第12話

 竹夫は授業中、どうして聡が自分を避けるのか、後ろの席から聡の背中を見ながら必死に考えていた。

 あれでもない、これでもないと、給食を食べてる間もずっと考え続けた。心当たりはないこともなかったが、それらと同じようなことは今までにもたくさんあったし、聡がなぜ今さら自分をここまで無視するほど激怒しなくてはならないのか見当がつかなかった。

 一日考えた挙げ句、突然閃いたのは、以前に竹夫が聡に尋ねた「聡君、美津子ちゃんのこと好きなの?」という一言だった。

「やっぱりな、僕はするどいからな……完璧にずばりだな」

 その時の聡の様子を見て、竹夫は「何かある」と感じていたのだった。

 竹夫は、磯生の訪問のとき、祖母の身代わりをすすんで引き受けたのがまずかったと後悔した。竹夫が思うには、あれで聡は、竹夫が美津子のことを好きなのだと勘違いしてしまったのだ。あの後、房子からずいぶん叱られ、結局、次の日学校まで休む羽目になった。もしかしたら、それ以外のときでも、自分は基本的に女子に優しいので、美津子を狙っていると聡に誤解されたのかもしれない。

 美津子に対する恋愛感情を否定したところで、聡は納得してくれないだろう。竹夫は知恵を絞った末に、自分が美津子から身を引くと聡に宣言することにした。それで、自分は聡を邪魔するライバルという役回りから降りることができるし、普通そういう場合には、ライバル同士の友情が深まるはずだ。

「聡君。美津子ちゃんのことは頼んだよ。僕はあきらめるよ」

 竹夫はトイレから出てきた聡をつかまえ、いきなり言い放った。聡の目をまっすぐ見て真剣さをアピールした。

 聡はしばらく竹夫を見たまま、何も言わなかった。何かを言おうとして口を動かしていたが、声にならないようだった。竹夫の見たところ、聡は感動のあまり口が利けなくなっていた。

(成功、だな)竹夫は聡の様子を見て、そう確信した。

「……なあ、タケ。頼むからほっといてくれ」

 しばらくして、聡はため息をつきながらそういうと竹夫の肩を叩いて去っていった。


 竹夫は嬉しかった。

 何かを聡から頼まれるのも久しぶりだったし、自分の読み通り、聡は美津子との仲を邪魔しないで「ほっといて」欲しいということが確かめられたからだ。竹夫は聡ノートを久しぶりにポケットから出すと「ほっておくこと」と書いた。

「ようし、ほっておくぞ!」

 とりあえず、ちゃんとほっておくためには、そのことを美津子にも伝えなくてはならない。急に冷たくしたら、きっと変に思われてしまう。ポイントは聡の名前を出さないことだ。聡のために美津子をあきらめると言えば、本当はまだ好きであると暗に伝えることになってしまう。もともと好きじゃないとか言ったら、美津子を傷つけるかもしれない。ここはさらっと、自分は身を引くが友情は変わらないことを伝えるのが男らしくて一番だと思った。

「美津子ちゃん、君と僕との友情は変わらないけど、ぼくは君をほっとくことにした」

 美津子はぼんやりした虚ろな表情で竹夫をみつめ、「……そう」と消え入るように返事をした。思っていたよりも美津子の反応が沈んだ調子だったので、女の子を悲しませてしまったと竹夫は反省した。

 美津子への「ほっとく」宣言が終わると竹夫にはやることがなくなってしまった。もちろん、聡といっしょの学校に行くために勉強はしていたし、実際、休み時間でも遊ばずに歴史と理科の暗記項目を必死に頭に詰め込んだりして忙しかったが、そういったこととは別に、竹夫は聡のために聡が望むことをしたかったのだ。

 だから、竹夫は言われた通り聡をほっとくには、どんなふうにしたら良いか、とことん考えた。

 その日、塾で声をかけても聡は返事をしてくれなかった。

 家でも、食事しながら、勉強しながら、トイレや風呂に入ったりしながら考えた。そして、聡の部屋の電気が消え、それからさらに一時間勉強した後、ベッドに入り、その上で転々としながらやっと思いついた結論は、自分は聡をほっておくことができないかもしれない、ということだった。

(ぼくは聡君の喜ぶことができない)

 そう考えると、竹夫はいかにも自分が不甲斐ない気がして、つらかった。どうにかしたい気持ちで悶々とし、その日は結局一睡もせず、だんだんと外が明るくなっていくのを焦りながら眺めていた。


