5-3

 目覚めた時に見えたのは、薄汚れた天井だった。しかしこの天井の形を自分は知らない。


「…………」


 どうやら自分はどこか見知らぬ場所で寝かされているらしかった。

 自身の置かれた状況を把握するため、体を動かす。だがどうもうまくいかなかった。動くと同時に、体からは鈍痛が上ってくる。


「……どこだ、ここは」


 声ははかなく空気に吸い取られ、反響することもなく消えてゆく。


(なんだ……何があった……?)


 思考を巡らせ、直近の記憶を手繰り寄せる。


(確か、アウルに行って……帰りに教会入って――)


 それから、なんだったか。


 ――ノインっ!


 そこで唐突に、彼女の悲痛な叫び声を思い出した。同時に、ぼやけた思考が途端に鮮明となり、記憶は色を取り戻す。


 そうだ――!


 ノインは痛みをこらえて無理やり上半身を起した。

 あの時、自分は教会でロイに銃撃され、意識を失った。その後の記憶は全くないが……どうやら助かったらしい。

 ふと見ると、体には手当が施されていた。

 シャツは脱がされていて、体には何か所も包帯が巻かれている。


(……で、ここはどこだ……?)


 病院なのかと思ってノインは部屋を見回したが、どうもここは普通の民家であるようだった。自分が寝かされていたのは、その部屋の隅に寄せるように置かれている木製ベッド。向かいには雑多に物が入った生活感のある棚があり、近くの壁にはこの部屋の主のものであるらしい衣服と、洗濯済みらしい自分のコートとシャツがかかっていた。自分の足側にある壁にはこの部屋唯一の窓もある。窓の向こうの景色は何でもない路地で、それから察するに、部屋の場所は一階のようだ。いずれにせよ知らない場所だが、こうして助かっている以上、ここは安全な場所なのだろうか。

 しかし、自分はいったいどれだけの時間、意識を失っていたのだろう。

 窓から小さく差し込んでいる陽光を見るに、時刻は昼間のようだが、状況は全く掴めない。

 するとその時、部屋の外から足音が聞こえた。ごつんごつんと響く大きな足音だ。

 ノインは一瞬身構えたが、どことなく聞き覚えのあった足音に、わずかに警戒を緩める。そして、ベッドのはす向かいにあった部屋の戸が開いた。


「……お。目ぇ覚めたか」


 そこにいたのはボスウィットだった。

 彼は氷枕を手にしながら、部屋へと入ってくる。


「……何が、どうなったんだ……」


 ノインは傷の痛みを堪えつつ、こちらに歩み寄ってくるボスウィットに聞く。


「俺がおめぇを見つけてここへ連れてきたのが二日前。けど後の手当てはフィデルだ。爺さんに会ったら感謝しとけ」

「……フィデル? ……ってことはもしかしてここ、アウルか?」


 その問いに、ボスウィットはノインの枕を取り換えながら小さく首肯する。


「そうだ。今フィデルはカリーナの店に掃除に行っててな。その間、面倒見るように頼まれた」


 そこまで聞いて、ノインは置かれた状況と、大体の事情を把握した。

 詳しい経緯はともかく、自分は幸運にもボスウィットに発見してもらえ、アウルに運び込まれて手当てを受けたのだ。おそらくここは、アウルの住居スペースなのだろう。

 だがノインは、そこでひとつ疑問に思う。


(……手当て……できるもんだったのか?)


 自分は相当手酷く銃撃されたはずだった。途中、痛みと失血のせいで意識は途切れたが、最後の――リリが撃たされた弾丸は心臓を貫いたように思えた。そんな人間を回復させることなど可能なのだろうか。しかもその状態の人間に必要となる処置は、手当てなどという生易しいものではなく、たぶん手術だ。フィデルが外科医であったという話は聞いているが、専門の道具や設備は必要になるはずである。

 するとボスウィットは、ノインの疑問を察したように言った。


「フィデルはもしもに備えてここアウルに簡易な医療設備を準備しててな。今回おめぇはそれに世話になったってわけだよ」


 アウルにそんなものがあるとは初耳だったが、それ自体は納得のいく話ではあった。スキューアにはないが、討伐屋拠点にはそうした一定の医療器具の設置が認められている。しかしそれでも、心臓に銃弾を受けて助かった理由にはならないのだが。


「……よく助かったもんだな」


 ――と、そこでボスウィットが顎をしゃくってベッド近くのサイドテーブルを示した。ノインがそこへ視線を移すと、清潔な膿盆の中に、大きく抉り取られたように破損したアクセサリーが一つ置いてあった。


「……マジか」


 呟いて、ノインはそのアクセサリー――銀貨のペンダントを手に取る。

 壊れようからして、これが銃弾の弾道を逸らし、その威力を軽減したのだ。フィデルが洗浄してくれたのか血で汚れてはおらず、銀貨は無傷だったころの輝きのまま、そこにあった。


「おめぇもたいがい運のいい奴だな」

「……あるんだな。こんなこと」


 死者に所縁のある品が、残された者の命を救う。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。


「……あいつが、守ってくれたのかな」


 言いながら、ノインは銀貨を見つめる。と、同時に、これをつけろと怒ってみせた少女の顔も浮かんできた。


「ボスウィット。リリは?」

「……俺が教会に着いたときゃぁ、嬢ちゃんはいなかったぜ」

「そうか……」


 この部屋に彼女がいない時点で察してはいたが、その予想は当たった。『回収』とロイは言っていた気がするが、その言葉からすれば、リリは彼に連れ去られたとみるのが妥当だろう。


「……俺を撃ったのはロイって公安官だった。リリはたぶんあいつに連れて行かれてる。俺を殺そうとしてまで……なんだってんだ」


 ノインは軽く握った拳をベッドのマットレスに叩き付ける。

 するとボスウィットは、小さくため息をついて言った。


「ま、そのことは忘れな。んなことより、おめぇにはやることがある」

「……は?」


 ボスウィットはノインの言葉には答えず、変えた氷枕をベッドのサイドテーブルに置くと、ゆっくりとした動作で入口近くにあった木製の丸椅子に向かう。

 そしてそこに腰を下ろすと、いつもの煙草を一本取り出して唇で挟んだ。オイルライターで火をつけ、一度蒸かしてから煙を肺に入れ、深く吐き出す。そうしてたっぷりと時間を取ってから、ボスウィットは再び口を開いた。


