第18話
母が話していた引っ越しの計画は実現不可能になった。
退院後、裁判所の調査で話した内容がもとで、、聡自身も警察から調査を受けることになったし、その後保護者を含めて児童相談所の継続的な指導を受けることになった。
房子についても警察の調査が行われ、教唆を受けていたとは言え、複数の放火と自殺の強要など触法行為が重く、家庭裁判所に送致後、身体的な回復を待って行動観察等のために少年鑑別所に留置されることになった。
学校に復帰した後の聡は、かつてのリーダー的役割を担うようなことはなかったが、以前よりずっとクラスの中で無難に溶け込んでいるように見えた。一酸化炭素中毒の後遺症で、多少の忘れっぽさは残っていたが、学業や校内の活動に大きく差し支えるほどではなかったし、対人的な印象を悪くしていた特有のこだわりが軽減したせいで付き合いやすくなったと感じている者も多かった。それは聡本人にとっては間違いなく後退であり、許し難い能力の低下だったが、客観的結果を見る限りは本人の評価とは相容れぬ効果を生んでいるようだった。
三人の自殺に引き続いて、児童どうしの殺人・放火まで経験した学校の雰囲気は、決して平穏とまでは行かないが、諦めの混じった静けさを保っていた。それは戦闘が続く戦場でのわずかな平安、たまたま出現した小康状態を味わうような静けさだった。何もないことが当たり前だった頃の懐かしい思い出を抱擁して生活するしかないことを知ってしまった後の静寂だった。敢えてお互いにほじくりあったりしなくても、醜聞と危険に満ちた日常が目前にあるときのいたわりが、人間どうしを結んでいた。そういった意味では混乱を極めた後の、「良いとき」に聡は帰ってきた。限定された意味であったが少なくとも出だしはうまく言っていたのだ。
聡が退院して学校に復帰した七月の中旬には、咳をする者がやや目立つ程度だった。
急性気道炎等の風邪に類似の診断で少し長く休む者がいても、一週間程度で学校に戻ってきていた。しかし、そういった者の中にいくら経っても咳、痰、発熱といったいわゆる風邪症状が治らない者が出始めた。それでもまだ質の悪い風邪が流行っているくらいの印象であったのが、長期に休んでいた児童のうちに死者がでて、一変した。
また新たな混乱の火種が再臨したのだという不安が一挙に広がった。しかも、頑固な風邪症状を訴える者の分布が明らかに偏っており、聡のクラスに集中していた。時期的にも、休む者が出始めた頃と聡が帰ってきた時とが一致していた。再び聡を中心とした災厄の渦が起ころうとしているのだと考える材料が、十分に揃っていた。
「仕方ない」それしか思わなかった。きっともっとましなことが起こる世界もあるのかもしれないが、自分が生きているこの世界ではこんなことしか起こらないのだ。聡はただへらへらと笑っていた。他にどんな顔をして良いか分からなかったし、どうして良いかも分からなかった。
だから、学校に対して、死亡した児童の親から名指しで原因追求の要請があったときには、やるべき何かを教えてもらったことにむしろ感謝した。医学的精査を行うこととなり、母親に相談し、本来なら成人が受ける人間ドックにあらゆる感染症関連の検査を追加して受診した。
聡はこんな災厄の続く理由の片鱗でも見つからないか、祈るような気持ちで結果を待った。そして、聡のささやかな望みは叶った。異常が、見つかることは見つかった。最近では稀になった感染症の陽性結果がでて、それ自体予想外ではあった。
結核。不治の病として日本国内でも猛威をふるい、再び感染拡大が危惧されている再興感染症の一つ。聡の検査結果は多くの悲劇的イメージを纏ったかつての国民病への感染を示唆するものだった。 ただし、結核感染の有無を調べる血液検査は陽性だったが、追加で行った顕微鏡検査では結核菌の排出がない状態だった。つまり、結核に感染はしているが、他の者に伝染させる可能性は低いということだ。