 翌日、自分ではどうしようもなくなった竹夫は房子に相談した。房子は竹夫が話に詰まりながら説明するのを辛抱強く聞いた。そして、最後まで聞き終わると、

「……でも、あんた、そう言われて本当に聡をほっておくつもりなの?」

と言った。それを聞いて竹夫は、はっとした。

「ぼくは聡君をほっておこうとした。……ぼくは聡君をほっておこうとした、ぼくは聡君をほっておこうとした」

 胸の中で何遍も繰り返した。

 頬の辺りが急に熱くなった。死にたいほど恥ずかしかった。

 

 その日の帰り、竹夫は逃げようとする聡を必死に追いかけた。追いついて話しかけても聡は止まってくれない。それでも追いかけて、前に立ちはだかるようにして言った。

「聡君、ぼくは聡君をほっておけない。……ほんとうに、ごめん」そういうと、竹夫は泣いた。


 

 翌週の月曜日、聡は再び相談室に呼び出された。

 担任がいつもよりもさらに甘ったるい声音で、

「忙しいと思うんだけど、ちょっと来てくれるかな」

 と声を掛けてきたのは、帰りの会が終わり、聡が鳥かごを持って帰ろうとしていたときだった。

 聡は荷物と鳥かごを机の上に置いて相談室に向かった。竹夫が後からついてきていたが、気づかないふりをして足早に階段を下りた。

 部屋に入ると今日学校を休んでいたはずの美津子が、泣きながら座っていた。担任は、聡が現れると自分の隣の椅子をすすめ、

「本当に忙しいのに申し訳ないね。すぐに終わるから」

 とこの前の時とは比較にならぬ低姿勢で言った。そして、美津子が昼休みに突然現れて聡に関する申し立てが全て虚偽であると告げたこと、それを聞いた自分が厳重に美津子に注意し、聡に対して謝罪するようすすめたことを、早口でまくし立てた。続いて美津子に向かい、犬を招き寄せるような手つきで謝罪を促した。

 美津子は崩れ落ちるように椅子から下りて膝をつき、聡の足下に頭を擦りつけた。美津子のつややかな黒髪が、乾いた土のような色をした床の上にバサッと音を立てて広がった。担任がやめさせようとしても、さらに強く頭を床に擦りつけるばかりで、顔を上げようとしない。

「須崎くん、……本当に、迷惑をかけて……でした。二度とこんなことは……どうか許してください」

 美津子は大量の鼻水を垂らし、途切れ途切れに声を絞り出しながら、何度も頭を床に打ちつけた。そのたびにゴゥンと頭蓋骨と硬い床がぶつかる低い音が響いた。

「どうして嘘をついたのかきいても、こんなふうに泣くばかりでね。……本当に君には申し訳ないことをした。もともと君を信用していなかったわけではないんだが、今回は私もすっかり騙されてしまった」

 担任はいかにも「非常識な子どもに手を焼いて困っている自分」という顔をして、機嫌をとるようにこちらを伺っていた。聡はそれを無視し、謝罪を淡々と受け入れ、「もう、帰ってもよろしいでしょうか」と退室の許可を求めた。


 教室に帰ってみると、さっき机の上に置いたはずの鳥かごとランドセルが無かった。

 聡は「やられたな」とすぐにピンときた。それと同時に人気のない教室にヒナと荷物を放置した自分の迂闊さを呪った。竹夫が来て、机の前で途方に暮れている聡を見つけると、機嫌を損ねないよう気を使う様子で話しかけてきた。

「聡君、あの……どうしたの?」

「タケ、おまえ、鳥かご持ったやつ見なかったか?」

 竹夫は「いやー、見なかったけど……」とかぶりを振りながら言うと、「あれ、聡君、荷物はー?」と素っ頓狂な声を上げた。そして、「あれ、鳥かごも……あれー?」机の周囲を回り、教室中を見渡しながら、「聡君、ここに置いたよね?」と心底驚いたように尋ねた。

「タケ……誰にも言うなよ」

 聡は大げさにならぬよう釘を刺すつもりで言ったのに、「誰にも言うなって……もしかして、盗られたの!?」と竹夫をさらに興奮させてしまった。そして、聡が一応、念のために教室を探し回っている間、「どうしよう、ぼくのせいだ。ぼくがちゃんと見張ってないからだ」とぶつぶつ言いながら、動物園の熊のように机の間をウロウロしてた。