「街を出ろ。ノイン」


 その言葉に、ノインは一瞬思考が止まった。数十秒の思考の間をおいてから、ノインはボスウィットに聞き返す。


「何言ってんだお前?」

「ヴェストシティを出ていけと言った」


 ボスウィットは口から煙を吐いて、先の言葉を補足する。

 だがそういわれても、ノインは彼の言葉を、考えを、理解しかねた。


「出て行ってどうすんだよ。俺にどうしろってんだ」

「何もねぇさ。他の街……そうだな……ここからならウェイクシティが近いか。そこへでも行って普通の仕事に就いて普通に暮らせ。さっきも言った通り、撃たれたことも全部忘れてな」

「……おい――」

「こうなるなら、もっと早く出ていかせりゃよかったのかもな……。シティ間の移住の制限はあるが、できねぇわけじゃねぇんだしよ。まぁ、出発の面倒は見るつもりで準備してあるし、金も、三千ゴルトくらいなら何とか用意してやれる。ウェイクシティはここと協定結んでる街だから、金はそのまま使えるぜ」

「……待てよ」

「仕事も、おめぇは若いからまだいけるさ。なんならフィデルにツテがないか聞いとけ。あの爺さんも、顔は広いからよ。……ただ、正体不明の化け物の出る街からの移住になるからな。最初はいろいろと偏見も――」

「待てっつってんだ!」


 ノインの意思を無視して話を続けるボスウィットに、ノインは激高した。体の痛みも忘れてノインはボスウィットに食って掛かる。


「なんのつもりだ! 街を出てけ? ふざけんな。俺はリリを助けて――」

「助けられるか。今度こそ殺されるぞ」

「俺はあいつと一緒にいると約束した! このまま放りだせるか!」

「……いいから、俺の言う通りにしろ」


 そう言ったボスウィットの瞳は悲しげに伏せられていた。

 だが混乱し、怒りの冷めぬノインは、言葉に棘を宿しつつ彼に尋ねる。


「……お前、何を知ってる?」

「…………」

「答えろ」


 ノインはじっと彼を見据える。


「聞いたら、すんなり街出ていくか?」


 その言葉から察するに、やはりボスウィットは一連の出来事について何か知っているらしい。

 しかしノインとしては、彼の言う通りにはできなかった。


「やだね。話を聞こうと聞くまいと俺は出ていかない。今回のことについてお前が何か知ってるならそれを聞いて、話が終わったらすぐにでもリリを助けに行く。そんだけだ」

「ワガママ言うんじゃねぇ」

「うるせぇ」

「頼むから言う通りにしてくれ。おめぇのためを思って言ってんだ。……世の中には知らないほうがいいこともある。これ以上首を突っ込めば、本当に殺されるぞ」


 ボスウィットの言葉と表情は真剣だった。理由はともかく、彼は本気で逃げろと言っているのだ。そこには彼なりの意図があるのかもしれない。

 しかし――であるならば、ノインの取るべき行動は一つだった。


「…………」


 ノインはベッドで身を起こしたまま、サイドテーブルにあった〈ギムレット〉を手に取った。

 幸い、これは自分と一緒に回収されていたらしい。ノインはスライドを操作して弾を確認した。流れるような動作、この間わずか二秒。そしてベッドで上半身を起こした姿勢のまま、ノインは銃口をボスウィットに向ける。


「……脅すつもりか」

「そうなるのかね」


 するとそれを受けて、ボスウィットも銃――腰のホルスターにあった黒い大型リボルバー、〈ボルガ〉を抜いた。

 そして煙草を咥えたままその場で立ち上がると、ハンマーを起こし、ノインに照準する。


「銃で俺に勝てると思うのか? 青臭いガキが無理すんじゃねぇよ」

「はン。ジジイに片足突っ込んだオッサンは言うことが違うな」

「…………」

「…………」


 その言葉を最後に、二人はそのまま制止する。数秒の時間が経っても二人は動かない。午後の陽光が照らす室内で、彼らは対峙し続ける。そこから一分か、二分か。どれだけ経ったのかわからない。

 だがあるとき、ボスウィットの咥えていた煙草から、はらりと灰が落ちた。

 すると二人はまるで示し合わせていたかのように、同時にトリガーを引き絞った。

 弾が撃ち出され、それはコンマ数秒の世界で飛翔する。そしてその弾頭は各々、着弾した。ノインの撃った弾丸はボスウィットの頬の表面を浅く切り裂き、彼の背後の壁に。ボスウィットの撃った弾丸はノインから大きく外れて、ベッドの下部に着弾した。

 その結果を見て、二人は銃口を下げる。


 この撃ち合いは、いわばチキンレースのような勝負だった。相手を傷つけずにどこまで弾を相手に寄せられるか。昔、ノインが提案した勝負であり、二人はこれで喧嘩の決着を付けることが多々あったのだ。最近はほとんどやっていなかったが、今回の結果は先の通り。


「……引き分けか」


 と、ノイン。ボスウィットの弾丸はノインから外れ、ノインの弾丸はボスウィットを傷つけた。つまり双方負け。引き分けである。

 だがボスウィットはぽつりと言った。


「引き分けなもんかよ」


 言いながら、ボスウィットは床に転がった〈ギムレット〉の空薬莢を拾う。


「おめぇ、こっちの弾道を逸らしやがったな」


 と、それを受けて、ノインは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「……本当は、もっとうまくやるつもりだったんだがな」


 ボスウィットの言葉は正しかった。ノインはこの勝負に確実に勝つため、〈ボルガ〉の銃口の位置や角度から弾道を予測し、自身の弾丸をぶつけることでボスウィットの弾丸の軌道を逸らしにかかっていたのだ。そしてそれだけでいえば、目的は達成していた。

