第4話 瑠璃の戦姫

 肩の上で切りそろえられた髪を、頭をふって軽くゆする。そして、美しい瑠璃色のドレスに着替えた。これから、彼女は一堂に集まった廷臣達の前に出るのだ。

 背筋をピンと伸ばし、堂々とした笑みを作る。恐ろしさに震える内面を悟られてはいけない。新しい王の下、リンザールを一つに纏めていかなくてはならないのだから。

 大広間の玉座には、青白い顔をし怯えた少年が座っていた。彼は、アナスタージアの姿を認めると、パッと安堵をその顔に広げた。

 リンザール王国の新王ヴィルヘルムは、まだ十歳の少年だった。


「お姉さま……」


 その消え入りそうな声は、アナスタージアに全てを任せきっていた。彼には、今起きている事態を全て理解することも、困難に立ち向かう行動力も知力もまだ備わってはいないのだった。

 アナスタージアは弟に軽く微笑んでから、静々と廷臣の群れの前を玉座に向かって歩いてゆく。視線が自分に集中しているのが痛い程に分かった。彼らがざわついているのは、髪を切った姿を始めて目にしたからだろう。


 先代先々代から続く、敵国エルシオンとの争いの果てに、先王は艱苦から病を得てこの世を去った。国境をめぐる戦の指揮を執っていた兄である王太子は、戦場にてその死を知ることになった。この報せに自軍には動揺が走り、また王の死を敵軍にも知られ、波に乗ったエルシオンから猛攻を加えられた。

 この時、国境の砦は陥落し、リンザール軍は総崩れとなった。生き残った僅かな将兵はほうほうの体で王都に戻り、王太子はこの時戦場で負った傷が元で、数週間後に亡くなってしまったのだ。


 そして末の弟が王となった。

 それは、幼いヴィルヘルムに替わって、アナスタージアが国政を背負うということでもあった。彼女の呼称は王女であっても、実質的には王の役割を担ったのだ。つい数ヶ月前までは、想像だにしなかったことである。

 砦が落された後、エルシオンは一旦侵攻を止めたが、それは彼らの休息と補給の為であり、いずれまた攻めてくることは明らかだった。

 リンザールが滅亡するのは、もう既知の事柄だと、アナスタージアは思う。それ程に敵の勢いは強かった。

 このような時に即位させられた弟と自分は、亡国に捧げられた最後の贄のようだなと、自嘲したものだった。

 それでも王族に生まれたからには、受け入れなければならない運命なのだと理解していた。


 大勢の廷臣が集った広間の壁は、青一色だ。リンザールの国旗をモチーフにした、瑠璃色のタペストリーがいくつも掛けられているのだ。国家への求心力を、戦意を失わせまいとするかのように。ともすれば瓦解しそうになる気概を、その青がなんとか繋ぎ止めていた。

 アナスタージアが瑠璃色のドレスを選んだ理由も、タペストリーと同じようなものだ。未来が無い状態で、如何にして国を背負ってゆくか。それは廷臣たちの心を掴むより方法はない。

 アナスタージアは、にっこりと微笑み広間に居並ぶ廷臣を見回した。そして、王の隣に用意されていた椅子の前に立った。


「新王への忠誠の誓いを立てし、リンザールの勇敢なる諸侯たちよ。我がつまたる戦神の命を受け、私はここに戦姫となることを宣言します」


 アナスタージアの言葉に、おおと広間がどよめいた。

 髪を切ったのは、自ら戦に出る決意を皆に知らしめるためだった。戦場で邪魔にならぬように、そして敵の手に落ちた時は潔く首を差し出す用意があるのだと。


 広くこの一帯の国々で信仰されている多神教では、エレバス教皇領にて主神が祀られている。その主神以外にも、各々の国家を守護するとされる神々が存在していて、ある国の守護神は知恵の神であるし、またある国では海の神が守護神として祀られている。

 そして、リンザール王国を守護するとされているのは、戦の神なのであった。

 戦の神に護られたリンザールには、神の妻たる戦姫が勝利を運んでくるという言い伝えがある。その昔、戦神に仕える巫女が、戦士となって戦を指揮し敵を打ち破ったという伝説があるのだ。


 アナスタージアは、その逸話に倣って諸侯の士気を鼓舞するために、髪を切って戦姫になると宣言したのだった。

 自分の決意を彼らに示し、リンザールを一つに団結させる為だった。


「我らには戦神の加護があります。恐れることはありません。我がリンザールの為に、私は貴方がたと共に戦場に出ましょう。共に戦いましょう」


 ふわりと微笑み、しかし胸を張ってアナスタージアは、澄んだ声で最も手前にいた壮年の廷臣の名を呼んだ。


「アイゼンシュタイン侯爵殿」

「はい」

「よろしくお願いします」


 彼が怪訝な表情ながら、彼女に頭を下げると、また別の廷臣の名を呼んだ。


「ハウスヴァルト侯爵殿」

「はい」


 アナスタージアは一人ひとりの顔を見て、次々と名を呼んでいった。

 始め、何をしているのかと不審な目を向けていた者たちも、彼女が居並ぶ者の名を全て呼ぶつもりなのだと次第に分かってくると、自分の名を呼ばれるのを、今か今かと期待に目を輝かせて待つようになった。

