帆、何言ってんの? 永里くんって誰?」

 私は言葉を失った。のか?

「永里くんだよ? 同じクラスじゃん」

「何言ってんのさ。そんな人いないよ。香帆ちゃんは二次元の世界に行ったのかい?」

 私は梓が嘘をついてないと気づいた。これ以上の追求はやめた。

「やっぱり、なんでもない」

「まあ、いいけど。早く行くよ」

「うん」

 日誌を書き終わるまで私の過ごした時間の両方、時間が戻ったように同じだった。でも、何もかもが同じではなかった。永里くんを除いて。

「香帆、今日バス?」

 私は迷った。ここにいると言っても私は自転車で来ていることになっているのだろうか。迷った挙句、梓とは帰らないことにした。

「自転車だよ。でも、ちょっと課題して帰るから先帰っといて。梓、バスでしょ?」

 日誌を書き終えた私は開けていたページを閉じて返事した。

「そっか。じゃあ、先帰るね」

 先に教室を出た梓を私は確認した。梓は振り向かずに帰っていった。

「さて、どうしますかね」

 静まった教室に私の声が溶けた。私は意外にも落ち着いていた。この後、手掛かりなんてあるはずもなく、ポケットに入っていた自転車の鍵を見て帰る用意を始めた。その時、きっとまた、あの現象が起こる。体を蝕むようなあの感じ。もし、同じことがあって元の世界に戻ることが出来るのなら。永里剛くんのいる世界に戻れるのなら。でも――。

『恋は道の妨げである』

 あの一言が頭を回る。意味もなくチャイムが教室に鳴り響いた。一人残った教室は静まり返っていた。

『恋は道を行くための足である』

 理想と本来の気持ちが混乱を生んだ。私の元の世界は私を待っていてくれるだろうか。次第に天気も悪くなっていき、暗くなってきた。二つの思い。どちらに従うべきなのか。永里くんを思う気持ち。サッカー部のエースで人当たりもいいから信頼もある彼。きっと私以外にも永里くんのことが好きな人はいる。とても彼には及ばない私。気持ちを伝えるより永里くんの気持ちを知りたくてずっと考えてた。しかし、私にとって理想である、あの座右の銘。中学校に入る前からそうだった。いつも、いつも、いつも。世間を社会を情報を知っていく度に私の心は理想に反していった。心の中で苦し紛れな言い訳もした。だからこそ、忘れたい。彼のことが分からない。変な気持ちだった。私は彼のいない世界を悲しみながら望んだ。

 ある人から聞いたことがある。人の思いには形や色があるのだと。可愛くハートの形の物でもクールに青色だったり。不思議なスペードの形でも真白な純白な色だったり。だから、言葉だけ行動だけで思う気持ちを量ってはいけないと。しばらくして雨の音が聞こえてきた。私は鞄の中の手帳を机に写真を見た。当然、彼の姿はなかった。本にある一文も変わっていなかった。私は自転車で帰ってみることにしたものの、体を蝕むことはなかった。私のいない世界で悲しむ人はいるのだろうか。あっちの世界には私がいないのだろうか。

「誰かのいない世界……」

 私はあの写真を思い出した。やはり永里くんは写ってなかった。私はその写真を抱きしめた。いつの日か言葉を交わしたあの日。鮮明に覚えている。肩をぶつけたという些細なこと。それでも、私にとっては特別なことだった。

「これでいいんだ。これ以上、無駄に永里くんに関わって苦しむよりこっちの世界の方がいい」

 なんて思ってもいないことを自分に強制する。窓の外は自身の心情をくみとってるようだった。

 次の日もその次の日も時間は過ぎていった。決して短い時間ではなかった。何度も不安定な決意を言い続けた。いつものように梓と笑いあい、必死になり。時には不安だってあった。そんな日の三日目だっただろうか。私はこの世界にも慣れてきて、いつものように自転車で帰宅する。そろそろ自分ではこの世界はどうにもならないように思っていたりした。緩やかな下り坂を下っている時だった。