 あとはこれで、こちらの弾がボスウィットを傷つけず彼の直近に着弾していれば、完全勝利だったのだが。

 ノインはベッドの上に〈ギムレット〉を放る。


「ったく、大して距離もねぇのに思い切ったことしやがる」

「相手の妨害がダメなんざルールにないしな。……正確無比なお前の射撃に対抗するには半分運任せでもこうするしかねーだろうが」

「は。なるほど」


 そしてしばしの沈黙の後、ボスウィットは言った。


「いい弾だ。やっぱり俺の負けだな」


 ボスウィットは咥えていた煙草を携帯用の灰皿にねじ込むと、おもむろに部屋の窓を開ける。無人の路地から吹き込んだ風が、部屋の火薬の匂いを大雑把にかき混ぜた。


「……んなあいまいな基準で勝ったって言われても、すっきりしねーな」

「あいまいじゃねぇ。事実だ。昔言ったろ? 弾丸の本当の炸薬ってのは覚悟なんだ。ぶつかってこっちの弾が弾かれたってことは、俺の覚悟炸薬が弱かった証拠だよ」

「…………」

「いつの間にか、あんな弾が撃てるようになってたんだな」


 言葉尻、彼は笑っていた。でも振り向いたその顔は、少し寂しそうで。

 しかし彼はすぐにその表情を消して、言った。


「ま、約束だ。話してやるよ」

「……いいのかよ。お前がここまで話し渋るって、相当だろ」

「ふん。勝負しかけてきたやつが今更何言ってやがる」

「…………」

「それにこんな状況だ。仕方ねぇだろうとは思うからな」


 そう言いつつも、やはり彼は逡巡しているように見えた。

 しかしボスウィットは軽く一息つくと、開けていた窓を周囲に人がいないことを確認してから閉め、立ったまま近くの壁に持たれるように姿勢を変えた。

 そして一言ずつ確認するように、言葉を紡ぐ。


「まず、そうだな……嬢ちゃんのことから話すか」

「…………」

「一応憶測とは言っておくが、今あの子はフラグメント――それも表面的なものじゃねぇ、組織の最深部にいるだろう」

「……最深部……?」


 彼女の力を市政府側が知っている可能性は、考えてはいた。なのでそれを踏まえれば、彼女がフラグメントにいるというのはおかしな話ではない。

 しかし、その最深部とはどういう意味だろうか。


「実は一般的に知られているフラグメントってのはあくまで表面的なもんだ。言っちまえばフラグメント自体、体裁上の組織で、お飾りなんだよ。これはフラグメントの所員すら知らねぇことだろうが、この街で魔法使いを真に研究してるのは、昔から二人だけだ。もっとも、うち一人は俺も詳しくは知らねぇがな」

「……組織じゃなくて、個人が研究してるってのか?」

「まぁ、当然そいつらも市政府と繋がってはいるし、所属もフラグメントになってるだろうがな」


 何でわざわざそんなことを。そう思ったが、今その疑問は、とりあえず頭の片隅に追いやっておいた。


「……で、リリはそいつらのところにいるってか?」

「そうだ。けどそれは、あの子の『元いた場所』でもある」

「何?」


 これは少々予想外だった。ボスウィットは自分と出会う前のリリのことを知っているらしい。


「……お前、どこまで知ってるんだ」

「さぁな。けど、お前よりは知ってるだろうな」

「…………」


 ノインは無言で続きを促す。話してやると言われたからには、話してもらうつもりだ。

 そしてある時、ボスウィットは言った。


「……ノイン。あの子はな……ソフィアの残したペレットから作られた存在なんだ」


 ◇ ◇ ◇


 リリ――その存在が作られたのは、ソフィアが死んで三月も経たないうちのことだった。

 その当時、ボスウィットはソフィアの残したペレットをノインにも秘密でスキューアに保管していた。本来、回収したペレットを個人的な理由で長期間保管するのは規定違反なのだが、ボスウィットは、彼女の遺体ともいえるペレットをどうすべきか決めあぐねていた。

 加えてボスウィットは、ソフィアの事件以降、個人的に魔法使いという化け物について調べており、その中で、市政府と魔法使い絡みの『ある噂』も耳にしていた。ペレットの提出を渋っていたのはその辺りの理由もあったのだ。

 そしてそんな時、ボスウィットはあの男に出会ったのだった。


 ある夜、スキューアに一人の男が訪ねてきた。

 霧は出ておらず、ノインも出勤していない日のことである。


「誰だ?」


 玄関のドアベルの音に気づいて、ボスウィットが住居スペースから顔を出す。すると、玄関先にはスーツ姿の男が一人立っていた。


「夜分に失礼します。ヨハン・レーツェル――フラグメントの研究主任を務める者です。お邪魔してもよろしいでしょうか」


 切れ長の目が特徴的な、痩躯の男。彼の第一印象はそれだけだった。

 ボスウィットは肯定の意を込めて住居スペースから出ると、いつものカウンターに着いた。そしてレーツェルという男も、ボスウィットが示すままに、カウンターの座席に座る。


「何の用だ?」

「ここで保管されているペレットについて、お伺いしたいことがありまして」


 その一言で、ボスウィットは彼の目的がソフィアのペレットであることを察した。彼女の事件はノインが公安に話しているし、先に男が名乗った肩書きが嘘でないなら、彼が知っていても不思議ではないだろう。

 しかしボスウィットは、彼の申し出を即座に断った。


「……悪いが、今は少し待ってくれ」


 市政府が強制回収にでも来たのだと合点し、言う。だがその言葉に対し、レーツェルは少し笑いながら返した。


「私がここに来たのは回収ではありませんよ。先も言いましたが、そのペレットについて、いくつかお話をと思っていまして」

「話……?」


 そしてレーツェルはソフィアが襲われた時のことをいくつか尋ねてきた。ボスウィットはあの場に居合わせたわけではなかったが、ノインから状況は聞いている。

 そして一通り話を聞き終えると、レーツェルは口を開いた。


「一つ、ご提案をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「……提案だと?」


 するとレーツェルは、こんなことを言い出した。


「あなたの保管しているペレットを私に預けてみませんか? 私なら被害にあった彼女を元に戻せるかもしれない」

「なんだと?」

「まぁ、確実に、とは言えませんが」


 言ってレーツェルは目をすっと細める。

 ボスウィットはそんな彼を静かに見据えた。


「……ずいぶんと周りくどいやり方をするもんだな。けど、そんなもんに騙されるほど頭は悪くねぇよ」


 ボスウィットは煙草を取り出し、


「悪いが帰ってくれ。そんなやり方で回収に来られても、渡す気にはならねぇんだ」


 と、そのまま住居スペースへと引っ込もうとする。

 だがそんな彼の背中に、ある言葉が投げかれられた。


「ペレットという物質には、その魔法使いの遺伝子――生物の設計図が封入されています」


 言ったのは、当然レーツェル。

 彼はボスウィットが立ち止まったのを見ると、話を続けた。


「彼女は魔法使いに寄生されてペレットが残ったということのようですが、それならば、彼女の遺伝子情報もそこに残っている可能性があります。しかもペレットというものは非常に特殊なものでして、それを残した生物の人格や記憶に至るまでのすべてがそこに残留しています」