総合して考えれば、今回死者まで出した感染拡大の元凶が聡であるという可能性は低く、菌をばら撒いた人間は別にいて、聡もその被害者であると考えられた。
「悪者は自分じゃありません」
声高にそう言って、喜ぶべきだろうか。
責任の不在を主張できることは、きっと平穏に社会生活を続けて行く上で役に立つだろう。しかし自分が元凶でないとしたら、集団は別の疎外するべきものを追い求めるはずだ。「次に吊るし上げをくらうのは誰だ?」その問いがずっと繰り返される。結局は標的がすり替わるだけだ。
母は熱病の原因が分かり、犯人が自分の息子でなかったことで、露骨過ぎるくらい喜んだ。しかし医者としては、施設に出入りするわけでもない聡がどこで結核菌をもらったのか、それが腑に落ちないようだった。
聡はずっと何かが引っかかっていた。何か大事なことを忘れている。火事の後、聡には記憶の障害があった。一度記憶されたことであっても思い起こすことが難しい。大切な鍵を落として脳というドブの中をさらっている気分だった。スルスルと指の間を情報の粒子がすり抜けて行く。
あれは一体いつのことだったのか?
“結核”という言葉を違和感をもって受け止めたその感触だけが強く残っている。記憶の背中をいくら追ってみてもどんどん差を広げられていく。この種の記憶の欠落は、不安を呼び起こす。記憶が定かでないということによって、自分の一部を揺さぶられる。どんなに表面上普通に振る舞って見せていても、根っこは不安定な浮き草のような気分を味わう。脳の微細な障害は、機能の欠落が微妙だからこそ捉えどころがなく、他人にも説明が困難で助けも求めにくい。
聡は能力の低下を受け入れることができなかった。気づかないふりをして他人や自分を欺きながら何とか帳尻を合わせていくしかなかった。
しかし、どんなに自分を欺こうとしても、“結核”については、気づかないふりがうまくいかなかった。思い出すことで状況が変わりそうな予感だけは強くあるのに、深いドブに落としてしまった鍵はいつまでたっても見つからなかった。
聡の検査結果を受けて、六年生の児童を中心に血液検査、胸部写真による健康診断が行われた。
その結果、発熱等の症状のない者も含めて大量の感染者がいることが判明した。児童や保護者のあいだでは、検査結果の探り合いが行われ、魔女狩りの様相を呈した。そして、保護者から学校に対し、結果が陽性だった者の登校を禁止するようにという要求がなされた。学校や保健センターの担当者によって、検査結果が陽性であっても感染性がない場合もあり、感染者全員の登校を禁止する必要のないことが繰り返し説明された。しかし、一度火のついたパニック的心理はそのようなことで鎮火せず、学校や行政担当部署の不徹底を糾弾する声が後を経たなかった。飛び降り騒ぎがもとで、一ヶ月ほど前に変わったばかりの校長は、さっそく健康状態の悪化を理由に休職に入った。
自主的に登校を中止する児童も多くなったことから、運営が成り立たなくなるクラスが続出した。感染者の出ていないクラスでも疑心暗鬼が広がり、もともと弱い立場にいた者が標的にされた。さらに感染を疑われた者の排斥が常態化し、恐慌時の集団心理に基づいて独自のシステムが構築された。
六年生のみでなく校内全体に、非感染者を上位とする即席の階級社会が出来上がり、少しでも咳をしたり、鼻を啜ったりするだけで目をつけられ、学校を休むまで執拗に嫌がらせを受けた。そして、一度学校を休むと確定的な感染者として扱われ、学校への復帰が困難となった。風邪症状を中心に体調全般について“クリーン”かどうかということが新たな価値として浮上し、校内を集団的潔癖症と呼ぶべき状態が支配した。
感染に対する不安はさらに超自然的恐怖を呼び起こした。この感染症の氾濫が、飛び降りた三人や美津子の呪いだとする噂が広まったのである。
