5-4

「……なんでいるんだ」


 部屋を出たノインは、そこにいた意外すぎる人物に向かって警戒心もあらわに身構えた。

 さっぱりとしたブロンドの短髪。生真面目そうに引き締まった顔と立ち姿。着ているのは、紺瑠璃の制服と官給品の黒いトレンチコート。

 いつぞやに出会った、セルジオという公安官だった。


「この建物の前まで来たとき銃声が聞こえたのでな。不躾だが勝手に入らせてもらった」


 壁に寄り掛かるようにしていたセルジオは、ノインを見もせずにそう告げる。


「それでそのまま立ち聞きか? けっこーな趣味だな」

「事件性はなさそうに思えたし、他人が立ち入れるような雰囲気ではなかった。それだけだ」


 ――だったら帰れよ。


 そう思ったが、ノインはあえて突っ込まないでおく。

 それよりもロイのことがあるので、ノインは鋭く気を張り詰めていた。セルジオがレーツェルらと協力関係にある可能性は当然ある。

 だがセルジオは、そんなノインの様子を見透かしたように、目的を告げた。


「俺が来たのはただの使いだ」


 言って、セルジオはコートのポケットから四つ折りの紙片と鍵を取り出し、差し出す。


「……なんだこれ」

「フィデルという老人からだ。ノインに渡せと言われてな」


 どうやらセルジオはこれのためにここに留まっていたらしい。

 しかし彼の言葉を聞いて、ノインは眉をひそめた。赤目の件で会っているので、こちらの顔と名前が一致しているのはともかくとしても、カリーナの店へ掃除に行っているはずのフィデルが、なぜそんな場所でセルジオと出会い、使いなど頼んだのか。


「あのじーさんと知り合いなのか?」

「いや、知り合ったのはついさっきだ。俺はカリーナの知人として彼女の店に行っただけだ」

「……マジか」


 仕事内容的に付き合いがあってもおかしくはないが、世間はなんとも狭いものである。


「彼女が死んだと聞いたのでな。花だけ、フィデル殿に預けてきた」

「……そうか」


 わざわざカリーナのところへ行ったということは、それなりに親交があったのだろう。彼女を助けられなかった後悔が、ちくりとノインの胸を刺した。

 するとそこで、セルジオはノインに聞いた。


「ところで、さっきの話は本当なのか?」


 話とは、魔法使いの真実についてのことだろう。

 銃声を聞いて入ってきたのなら、先の話はほとんどすべて聞かれていたと思っていい。

 ここで隠しても仕方がないので、ノインは彼の問いを肯定した。


「そうだな。俺の聞いた限りだが、マジだと思うぜ」

「…………」

「ま、俺を捕まえるなら今のうちだ。俺は武器を持って市政府の秘密の場所に潜入するつもりだからな」


 言いながら、ノインはいつでも銃を抜けるように軽く身構えておく。セルジオは特殊生物対策課の公安官だが、刑事事件における逮捕なども当然可能だ。現行犯でないので今すぐ逮捕は無理だろうが、危険人物の身柄拘束は可能である。

 しかし今回、セルジオには何か行動を起こそうというつもりはなさそうだった。


「……気を張っているところ悪いが、さっきの話は聞かなかったことにしておく。この件に関して俺が何も知らなかったというのは、俺が知る必要のない情報だったということでもある。下手に首を突っ込めばどうなるかわからん」

「いーのか? 公安官としてよ」

「……公安官とて、自分の身は可愛いものさ。……確かに渡したぞ」


 言ってセルジオは踵を返す。だが、数歩足を進めて、彼は不意に立ち止まった。

 そしてこちらには振り向かず、口を開く。


「お前はカリーナが殺された時のことを知っているのか」

「……ああ。偶然一緒にいたんだ。さっき話してた通り、あいつはコートを着た魔法使いに殺された」

「お前を撃ったのは、ロイと言っていたが?」

「そうだ。見間違えてはいないと思う。あれだけの傷だったのに、ピンピンしてやがったよ」

「…………」


 重い沈黙。

 現在のロイの状況は知らないが、以前セルジオは彼のことを部下と言っていた。責任の一端は感じているのかもしれない。そこでノインは、一つだけ付け足した。


「俺が撃たれたことについては奴と俺の問題だ。お前には関係ねーよ」

「…………」


 セルジオはノインの言葉を聞くと、振り向くことなくその場から立ち去った。

 そしてそのまま、廊下からアウルの店舗スペースに出ていく。しばらくして、玄関口のベルが鳴り、ドアの閉まる音がした。

 その場には、ノインが一人、ぽつんと取り残される。

 ――とそこでノインは、思い出したように手中にある紙片と鍵に視線を落とした。

 見ると紙片は破り取られたメモ用紙で、鍵は、『シェパドッグ』のキーホルダーの付いたカリーナの車の鍵だった。ノインはとりあえずメモ用紙を開いて、中をあらためる。


(……これは……!)


 中を見て、ノインは驚いた。そこに書かれていたのは地図と、いくつかの走り書きだった。

 筆跡はカリーナのもの。

 一緒に渡された鍵のことも考えれば、その意図を読むのは容易い。そして今のノインにとって、これは非常に有用なものだった。


「……カリーナにも爺さんにも世話になりっぱなしだな」


 車の鍵はともかくとしても、フィデルがこのメモを偶然見つけて手渡した可能性は低い。

 たぶんこのメモは、カリーナが生前フィデルに託したものなのだろう。しかも、こうした事態を見越したうえで。彼女らしいというか、驚くべき先見の明である。どうやら彼女は、死んだ後でも人を手の中で転がすのが上手いらしい。


「……行くか」


 呟いて、ノインはアウルの住居スペースを後にする。

 リリ救出はできる限り早いほうがいい。ただ人目には付かないほうがいいだろうから、決行は今晩になるか。撃たれた傷に関しては、ひとたび立ち上がってしまえば、そこまで疼くものでもなかった。無理をしなければ、開くことはあるまい。

 ノインは体の具合を確認しつつ、アウルの店舗スペースを経由して外へと向かう。

 だがその時、ノインは店舗内のカウンターテーブルに置かれていたあるものを見つけて立ち止まった。しばらく考えてから、それを手に取り、コートのポケットにしまう。

 そしてその後、ノインは陰りのない陽光の差す街へと繰り出していった。

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