「……そりゃすげぇな」


 静かに、だがわざとらしく、ボスウィットは言ってみせる。当然、そんな話をボスウィットは信じていなかった。どう聞いても、空想話にしか思えない。

 しかしレーツェルはボスウィットの反応を当然だと前置きしたうえで、こう切り出してきた。


「……ホロ・ファクトをご存知ですか?」


 ホロ・ファクト。一般常識として、その存在はボスウィットも知っていた。

 正式名称は、虚ろな工芸品(ホロウ・アーティファクト[hollow artifacts])。この世界の歴史にある『長期空白』の期間に存在したとされる人類の遺物だ。今も多くの分野の学者が、各地域の統治機構と連携して解析に躍起になっている。

 長期空白とは、今からちょうど二百~五百年前の時代を指した言葉であり、歴史書などでは『空白の時代』などとも呼ばれている。

 名前の由来は読んで字のごとく。その時代の歴史的な記録がほぼ完全に途絶えているのである。人類の存在を示す『虚ろな事実ホロ・ファクト』はごく僅かに存在するが、多種多様な上に技術的に高度すぎるものが多く、ほとんどが解析不能となっている。

 ちなみに過去、この街の地下からもそれが発掘されたと市政府は発表している。もっとも、それは既に調査済みで、しかも大したものではないという話だったが。


「一応、内密に願いたいことではありますが、実はこの街のホロ・ファクトは非常に稀有なものなんですよ。その力を使えば、先に言ったことは可能かもしれません」

「……今度は空白の時代の遺物まで持ち出してきたか。お前さん、魔法使いの研究より空想小説でも書いたほうがいいんじゃねぇか?」

「嘘は言っていませんよ。なんなら見に来ていただいても結構です。ご案内しますよ。この街の地下一帯に広がる、巨大なホロ・ファクトをね」

「…………」


 聞けば、この街の地下にあるホロ・ファクトは複数の装置で構成されたもので、まるで工場のようなものであるらしい。しかも市政府は、今でも極秘裏に調査を行っているのだとか。

 そしてレーツェルの話では、その巨大な遺物の一部機能を使えば、ペレットに含まれる情報から人間を復元することが可能かもしれない、ということだった。


「……怪しいもんだな。お前さんにどんなメリットがある。そんなにまでしてあのペレットが欲しいのか」

「私は魔法使い研究のためにそれを調べたい、それだけです。その過程で、あなたは死んだ人間を蘇らせることが叶うかもしれない。あなたにデメリットはありませんよ。それにずっと保管しているとなれば、相当大切な方だったのでしょう?」


 彼の理屈が正しいならば、死ぬ直前の記憶や人格を持った状態で、人間が――ソフィアが蘇るということになる。彼女はすでに死んでいるので、僅かな可能性に賭けるにしても、それそのものに不利益はない。

 しかし。


「できるのか……本当にそんなことが」

「ええ。ただ、先ほども申し上げた通り、成功をお約束はできません。やるとなれば最善は尽くしますが、そのホロ・ファクト自体、完全解析には至っていませんし、人体の復元技術そのものも確立したものではありません。彼女のペレットが特殊状況下で出来上がったものであるが故に、可能性があるという程度にお考えください」

「…………」


 ボスウィットは迷った。

 当然、彼が自分を嵌めようとしているという可能性は十分にある。彼がソフィアのペレットを欲しているのは事実なようだし、騙し取られて終いかもしれない。話によれば、復元が成功する確率もかなり低いようだ。

 しかしそれでも、とボスウィットは思った。

 万に一つの可能性でも、もう一度彼女が戻るのならば――そう思った。

 するとそこで、ボスウィットは彼にある取引を持ちかけた。


「あんたが市政府側の人間なら、一つ答えて欲しいことがある。それの真実を嘘偽りなく答えてもらえるなら、話に乗ろう」


 ボスウィットはカウンターの下に忍ばせた手に、すでに〈ボルガ〉を握っていた。相手が怪しい動きをすれば、すぐに突きつけられるように身構える。


「あなたに、私の話すことが真実である証明はできないかと思いますが」

「構わねぇよ。こっちが判断することだ。嘘だと思えば、この話はなかったことにしてもらう」

「…………」


 レーツェルは、承諾の意思を沈黙で示す。

 そしてボスウィットは、魔法使いを調べるなかで得た『ある噂』の真偽についてレーツェルに問い正した。

 すると彼は、それをあっさりと認め、真実である証明とばかりに、その種明かしをも始めた。


「――と、この程度で、信じていただけますかね?」

「…………」


 一通り話を聞いたボスウィットはただ黙りこくった。

 それしか、できないでいた。

 だがあるとき、ボスウィットは言った。


「……いいだろう。ソフィアが戻るなら、悪魔とでも手を組んでやる」


 そしてそれから、ソフィアのペレットはレーツェルの手によって、培養整形が開始されることになったのである。


 ◇ ◇ ◇


「……それが、リリだと?」


 そこまで話を聞いて、ノインは変わらず壁にもたれかかっているボスウィットに聞く。


「そうだ。嬢ちゃんはレーツェルという男が、ソフィアのペレットから作ったもんだ。嬢ちゃんがソフィアにどことなく似てるのも、たぶんそのせいだ」

「……やっぱり、お前も気づいてたのか」

「ああ。おめぇが連れてきた時から感じてたさ」

「……けど、ソフィアのペレットから、だと……」


 ノインとしては終始疑問だらけだった。

 ペレットに遺伝子や記憶が残るというのも初耳だが、それよりも人間を意図的に作り出せる技術とは。ノインもホロ・ファクトについては人並みに知っているが、あまりにも突飛な話だ。