「え」

 まさかのことに後から声が出た。自転車に乗る私の横をすれ違い歩いていく一人の人を見た。良く知っている顔だった。でも、その人は今とは違うようだった。

「梓」

 この世界で会った梓と違った。制服でなく、スーツに身を包んでいた。化粧もしていた。顔も少し大人っぽくなっていて、ましてや髪形もショートからロングになっていた。でも、彼女は間違いなく梓だった。私の発した声は彼女に届くことはなかった。彼女はすれ違った私に反応しなかった。見向きも目を合わすこともなかった。気のせいなんじゃないか。でも何度も顔を合わした私だから彼女だと直感的に分かったのだ。私は自転車を止めて振り返った。すれ違った彼女の姿からは顔が確認出来ない。梓にメールしてみようか。しかし、私の携帯は三日前から圏外と表示していた。連絡の手段もない。私はこの時に流されるばかりだった。時間は私を違う時間の流れに置いて行ってしまったのか。溜息が漏れた。私の視界は歪んだ。三度目となると驚きもしない。ただ、この時を待ってたような気がしていた。あの感覚が私を襲った。しかし、倒れたあと、あの感覚から解放された。世界はまるで変っていない。足音が聞こえた。後ろから彼女が気づいて走ってきたのだ。あれ? あの時と同じだ。あの日も私は自転車から転倒して通行人に――。

「大丈夫ですか?」

「はい。すいません」

 私は彼女の顔をしっかり見た。私の自転車を持ったまま彼女は目を丸くしていた。そして、口をゆっくり開けると言った。

「香帆?」

 やや小さめの漏れたかのような声だが私はちゃんとその声を拾った。やっぱり梓なんだろうか。

「あの」

「あ、ごめんね。何でもないの。じゃあ、気を付けてねー」

 彼女は私が話してしまう前に行ってしまった。私は自転車のペダルを思いっきり踏んで帰った。私が素直に帰ったのには理由がある。もし、あの日と同じ状況でなるなら、もう一度チャンスがあるからだ。私はあの日と同じように寄り道をせずに帰った。空は次第に曇ってきた。私はその時を待った。しかし、期待とは恐ろしいもので期待に副わなければ副わないほど気持ちが重くなっていく。

「どうして」

 問題なくしっかりした視界に絶望を覚えた。どういうことなのか理解出来ないまま雨が降ってきた。私は鞄に入ったままの手帳から写真を出した。私は相変わらず涙が出なかった。体をわざとベッドに倒して私が唯一持っている本を何となく、めくっていった。すると、奥付部分から花が落ちてきた。あの時の花だ。教室の自分の席にあった花。綺麗だったため捨てるのがもったいなく、押し花にしておいたのだ。元の世界に戻れない代わりにこんなものは残しておいてくれるのか。それからはどうしようもなく、いつものように一日、二日と過ごした。私の生活に変化は起こらなかった。過ごしていくうちに私の中の寂しいという思いが消えつつあった。永里くんに関しては考えることを忘れそうになる。このまま私の中から消えてしまいそうだ。その方が楽かもしれない。私はいつものように自転車を押して梓と歩いてバス停まで行った。

「今回、課題多くない? 私、今週生きてられへんかも」

「やね」

 他愛のない会話をしながら歩いた。バス停に着くと梓の乗るバスを待たずに私は自転車で坂を下った。

彼女を見た時こんなこともあるのかなんて思った。バス停から自転車で少し行ったところで私は自転車から降りた。ゆっくりブレーキを両手でかける。自転車からおりる。正面に来た彼女が先に口を開いた。

「こんにちは、香帆」

「こんにちは、香帆……さん?」

 私は少し大人になった私と向き合った。今と違って大人な格好をしていて、もちろん化粧もしていた。今の私はそんな洒落たことはしていないし、しようと思ったこともない。私は、見透かした笑顔で私自身を見ていた。一応聞いてみようか。

