第3話

 聡は、塾が採用している大手進学塾発行の算数テキストを塾の進度に合わせて、復習していた。比較的簡単な問題だが、解答に至るまでの手続きの段階が多く、気を許すと最も望ましい短距離ではなく、遠回りの計算量の多い方法に流れる予感がある。同じ知識の組み合わせの応用が自分の受験する中学の過去問で出題されていたことも、こだわりを促す要因となっている。同じ問題を解くのは優に十回を越えていた。解答にたどり着くこと自体に支障のない問題でも、思わぬ落とし穴にはまることがある。つまづきの予感を消し去るまで何度も同じ解法を繰り返す。何度も、何度も、同じ道を辿り、他に最前の方法がないか検討する。安易な方向に流れてはならない。同じ問題から学べることはないか、要素を絞り出す。吸い尽くす。

 脳を冷やして、心を静かにする。モヤモヤしているものも上から押さえつける。

「こんなことは許されない」

 今日の学校でのことが、雑音のように集中を妨害する。目標に関係ないものは、余計なものだ。余計なものはいらないものだ。きっとそういうものが気持ちの揺れを作る。気持ちの揺れは隙を生む。隙とは空白のことだ。空白を埋めて、余計なものの侵入を防ぐ。余計なものは洗い流す。ひたすら、洗い流す。


 余計なもの。例えば、家族。

 聡の家族は今は母だけだった。精神科の医者で、帰りが遅かった。聡が眠るのは夜中過ぎだったが、母親の帰りがそれに間に合わないことも多かった。母が嫌いなわけではない。むしろ、愛着は深かった。時に母が早く帰って聡と会えたことを喜べば、自分も嬉しかったし、ゆっくりとできることは稀だったが、母との会話は楽しかった。

 大切な存在。だからこそ、余計なものだった。

 夕食は、たいてい塾の帰りにコンビニで買って、一人で食べた。

 学校で、生活の一端でさえありのままを告げると、追求を受けることになる。大人からの質問には、自分なりの台本を作っておき、当たり障りなく答えるよう日頃から訓練していた。食事については、「塾から帰ってから、母と一緒に食事をします。遅くまで勉強して、お腹が減ってるだろうといつも気遣ってくれます」ぐらいが時間を節約することができる。食事なんて一人で食べようが、何人で食べようが実質に違いがあるわけはない。家庭はこうあるべきだという世間の優しさに溢れた助言は、親切心であるという理解はできても、やはり迷惑であることに違いはなかった。一度、健康調査に事実を書いてしまったとき、担任教師が心配を絵に描いたような顔を浮かべたのを見て、吐き気を催した。

 食事以外の家事も、ほとんど自分でやった。洗濯や掃除などは必要以上にこまめにした。特にアイロンがけにはこだわりがあった。実際的に支障がないぐらい目に見える皺がなくなっても、皮膚に当たる場所に皺が残っているように感じるときがある。まっすぐ、平面であることが重要だった。それによって何かが達成される。ひとつの物事が完璧になる。そういう感覚がとても大切だった。


 父親。すでに洗い流した過去に属するもの。

 父も、母と同様精神科の医者だった。自分自身が精神疾患に罹ってから、長期間療養生活を送っていた。父の様子がおかしいのはずっと分かっていた。小学四年くらいからは入退院を繰り返していたし、家にいるときでも寝てばかりいた。そして、寝ていないときには泣いたり、叫んだり、わけの分からないことを言ったり、一緒に死んでくれと言ったり、物を壊したりした。聡はなるべく父を刺激しないように、家の中で隠れ場所を探した。父の書斎の大きな机の下。そこが、聡の居場所だった。灯台もと暗し、と言うべきか。父が家の中で最も近寄らない場所は、元気なときに仕事部屋にしていた書斎だった。海の底に澱が積もったように、床を埃がうっすらと覆い、黴と埃と本の臭いが充満していた。壁の一面が本棚になっており、医学書や父が少しずつ集めた広範な領域にわたる専門書で占められ、机の上には付箋の貼られた論文や学会誌が積まれていた。

 その部屋では、時間が止まっていた。

 いや、意図的に止められていたのだろうと思う。几帳面な母もその部屋には入らず、仕事で使っていた万年筆も、最後に父が手を触れたままの状態で放置され、もう一度主がそれを手に取る時を待っていた。父はその部屋を畏れ、母は希望を捨てられず、その部屋に入ることができなかった。

 聡はその部屋の机の下にいる間、父が目を覚まして、自分を捜しても返事をしなかった。塾にでも行ったと勘違いして、悪態をついて諦めるまで息をひそめ続けた。そんなとき、聡は父の蔵書の中で、自分が理解することのできる本を、囚われた檻の小さな窓から日の当たる庭を眺めるような心持ちで読み耽った。その中に、父が小学生の時分、父親から買ってもらったという、ファーブル昆虫記の全集があった。子供向けに書き直された挿し絵の多い本であったが、それでも当時の聡には難しく、ふり仮名をあてにしながら難しい所はとばし、内容を想像しながら、進んでは戻ることを繰り返して、少しずつ内容を理解していった。特にシデムシの章が好きだった。シデムシは動物の死体を好んで餌とする虫で、死体があると出てくることから「死出虫」と名付けられた。別の表記では「埋葬虫」とも書かれ、ファーブルは動物の死体を埋めるこの虫の埋葬行動に興味を惹かれ、さまざまな実験でその行動を調べていた。死体に群がる姿から気味悪がられることの多い虫だが、人間たちの勝手な美意識に反して、こういった虫たちのいるおかげで自然界が死した肉体に覆われず、元の土に帰って行くことができる。彼らは本質的に美化の担い手だった。自然界の掃除人として、非常に働き者であり、ねばり強く、時には仲間同士の協力のように見える行動まで行う、その死体を埋めようとする行動の徹底ぶりに聡は感動した。彼らはキレイにしてくれる。腐敗して毒になる物を埋めて、食べ、浄化する。

