第5話

「さあ、どうしようか?」

 聡は腕を組んで、わざと軽い調子で言ってみたが、あまり上手くいかなかった。

 目の前には美津子の祖母が、布団の上に身を縮めるようにして横たわっていた。水無子は隣の居間でテレビに夢中になっている。

 聡たちと合流した竹夫が怖々と死体に近寄り、手を持ちあげて、落とした。骨が当たる重たい音が部屋に響いた。

「うーん、死んでるね……聡君、どうしよう?」

「もう分かってるんだよ、そんなことは。だから、考えてるんだろ? もうやめろって……」さらに竹夫が死体の目を開けようとするのを止めた。

「やっぱり、警察とか、救急車とか呼んだ方がいいじゃない? 今からでも遅くないって」

 房子は寒そうに自分の両腕を抱いている。美津子が死体の腐敗を防ぐためにエアコンを最強にして、部屋を冷蔵庫みたいにしているのだ。

「いや、救急車はさすがに、もういらないだろ。死んでるんだから」

「……そうよね」また、重たい沈黙が続いた。

 

「ねえ、美津子……やっぱり知らせた方がいいよ。だって、人が死んだんだよ。病気で死んでも、一応原因とか調べないといけないと思うし」

「それは、できない」

「できないって……しないとだめだよ。やっぱり」

「ごめん、どうしてもできない」美津子と房子の間で、先ほども行われた押し問答が繰り返された。

「施設はもう嫌なの。わたしは良くても、水無子は……ここでないと無理だから」

 水無子のいる部屋からは、夕方のアニメ番組をやっているのが聞こえた。

「今度は、もう黙ってるのが嫌だったから……お婆ちゃんが死しんでしまうって分かってから、私、我慢できなくて、お婆ちゃんなら分かってくれると思って、お婆ちゃんはもうすぐ死ぬって、そう言ったの。……そしたら、お婆ちゃんは笑って、それじゃ、私と水無子が困らないように準備をしなくちゃって、言ってた。私が言ったのはお婆ちゃんが死なないように、病院に行って欲しいとか、そういう意味だったのに……でも、死ぬ時、お婆ちゃんは苦しそうにしながら、救急車を呼んじゃだめって、誰にも知らせてはだめって、準備ができなくてごめんねって何度も謝ってた。たぶん、誰かに知らせたら私たちがどうなるのか分かってたんだと思う」

 聡と房子は、美津子が母親からひどい暴力を振るわれていたことや、一時的に養護施設に入っていたことも知っていた。

「施設も、水無子にとってはつらいけど、……お母さんのところに戻されたら、たぶんわたし、水無子を守るために、あの人を殺すと思う。相談しても、助けてもらえるのはずっとひどくなってからだから……あの人を殺さないと、きっと水無子が死んでしまう」

「そこまで思い込まなくても……きっと良い方法があるわよ」

「いや、ないのよ。良い方法があるのは、房子みたいな人にとってだけ。私たちには良い方法なんか、ないの。本当よ。みんな、良い方法があるって言うけど、やってみると必ず上手くいかないの。どんどん、悪くなるだけなのよ。だから、もう、みんなの言うとおりになんかしない。何と言われても、お婆ちゃんが死んだことは誰にも教えない。だから、房子も聡君もこのことは誰にも言わないで。お願い」

「おまえ、どうやって生活していくの? お金は?」聡が真面目な顔をして、尋ねた。竹夫は同調するように何度も頷いている。

「少しだけど貯金があるし、……その他のことはほとんどわたしがやってたから、大丈夫」

「でも、困ることもあるだろ? ほら、いろいろとさ」

「細かいことは分かんない。でも、やってみる。もう、大人の思い通りになって後悔するのは嫌だから」

 時々、水無子の小さな笑い声がする。

 美津子が、声がしたほうに視線を向けてから言った。

「あの子、あんまりしゃべらないでしょ? 最近だもん、テレビ見て笑えるようになったの。私、どうしてもこの生活を守りたい。まだ、どうしたら良いかよく分からないけど……でも、何とかするから。だから、もうわたしたちのことは放っておいて。お願い」