「私ですか?」

 私自身の笑顔というのは不思議で懐かしみもない。今より余裕のある感じもする。少し大人な私は私を手招きした。私にしてはあっさりと状況を受け入れられたものだ。以前に梓のバージョンと会っている。魔法の類は信じない主義だがここまで脳内陣地を荒らされては、従うほかない。

「時間はあるんでしょ? 無論、聞きたいことも」

「あなたには時間はあるんですか?」

「うん」

 少し大人な私はそう答えると肩にさげたポーチサイズの鞄から見覚えのある手帳を取り出した。その中の一枚の写真を見ていた。懐かしそうに見るその目には涙がたまっていた。

「私の家で良かったら来る? どうせ私なんだし」

「どうせですか。まあ、そうですね」

 私は自転車を右側に彼女を左に歩いた。今日は雨が降らなかった。いつも非常時に持ち歩いている合羽は必要なかった。雨でないせいか、歩く人も多いように感じる。二十分ほど歩くと三階建てのアパートについた。まずまずの綺麗さだ。新築なのだろうか。壁のベースが白とベージュで彩られていた。彼女の部屋は二階の端から三つ目の部屋。中には見慣れた家具もあれば私の好みの置物も新しく買ってあったりした。

「この花、ゴデチアですね」

 それは見知った花だった。というのも私の机に置いてあった花と同じだったからである。玄関と言える程のスペースはないが入り口には一輪の花が添えられていた。

「もう知ってたっけ?」

 出してくれたスリッパを履いて中へあがった。

「お邪魔します」

「お茶くらいなら出せるから、座ってて」

「はい」

 今更であるが年上とはいえ私に敬語を使う必要はあるのだろうか。

「不思議なもんだね、私と話してるなんて」

「そうですね。あなたは私の身に起きてる事知ってるんですか」

「自分なりに考えたつもり……香帆はもう知ってる? ゴデチアの花言葉」

「花言葉ですか。何でしょうね」

 そういうと彼女は入り口にあった花をグラスごと持ち上げてみせた。

「変わらぬ熱愛なんだって」

 変わらぬ熱愛。香帆は的もないはずなのに心を痛めた。

「私はね、高校生の時にこの世界に来た。そして、取り残された。香帆、今のあなた」

「取り残された?」

「でも違うのは香帆、あなたには時間が残っていた。助かる術が残っていた」

「あなたには無いんですか?」

 私は彼女から差し出された写真を受け取った。

「これ」

 永里くんがいない写真。私自身の鞄からも同じものが出てきた。どちらにも彼の姿はない。

「今から話すことは私の考えだと思って聞いて、香帆」

 私は彼女の話を聞き出した。彼女は一口お茶を啜って目を合わせた。

「この、世界は香帆が望んだ世界じゃないの?」

 彼女はそう言うと私の返事を待った。私からしたら、この事情を聞きに来たのに予想を超えた質問をぶっこまれた。答えに迷った。私が望んだ世界とは一体何なのだ。永里くんのいない世界? 大人の自分と会える世界? 今度は私が彼女に質問した。

「その望んだ世界というのは、今の私では分かりません。もしかして、先輩である私には分かるのでしょうか?」

「だから言ったでしょう。これは考えだと」

 彼女は過去の自分が望んだことだと考えている。私の望んだ世界だとして、どうして私が二人も必要なのだろうか。望んだ世界なら永里くんのいない世界だけで充分だったんじゃないのか。本の中身を変える必要はなかったんじゃないのか。

「もし、香帆自身が元の世界。永里くんのいる世界に戻りたければ心から願うこと」

「そしたら、戻れるんですか?」

「そうだとしても、この世界にいることも悪いことじゃないんじゃない? もし、永里くんのいる世界じゃなくても」

 永里くんがいない世界? 私は本心で自分に問いかけた。彼女の仮設が正しいのだとしたら理想とか言ってられないんじゃないか? 私は永里くんと会いたいから。私はその場に立った。

