第5話 どこにも留まることのできない

 俺の目の前にともこが座っている、テーブルを挟んでも近い距離だ。

 彼女は伏せ目がちで黙り込んでいる、もしかして怒っているのかな? 何か話しかけないと……気まずい空気が流れている。俺は緊張して上手く言葉がでてこなかった。

 さっき、強引に誘ったことをともこに謝ろうと思いながら、それも見苦しいからと毅然きぜんとした態度でいようと思い返す。

 店員がおしぼりと水を持ってきて、注文が決まったら呼び鈴を押してくれといったので、メニューを渡して注文を選ばせようとしていたが、ともこはざっと見てから「あなたの好きなものを頼んでください。私は好き嫌いがありません」と言ったので、刺身の盛り合わせと焼き鳥、唐揚げ、肉じゃが、サラダなど無難そうなものを五品と生中を注文した。


 やっと場の雰囲気に馴染んで、料理がくるまで軽い会話を楽しむ。

「この店は地元でも美味しいと評判の居酒屋なんですよ」

 さも、この店に何度も来ているような口ぶりで話す。

「素敵なお店ね。こういうところにくるのはずいぶん久しぶりだわ」

 店内を見回しながら、ともこが言う。

「実は俺も、こんなところに女性を誘うのは何年か振りです」

「そうなの? 私で良かったの?」

「この土地にきて、まだ一年も経たないし、あなたしか知り合いの女性がいません」

「私もこの街にきて半年くらい。知り合いはお弁当屋のおばさんと……」

 言いかけて、僕の方を見て黙ってしまった。

 その後の会話の口ぶりから、ともこは他所から流れてきて一人で暮らしているようだった。僕らはお互い孤独だということは確かなようだ――。もう結婚も女も懲り懲りだと思っていたのに……どこか自分と同じ孤独な匂いがする、ともこのことが気になって仕方ないのだ。

「あのう、あなたの名前を教えてくれませんか?」

「えっ?」

 きょとんとした顔でともこが俺を見た。

 食事に誘って置きながら、お互いの名前も知らないなんて不自然だ。

「俺は千葉聡史ちば さとしといいます。この近くのビルで輸入雑貨の仕事をやっています」

「……私は鈴木すずきともこ。平凡な名前でしょう?」

 そういうと薄く笑った。

 その時、初めて名前を知ったのだが“鈴木ともこ”というのは、目立たないようにしている彼女の印象にぴったりだと感じた。

 名前を知ったことで、二人との距離が縮まったような気がしたのは俺だけだろうか? 

 

「このお刺身、新鮮で美味しい」

 ぶりの刺し身を箸で挟んで口に運ぶ、なんてきれいな箸使いだ。寿司屋のカウンターでは見ることのできない、ともこのしぐさが見られてなんだか嬉しい。

 そういえば、前の妻は箸の持ち方がめちゃくちゃだった。一緒に食事をしていて、それ気になった、何度も直すように注意したが、逆切れされて利かなかった。愛情が冷めてきてからは一緒に食事をするのさえ、嫌悪感を覚えたくらいだった。

 生中で乾杯した後、日本酒に替えた。

 俺のお猪口には絶妙のタイミングで酒が注がれている、サラダを取り分けてあるし、小皿には刺し身用の醤油まで入っている。気づかないうちに、俺のためにともこがやってくれていたなんて……こんな気配りの利く女性だったら、もっと幸せな結婚生活が送れたかもしれないなあ――そんな思いが湧きあがってくる。

 前の結婚でえられなかった家庭的な雰囲気を、俺はともこに求めていたのだろうか。


 瑠庵のメニューには酒の肴がいろいろと揃っている、白子ぽん酢と豆腐とえびの茶巾蒸ちゃきんむしが食べたいと、ともこがいうので追加注文した。

「和食が好きなんですか?」

 旨そうに食べているともこにそう訊くと、一瞬、箸を止めて、茫然とした。

「……和食好きなのに、なんで選ばなかったんだろう」

 遠い目をして、意味深いみしんなことを言う。

「選ばなかったって?」

「フランス料理だったの」

「えっ?」

 その後、ともこは自分のことを少しずつ話し始めた。

 大学卒業後、調理師専門学校で料理を学び、都内のホテルの厨房に就職したという。そのホテルは誰でも知っている一流ホテルだった。寿司職人だった祖父に憧れて、本当は板前になりたかったけれど、女には無理だと祖父にいわれたので板前を諦めて、フランス料理の道を選んだというのだ。

 大学を卒業して、調理師専門学校でフランス料理を勉強して、一流ホテルに就職したような人が、なぜ、こんな地方都市の片隅の弁当屋で働いているのだろうか? 喉まで出かかった疑問を俺はグッと吞みこんだ。おそらく、それは……人には言えない複雑な事情があるかもしれない、それは容易には聞き出すことのできない話だろうと直感したからだ。

 その後、二人は黙々とお酒を飲んだ。久々に酒の友がいて楽しい、ともこが二合、俺は三合も飲んだら、結構、酔いがまわってきた。

 店を出る直前、ともこに携帯電話の番号を訊いたら「私はどこにも留まることのできない人間だから……誰かと繋がりを持つことは避けたいのです」そういって断られてしまったが、「何か困ったことがあれば連絡ください」自分の携帯電話を書いたメモをともこの手に握らせた。――どうにか彼女との繋がりを持ちたいと俺は必死だった。

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