第33話 見舞いの品
「ルイーザ様、お加減はいかがかしら?」
王妃シルヴァーナは、見舞いの品を持って三妃もとへとやって来た。この数日、ルイーザは体調を崩して臥せっているのだという。
部屋に入ると、青い顔をしたルイーザがベッドの上で半身を起こしていた。シルヴァーナと目が合うと、頼りなげな笑みを浮かべて頭を下げた。そして侍女に支えられてベッドから降りようとする。
シルヴァーナは、そっとそれを制する。
「静かに寝ていらして下さいとお伝えしたはずですよ」
微笑むと、ルイーザはか細い声で申し訳ありませんと呟くのだった。
王妃である自分が訪ねてくるとなれば、彼女はきっと不作法になってはならぬと無理してでももてなそうとするだろう。だから気遣いは不要と先触れを出していたのだが、やはり三妃としては起きなくてはと思ってしまうようだ。
ルイーザをベッドに押し戻して、仕方のない人ねと苦笑してから、シルヴァーナは侍女の進める椅子に腰かけた。
部屋をぐるりと見まわせば、がらんとした印象うける。
ルイーザの館に来たのは初めてだが、恐らく調度類が日に日に減っているのだろうなと思うのだった。やたらと壁が目に付くのは、そこに元々あった飾り棚や絵画の類が無くなったせいだろう。家具の配置が不自然なのも、最低限のものだけ残して大部分の品を持ち去られたからだと思う。
理由は分かっている。
シルヴァーナの住まう後宮の主殿でも、まずは絵画や美術品から少しづつ、そして宝飾品なども消えていっているのだから。
それらはみな、戦費に充てる為に売り払われたのだ。
国政の実務を執り行う表の主殿でも、恐らく日に日に美術品や調度品が姿を消していることだろう。当然、不要不急の買い物も禁じられている。
それにしても、三妃の館は酷い扱いを受けているようだと、シルヴァーナは眉をひそめる。王の子を宿しているとはいえ、やはり後ろ盾となる実家が傾いてしまうと、扱いが粗略になるのかもしれない。館の使用人も少ないような気がするのだ。
一言伝えてくれていれば、是正したのにとシルヴァーナはため息をついた。
後で三妃付きの侍女頭を呼び出して、今後の打ち合わせをしなければなるまいと思うのだった。後宮全体の運営を取り仕切るのは自分の役目なのだからと。
ともあれ、今は具合の悪いルイーザの心を和らげることに専念せねばなるまいと、シルヴァーナは微笑みかけるのだった。
「ご気分はどうなのかしら」
「ありがとうございます、シルヴァーナ様。今日はとてもよいのですわ」
「大切なお身体なのですから、ちゃんとお休みになってね。今日はお見舞いに、お菓子を持って来たのよ」
シルヴァーナは、自らが連れて来た侍女に焼き菓子入りのバスケットを、テーブルに置くように合図をする。
そこへ、紅茶が運ばれてきた。ふわりと甘い香りが漂った。シルヴァーナはその香りの良さにふっと唇とほころばせる。今までにない香りだった。
「先日はありがとうございました。シルヴァーナ様のお心遣い、誠にありがたく存じます」
「あら、何の事かしら?」
シルヴァーナがころころと笑うと、ルイーザもはにかむようにして笑った。
王に懐妊を報せるとき、付き添ったことを言っているのだろう。あれくらいのこと、シルヴァーナにしてみればどうということはなかった。
「今日はお菓子までいただいて……。本当はわたくしの方でも、王妃様のようにせめて珍しいお茶やお菓子の一つでもお出ししたかったのですが、買い物は禁じられてしまったものですから……」
シルヴァーナはカップを手にとり、香りを楽しんだ。十分珍しい茶なのではないかと思う。今までに嗅いだことの香りだった。王妃である自分の為に特別に用意したものではなく、ありものしか出せなかったと恐縮しているのかもしれないが、厳しい戦の最中なのだしこれで十分だ。
それにしても、ルイーザの言葉に違和感を感じてしまう。彼女の言葉は、まるで自分が特別なものを用意したかのように聞こえるが、今日持参した焼き菓子はいたって普通のものなのだから。
「とても良い香りのするお茶ではありませんか。どこのお茶なのかしら」
そう問いかけると、急にルイーザの顔が陰り首をかしげてしまった。茶を運んできた侍女も、不思議そうな顔をしている。
「どうなさったの?」
「……あの、これは先日、王妃様がお見舞いとして届けて下さったものなのですが」
ルイーザの返答に、シルヴァーナは目を見開く。微笑みは消えうせ、カップに口をつけることなく皿に戻した。
彼女は今日初めて見舞いの品を持ってきたのだ。誰かに命じて届けさせたことは無い。
キリリと頬を引き締め、手に持っていた扇をパチリと鳴らした。
「これは、私がルイーザ様に贈ったものだと?」
「そのように聞いております」
「もうこれをお飲みになりまして?」
「……は、はい。何度か」
「そうですか。では、もう二度とお飲みにならないで。それからあなた」
シルヴァーナは侍女の方に向き直る。
「今日から必ず毒見をなさい」
ルイーザの顔が青ざめてゆく。シルヴァーナの言わんとしていることを、ようやく理解したらしい。侍女もハッと口を押えた。
シルヴァーナは扇をもう一度パチリと鳴らし、思案する。
まだ、この茶に毒が仕込まれているとは限らない。だが、自分の名を騙った何者が持ち込んだものであり、三妃がこのことろ体に変調をきたしているとなれば、毒を疑うべきだろう。
ルイーザを殺めんとする者がいる。王の子の命を奪おうとしている者がいる。
事実であれば、これは許しがたいことである。
「ご心配なさらないで。私がついておりますから」