「なあ、タケ、おれはお前に荷物を見ておいてくれと頼んだ覚えもないし、もしそうだったとしても、悪いのはお前じゃない。悪いのは……あいつら、だ」

 聡はまるで、荷物と鳥かごを盗んだ犯人たちを見据えるかのように校庭の方を見た。そこでは、あるものたちはサッカーをし、あるものたちはブランコに乗り、他のあるものたちは追いかけっこをして、子供らしい甲高い声を上げ、汗をたっぷりかきながら、自分たちの遊びに興じていた。

「ウガー! やっぱり、ぼくが悪いんだあ」「いや、お前は悪くないって」

 聡が何度宥めても、竹夫は自分を責め続けた。

 聡は時計を見て、鳥にどれだけの時間餌を与えてないのか計算した。最後に給餌してから、二時間程になる。もう一人で食べられるようにはなっていたが、甘えて餌を求めてきた時、まだすり餌を与えていたのだった。皿の中に餌は入れてあったが、どこかに持ち去られ、環境が大きく変化したら、確実に食べられるのか分からない。3時間以上食べられない状態が続くのは避けなければならなかった。水も帰って交換するつもりだったので給水器にほとんど残っていない。熱い日差しのもとに放置されたら、脱水状態に陥ってしまうかもしれない。

 聡は焦り始めていた。少なくとも近くに鳥かごはは見あたらなかった。どうやら、“あいつら”は本気で隠したらしい。荷物だけならまだ許せた。どうしてヒナの命まで危険にさらす必要があるのか。“あいつら”を満足させるためにいったいどれだけのものが必要なのか想像するだけで反吐が出そうになった。

 聡にはこんな時でさえ人に頼りたくないという気持ちがあった。でも、そんなこだわりで発見が遅れ、ヒナが死んでしまうようなことだけは耐えられない。まだ、逡巡している自分がいた。


「聡君……ぼくもヒナを探しても良い? 一緒にヒナを探させてほしい」

 聡は何と言って良いかすぐには分からなかったが、竹夫の顔をまっすぐ見て自分が言うべきことを思いだそうとした。

「タケ……頼む」

 竹夫は何も言わずに深くうなずいた。


 まずは人目につかない所を狙って屋上や焼却炉、校庭の隅や体育館の裏等を手分けして探した。

 報告し合うため、聡が待ち合わせ場所に行くと、校庭の方を探していたはずの竹夫が走ってくるのが見えた。後ろから、房子がついてきている。

「あの、僕、聡君が怒るから来ないでって言ったんだけど、でも、どうしても一緒に探すって……」

 どうやら、竹夫が校庭をウロウロしているところを、課外活動で陸上競技をしていた房子に見つかってしまったらしい。

「タケ、おまえな……」

「何も言わないで……竹夫は悪くないから。私が勝手に探すだけ」

 房子がそれ以上の発言を制するように片手を突き出しながら言った。


 次に、他の教室、鍵の掛かっていない倉庫や専科の教室、下駄箱の周りを隈無く探した。もう時刻は五時に近い。最後に餌を食べたのを確認してから三時間近くになる。聡は自分一人で面倒を見るようになって、これほど長い時間ヒナと離れたことはなかった。週に一回のテストの時でさえ、特別に塾の事務室に鳥かごを置かせてもらい、合間に世話をしていたくらいだ。今、どこかで腹を空かし、聡のことを呼んでいることを想像しただけで気が狂いそうだった。鳥かごを隠した人間に対する気持ちは、今では怒りなどではなく、美津子のように土下座でも何でもするから、とにかくヒナを返してほしいと哀願したい気持ちだった。

 校内の探せるところはすべて探した。学校外に持ち出されてしまった可能性も考えなければならないが、探す範囲を学校外に広げるとなると、どこから探して良いやらそれこそ見当がつかない。それに、盗った連中も鳥かごを持って校外の道を歩けば目立つことくらい分かるだろう。今はとにかく、もう一度校内を念入りに探すことに集中するのが得策と思われた。

「もう一度探すなら、先生にも言って、徹底的にやらないと無理じゃない? 鳥、早く見つけたいんでしょ?」

 房子に、聡自身もすで考えていたことを言われて少し腹が立ったが、もう選べる選択肢は限られていた。決めるなら早く決めなければ意味がない。聡は、職員室へ行き、担任に事情を話すことにした。