 後方にいた者の中は、自分に気付いて早く呼んでくれとばかりに、強引に前に出て来る者まで現れた。

 彼らはアナスタージアを一心に見つめ、凛としたその姿に胸を震わせ初めていた。彼女が登場するまでは、暗く沈痛な空気に支配されていた広間が、今は熱を帯びて高揚を始めていた。


「ニーデルマイヤー殿」

「はい! アナスタージア様!」


 若い将兵が、興奮気味答えた。

 アナスタージアは全ての名を呼び終え、再び一同を見渡す。

 

「貴方がたの真の力を、王と神に見せるべきは、今です。何も心配はいりません。リンザールの守護神と戦姫は、常に貴方がたと共にあるのですから」


 おおと、割れんばかりの歓声と拍手が起こった。

 アナスタージアに心酔し、祖国の為王女の為と、広間は勇ましい声に湧いた。しかし、その歓声を打ち破る低い声が響いた。


「アナスタージア様に、お尋ね申し上げます。先の王太子様のご遺志である、エレバスを通じ、エルシオンに和睦を申し入れるという案は、いかがなされるのしょう?」


 それは一番最初に名を呼ばれた、アイゼンシュタイン侯爵だった。亡くなった王太子からの信頼の厚い男だった。王太子は自分の死期を悟り、和睦の道を探すように言い残していたのだ。

 アナスタージアもそれは承知していたが、これまでの血で血をあらう争いの末の和睦となれば、いくら幼くとも王の命を求められることになるだろう。それは、彼女としては受け入れ難かったのだ。

 それに、和睦に反対する廷臣の方が多数派でもあり、強行すれば内乱へと発展する恐れすらあるのだ。いくら兄の遺志とはいえ、敵に領土をかすめ取られた上に、内乱で国を荒らす訳にはいかなかった。


「和睦になんの意味がありましょうか。今は好機なのです。かの敵を打ち破るこの好機を、和睦などで潰すのは愚かというものでしょう」


 アナスタージアは、きっぱりと言い放った。

 広間にざわめきが起こり、好機とは何かと彼らは顔を見合わせる。

 アナスタージアは、マルセル・リヒター少将に目配せをした。

 壁際に控えていた若き少将は一礼し、侯爵の前に歩み出で、鋭い目で彼を睨んだ。


 彼は先日、王女と一部の上級武官とで立てたある計画を説明した。マルセルの低く滑舌の良い声は、耳に心地良く響く。彼は丁寧に計画の詳細を語ってゆく。そして、必ずや敵国に一泡吹かせられると熱を込めるのだった。

 おおと、一同に賞賛の溜息がこぼれた。


「バカな! 貴女は巫女姫だ。戦のことなど何も知らぬではないか!」


 アイゼンシュタイン侯爵が、不敬にも怒鳴り声を上げるが、アナスタージアは優しく微笑みを浮かべる。


「ええ。かの敵も、そう思っていることでしょう。小娘が一国を率いるのかと、笑うことでしょう。政治も戦も知らぬ力なき者と侮って。だからこそなのです。私は神に仕える巫女でした。しかし我が神は、戦の神。その大いなる加護があれば、必ずや一矢報いることが出来ましょう。そして、あなた方の力を集結させれば、この国からエルシオンの者どもを退けることも可能となるのです……そう、あの『銀朱の闘王』でさえも!」 


 アナスタージアは、殊更に自信に満ち溢れた笑顔を見せる。それは、亡国に怯えていた廷臣たちの不安を払拭し奮起させるに足る、美しい笑顔だった。






「お疲れになられたでしょう?」


 侍女のヨアンナは、部屋に戻ってきたアナスタージアを労った。自分と変わらぬ年の王女が、その細い肩に背負う重圧を思うと、胸が苦しくなるヨアンナだった。

 彼女が王女の好きな紅茶をカップに注ぎ、そっと差し出すと、主は口の端に笑みを浮かべて呟いた。


「このくらいで疲れたなど言ってはいられないわ。……でもヨアンナ、ずっと私の側にいてね。私の力になってね」

「もちろんでございます! 何でもおっしゃってくださいまし! アナスタージア様のお為なら、たとえ火の中水の中でございます!」


 真っ赤な顔でそう宣言するヨアンナに、アナスタージアはくすりと笑った。

 そして部屋の奥に歩いてゆくと、壁際に置かれた胸冑に手を添える。彼女のサイズに合うように急遽誂えたものだ。全身を覆う甲冑は、彼女には重すぎて身に付けることはできない。

 そもそも剣を扱えない彼女が、実際に戦うことはないのだ。だから胸冑と飾りの剣だけで十分だった。戦闘の指揮を執るのも、歴戦の武官に任せることになる。

 アナスタージアの戦姫としての役割は、戦士を奮い立たせる為に共に戦場に立つ事なのだ。しかし、それでも危険がない訳ではない。護りはマルセル・リヒター少将が担うことになっている。


 アナスタージアは、胸冑を撫でふとため息をついた。

 皆の前ではああ言いはしたが、エルシオンを倒せるなどとは、本気で思ってはいない。せめて、以前の国境線まで敵を押し戻し、かつての睨みあいの状態にまで、こぎつけることが出来たならば上々と思っていた。いずれ和睦を結ぶにしても、こちらの不利にならぬように、まだ力を持っているのだと示しておかなければならないのだ。

 しかし、言葉だけは絶えず勇ましくなければならない。

 リンザールを護り給う神は、戦の神。アナスタージアは戦姫を名乗ったのだから。


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