シルヴァーナは後の事は自分に任せて、ゆっくり休むようにルイーザに言って部屋をでた。身重の彼女の不安をこれ以上あおらぬように、穏やかに笑って。
そして別室に移動すると、侍女頭に問題の茶葉を持ってくるように命じた。その茶葉は見たことろ何の変哲もないものだったが、試しにこの館で飼っている魚の水槽に茶葉を落とすように命じた。
これが王妃からの贈り物ではないと知り、侍女頭も不安げに水槽に沈んでゆく葉を見つめた。しばらく様子を見たが魚に変化はなかった。
「ところで、この茶葉を持って来たのはどのような者だったの?」
シルヴァーナが問うと、侍女頭は懸命に記憶を呼び起こし女の容姿を語ろうとするのだが、要領を得なかった。中肉中背、美しくもなく醜くもなく、大した特徴もないらしい。シルヴァーナは、その姿を全く思い浮かべることができなかった。
「……あの、確かエリカと名乗っておりました」
最後の台詞に、シルヴァーナは自分の侍女と思わず顔を見合わせてしまった。今、目の前にいるのがそのエリカなのだから。
エリカはこの者だが、茶葉を持って来たのはこの娘だったか、と問えば侍女頭はおおいに狼狽えて首を横に振ったのだった。
そうこうしているうちに、水槽の魚がみな腹を上に向けてぷかぷかと浮んだのだった。やはり毒入りだった。
シルヴァーナは、ルイーザを殺めて自分を陥れようとしている者がいることをはっきりと自覚し、背筋をピンと伸ばした。
――負けるわけにはいけませんわね。バルトロメオ様のお子はなんとしてもお守りしなくては……
ルイーザやシルヴァーナを目障りに思う者と言えば、ヴァローネ家であろう。王妃の名を騙った点といい、王妃と三妃そして腹の子の三者を疎ましく思い消したい者といえば、誰でも二妃パメラの実家であるヴァローネ家を思い浮かべることだろう。
ただ疑われる筆頭であるからこそ、ヴァローネ家に罪を着せようと暗躍する者がいるとも考えられる。なんにせよ、今はまだ何の確証もない。ルイーザが毒を盛られたという事実以外には。
シルヴァーナは、身元の確かな者で三妃を警護するように命じて館を後にした。即座に調査しなければならないが、父であるベルニーニ侯爵にはまだ伝えられる段階ではないと思う。
ベルニーニとヴァローネが、互いに相手を引きずり降ろそうと睨み合っている今、この報は確実に着火剤となる。バルトロメオがリンザール攻略に王手をかけようとしているこの時期に、内紛は起こしてはならないのだから。
*
アンナからの手紙を得られず、意気消沈してバチス城に戻ったバルトロメオのもとに、王妃シルヴァーナからの手紙が届けられた。
バルトロメオは眉をしかめる。欲しかった手紙はこれではない。
王妃が戦の途上にある自分に手紙をよこしてくることなど今まで一度も無かったのに、いやそもそも手紙を貰ったことすら初めてだ、と首を傾げる。
三妃の懐妊を知らされた時のような胸騒ぎがして、暗澹たる思いで封を切る。
一読して大きなため息をつき、そして手紙をぐしゃりと握った。
王妃は、ルイーザが毒を盛られたことを伝えてきたのだ。
――ヴァローネめ……!
王妃の手紙にはヴァローネ家が関与しているとは書かれていなかったが、バルトロメオの中ではそれは確信だった。侯爵のこれまでの言動から、そう判断できる。
この大事な時になんて事をしてくれたのだと、バルトロメオはギリギリと奥歯を噛んだ。
手紙にはまだこの事実は公開せずに内密に調べるとあったが、どうせすぐにベルニーニもかぎつけてヴァローネを糾弾することだろう。そして王である自分のいない王都で内紛が始まるのかと思うと、腸が煮えくり返るのだ。
両家が足の引っ張り合いをするのは勝手にやっていればいいが、自分の邪魔になることはしてもらいたくないのだ。リンザールを叩く直前だというに、内紛を治める為に兵力を割かねばならないこと、悪くすれば自分が王都に戻って鎮めなくてはならないことが、腹立たしくてならなかった。
――シルヴァーナに、どこまでベルニーニを抑えておけるだろうか……
聡明にして冷静沈着な王妃ならば、今両家を衝突させる訳にはいかないことなど、とっくに承知のはずだ。不安はあるが任せるほかはないだろう。
――ヴァローネには処罰を下さねばな……。あんなに自重するように言ったというのに! ああ、もうこれを機に二妃を廃してしまおう。そうだ、場合によっては三妃も。
ルイーザを罰しようということではない。だが彼女は既に毒を飲んでしまってるのだ。子にも悪影響がでるかもしれない。子にもしものことがあった時は肩身の狭い思いをするだろうし、敵の多い後宮にいるよりも実家に帰してやった方がいいのではないかと思うのだ。
それにと、バルトロメオは思う。
妾妃などいない方が自身にも都合がいい。その方がアンナを末席に置かずにすむし、寵愛を巡る争いにもならないだろうから。
王妃だけは廃せないが二人の妾妃さえいなくなれば、アンナに真の妃はお前だけだと言っても差し支えないはずだ。
と、バルトロメオはハッと顔を上げた。子が流れる前提で考えを進めている自分に呆れていた。
――愚かなことだな……。子の無事よりも、俺は恋人を想うのか……
ぶるんと頭を一振りしてから、バルトロメオはペンを走らせ王妃への手紙をしたためた。このまま内密に調査を進めること、両家をぶつからせないこと、ルイーザと腹の子の安全を守ることなどだ。
そして、使者に手紙を持たせて王都に送り返したのだった。
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