「リリが魔法使いとしての能力を持ってるのも、ペレットが関係してるからか?」

「たぶんな。ペレットからの人体復元ってのは、ペレットそのものを特殊な装置で培養していくらしいから、魔法使いとしての特徴が出ても不思議じゃねぇな」

「でも、その割にリリの見た目はちゃんと人間だぞ? それに、ソフィアの遺伝子から作られたっていう割に、あいつはソフィアの特徴なんて持ってねぇじゃねえか」


 そこで、ボスウィットは再び煙草を取り出す。だがボスウィットはそれには火をつけず、不意に顔を曇らせた。


「あの子は、失敗作なんだよ」

「何?」

「あの子がなんで魔法使いのようであってそうでないのか、その辺の理屈までは俺も知らねぇ。……ただ一つ言えるのは、ソフィアの復元はできなかったってことだ。失敗作ってのはそういう意味だよ」

「…………」

「ソフィアの人体情報なんざ、なにも持ってない。それどころか、作られた当初、あの子は人の形すら保たなかった……ただの黒い塊にしかならなかったんだ。俺はその場に居合わせたわけじゃねぇが、その瞬間の写真と映像が、後日レーツェルから送られてきたよ。……ご丁寧に、失敗を謝罪する電話までよこしやがった」


 小さく鼻を鳴らして、ボスウィットは笑ってみせる。


「けど、じゃあ、なんで今あいつは……」

「ま、何かがあったんだろうな。あの子はある程度の知識や、ソフィアの漠然とした記憶まで残して、人になったんだ。……おめぇが連れてきたとき、驚いたよ。ソフィアの面影があった時点で、嬢ちゃんがあん時のモンだってのは直感したけどな」


 その話から察するに、どうやらリリの記憶は失われたのではないらしい。彼女としての記憶はたぶん、その人となった瞬間からのものなのだろう。そして知識に関してはソフィアのものと紐付く形である程度残っただけに過ぎないというわけだ。


「……リリの過去を知ってる割に、人になった経緯なんかは知らねーんだな」

「ああ」

「じゃあお前とそのレーツェルってやつの関係は今どうなってんだ? 今回のことに、お前自身はどこまで関係ある?」


 ノインは事情を予想し、少しだけ語気を荒げる。


「……繋がりが全くないわけではねぇな。今回のことも、俺が絡んでないとは言えねぇ」

「すっきりしねー答えだな」

「……実際、微妙なラインではあるんだ。俺は奴から謝罪の電話があったとき、手を切ると伝えてる。……臆病風に吹かれてな」

「……臆病風?」

「ああ。情けない話、何か不気味な――自然の摂理には反したもんを生み出しちまったってのが怖くてな。そしてそうなったとき、悪魔の計画に加担しちまった事実が、やけに恐ろしく感じたのさ」


 ボスウィットはそこで言葉を切る。


「……その、悪魔の計画ってのは……?」

「市政府と魔法使いの噂――この街の真実さ」

「真実?」 

「あの化け物のことだよ。……市政府は、レーツェルに魔法使いを研究させ、のさ」


 あっさりと告げられたその言葉に、ノインはぽかんとした。そして彼の言葉が脳内に染み渡ると同時に、辛うじて一言紡ぎだす。


「…………冗談だろ?」


 ノインは、苦笑いしながら言った。

 だがボスウィットの顔は真剣そのものだった。


「残念だが本当だ。本来これは市政府や公安のお偉いさんしか知らないことだが、レーツェルは、市政府の援助を受けて地下のホロ・ファクトで化け物――魔法使いの研究と製造を秘密裏に行ってる。ここの地下にあるホロ・ファクトが持つ機能は本来はそっちがメインらしくてな。さっき言ったペレットを培養する装置ってのも、本当はペレットから人を作るものというより、化け物作りに必要な人体をゼロから作り出すためのものだ」

「化け物作りに必要……?」

「ああ。魔法使いを作る材料になるのは、生きてる人間だからな」


 その言葉に、ノインは静かに息をのむ。


「魔法使いを作る過程で、生物に何かを投与するらしいんだが、それが一番適合するのが人間なんだとさ。……もっとも、人体製造装置の方の解析は不十分だから、材料になる人間は市政府が区画外で極秘裏に捕まえてくるらしいがな」


 ノインはその言葉に呆然としつつも、必死に思考を繰り返す。そして辛うじてまとまった言葉を口にした。


「……市政府はなんでんなことやってんだ……?」

「魔法使いの軍事利用、それが奴らの目的だ」

「……あの化けモンを兵器にでもする気か」

「そうだ。厳密には兵士だな。作られた魔法使いを実戦に近い形で街の中で戦わせ、回収されたペレットを解析して、戦闘情報を蓄える。そして、そうした情報を踏まえて、次の魔法使いにはより有効な行動パターンや戦術を刷り込みインプリントしていくんだ。まぁ、これが難解でかなり難しいらしいんだが……とにかく、それを繰り返して理想の兵士を作るのが市政府の目的だな」

「理想の兵士……」

「そう。強靭で、命令に従順で、躊躇いなく人を殺し、街を蹂躙できる殺人マシーンだ。この街の地下にあるホロ・ファクトはそうした兵士を制作可能なシステムが一通り揃ってるものだったのさ。それも、レーツェル一人で開発、製造可能なほどの高度な技術で作られた自動工場オートファクトリーだ」


 そこでノインはボスウィットの表情をちらりと見る。

 だが残念なことに、彼が嘘や冗談を言っているような素振りは一切見受けられなかった。


「……でも軍事利用って……魔法使いがのさばってるせいで街は滅茶苦茶じぇねぇか。本末転倒もいいとこだ」

「統治機構にとって、わかりやすい恐怖ってのは利用しやすいもんなんだよ。支持も集まるし、煙ったがられる傾向のある治安組織だって市民はある程度受け入れるようになる」

「そうは言っても、その化け物に殺されるリスクはどうしたって……」

「ノイン。魔法使いはどこから来る? 地下のホロ・ファクトから繋がる魔法使い排出口は区画外にあるんだ。で、この計画を知ったうえで推進してるような連中は市政府の高官とか、一部の資産家とか、そういう連中だ」

「……一番街や二番街にいる人間に被害は出にくいってか」


 魔法使いが外縁からやってくる理由はそういうことであるらしかった。

 ボスウィットが言うには、ここのホロ・ファクトには、出来上がった魔法使いを自動的に外部に排出して防衛装置として利用できるように機構が備わっているらしく、その排出口というのがいわゆる『巣』にあたるという。またこの自動化された排出口は魔法使いの回収・休眠も可能とのことで、この場所は、市政府によって巧妙に秘匿されているらしい。


