第6話 舟島小次郎

 舟島節子の孫・小次郎は、K‐1格闘家だった。姥桜院徳子の経営する『任侠ゆたかな家政婦紹介所』で働いていた。節子は徳子が入所する1年ほど前にこの施設に入っており、小次郎の薦めで同じ施設に入ることになったのだ。


 『任侠ゆたかな家政婦紹介所』に依頼の電話が入った。屈強な男の家政婦はいないかとのめずらしいオーダーに、K‐1格闘家の小次郎が出向くことになった。依頼者・岸邸での仕事は、家事と高校生・まさるの通学の送り迎えだった。将はいじめを受けていた。将の兄もいじめを受け、半年ほど前に自殺していた。将の命を守ってほしいとの依頼者の願いだった。小次郎は登下校の将に同行し、授業中も近くで待機していじめに遭った時の将からの緊急発信を待った。数日は何事もなく過ぎたが、登校時、ついに業を煮やした問題の高校生らが人通りの途絶えた辺りで絡んで来た。


「オッサン付添いか」

「将、誰だ、そのオッサン」


 不良生徒たちは怯えて俯く将に執拗に群がった。


「将クン、クソ野郎のホザキは無視しろ」

「なんだとオッサン」


 無視して歩く舟島に、リーダー格の高校生が不用意に手を出した。舟島はその手を掴み、肘を逆折りにすると、バキッという鈍い音がした。悲鳴を上げて転げ回る頭髪を鷲掴みにして、ブロック塀に叩き付けると動かなくなった。仲間の二人は青褪めて逃げようとしたが、一歩早く舟島がその前に立ちはだかった。


「頭がやられたら逃げるのか、クズ。最期まで筋通さんか、コラッ!」

「別におれらは無理矢理誘われただけなんで…」


 そう言うなり、高校生のひとりがいきなりカッターナイフで切掛かってきた。舟島はその腕を捉えた。


「下劣な奴だな、おまえ」


 そういった舟島はカッターナイフの腕を捻じって高校生の首に刺していた。突き飛ばすと一間あって鮮血が吹き出し、痙攣を起こしてから動かなくなった。


 一人残った不良が土下座した。


「助けてください!」

「こいつをどうしてほしい、将?」

「・・・・・」

「将、悪かった…助けてくれよ」

「・・・・・」

「将!」


 不良が逃げようと立った足を救い、浮いた体の腹部に蹴りを入れた。地面に落ちて血を吐きながら這って逃げようとするので、襟首を鷲掴みにして電柱に叩き付けるとそのまま息絶えた。