「帰るの?」

「はい、長居してすいません。答えが見つかったので」

「そう……じゃあ渡したいものが」

 彼女は空っぽのクローゼットから一輪の花を出した。それを私に渡した。

「この花、ある人からあなた宛てに預かってたの。カタクリっていう花なんだよ」

「さすが、花屋ですね。どこからでも花が出てくるんですね」

 彼女は言い返しもせずに扉を開けて見送ってくれた。道中危ないから一緒に行くと言ってくれたけど丁寧に断っておいた。方向音痴でもないのですぐに道は覚えたからだ。自転車の籠に一輪の花を入れて帰った。私は帰ると花の茎の一センチをお湯に数秒浸し、そこを斜めにカットした。それを使わなさそうなコップに水と入れて窓際に飾った。

「カタクリか。綺麗な花だな」

 赤紫色のそれを見た。不意に私は気になった。

「この花の花言葉なんて言うんだろう」

 私はインターネットで調べてみた。彼女が預かったこの花は一体何の意味があるのか。彼女にこの花を預けた人とは誰なのか。

「カタクリの花言葉、検索」

 そこには『嫉妬』と出てきた。嫉妬とは誰が誰にしているのだろうか。私は不思議に思った。明日の授業の一環として行われる小テストのため机に向かった。その頃には夕日は沈んでいて、夕食も出来ていた。片付かないことが多すぎる。まずは目の前の事を片付けていくのが先決だ。あれこれ考えても、よりだけだ。しかし、次の日、自分の思いがけない行動により決意が鈍るのを私はまだ知らなかった。

 その日、私はいつもと同様に学校へ足を運んでいた。今日は歩いて学校に向かっている。また、彼女と会った時に同じ交通手段を取れるようにだ。それ故、いつもより少し早めに家を出た私は隠すようにあくびをした。出勤や登校に一直線の人たちのあらゆるスピードに私は紛れた。その中に、聞き覚えのある声が聞こえた。声の方向をふと見ると少し大人の梓がいた。今日もスーツ姿でしっかりきまっている。彼女はまだ私に気づいていないらしい。私は信号待ちしている間、バス停で立っている彼女を見ていた。数える間もなく、バスより先に一人の男性が彼女の方へ来た。その人のシルエットに私は見覚えがあった。特徴的というわけでもでもない。ごく普通の人。しかし、ここにはいるはずのない彼の面影を持っているように思えた。信号が変わり一緒に止まってた人たちが動き始めた。香帆もその中に紛れた。

「永里くん」

 私の中で鼓動が高鳴った。今にでも心臓が飛び出してきそうだった。本当に彼であってるのだろうか。すごく懐かしく、会いたくなった。会えるような手段も持ち合わせてなかった。写真を確認したくても彼の姿はない。彼に関する存在全てを隠蔽されている。クラスメートである梓にすら彼に関する記憶はない。

でも、今の私に出来ることがあるはずなく学校に向かった。

「おはよう、香帆」

「おはよう」

 梓は弾けんばかりの笑顔でこちらへ来た。

「梓、どうしたの? 機嫌良いね」

「ちょっとね。そういえば、あの二人付き合てたんだね」

 梓は前の男女を指さした。香帆にとってはそんなこと正直どうでも良かった。もちろん、あの一件が引っかかってるからだ。

「香帆、聞いてるの? 香帆も好きな人いないの?」

「私は……」

 何度も永里くんの顔が浮かんだ。でも、梓は知らない。私は梓に素っ気なくするわけにいかず聞き返した。

「梓こそ好きな人いないの?」

「いるよ」

 私はびっくりした。今まで梓がこの質問にいると答えたことはなかった。

「いたんだ。ちなみに誰なの?」

「秘密。香帆も言わないんだからお互い様でしょ」

 梓は私に口止めすると、何もなかったような顔で私に話し続けた。私は梓の恋の相手よりも永里くんがいない空間に取り残されている自分に不安が湧いた。いつも持ち歩いている手帳。それも今では何の意味もない。誰一人欠けてはいけなかったのに。自分の中で理想と現実が分からなくなった。元の世界へ帰れるかもしれないという条件。確かに私の心は帰りたがってる。でも、発動しない。この世界は元の世界と似て非なるものだ。私にとって元の世界が現実であるべきではないのか。