「ノイン。この街はな、馬鹿でかい実験場さ。街中の時計台の鐘が鳴った段階で排出口に『帰巣リターン』するように刷り込んでおけば、経済的な影響の少ない夜だけ活動させて戦闘データの収集ができる。いつもの霧も、ホロ・ファクトの稼働で排出される特殊な成分を含んだ水蒸気でな。刷り込みとは別に魔法使いをその範囲に留める効果がある。それを区画外含めた街全体の地下インフラの換気口を使ってじわじわと吐き出せば、それは檻になるってわけだ。この街は、あの化け物どもの実験に特化した場所なんだよ」

「……じゃあ、なんだ。俺ら討伐屋は、化け物の戦闘データ収集に協力させられてたってことなのか?」

「そうなるな。まぁ、討伐屋制度自体は魔法使いがらみで何かあった時の保険みてぇなもんだろうがな。結局なり手は少なかったが」


 そしてボスウィットの話では、『ナハトレイド』というのも、ある種の安全装置であるらしい。


「二十五年前の魔法使い出現事件なんかも、市政府が仕組んだことなのか」

「たぶんな。排出口を隠すための人気のない場所と、化け物の材料にしても問題が出にくい人間。それが同時に出来上がるわけだ」

「人間が材料、ね。何度聞いても胸糞悪ぃ話だ」


 つまり自分は、知らなかったとはいえ元人間を殺して生活していたことになる。一度あの化け物になった人間を助けられるとは思えないし、そうなれば殺すしかないのかもしれないが、その事実はなんとも不快なものだった。


「魔法使いの力が人間のものを強力にしたような感じになるのも、人間が材料だからなのか?」

「ああ。レーツェルはそう言っていたな」


 しかしボスウィットの答えを聞いて、ノインはあることを疑問に思った。


「……じゃあ『魔法』ってのはなんなんだ。あんな力、人間にはないもんだ」


 あれだけは明らかに人間には備わっていない力だ。人間がベースとなっていて、その力を増強しているのなら、あれは一体何だというのか。


「……魔法に関しては例外だそうだ。あれは、レーツェルにも解析できていない力なんだよ。だからこそ、『魔法』で、『魔法使い』だ。市政府が出してる魔法使いについての見解は嘘だらけだが、ことさら魔法に関しては嘘じゃねぇんだよ」

「……じゃあ、特殊個体ってのは?」

「特殊個体は試験的にいろんな特性を組み込んだ魔法使いのことだ。ソフィアを襲ったのもそうだし、この前お前が出会った『赤目』ってのもそうだろう。最近二番街でやたら広範囲をぶっ壊した魔法使いなんてのもいたが、たぶんそれもだ。……まぁなんとなく、二番街の件は市政府も想定外だったように思うがな。あんな奴で実験なんか始めたら、それこそ街がなくなる」


 もしボスウィットの言う通りなら、セルジオらが自爆する魔法使いと戦っていたのは、想定外の事態が起きた後始末ということだったのかもしれない。

 そして全ての公安官らや市職員がこの事実を知っているとは思えないので、一連の『実験』は市政府や公安の上層部を中心とした一部の者の力で、密かに進められていたのだろう。


「そのレーツェルってのは何者なんだ?」

「奴のことは俺もわからねぇ。市政府の協力者なのは確かだが、公的な資料は一切ねぇんだ」

「ロイに関しては?」

「……お前を撃ったやつか。何か思惑があって、個人的にレーツェルに協力してるのかもな」

「レーツェルの目的は市政府と同じなのか?」

「……さぁな」

「じゃあもう一人の研究者ってのは? 研究者は二人いるんだろ」

「ああ、そいつは、助手って話だ。何年も前にレーツェルの元を離れたらしいがな。まぁ、俺も詳しくは知らねぇよ。奴と手を切るまで、顔も見なかったしな」


 そしてそこで、ノインはふと尋ねた。


「……そういやお前、手を切ったっていうけどよ。よく逃がしてもらえたもんだな。口封じに殺されると思うんだが」

「……確かにな。秘密の秘匿は当然求められたが、あっさりしたもんだったよ。……まぁ、あいつとしちゃ、ソフィアのペレットが研究できれば、それでよかったのかもな。電話では、あまり街の人間を殺したくねぇとか言ってやがったが」

「電話?」

「お前が撃たれた日にな、奴からかかってきたんだ。嬢ちゃんを引き取るってな。奴は一週間ほど前に、嬢ちゃんがここにいることを突き止めてたらしい」


 そしてボスウィットはその電話を受けて、ノインを探しに出ていたということだった。

 加えて、街の人間を殺したくないという言葉は、ノインの死に対して出たものであるらしく、それは彼自身の目的のためにそうしているような感じがあったとボスウィットは語った。


「一人の人間でも、できる限り生かさず殺さず置いておきたいってことか? いったいなんのために……」


 ボスウィットの話によれば、レーツェルの起こしたボスウィットに関する行動は、すべて彼の独断であるらしかった。つまり彼は、市政府とは別の目的で動いている可能性が高い。となると、彼は市政府ですら知らない謎の目的をもって動いているかもしれない。

 ノインは思考の読めぬ彼に対し、うすら寒いものを感じた。


「レーツェルはリリをどうしようってんだ……リリが急に人の形になったってのも気になるが、そもそも何でレーツェルはソフィアのペレットに目を付けた」

「……さぁな」

「他にも繋がらねーことがある。あの日、なんでリリは魔法使いなんかに連れられてた? リリを大がかりに探さなかったのは、自分の計画を悟られないようにするためかもしれねーが、なんで回収を一週間も伸ばした? それに――リリを引き取る時、ロイはなんでわざわざリリに俺を殺させたんだ」


 最後に関しては自問のように。

 あれに関しては謎だ。状況から、ロイがレーツェルに協力しているのは確実だろうが、街の人間を殺したくないというレーツェルの言葉が真実だとすれば、わざわざ殺さなくてもやりようはあるはずだった。それに、たとえ殺す必要があったとしても、彼女に銃を撃たせることに、意味はないように思う。ロイの性格からして気まぐれということも考えられるが、それも少々腑に落ちない。