「えっと……死体は、どうするんだ? このまま、この部屋に置いておいたら、いくら寒くしても腐るし……腐ったら、臭くてこの家住めなくなるぞ」

「分からない、分からないけど、なんとかする」

「美津子! 何言ってんの? なんとかなんて、ならないわよ!」

「じゃあ、……埋めよう」

「エッ」聡以外の三人の声が揃った。


「あんた……何言ってるの?」沈黙の後、房子が最初に声を出した。

「何って、死体だろ? 埋めちゃうしかないんじゃないか、普通」

「普通、埋めないわよ!」房子が叫んだ。竹夫が同調する相手を房子に変えて、ウン、ウンと頷いている。

「やるべきことをするしかないんじゃないか? やっぱり、死体は埋めるべきだよ。美津子、昔話したシデムシっていう虫の話覚えてるか? シデムシは生き物が死んだら、みんなで協力して埋めるんだよ。一人で出来なかったら、みんなでやるんだ。ファーブルは“協力”じゃなくて、“本能”だって書いていたけど、本能でそうするべきだって知ってるんだよ。美しいだろ? そういうのって」

「私、あんたの言ってること分かんない……シデムシだかなんだか知らないけど、わたしたちは虫じゃないでしょ?」

 房子は泣きそうになっている。竹夫はどう反応して良いか分からない様子で、目だけ泳がせていた。

「……ということで、みんなで力を合わせて死体を埋めようか」

「美津子も何とかいいなさいよ。こいつ、あんたのお婆ちゃんを埋めるとか言ってるわよ!」

「……わたしも、埋める!」

「なにぃぃ!! なんでよう、なんでそうなちゃうのよ! あんたたちどうしちゃったの? 人を埋めるって、おかしいよ! 怒られるよ。警察につかまっちゃうよ。もうちょっと、ちゃんと考えようよ。ね、お願い!」

「おまえが、おかしいっていうのも分かるけど、でも普通に警察とかに知らせたとして、美津子たちが普通に施設に行って、普通に母親に帰されてっていうのはイヤじゃないか? 埋めるっていうのはベストじゃないし、それでずっとOKっていうことでもないと思うけど、このままってわけにもいかないだろ?……とりあえずできることって、他にあるか?」

「聡君、ボクもやる!」

「あんたがやるって言ったら、竹夫もやるって言うに決まってるじゃない! ほら、もう目なんかキラキラさせちゃって、どうすんのよ!」

「おまえがどうするかは、おまえが決めたらいい。どちらにしろ明るいうちは無理だし……俺、塾に行ってからもう一度来るから。美津子、九時半集合で。じゃ、一時解散!」

「勝手に仕切ってんじゃないわよ。あんたの言うことなんか、聞かない! みんな、聞かないわよ! ね、やめよう。今からでも、ちゃんとしたところに相談しようよ」

「房子、ごめん。もし、誰も何もしてくれなくても、わたし、お婆ちゃんの体をどうにかしなくちゃいけない。これは戦いなの。きれいごとなんて言ってられない」

「できるわけないじゃない! 知らないの? 死体って勝手に埋めたらいけないのよ……いいわ。勝手にしなさい! 私は帰って、このことをみんなに言いふらしまくって、もう言う相手がいなくなるくらいしゃべって疲れたら、こんなこと忘れて明日の朝までぐっすり寝ますから。それじゃ、ごきげんよう!」



「あんたたち、何やってんの? 時間ないんだから、早くしてよ!」

 房子が自分が持ってきた軍手や手ぬぐいなどを指さして、聡と竹夫を急かした。

「おまえんち、すごいな。何でもあるんだな。でも、麦わら帽子はいらないと思うけど、……こんなごついシャベルどっから持ってきたんだ? それに一輪車ってどうやって……まさか、ずっとここまで押してきたの?」

 聡は困惑した表情で尋ねた。

「でも、必要でしょ? 死体って軽く見えても実際持ってみると重たいらしいわよ」

「それにあの緑色のやつは……」

「コンポストよ。知らないの? 猫とか、少し大きな動物を埋めただけでも蛆が湧いて大変なんだから、上に被せるのに絶対要るわよ」

「……目立っただろ?」

「大丈夫よ。この辺り農家が多いから、誰も気に止めてやしないわよ」

 全部、農家である房子の家の倉庫から持ってきたという。聡が考えていなかったところまで、あれこれと考えていて感心したが、準備が大げさ過ぎて、人に見られなかったのか気にかかった。