 世界は汚ないもので溢れていた。

 キレイにしたい。何もかもをキレイにして、もう一度全てを無かったことにできるはずだ。汚いものから逃れてたどり着いた机の下で、聡はこの虫の生態に希望のようなものを見出した。


 五年生のときだった。父の調子が良い日が一週間ほど続いたある日、聡の遠足のために父が弁当を作ってくれた。聡の両親は以前から共働きで、父は忙しい母の代わりに聡の食事を作ってくれることがあったから、病気になる前だったら驚いたりはしなかっただろう。でも、最近数年間の父からは想像すらできない行動だった。「今は主夫なんだから、これくらいしないとな」と言って、前の日に準備のための買い物に行き、当日は五時に起きて弁当を作り始めた。聡も一緒の時刻に目を覚ましていたが、父が包丁で何か切る音や、父の癖であるブツブツ呟きながら手順を確認するのを布団の中で聞きながら暖かい気持ちに浸っていた。昔の父のままだった。きっと今までのが悪い夢だったのだろう。これからはまた、昔のように父と遊びに行ったり、色々なことを教えてもらうことができる。そう確信した。

 クラスの皆が母親の作った弁当を自慢するように広げているのを横目で見ながら、僕のはお父さんが作ってくれた特別な弁当だと、見栄えのしない弁当を誇らしい気持ちで食べた。世界中の幸福を独り占めした気分だった。中身を全部食べ、帰ってから美味しかったとお礼を言いたくて父の姿を探した。台所やリビングにはいなかった。また、寝ているのだろうかと少しがっかりして寝室を見たが、唸りながら寝ているはずの父の姿はなかった。物置のように使っていた部屋を探し、風呂場やトイレも探した。最後に、いるはずはないが、もしかしたら元気だった頃のようにまた勉強を始めたのではないかと期待しながらあの書斎のドアを開けると、吐物にまみれ、もう息をしていない父がいた。

 空になった安物のウィスキーの壜とゴミ箱の中に大量の薬剤シートがあった。今まで何度も同じようなことはあったが、そのたびに救急車やタクシーで救急当番の病院に行き、担当の医師に迷惑そうな顔をされながら、胃洗浄、点滴をして家へ帰されるというというのがお決まりのパターンだった。しかし、今回は明らかに違っていた。

 一一九番に連絡し慣れた口調で「救急です」と告げ、住所と状況を伝えた。いつものことだが自分の幼い声と落ち着いた対応が電話の向こうにいる相手を戸惑わせているのを感じた。その後、内心はパニックに陥りながら、でも何かしなければならないという思いで、テレビで見た医療ドラマの人工呼吸を必死に真似てみた。アルコールや吐物の臭いがきつく、二度吐いた。いくら吹き込んでも息が入っていかない。テレビで見たときは胸が膨らんで、しばらくすると患者がせき込み、自分で呼吸するようになっていた。父の胸はいくら息を吹き込んでも膨らまず、自分で呼吸することもなかった。救急車が来て、救急隊員が心臓マッサージをしながら病院へ運んだ。救急車の中で色々聞かれたが、いつも答え慣れていた内容を機械仕掛けの人形のように答えた。自分じゃない誰かが勝手に答えているように感じた。病院についてからは待合室で待つように言われた。何度も運ばれたことのある救急病院はその日も混んでいた。吐物で汚れた服を着て座っていたら、知らないおばさんに話しかけられた。はっきりとは分からなかったが、親はどこか、大丈夫かなど言われた気がした。何と答えて良いか分からず、ひたすら「大丈夫です」と繰り返した。しばらくすると母が来て、いっしょに父のところに行った。すでに死後の処置を終え、ベッドに行儀良く寝かされている父を見て、聡は「さっきよりちゃんとしているな」と思った。


 汚いものをこれ以上目にせずに済む、という自己中心的な感想かもしれなかったが、とにかく、父がこれ以上苦しむことはないのだと思うと、深い海に潜り続けた果てにやっと底を見た思いがして、安堵した。

 葬式の雰囲気に飲まれてしまったのかもしれない。遺影を見ながら、うっかり「お父さん」と口に出してしまったら、悲しくもないのに涙が出て、嗚咽がもれた。泣いているのを大人たちに見られるのが嫌で、うつむいて手の甲を抓りながら感情の波が収まるのを待った。

 塾で習ったが、「ミイラ取りがミイラになる」という言葉は、本来、人を連れ戻しに行った者が、先方にとどまって帰ってこられなくなることを意味するらしい。父は臨床家としては熱心な医者であったらしいが、自分が戻って来られない精神科医が、患者を連れて帰れるわけがない。

「精神医学とは人間と医学の空白を埋めるために存在する」

 父は自分の仕事を聡に説明するとき、そんな意味のことをよく言っていた。父が道具として選んだ医学は父自身の空白を埋められなかった。空白に侵入してくるものを止められなかった。それが、鬱だったのか、恐怖だったのか、自殺願望だったのかは分からない。でもとにかく失敗した。その失敗で、父は死んだ。

 具合が悪くなってからは一日に何十回もこう叫んだ。

「俺は、ダメだ!」

 自分で言うのだから間違いない。父はダメな医者であり、人間だった。

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