しかし、飛び降りた三人についてはともかく、“美津子の呪い”については全く根拠のないものとも言えなかった。噂は、同じクラスの多くの者が長い間執拗に咳をしていた美津子の姿を記憶していたことに端を発した。今となっては確かめようがないことだが、美津子が菌を校内に持ち込んだ主犯ではないかと疑う児童が少なからず存在し、そこにどういうわけか心霊現象の味付けが施されて「美津子の呪い」が完成したようだった。
「美津子の呪い」については聡も耳にしたが、それが彼の中で真剣に検討されることはなかった。その種の噂に対する拒否感もあったが、美津子について必要以上に思い出すことを聡自身が拒絶しているところが大きかった。だから、保健センターの調査担当者が、美津子の祖母が結核病棟に入院していた事実を確認し、聡と美津子との接点について尋ねなければ、聡が“結核”という単語を聞いた日のことを思い出すことはついになかったかも知れない。
あの日、聡は美津子の祖母の代わりに布団にいて、美津子の口からその言葉を聞いたのだった。担当者によれば、聡は祖母との接触が多かった美津子から、“飛沫感染”というかたちで、空気中を浮遊する結核菌に感染したということだった。聡は、美津子の体内で飼われていた結核菌の子孫たちが自分の体内で今も養われていることを思うと、体の芯からモゾモゾするような居心地の悪さを感じた。
とにかく教師や児童への聞き取り調査をきっかけに、美津子の祖母を起点とした感染経路が同定された。そのことで、結核感染による恐慌は心理的に次の局面を迎えることになった。
祖母との濃厚な接触者の一人である美津子の妹は、七月末になっても未だに健康診断を受けていなかった。美津子の死後、それまで何とか維持されていた時々の登校や児童精神科への受診も中断し、外部の者が水無子の姿を見ることはできなくなっていた。
教師や保健師が母親のアパートを訪問しても鍵がかかったままで誰も応答せず、窓ガラスから見ても明かりや人影を確認できなかった。単身者が多いアパートで、近所づきあいもなく、隣の住人でさえ子どもがいることを知らなかった。水無子が住んでいるはずの部屋は完全に外部との交流を断たれ、彼女の生存を確認できる手段もなかった。
このような状況の時でさえ、感染症に関しては強制的に踏み込める法的権限は誰にもなく、血縁者同伴のもとで部屋の内部を確認する案が検討されたが、母親からこれまでにさんざん迷惑を被ってきた親戚筋は口をそろえて一切の関わりを拒絶した。残る手だてとして母親の虐待事由による強制執行が可能か検討されていたが、結局閉塞した事態の突破口となったのは近隣住民からの苦情であった。
八月初旬、明らかにその部屋を中心として蠅などの虫の数が増え、近隣から大家へ苦情の連絡が相次いだ。このアパートを自主管理している大家の男は、普段からマナーの悪い住民に対して苛立っており、今回の水無子の件で役所の人間がウロウロすることも不動産の価値を下げるのではないかと不愉快に思っていた。保健センターに連絡しても、蠅が多い程度では具体的な対処は困難とのことだった。ついに痺れをきらしたこの男が、事件かもしれないなどと半ば脅迫するようにして、母親の伯父にあたる人物を引っ張り出し、部屋の中をあらためることになった。
玄関ドアや窓ガラスの周囲には数十匹の蠅が舞っていた。伯父は近寄ろうとせず遠巻きに眺めているだけだった。中で“何か”が起こっていることは明らかだった。しつこくノックや呼びかけをしても、当然のように反応はない。大家の男もいざ中に入ろうという段になるとドアの外にまで漏れてくる臭気とただならぬ雰囲気にひるんでしまった。しかし、自分が無理を言って引っ張り出してきた伯父の手前もあり、動揺をそのまま見せるわけにもいかず、怖気を振り切り、勢い良くドアを開けた。