 房子は、あれだけ反対していたにも関わらず、今回も結局、自分で取り仕切ることにしたらしい。聡は様々な準備に対する有り難い気持ちを感じてはいたが、同時に、何でも派手にやってしまう房子の行動がマイナスにならないか危惧も抱いていた。房子には前から「自分がいなければ始まらない」と思うところがあるようだった。実際、細かいところにまで気が回り、手際が良く、みんなを引っ張ってくれるので、彼女がいるほうが上手くいくことは事実だった。そして、ほとんど全てのイベントに首をつっこんでくるので、本当に彼女がいないと始まらないのか、試す機会すらなかった。


「もう、結構掘ってあるじゃないか。二人で? すげえなあ」

 房子が示した穴を見て、聡は素直に感嘆した。女の子二人でここまで深くて大きい穴を掘るのはきっと大変だったはずだ。房子と美津子が疲れて見えるのも無理はない。

 二人が選んだ場所は今は雑草が生えているが、昔は花壇として使っていたという、ブロック塀近くの土地だった。

「前から水無子が飼ってたカブトムシが死んだときとか、埋めてたの。あの子虫が好きだから……」

「うーん、カブトムシか……今、水無子ちゃんは?」

「さっき、眠ったから大丈夫。トイレに起きるのはもっと夜中だし……」「そうか」

 二人はかなり色々な事情を考えてその場所を選んでいた。

 まずは、人間を埋められるような深くて大きな穴が掘れること。その点、この場所は、昔大きくなり過ぎたた楠を造園業者が掘り返して土を入れたところで、根を掘り返した後の穴の大きさは、美津子の形容を借りれば「人を十人埋めても大丈夫」だという。そして、いくら深く掘ったとしても、やはり臭気については気にかかる。その点についても、ブロック塀の向こうはタマネギ畑で、時々、おじさんが家で出たゴミを勝手に焼いてたり、絶えず肥料の臭いがするような土地だったから、普段ははなはだ迷惑だけど今回は隠蔽に役立つように思えた。その上にコンポストも設置して、消臭の対策をとればより安心と言えた。その他にも、作業をするのに目立ちにくいとか、玄関や物干し場から離れているとか、もともと花壇だから花がお供えしやすいとか諸々の事情を考えて決定されたその場所について、聡も「やはりここがベスト」という結論に至った。


 既に太腿くらいまでの深さに掘られていた穴を、聡と竹夫でさらに掘り進めることにした。

 実は、聡と竹夫が生き物の死体を埋めるのは、これが初めてではなかった。道路の脇に放置されていた結構な大きさの犬を、二人で運んで雑木林の中に埋めたことがある。その時は、役所に連絡したら取りに来てくれるとか、勝手に他人の土地に死体を埋めてはいけないとか、そんなことは考えなかった。

 竹夫は、家族との約束をすっぽかし、後ですごく叱られたらしいが、何も言わずに遅くなるまで手伝ってくれた。あのときは、土の軟らかそうな場所を探して、一メートルくらいの深さまで掘った。余裕で二時間くらいかかってしまい、聡も塾に遅れて行ったのを覚えている。季節が冬であったことも良かったのかもしれない。野良犬に掘り返されていないか気になって、その後何度か見に行ったが、少なくとも表面上は何ともなかった。竹夫も多分あのときのことを思い出しているのではないだろうか。表情まで分からないが、時々こっちを見ている。

 後ろから美津子と房子に懐中電灯で照らしてもらいながら掘っていると、この場所が今回の目的にとても適した場所であることが分かる。昔、竹夫と掘った林の中の土は、表面は柔らかそうには見えても、下はもっと根が張っていたり、大きい石があったりして掘りづらかった。

 順調に掘り進んではいても、三十分もしないうちにつらくなってきた。最初はなるべく静かにとか、大きさや形はこんな風でとか、頭で考えながら掘っていたが、だんだん掘れるだけ掘ることしか考えられなくなってきた。日中は死ぬほど暑くても、夜はさすがに涼しく楽だったのが、今はシャツを絞りたいほど汗が吹き出している。最初こんなものいらないと思っていたが、房子が何枚も用意した手ぬぐいがとても有り難かった。