「何度も君のうちに連絡をしたんだが、誰も出られないんで、……なんとか渡す方法がないものかと考えていたんだ」

 座っている担任の足下にはビニール袋に入れられた泥だらけの異様なものが転がっていた。

 それは、聡のランドセルだった。

 肩に掛ける部分は根もとの金具から千切れ、払われた跡はあるが全体が泥まみれだった。のぞいている教科書やノートは泥水を吸って茶色く変色し、ランドセル全体からまだ水が滴っていた。低学年の児童が、授業で観察しているへちまに水をやっている最中に気づいたらしい。ランドセルは念入りにも半分以上が花壇の土に埋まっていたため、遠くからホースで水をやっている時には気づかれず、見つかったときには仕上げのように散々水をかけられた後だった。

 聡はランドセルには目もくれず、近くに鳥かごが無かったかをしつこく尋ねた。無かったと言われても納得せず、自分の目で確かめるため、すぐに花壇に向かったが、確かに周囲にそれらしきものは全く見当たらなかった。

 担任にランドセルと一緒に消えた鳥かごのことを話し、見つけだす手だてについて相談した。聡に美津子のことで濡れ衣を着せた負い目があるためか、担任は意外にも親身に相談に乗ってくれた。全校放送で鳥かごを目撃した者がいないかを尋ね、校内に残っている者には周囲の探索を依頼し、情報を職員室に集めてもらうことにした。手の空いている教員には自分の所属する学年を中心に全ての教室を探すよう協力を頼み、学校の地図を広げて、まだ探していない所が無いか検討した。

 鳥かごは一向に見つからなかった。

 時刻は六時を過ぎ、日は沈みかけていた。聡は焦りを通り越して、徐々に絶望にとらわれ始めた。陰影を濃くしていく校舎の中を走りながら、聡は鳥かごを隠した者たちの心の陰を思った。聡のことを気に入らないのなら、どうして聡ひとりに害をなすことでおさまらないのか、なぜ自分の力でまだ生きていくことのできない無力な存在を巻き込む必要があるのか、憤怒とともに湧いた疑問が黒い汚水のようになって聡を飲み込んでいった。

 六時半を過ぎて、職員室に新しい情報が来ていないか確認しに来た聡に、担任は今日は諦めるよう暗に勧めてきた。確かに、これ以上どのようにしたら良いのか、次の打つ手がないことを認めざるを得ない状況となっていた。敗色が濃厚となった気まずい空気が聡と竹夫、房子を覆った。鳥かごは学校外に持ち出され、人目につかない所に放置されているか、誰かの自宅に持ち去られたのかもしれない。

 聡は諦めきれずに、最後にもう一度だけ屋上に上って、校庭を含めた学校全体を見回し、自分たちの探索に落ち度が無かったか再検討することにした。敢えて口にはしなかったが、本当はこの時、そのような実利的な意味よりも、もう一度この呪うべき学校を上から眺め、自分からヒナを奪った敵の姿を目に焼き付けておきたいと思っていたのだった。

 校庭の西側には金網を張り巡らされたプールがあり、交通量の多い大きな道をはさんで向こうには住宅地が広がっていた。腐った蜜柑色をした夕日が、ヒビの入った団地の谷間に沈んでいくのが見えた。

 校舎全体が闇に飲まれていく。この学校に似つかわしい風景だと思った。

 鳥たちが山や林に帰っていく。その中にはヒナに良く似た甲高い声を上げる若い鳥も含まれていた。習慣で、そのような声がすると自分の名を呼ばれたかのように振り向いてしまう。今も激しい声がして振り向いたが、そこには、どんな鳥の姿もなかった。執拗に聡の名を呼ぶようなその声は遠くからだが、はっきりと聞こえ、いつまでも去ってくれなかった。


「待って!」

 房子が目を閉じて耳に手をあてた。

 しばらく、そのまま微動だにせず、耳を澄ましていた。そして耳から手を離すと、高く一点を指さした。 

 貯水槽の上だった。

 聡が全速力で向かうと、声はにわかに大きくなり、間違いなく頭上から降ってくることが感じられた。しかし、その声は普段聡が耳にしている声とは似ても似つかぬ荒々しいもので、とてもヒナの声とは思われなかった。聡は深く失望して、こんな所を寝床にする変わったヤツが夕刻の狂騒を繰り広げているのだろうと、空しく感じながら一応上を確認してみることにした。

 梯子を一段ずつ登るとその声はさらに強くなり、貯水槽の上に出る直前には耳に痛いほどになった。そして、ハシゴを登り切り顔を上げた聡の目に映ったのは、鳥かごの中で羽を散らしながら狂ったように飛び回るヒナの姿だった。

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