「……帰りたい」

「え? 香帆どうしたの」

 私は平然を装い何でもないと答えた。その日の帰り、梓と別れてからあの人のアパートへ向かった。聞きたいことがあった。彼女が知っているという保証はない。インターフォンを押すと扉を開けて彼女は出てきた。

「珍しいお客さんだね。話があるんでしょ? 上がって」

「お邪魔します」

 私は入ってすぐある、ゴデチアを見た。私は上がると、この間と同じ場所に腰を下ろした。お茶を出してくれた彼女も前と同じ所に座ると私は話を始めた。前と何らか変わらない室内。

「この永里くんがいない世界は確かに少し変わっていてもおかしくはない。でも、本当に願えばこの世界がどうにかなるのでしょうか」

「以前に考えだと言っているでしょう」

「私は、過去のあなたはこの世界にいて色々と驚かされました。この世界に香帆という人間が二人いる件。梓という人間も。他にもいるかもしれません。そして、ここには私の知らない永里くんがいました」

「会ったんだ」

「いえ、見ただけです」

 私の気持ちを悟ったのか思い出したのか彼女は同情の眼差しを向けてきた。時計の音が鳴り響いた。

「あと、これです」

 私は一輪の花を差し出した。

「カタクリ?」

「そうです。気になっていたんですが、私宛にって預かったって言いましたよね? 誰ですか」

「躊躇いないね。分かった、教える」

「全部知ってるんですか」

 自分なのに腹が立つ。自分同士だと絶対的に気が合うものだと思い込んでいた。

 私は向かいに座る私自身が嫌いだと感じた。同一人物だと思うと何とも言えなかったのは自分自身を非難することになるからだろう。

「この花は梓から貰ったの。過去の彼女から。それも別世界の」

 さらにここと別の世界があるっていうの?

「別世界というのもあなたの元の世界の事」

「じゃあ、あなたは……」

「元からこの世界の者。騙し通すつもりだったけど、気持ちを知ってる香帆の心を殺すことは出来ない。例え梓からの願いでも。自分も、梓も助けたい。だから、あなたが香帆も梓も助けてあげてほしい」

 彼女は梓の願いで私に嘘をついていた? 何のためにそんな事をする必要があるんだろうか。

「どこの梓から頼まれたんですか」

「あなたの一番知る梓からよ」

 私は元世界の梓を浮かべた。しかし、彼女は――。

「きっと違う。あなたの一番知ってる梓は違う。私の知る限り梓と言う子は四人いるわ。一人目はあなたの言う元の世界の梓」

 私は彼女に続いて言った。

「二人目はこの世界で高校生をしている梓」

「三人目は架空の梓」

「え?」

 架空って。向かいに座っていた彼女は暗くなってきた部屋に明かりを点けた。彼女は座りなおすと話を続けた。

「あなたの言う、この世界での少し大人な梓よ。そして、ついでだから紹介しておくわ。少し大人になってる香帆の私も架空の人物にあたるの」

「じゃあ、永里くんも?」

「そうね。居てはいけない存在だったのよ。ある人によって作られたの。本当の元の世界に不満を持つ誰かが」

 余裕そうな顔をしていたからか、やっぱり彼女はそれが誰だか分かってるようだった。

「架空と知られた時点で私たちは用無し」

 彼女の姿は薄くなっていった。

「よく考えて。助けて欲しいって思ってる」

 彼女はゆっくり薄れていった。周りの空気に馴染んでいくようだ。視界が霞んでるのかと思う。次第に形も分からなくなっていた。本当に消えてしまったのか。

「四人目、聞いてないよ」

 私は突然のことに前が見えなくなった。消えるなら全情報置いていってよ。その日、私はアパートを出て家に帰った。次の日そのアパートの二階の端から三つ目の部屋に彼女はいなかった。代わりに別の人が住んでいた。おまけに八年前から住んでいると言っていた。なぜだか驚きはしなかった。

