第11話 エレバスの陰

 エレバス教皇領を囲む城壁を背にして佇む旧聖堂は、祭りの喧騒に包まれた大聖堂と打って変わって、とても静かだった。

 ここは町の中心部から随分と外れ、周囲には聖職者の住まいと聖堂所有の葡萄畑が広がっているばかりだ。


 昼を少し過ぎた頃、バルトロメオは従者と共に、この旧聖堂の一室でスペンサー司教と向かいあっていた。今日の彼はエレバス国境警備兵の軍服ではなく、貴族然とした装いだった。目立つことを抑えた飾り気の無い衣装だが、交渉相手に決して軽視を許さないプレッシャーを与える一級品だった。


「……司教のお話はいつも興味深い。だから、臣下が貴方からの言伝てを持って帰るのが、つい待ちきれなくなってしまってな」

「私も陛下と、このようにじっくりお話をさせて頂ける日が来るとは、夢にも思わず、光栄の至りにございます」


 鷹揚に足を組んで腰掛けたバルトロメオに、スペンサー司教が深々と頭を下げていた。目じりに柔和な笑い皺の入った、五十がらみの男だった。

 これまでもバルトロメオは、密使を通じて司教とのやり取りをしてきた。顔を合わせるのは、これが二度目である。最初に会ったのは、バルトロメオの即位式だった。この時司教から密かに、エルシオンによるリンザール攻略を望んでいることを示唆された。すなわち、エレバス教皇領はエルシオンと共に歩むことを決めたということだった。

 中立を謳うエレバスはどちらとも友好関係を結び、戦さにも一切干渉しないことを明言していた。が、それは表向きの話だ。実際には随分前からエレバスは両国のスパイが暗躍する場となっていたし、バルトロメオの即位以来、スペンサー司教はリンザールとの国交の中で知り得た情報を、エルシオンに流すようになっていたのだった。

 その結果バルトロメオは、敵に奪われた城を僅か三年で取り戻すという、快進撃を収めることができたともいえる。

 柔らかく微笑んでいるスペンサー司教に、バルトロメオは鋭い視線を投げかける。


「まるで千里眼の様に、我らが敵を見通す司教の力には感服している。しかし、隠れ潜んでいた、お転婆姫にまでは目が届かなかったようだな」


『リンザールの巫女姫が、幼い新王の補佐をすることになった』

 戦の前にバルトロメオにもたらされていた情報はそれだけだった。巫女姫の持つ影響力も、人となりも全く知らせれていなかったのだ。

 バルトロメオ自身、幼王も巫女姫も弱き者としか思えず、これ以上の情報を欲することはなかったのだが、苦い大敗を喫した後ともなれば、二度と同じことを繰り返してはならないと思うのだった。

 ギロリと睨まれて、スペンサー司教は汗を拭いた。


「……は、はい……あの折は、私どもも胆を冷やした次第で……誠に遺憾で……」

「ほう、遺憾か! いやはや、多くの将兵に犠牲を出し、煮え湯を飲まされたのは我がエルシオンなのだが、司教は己の思惑通りにいかなかったと遺憾に思うのか!」

「い、いえ! し、失言致しました! 申し訳ございません。そのようなつもり一切なく、我らの力が及ばず、情報に洩れがありました事、誠に面目なく、平にご容赦くださいますよう……」


 雷のような怒声に、スペンサーは縮みあがり深く頭を垂れた。

 敵を侮っていたのは、スペンサーもバルトロメオも同じなのだが、立場が違う。対等の同盟関係であると思われてもならない。彼は自分に対して、常に頭を下げなければならないのだ。それがエレバスとエルシオンの関係だ。

 エルシオンにとって、司教は単なる駒に過ぎないのだが、その相手から自分も駒のように扱われること、それこそがバルトロメオの怒りだった。

 バルトロメオは、エレバス教皇領いやスペンサーの都合で動く傀儡に成り下がるつもりなど毛頭ない。あくまでもこちらが上に立つのであり、彼はヘラヘラと笑っている場合ではないことを知るべきだと、圧を発するのだった。

 

「一旦、我々に与した以上は、どんな言い訳も許さない。確実な情報をより多く伝えることができなければ、貴方の野望など叶いはしない、いや命も危ういのだと、胆に命じられよ!」

「は、はい……」


 エレバス教皇領はもうエルシオンと手を結んだのだ。リンザール打倒の為に。今更逃げは許されない。

 更に両者の間では、もう一つの密約が結ばれているのだ。スペンサーは情報を流す代わりに、リンザールを落とした暁には、次期教皇に自分を推すよう、バルトロメオに要望していたのだ。