 と、そこでボスウィットは、持っていた煙草を火を着けないままでくしゃりと握り潰した。


「ま、いろいろ疑問はあるだろうが、俺が知ってることはこれくらいだ。これ以上は大して答えられねぇ。……けどすまねぇな。俺がもっと早くにおめぇと嬢ちゃんを引き離していたら、たぶんこんなことにはならなかった。撃たれたことは、恨んでくれてかまわねぇよ」

「…………」


 そして、二人の会話が途切れた。

 何とも言えぬ沈黙が場を支配し――だがしばらくして、ノインが沈黙を破った。


「結局ソフィアは、市政府やらレーツェルやら、そういう馬鹿どもの実験やら研究のせいで殺されたってことなんだな」

「……そうなる」

「なんで……今まで黙ってやがった」


 この際、自分がボスウィットのせいで撃たれた云々はどうでもいい。

 だが、この真実を話してくれなかったことは別だ。知っていればなんとかリリを守れたかもしれない。それに、ソフィアのことでもあるのに秘密にされていたというのが腹立たしい。

 だがボスウィットは淡々と答えた。


「この話聞いて、おめぇが大人しくしてたとは思えねぇ。そうなれば、その時点で二人とも殺されて終いだっただろうな」

「…………」


 それは確かに、そうかもしれない。今だって、すぐにでも飛び出して、そのレーツェルという人間や市政府の高官連中を片っ端からぶん殴ってやりたい気分なのだ。もし、ソフィアを失って間もない自分がこの話を聞いていたら、比喩でもなんでもなく、狂った獣のように復讐に走っただろう。

 けれど、けれども。

 自身の知り得ぬところで動いていたいくつもの闇と、真実。それがノインには悔しかった。

 だが、ボスウィットは静かに言った。


「けど、いいかノイン。連中に復讐は考えるな。無駄死にすることになるだけだ。……俺はレーツェル一人に目をつけられただけだったから命は助かってるが、それがもし市政府に知られたら、完全に消されることになる。……カリーナみたいにな」

「……カリーナ……だと……」

「そうさ。これもさっきの電話で聞いたんだが、カリーナはこの街の真実を調べまわってて市政府に殺されたんだ。今回動いたのはレーツェルらしいがな」


 ノインは片手で頭を抱えるようにしながら、呆然と彼の言葉を聞いていた。


「確か、コートを着た魔法使いだったか。聞いたことはねぇが、レーツェルの作ったモンだろうさ。暗殺技術でもインプリントしたのかね」


 その後ノインは、ただただ無言で俯いた。その胸中にはどうしようもない負の感情がわだかまり、渦を巻く。混沌とした感情が思考に這い寄り、すべてを黒く塗りつぶした。

 しかしノインは、時計の長針が二周ほどした頃、ぽつりと口を開いた。


「……なぁ、ボスウィット。お前は真実を知って、なんで普通に日々暮らせてたんだ。魔法使いの真実を知って、それでなんでソフィアのペレットを奴に預けた」

「わずかな可能性でも、あいつを取り戻せるならと思ったのさ。それに、でかい組織の思惑に一個人が抗えるわけがねぇ。それなら、いっそ利用するのも賢いやり方だろう」

「それで、事実には目を瞑るってのか」

「……そうだ。魔法使いの実験が済むまでの辛抱だよ。軍事侵攻始めりゃわからねぇが、一定のデータが集まりきれば、少なくともこの街でバカな実験はやらないようになるだろ」

「で、俺はここから逃げて暮らせと」

「おめぇの状況なら、それも手なんだよ。連中の目的はとりあえず嬢ちゃんだけだったみてぇだから、この街を出て連中に目さえつけられなけりゃ、平穏に暮らせるさ。軍事侵攻があっても、協定を結んでるシティへは行かねぇだろうしな。……それにまぁ、そもそもお前にはいずれ討伐屋を辞めてもらって、他の街へ移ってもらうつもりだったんだ。出発金の貯金は、ちょっと間に合わなかったがな」


 どうやら、先刻渡せると言った三千ゴルトというのは、この貯金のことであるらしい。


「……リリはどうする気だよ」

「どうもねぇ。嬢ちゃんはここへ来る前の状態に戻った。それだけだ」

「このまま放っておくつもりかよ! 連中は化け物作って街全体を実験場にするような奴らだぞ!? あいつが無事に過ごせるわけないだろ!」

「……俺だってあの子を見捨てたくはねぇとは思うさ。だがなノイン。本来、あの子は生み出していいものじゃなかったんだ。おめぇも、少なくとも最初は、あの子の持つ面影を不気味に感じたんじゃねぇのか?」

「…………」

「それが証拠だ。あの子は化け物の残骸から出来上がった、ソフィアの亡霊なんだよ」

「っ!」


 その言葉を聞いて、ノインの中で何かが切れた。

 ガシガシと頭をかいて、ノインはベッドから足を下ろす。靴を履いて、――少し体が痛むが、そのまま立ち上がる。そして壁の前で立つボスウィットのところまで行くと、彼のシャツの胸ぐらを強引に掴んだ。


「ようやくわかった。てめぇはやっぱり大馬鹿野郎だ。初めからそうだ。リリが失敗作だとかソフィアじゃねぇとか……挙句亡霊だと? 勝手に作っておいて自分勝手も大概にしろよ! あいつは亡霊なんかじゃねぇ! 今ここに生きてるだろうが! 作られてようがなんだろうがここにいるんだってのがわかんねぇのか!」

「……じゃあ聞くが、あの子の人格や命は本物なのか? あの子の意識の底にいるのはあくまでソフィアだろう。出来上がった人格も命も、不自然に作り出されてソフィアが混じったものだ。あの子の本物の人格なんざどこにある?」