 私はその日も徒歩で通学した。また、少し早く家を出た。あのバス停にあの人たちはいなかった。架空と知られて一緒に消えたのかもしれない。一番に学校へ着いた私は手帳の中の写真といつの間にか奥付に挟みっぱなしになっていた二種類の花を見た。変わらぬ熱愛という花言葉を持っているゴデチア。嫉妬という花言葉をもっているカタクリ。その二つの花をならべて私は初めてこの花の意味について気づいた。ものすごく簡単なことだった。開けっ放しだった扉の先の廊下から足音が聞こえた。

「おはよう、香帆」

「おはよう、梓」

「どうしたの、その花」

「これは」

 私と梓から貰った? よくよく思い返すと私は分かった気がする。真相を。人が来る前に私は梓をしっかり見た。単刀直入に聞いた。

「どうしたの? 真剣な顔して」

「梓は好きな人がいるって言ったよね」

「ん? 言ったけど別に関係ないじゃん。香帆が知らない子だよ?」

 躊躇ってはだめ。私自身に追求したように。

「前に言ったよね。香帆も言わないんだからお互い様でしょって。じゃあ、私から言うよ。私が好きなのは――」

「ちょっと待って。一方的に言わないでよ。いきなりどうしたの?」

 彼女はあきらかムキになっていた。そして、焦ってもいた。私は結論を急ぐのをやめた。そして、本の奥付部分に挟んでおいた花を差し出した。梓は一度固まったかと思うと引きつった笑いを見せた。

「この花どうしたの? 赤紫色、綺麗だね」

「うん。この花はカタクリっていう花なんだよ。この花綺麗でしょ? でもこの花には花言葉があるんだよ」

 梓は相槌も打たずに聞いていた。ぱたりと教室の中の音が止んだ。黙っているのは気分が悪かった。言葉の全てを梓との話の流れに沿って作っていた。話が途切れた今、次になんて言おうか迷った末に私は結論に走った。

「花言葉、嫉妬なんだって。梓なんだよね、この花」

 香帆は梓の手にある花を指さした。決して梓が花なのではない。その花の花言葉のことだ。黙ったままの梓の固く閉ざされていたはずの口が何かを言いたげに開いた。しかし、そこから言葉は発せられなかった。

「――永里剛くんだよ」

 私の好きな人。梓の好きな人。零れ落ちていた真実に目を向けたい。梓の目からは涙がこぼれていた。溢れてはこぼれて、ぬぐい取る間もなかった。いや、拭い取らなかったのかもしれない。静かに涙だけ流す彼女は私を見ていた。次第にぽつぽつと話し出す梓の言葉に耳を傾けた。

「自分でも意味わかんないよ。香帆の恋愛話聞くたびに羨ましくなっていって、知らない間に彼のことを気にしていて。香帆が彼のこと好きなの分かってたのに。だから、香帆を彼のいない世界に連れて行った。知ってほしかった。私の思いも」

 梓は赤くなった目を擦って、香帆の方を向き直した。

「でも、香帆が私の思いを知って遠ざかっていくのが怖かった」

 真剣な目で私に気持ちを言った。でも、梓が思っているより私の心は軽かったかもしれない。だって私たちはそんなことで拒絶したり、絶交になったりするほど弱い絆で繋がれてはいないから。また口を閉ざしてしまった梓の肩に腕を回した。しばらくして、梓は私の腕をはがした。梓は参ったような笑顔で聞いてきた。

「香帆は永里剛のこと好きなの?」

 私がこの世界を望んでたのは事実かもしれない。でも、無くなって初めて気づくものがある。梓のように彼も私の人生から欠けてはいけないんだ。誰一人欠けちゃいけないんだ。心の底を打ち明けてくれた友人だ。私も本気でぶつかりたい。だから、ちゃんと私の言葉で言いたい。