何の臭いというのではない。ただ無数の針のような刺激が、あらゆる粘膜を刺した。鼻は器官としての役割を放棄し、ただ鼻腔を縮め、空気の進入を防ぐのが精一杯だった。人間のあらゆ開口部を潰すような感覚が襲い、目を開けていることも困難となった。大家が辛うじて部屋の中を見回すと、壁や床、あらゆるところに黒々とした斑状の模様が目に入った。良く見るとそれらがことごとく動いていることが分かった。大きな柱を成した蠅の大群が其処此処に竜巻を作っていた。今まで見たこともないような大型の地を這う虫たちが、地図を描くように群をなして大移動し、襖の奥へと消えていった。あまりの惨状に二人とも口をきけずに茫然とするしかなかった。
大家の顔は震え、目には涙が浮かんでいた。どう考えても、奥の部屋にこのような事態を引き起こした、もっと凄まじいものが存在しているはずだった。しばらく逡巡していた大家も意を決した。着用していたマスクの上からさらにマスクを重ねると、土足のまま、つま先立ちで部屋の奥へ突進し、先ほど虫の大群が消えていった襖を開け放った。
六畳部屋の中央にある黒い水たまりを中心として、先ほど見た数の比ではないゴワゴワとした質感を持つ塊が祭壇を囲むように踊っていた。水たまりの中央には燃えさかる炎の渦のような蠅の群が、巨大な建造物を思わせる堅固さで集中したり、部屋全体を覆う網のように広がったりする運動を繰り返していた。外から聞こえなかったのが不思議なほど虫たちの宴の唄が共鳴し、部屋全体がワンワンと唸っていた。
部屋の中央、蠅の炎が上がっている下にあるものは、それほど注意して観察しなくても、もとは何だったのか容易に想像がついた。蛆がびっしりと集り、黄白色の動く服を全身に纏ってはいるが、それは間違いなく生きているあいだ“人間”と言われていたものだった。
逃れるように外廊下に走り出てきた大家の後ろから、茶色い物体が猛烈な勢いで追いかけてきた。外で待っていた伯父が「危ない!」と叫んだのと同時に大家の脇をすり抜け、伯父にぶつかった後、そのまま階段を降りていった。大家は背後からそんな物体が迫っていたことなど全く気がつかなかったし、伯父も一瞬で通り過ぎてしまったそれを、目撃当初は人間とすら認識してなかった。しかし、目に残った像を思い浮かべれば、確かに長い髪の毛のようなものを生やしていたし、人間と思えないこともなかった。ただ、どうしてもその速度や身のこなしが、虫じみていて、最初に見たときはついに“虫の親玉”が出てきたものと勘違いしたのだった。
水無子が去った後に残された死体は、検視の後、司法解剖に回されることになった。性別と年齢から死体は水無子の母親であると判断された。駆けていった茶色の物体は“虫の親玉”などではなく、母親と一緒に暮らしていた水無子である可能性が高かった。すぐに近隣を中心に捜索が行われたが、水無子本人どころかその姿を見たという者すら誰一人見つからなかった。目立つ格好をした女の子一人がどうやってそれほど完璧に姿を隠しおおせたのか不明なまま、警察はその捜索の範囲を広げるとともに近隣の住宅への聞き込みを始めた。
死体は横たえられた状態で両腕を前に差し出したままプラスチック製のひもで両手首を縛られていた。そして、これは後で分かったことだが、両足は骨が粉々になるほど執拗に打ち砕かれており、それは生きている間に加えられた打撃によるものである可能性が高かった。解剖で分かった最も顕著な点は、臓器に達するほどの深い刺し傷が、確認できただけでも全身に三百カ所以上存在することだった。一カ所の傷で致命的となるような太い血管の損傷こそないものの、死因は無数の小さな創傷による出血性ショックであると推定された。命乞いでもしたのか、死体はちょうど懇願するように両手を合わせたまま虫に食い荒らされていた。
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