「急ごう。遅刻しそうだ」


 将は歩きながら惨殺現場を振り向いた。


「心配するな。すぐに仲間が片付ける」


 サイレンの音もせずに救急車が止まって、隊員らしき人物らが素早く遺体を車に運び込んで発車した。法無郎と衝太郎だった。


 授業中の緊急発信もなく下校時間になると、正門を避けて校舎の裏から出て来る将を、数人のガラの悪い生徒らが追って来て取り巻いた。


「おい将、勝又たちに連絡付かねえんだけど、おまえ何か知らねえか?」

「・・・・・」

「そう言えば、おまえ、用心棒を雇ったって本当か?」

「・・・・・」

「本当だ」


 舟島が現れた。生徒らは舟島の圧にビビって構えた。


「やるなら相手になるぞ。手加減はしねえ」

「おっさん、高校生を脅迫するんですか!」


 いきなり舟島の拳がその生徒の鼻を潰した。生徒は泣き喚きながら叫んだ。


「おまえら! 110番だ! 早く110番しろ!」

「プレゼントだ」


 舟島は、喚く生徒の腕を取り、今朝襲ってきたリーダー格が持っていた血の付いたカッターナイフを握らせた。


「おまわりが来たら自首しろ」

「なんだこれ!」

「おまえが頭を刺した凶器だ」

「・・・・・!」

「将、帰るぞ」


 将兄弟は小学校当時から同じ連中のいじめに遭っていた。机に「しね」などと書かれても二人は登校し続けた。拒食症になった子供たちを見かねた両親は、学校や市教委に善処を懇願したが、市教委は「対応している」としたまま一向に事態は改善されなかった。その後、二人が中学に進学しても執拗に「しね」「ころす」などと書かれたメモが、頻繁に机や下駄箱に入れられ続けた。両親は担任や校長にいじめ生徒を特定し、謝罪をさせるよう要請したが、「学校はいじめの実行者を特定する気はない」と突っぱねられた。いじめが保護者会で話題になると、校長は「個別の事案についてはお答えできない」と逃げ、両親の再三の問い合わせに市教委は「メモを入れられるいじめはあった。加害児童はまだ特定できない」と煙に巻いた。そんなある日、将の兄は体育館のバスケットリングで首吊り自殺をしてしまった。


 将を家に送ってから、舟島は買い物に出た。帰りの路地裏で高校生らが舟島を襲った。舟島はバットでの急襲を買い物袋で交わした。中の商品が破損して散乱した。


「おめえら、これ弁償しろ」

「うるせえ!」


 さらに襲ってくる高校生のバットを買い物袋越しに握って奪い、彼らの脳天を叩き付けて気絶させた。狼狽えて逃げようとする一同に、散乱した商品の瓶やジャガイモを命中させ、退路を阻みながらひとりまたひとりとバットで脳天を叩き割った。救急車のサイレンの音が近付いて来た。舟島は素早く姿を晦ました。本物の救急隊が怪我人を収容して去って行った。入れ違いに自転車の警察官が駆け付けた。舟島は物陰からそれを確認して岸邸に向かった。現場には折れて血だらけになった高校生のバットと散乱した商品が残った。


 ある日、高校生らの親たちが舟島を訴えた。惨劇の目撃者が匿名の通報をしたのだ。舟島は警察で事情聴取を受けたが無言だった。しかし、バットの指紋が全て高校生らのものと判明したのと、一切を目撃していた住民が表われて、高校生同士で喧嘩をしていて、通り掛かった舟島は巻き込まれそうになって逃げたと証言したため、舟島は解放された。

 警察の帰り道、舟島の前にその目撃証言をした男が現れた。舟島は強請られると思ったが違った。


「笠井と申します。あのバカ親らに匿名で通報したのは私です」

「・・・・・」

「あの無責任どもに恥をかかせたかった」

「・・・・・」

「私の娘がね…中学生の時にあいつらに殺されたんですよ」

「・・・・・!」

「いじめは小学生の時から続いていた。あんたがあいつらをボコボコニしているのを見て、スッとしたね。心の中では殺してくれと思って見ていた」

「・・・・・」

「あんたには感謝してるよ。私は生温かった。あいつら、娘を自殺に追いやったことを涙ながらに私の目の前で謝罪したんですよ。それを信じた私は許した…私は生温かった! あいつら、死ななきゃいつまでも獲物を漁り続けて…娘のマリが殺されてからだって、何人あいつらの犠牲になったか知れない」