 バルトロメオはその要求を飲んだ。十分に恩を売り弱みを掴んでおきさえすれば、今の教皇よりもスペンサーの方が扱いやすいだろうとの計算ゆえだ。

 だがスペンサーは、現教皇の暗殺計画まで立てている男であり、油断ならなかった。決して逆らえぬように、早めに手を打つべきだなとバルトロメオは腕を組むのだった。

 顔色を悪くするスペンサーだったが、部屋に入ってきた下男に耳打ちされると、さっと表情を和らげた。


「陛下。例の者が到着したとのことです。お目の前に、通してもよろしいでしょうか」


 ゴマをするような司教に、バルトロメオは黙って頷く。

 今日、ここへ来たのはその者に会うのが、最大の目的だったのだから。

 しばらくして扉が開くと、嗅ぎ慣れない香の匂いが漂ってきた。浅黒い肌の異国の男が、深々と頭を下げながら入って来た。両手のひらを胸の前で合わせて、彼の国の流儀であるらしいお辞儀をした。


「レスターと申します。銀朱の闘王と名高きバルトロメオ陛下に、お目通り叶いましたこと誠に光栄でございます」


 若干の訛りはあるものの、男は流暢に言葉を紡いだ。

 ニッと笑った唇からは、白い歯が覗く。力強い眼力を持った男だった。その表情は確かに笑みの形をとっているのに、決して笑ってなどいない。冷たく光る眼は、猛禽のようだった。

 バルトロメオも彼を真正面から見つめ、唇だけの笑みを浮かべた。


 遠く西方の国々から、エレバスへと続く通商ルートと、いくつものキャラバンを牛耳る一大商組織シヴァン。近頃、力をつけて来た商人の組織である。これを通さない交易など無いと言われるほど、あらゆる商取引を握っていた。各国の物品と文化の交流は、シヴァンを介していると言える。

 シヴァンは、自らのキャラバン以外にも、各国の商隊を盗賊から護るなどし、ルート上の国々とは密接な関係にあった。レスターは、そのシヴァンの人間だった。

 バルトロメオが、シヴァンとの接触を試みたのは、彼らが武器商人という裏の顔も持っていたからだった。


 シヴァンは決して、表立って武器売買や戦への協力を行うことはない。しかし、国を揺るがす戦の影には、必ずシヴァンがいるとまことしやかに囁かれている。彼らが付いた側が、必ず戦に勝利するのだと。

 数ヶ月前、バルトロメオが直にシヴァンに交渉を求めた時は、あっさりと断られてしまった。その時の担当者はレスターでは無く、表の顔を受け持つ男だった。彼は、自分たちは円滑に交易を行う為の平和的な組織であると、抜け抜けと言ったものだった。

 複数の国の利害関係が絡む、通商ルートを取り仕切る都合上、一国に対してだけ肩入れをしているとみられる行動は、シヴァンにはできないということだ。

 そこでバルトロメオは、中立国であるエレバス教皇領を、秘密裏の交渉の場に選んだのだった。

 遥か西方の国では、とてつもない兵器が使われているのだという。

 バルトロメオはそれを手に入れるために、スペンサーを通じて、シヴァンと交渉を重ねてきたのだった。


「ご注文頂きました品は、三日後には到着する予定です。ただ、今回は急のことでしたので、一台だけのご用意でありますことご了承くださいませ」


 レスターは深々と頭を下げて言った。

 バルトロメオは鷹揚に頷いて、その先に話を進める。


「バチス城に運び込まれるということだったな」

「はい」

「お前も来るのだろう? 使えるのか」

「はい、使用法は私が指南させて頂きます」

「……近く、戦になる。その際に成果が上がらなければ、お前の首が繋がっている保証はしない」

「必ずや、ご満足いただけることでしょう」

「ほほう、なかなかの自信だな」

「はい、陛下は良い買い物をなされました。よもやリンザールに負けることなど、あり得ませんでしょう」


 ゴマをするようなレスターを、バルトロメオはフンと鼻で笑った。

 そしてギラリと目を光らせる。


「用心深いことだ。勝つ、とは言わぬのだな」


 これは答えず、曖昧に笑みを浮かべるレスターだった。

 まあいいだろうと、バルトロメオは立ち上がる。

 彼が、レスターに取り寄せさせた品とは、数年前に西方諸国で起きた大戦を制したという、大砲であった。


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