「やかましい! 命に本物も偽物もあるかよ! あいつは生きてる。そんだけだろうが!」


 ――私――ノインとずっと一緒にいたい。


 思い返すのは、教会で告げられた彼女の言葉。

 その声音も、表情も、確かに生きていた。

 亡霊ではない。ましてや偽物のはずはない。

 彼女は意思を持って、そこに生きているのだ。


「お前は結局、ソフィアが死んだことなんざまともに受け止めてなかったんだろ! だからそんな怪しい奴と手を組むようなことになるんだ! ふざけんなクソオヤジ!」


 ノインは大声で一気にまくしたてる。

 だがそこで、ボスウィットはノインを突き飛ばすようにして、その手を振り払った。


「……られるかよ……」


 その声はいつになく小さい。だが次に、ボスウィットは悲痛な声で叫んだ。


「受け止められるかよ……! 簡単に諦めきれるかよ……! あいつは……――ソフィアは、俺の実の娘かもしれなかったんだからな!」


 ◇ ◇ ◇


 ――男には昔、家族がいた。妻と、生まれたばかりの娘が一人。

 娘の名は、ソフィア。珍しい、赤い瞳を持った子供だった。

 巷では魔法使いという化け物の出現が問題になっている頃だったが、男とその妻はそんな状況の中でも小さな命が感じさせてくれた幸せに感謝し、生きる気力を彼女から貰っていた。

 そして子供が生まれたのを機にして、男は営んでいた小さな道具屋を妻に任せ、家族を守るために討伐屋という職業を選んだ。

 だがある日、その家庭は唐突に壊された。

 討伐屋であった彼が仕事に出ていた間に、彼の家――自宅も兼ねていた道具屋が、魔法使いの襲撃を受けて半壊したのだ。家に残っていたのは大量の血と無残に食い荒らされた残骸のみ。検視の結果、出てきた残骸は妻のものであり、娘の痕跡は残ってすらいなかった。

 しかし状況からして、娘も食い殺されたのだと断定された。

 そして男は自身の不甲斐なさから名を変えて、復讐心から一人討伐屋として仕事を続けた。

 それから十数年余り。復讐心も薄れかけ、男はただ生きていた。

 だがそんな中、男の前に一人の少女が現れた。年齢は、十七、八だろうか。名を、ソフィア。赤い瞳と赤毛が特徴的な、大人びた少女だった。彼女は討伐屋であり、当時は制定されたばかりである討伐屋拠点制度に則って、拠点を探していた。


『腕のいい討伐屋がいるって聞いたから来てみたの。拠点とかどうしたらいいかわかんなくて』


 少女は少しはにかみながら、そう言った。

 聞けば彼女はウエスト三番街の孤児院出身だという。黒い血にまみれて路上に捨てられていたのを、そこのシスターが見つけたのだとか。身元を特定できるようなものはなく、わかっていたのは、破れた服のタグに書かれていた名前らしき『S』のイニシャルだけ。情報が少ないため、公安も親を探しようがなかったという。

 そしてそのシスターは、わかっていたイニシャルと、孤児院で信仰されていた女神の名を合わせて、彼女にソフィアと名付けたらしい。

 その話を聞いて、男は思った。彼女は、自分の娘なのかもしれないと。

 娘が生きていたなら、ちょうど目の前の彼女くらいに育っていただろう。生後間もない幼子が魔法使いに襲われて生き残れるとは思えないが、彼女の赤い瞳には見覚えがある気がした。それにどことなく、彼女の見た目は死んだ妻に似ている。

 だが男は彼女にそれを聞くことはできなかった。人違いかもしれないし、彼女には彼女の人生がある。当然彼女も、元の親を覚えているようでもなかった。

 それに、仮に彼女が自分の娘だとしても、自分は母親を守ってやれなかったのだ。そんな情けない自分が、彼女の人生に介入して、意味があるとも思えない。

 だがそれでも、少しだけでも彼女に関わることが許されるなら――。

 

 そして男は討伐屋を辞め、修繕して、ただの自宅として使っていた元道具屋を討伐屋拠点として市政府に申請することにした。

 拠点名はスキューア。

 ソフィアが、男の印象を見てつけた名前であった。


 ◇ ◇ ◇


 その話を聞き終わったとき、ノインの怒りは、すっかり冷めきっていた。

 俯いて、無言でその場で立ち尽くす男を複雑な表情で見つめる。


「…………」


 するとノインは、壁にかけてあった自分のシャツを無造作に手に取った。袖を通し、上からコートも羽織る。そして、サイドテーブルにあったガンベルトと〈ギムレット〉、欠けたペンダントもいつものように身に着けた。


(――行くしかない)


 とにかく、そう思った。行き先は、地下のホロ・ファクトだ。

 ボスウィットの話から、リリはレーツェルの元へ渡っているとみて間違いないだろう。そして彼の目的の根幹にはたぶん、ホロ・ファクトがある。となればリリがそこにいる可能性は高い。

 彼女をどうするつもりかは知らないが、わざわざ『回収』したからには簡単に殺しはしないはずだ。まだ間に合うと、ノインは確信していた。


「ボスウィット、その地下への行き方は知らねーのか?」

「……ああ」

「…………」


 その言葉に、嘘はないようだった。ノインは無言で部屋の入り口に向かう。

 だが部屋を出る直前、ノインはドアの前で立ち止まった。そして背後の男を肩越しに見やる。


「…………」


 ボスウィットは市政府の思惑で家族を失ってなお、逃げろと言った。

 それは彼が臆病だからというわけではないのだろう。むしろ、真実を乗り越えて強く生きるための選択の一つなのだ。リリについても半ば悟ったように、あるいは諦めたように振る舞っているが、先の話を聞く限り、彼なりに辛い葛藤はいくつもあるのだろう。そしてそれは、死んだソフィアの記憶や人格を大切にしたいと思うからこそのものなのかもしれない。

 しかしなればこそ、ノインは彼と同じように歩むわけにはいかないと、そう思っていた。


(今俺が助けたいのは、あくまでリリだ)


 そしてノインは、彼に告げた。


「……リリは、俺たちがソフィアの面影を意識してたことに気づいてた。結局俺たちは、五年前のまま、ずっとそこで足踏みしてたんだ」

「…………」

「うまく言えねーけどさ、もう、『今』を、見なきゃならねーんだと思う。死んだ人間がどうこうって考えるからおかしくなるけど、五年ってのは、結構長いぜ」


 壮途、などと言うと大げさかもしれないが、踏み出すべきだとノインは思っていた。

『彼女』の姿を通して見た過去は、いつも泣いていたから。

 一緒にいたいと言ってくれた彼女を――『今』をきちんと見たいと思うから。


「……帰ってきたら、前に言ってた一番街のステーキ屋、連れてってもらうからな。『三人』予約しとけよ」


 そしてノインはドアを開けると、それ以上は何も言わずに部屋を出た。

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