 周りの田んぼからは蛙の声が、どのくらいの数がいたらこんな声がするのか見当もつかないくらい大きく響いていた。(毎日、こんなところで良く眠れるな)聡は体は動かし続けたままで全然関係ないことを考えた。

 堀り始めは、美津子と房子が掘った穴の大きさに沿って、二人で同時に作業できていたが、深くなるにつれて、どうしても足場が狭くなってきて一人ずつ交代で掘った方が効率が良いということになった。聡が掘っている間は竹夫が休み、竹夫が掘っている間は聡が休む。ペースが出来てきて、このままずっと掘り続けられるような気がしてきた。一定の作業を続けたときの“ハイ”な状態になっていた。

 しかし、普段ここまで酷使することのない体のほうには、精神よりも早くに限界がやって来た。交代で立ち上がるときに、腰と膝に経験したことのないような激痛が走り、休んでもこわばった手の握力が回復しなくなってきた。手の皮が何カ所も剥けているのが、鋭い痛みと軍手ごしに滲み出てきた血液で分かった。

 ついには、筋肉の疲労と痛みでシャベルの取っ手がまともに握れなくなった。感覚が無くなって自分の手のような気がしない。悔しくて、自分の両手を見つめたが、気持ちとは裏腹にさび付いたように指の関節が動かなくなっていた。


 穴の深さは一メートルを超えている。せめて自分の身長くらいまでは掘りたかった。でも、体だけではなく時間的にも精一杯だった。房子は、美津子と勉強するという家族への言い訳の限界を考えて十時頃に帰った。その後の手順をあれこれ細かく指示してから、名残惜しそうにしていた。竹夫は「聡君とすっごく勉強してくる」と言って、夕食を買うためのお金ももらってきていたから、もう少し余裕があるはずだったが、さすがに十一時を過ぎる頃、母親から「今すぐ帰らないと殺す」とメールが入った。この「殺す」メールはめずらしくはなかったので、竹夫はそれほどビビってなかったが、揉めたときの言い訳を竹夫がうまくできるとも思えず、聡はすぐに帰るよう促した。

 結局、遺体を運び、土をかけて、コンポストを置くという仕上げの作業は聡と美津子の二人ですることになった。


 本当に疲労がたまったときに、体のつくりのどういう場所からダメになってくるかが良く分かる。足腰などの大きな部分は、痛みがあってもまだ使うことができたが、まず手の指が言うことをきかなくなった。普通に握るということができなくなっていたので、腕の先についている手の形をした道具に、ものを差し込むようにして自分の手を使うはめになった。

 布団で寝たまま死んでいる婆ちゃんの体をシーツごとくるんで、結局一輪車は使わず二人で持ち上げて穴まで運んだ。穴の上まで来て、声を掛け合いながらゆっくりと下ろした。美津子が手を合わせるので、聡もそれにならい、二人でしばらく無言のまま、遺体が入った穴の前で手を合わせてしゃがんでいた。

「それじゃ、いいか?」と聡が尋ねると、美津子が涙混じりの声で「うん」と答えた。

 最初はゆっくり確かめるように土をかけていく。体が見えなくなってからは、少し急いで土を穴に戻す作業に集中した。二人で黙々と土をかける。

 時々空を見上げると、南の空の高い位置に、今使っているスコップの形を思わせる獅子座の首としっぽのデネボラが見えた。春の大三角…獅子座のデネボラ、うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカ。春の大曲線……北斗七星のしっぽから、うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカ、台形のカラス座まで続く。理科で習った暗記項目を頭の中で繰り返す。

 最後、穴の上にあたる位置に、コンポストを置いて、余った土を入れておいた。中に入れた土も加えたら、深さは二メートルほどになった。房子の話では、後日この上から専用の“環境浄化微生物”を加えたりして、虫や臭気の発生を防ぐのだという。暗くてはっきりとは分からないが、できるだけ周りに不自然さを残さないように土を慣らして、今日の作業を終えた。

 巨大な緑色のコップを逆さにしたようなコンポストに向かって、もう一度二人で手を合わせた。このプラスチック製の低い塔が、美津子の婆ちゃんの墓になった。

「ありがとう」

 しゃがんでお墓に向かったまま美津子がいった。

 聡はそれが誰に向かっての言葉なのか分からなくて、彼女が立ち上がって自分の部屋に向かうのを黙って眺めていた。

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