「・・・・・」

「あのガキどもが退院したら、どうせまた犠牲者が出るんだ」


 そう言って男は舟島に深々とお辞儀をして去って行った。


 退院の日、病院の見える場所に舟島の車が停まっていた。助手席には将が居た。


「あいつらで全部か?」

「はい」


 車を発進させようとした舟島がアッとなった。猛スピードの車が、病院を出てふざけて歩く三人の高校生に突進して行った。車の運転席にはあの笠井の狂気の顔が叫んだ。


「マリ! お父さんが仇を討ってやる!」


 急ブレーキの音なく、車は3人の高校生を轢き飛ばし、その後もバックと前進を繰り返しながら、倒れて動かなくなった高校生の体を何度も何度も轢き続けた。


「見たか、将。あれが子供を失った親の哀れだ。おまえが生き続けることがみんなの願いなんだ」

「でも、ボクのために舟島さんは…」


 将は声を詰まらせた。


「気にするこたあねえよ。オレは好きでやってんだから」

「・・・・・」

「将…おまえはもう中学生だから、未必みひつの故意ってのを知ってるだろ。その行為で相手が死ぬかもしれない、死んでもいいと思ってやれば、犯罪なんだ。その事態を放置して何も行動を起こさない者も加担者だ。おまえがいじめで追い詰められているのに、見て見ぬふりをしたのは誰だ? 先公や校長、教育委員会の加齢臭野郎どもは皆いじめの共犯者なんだ。オレはそう思ってる。百歩譲って、いじめの張本人どもを殺るのにオレは何の抵抗もない。掃除と一緒だ。オレは綺麗好きなんだ」

「・・・・・」

「おまえの兄貴は気の毒なことをした。自殺が精一杯の抗議だったんだろうな。だけど、いじめたやつらは屁とも思っちゃいないだろ。寧ろ自殺に追い込んだ達成感で薄ら笑いすら浮かべているはずだ。何事もなかったことにして社会に出て、結婚して、子供を儲けて幸せに暮らすんだ。その間も、おまえやおまえの両親は癒えない傷に苦しみ続けながら、やつらと同じ世界で同じ空気を死ぬまで吸っていなければならない。それが現実だ」


 舟島の声が僅かにぶれた。将は舟島を見た。その目が潤んでいるのを見て、将の悲しみが堰を切った。パトカーやら救急車の音が騒々しくなった。


「帰るか」


 舟島は静かに車を発進させた。


 将を自宅に送り届けて、事務所に戻った。誰もいなかった。舟島は事務所の地下に下りた。地下はトレーニングジムになっていて、家政婦らが男女思い思いにトレーニングに励んでいた。舟島の妻・節子も老体をものともせずにサンドバッグ相手にパンチやらキックをかましていた。


「帰ったのかい、小次郎、」

「お疲れス」

「どうだった?」

「過去の被害者が掃除した」

「…なるほど」


 節子の父は、熊などを狩って生計を立てる “またぎ ”習俗の末裔だった。曾祖父は戊辰戦争の頃、佐竹藩に二百石どりの士分の待遇で『新組隊』という特殊部隊の任に就き、『御用またぎ』として名を馳せた人物だ。格闘家の血が節子にも脈々と受け継がれた。母・節子は小次郎の師でもある。この地下で、K‐1格闘家として未熟な小次郎を鍛え始めたのは節子だった。少しして小次郎の前にキックボクサーの法無郎が現れた。試合勘を磨くために経営者の徳子が雇ってくれた小次郎のスパーリング相手の男だ。法無郎には傷害の前科があった。それはチャンプベルト争奪戦の決勝戦を前に、相手選手のジムが企んだ罠だった。徳子は世間からバッシングを受けた過去のある法無郎を誘った。小次郎は法無郎とのスパーリングでめきめきと腕を上げていった。そんな最中、節子の認知症が発覚した。地下のジムに来た節子が二人のスパーリングを見ていて “やめて ”と叫んだ。様子がおかしいと病院の検査を受けて、著しい認知低下がみられると伝えられた。それから間もなく、ジムで失禁するようになり、日常のあらゆる場で認知障害の症状が出た。小次郎は祖母の節子が認知症で施設に入ることになるなどとは想像もしていなかった。


 節子の代わりに小次郎のトレーナーになったのがスパーリング相手の法無郎だった。法無郎は小次郎に夢を託すようになっていた。特に今回、小次郎がチャレンジするK‐1リーグ戦で決勝まで進めば、決戦相手は自分を罠に嵌めたジムの選手になるかもしれなかった。法無郎にとってキックボクサーとして復帰するには、まずセコンドから小次郎を勝利に導くことが雪辱を果たすことになると考えていた。


〈第7話「メアリーおばさん」につづく〉

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