「好きだよ」

 さらに梓は朗らかな笑顔で私を突き放した。

「早く帰りなさいよ。この世界にいる高校生の香帆ちゃんが来るよ。机に白くて綺麗な花を置いておきたいんだけど、もう一個の方の花くれる?」

 それは真っ白なゴデチアという花だった。これは香帆が香帆に渡す花。花言葉は変わらぬ熱愛。香帆の視界は梓に花を渡すと揺らいだ。久しぶりの感覚だった。そうか。あの時の花って梓を通して私が置いてたんだ。私はゆっくりと地面に落ちた。


「お疲れ様でした」

「あれ、元の世界に戻れたの?」

 気が付くと私はドーム状の中に横たわっていた。見知った所だった。目の前には梓がいた。

「楽しかった? 自分の作った物語の中は。まあ、私も少し手を付けたけど」

「梓? 私、話したい事いっぱいあって」

 私は彼女とよく行っている店を出て、彼女の目を真剣に見た。

「私、梓のこと何にも知らないで」

 私の視界がぼやけ、揺らいだ。しかし、あの感覚ではない。

「泣くほどのことがあったの? 話してみ」

 私は帰りのバスで小説の中で体験したことを梓に話した。泣きながらで梓には申し訳なかったけど、梓の気持ちを考えると友人失格だと思ったから。梓は私の背中をさすってくれた。

「私も話していいかな」

 私は頷いた。

「正直、香帆がこんなに泣くとは思ってもみなかった。あの店に行く前に私も香帆の物語に手を加えたけど軽い気持ちだったの。本当にごめん。私、香帆の恋愛の話聞いて凄いとかいいなとか思ったのは事実。でも、妬んだり嫌がらせしようなんて思ったことないよ。それに私な好きな人、永里くんじゃないし」

「え」

「だから、香帆の気持ちに白黒つけようとしてたの!本に気持ちをくみとられて、好きという気持ちに正直になれなかったんでしょ?」

 私は騙されたとかじゃなく、違う気持ちが湧いた。

「私、梓の友達でいていいの?」

「当たり前じゃん。親友だよ……ずっと」

 私の涙は止まり脱力感が残った。でも、安心感が私を包み込んでいるようだった。ん?待てよ。

「梓、好きな人いるの!」

「いて悪いかよ?」

 私は梓に改めて聞いた?

「誰? 私、教えたんだからさ」

「仕方ないなー。香帆ちゃんよ」

 梓は今日も私をはぐらかして逃げた。しかし、梓の目がほんの一瞬泳いでいたことに気づくことはなかった。いつか聞けると良いな。私は鞄から取り出した唯一の本の開き慣れたページを見た。当たり前だが変わっているはずがなかった。手帳の中の写真も見た。そこには、私の中の数日間見なかった彼の姿があった。ちなみに私が物語の世界に入っていたのはたったの二時間だった。その間に私の中ではものすごい時間が立っていたのだ。

『恋は道の妨げである』

 私の座右の銘はこれでいい。でも、現実には正直になってもいいんだよね。少し洒落たことも化粧もしてみようかな。


 世界は人の生み出した革命である機械が人と同じように活動している。医療では新薬、新技術、新細胞が日々生まれ、病気への心配はない。新しい技術に頼り、機械が世界をまわしていると言っても過言ではない。車はタイヤなんて必要ない。交通機関の基本であるバスや電車も自動で時間きっちりとセットされている。どの時代でも親しんできた書物。小説や漫画、雑誌。これらも全て機械の中での物だ。紙の中では楽しめない。脳内で遊ぶことは出来るようになった。そんな今でこそ当たり前のこの世界。いろんな職業が消え、新たな職業も増えた。私たちはそんな世界で過ごし、青春し、遊んでいる。学校の帰りのほとんど私は友達とよく行く店がある。明日も行きたいな。新しい物語を持って。見慣れた夢見屋の入り口へ。


 そういえば、四人目の梓は今私の隣にいる梓のことだったのかな?

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夢見屋 道透 @michitohru

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