5-2
その日。昼休みに入ったセルジオは、仕事の合間に抜け出して花束を買い、路線車である場所へ向かっていた。
服装はいつもの制服とトレンチコート。正直言って目立つのだが、昼休みとはいえ一応勤務中なので規則としては着替えるわけにはいかなかった。さすがに制帽や拳銃以外の装備一式は置いてきたが、車内での市民からの視線はどことなく気まずい。当然夜勤明けなのだが、今は眠気もどこかへ吹っ飛んでしまっている。
一週間ほど前に受けた足の傷は、完治というほどではないが、普通に歩けるまでには回復した。実は五日ほど入院し、検査と治療を行ったのだが、自分もそうのんびりとはしていられない立場にいる身である。まだ激しい戦闘は難しいだろうが、署内での執務や日常生活は一応自力で行えるので、デスクワークは最低限こなしておきたかった。それでも体はしんどいのだが。
普段あまり意識することはないのだが、こういうときばかりは既婚者を羨ましく思う。辛いときに寄り添い合える者がいるというのは、何とも幸せなことだ。
尚、同時期に負傷したロイについては、今は専門の施設で療養しているらしい。つまり彼はあの傷から生き残ったのだ。なんとも恐ろしいバイタリティだが、ロイであれば当然なのかもしれないとセルジオは変に納得していた。入院中に溜まっていた仕事に忙殺されていたせいでまだ彼とは直接話せていないのだが、一段落したら、見舞いに行こうと思っている。
しばらくして、路線車が油圧ブレーキを軋ませて停留所に停車した。
セルジオは花束を携え、目的地であるノース三番街へ降り立つ。そしてここからは記憶を頼りに街路を進む。
おそらくこの道を、その場所に向かって歩くことはもうないだろう。元々頻繁に足を運ぶ場所でもなかったが、それはやはり寂しくも思う。
広めだが少し入り組んだ路地に入って、さらに歩を進める。するとほどなくして、目的の家屋が見えた。
「……久しぶりだな」
セルジオはその家屋の玄関前まで来るとそこで立ち止まり、建物を見上げる。戸口の傍には小さく看板が出ており、この建物が店舗であることを示していた。
刻まれている名は〈カナリー〉。セルジオの知るところによると、この名の由来は、店主の名前をある鳥の名前にもじったのであるとか。
(……もういないのだな。彼女は)
胸中呟いて、セルジオは手元の花に視線を落とす。
そう。ここは、カリーナ・ベリエールの店舗兼自宅なのであった。
セルジオとカリーナは数年前から顔なじみだった。最初の出会いは仕事上でのこと。それも討伐屋としてではなく、何でも屋、カリーナ・ベリエールとして。
非公式の話だが、公安(主に刑事課だが)は、捜査上必要と判断すれば彼女の情報網に頼ることがあったのだ。特殊生物対策課のセルジオはそこまで彼女と関わることはなかったのだが、それでも彼女とは何度も話しているし、先日入院していたときは、見舞いにも来てくれた。
そして今日ここへセルジオが来たのは他でもない。死んだ彼女を弔うためだった。公安と彼女が非公式な関係であったとしても、人の死を悼む気持ちにそんなことは関係ない。
セルジオがカリーナの死を知ったのは、昨日の夜のこと。
公安署内に置かれていた新聞を手に取った時に、イースト三番街にある図書館の敷地内で魔法使いに襲われ死亡した女性討伐屋の記事を見つけたのだ。
被害者の名はカリーナ・ベリエール。
カリーナの人となりを知っている身としては彼女の死など半信半疑だったが、今朝方確認したところ、彼女の討伐屋の登録情報は死亡による削除手続きが済まされており、その事実は彼女の死を裏付けるものであった。
尚、記事には、当時の状況――彼女の発見者などの情報も含めて、詳しいことはほとんど書かれていなかった。病院関係者のコメントが短く記載されていたので、病院には搬送されていたらしいが……まぁ、そうした情報はこれから出てくるのかもしれない。
「…………」
セルジオは玄関前で中の様子を伺う。
中は静かだ。誰かが管理しているのか、それはわからない。もし誰もいなければ、玄関先にこの花束を置いていくつもりだが、電話の一つでも入れてみればよかったかもしれない。
しかし、セルジオが戸をノックしようとしたとき、突然玄関の戸が開いた。
「……誰かね?」
出てきたのは箒を持った老人だった。
その男はセルジオを見ながら、かけている眼鏡を人差し指でくい、と押し上げる。
年齢は六十ぐらいか。服装は黄土色のベストと赤いセーター、灰色のスラックス。真っ白な頭髪は後ろに撫でつけられており、銀縁の丸メガネと、温厚そうな眼差しはどこか
セルジオは彼の登場に少々面食らいながらも、名乗る。
「セルジオ・マックフォートと申します。カリーナさんが亡くなったと聞きまして」
「ほぉ……そうかあんたが」
老人はこちらをを知っているかのように言って、しげしげと眺めてくる。
「失礼ですが、ご親族の方ですか?」
「ん? ああ、違うよ。儂はフィデルという者だ。まぁ親代わりみたいなもんではあるがね。あんたのことも、あいつから少しばかり聞いているよ」
(親代わり……)
そういえば、いつだったかカリーナは所属している討伐屋拠点の主人によくしてもらっていると話していたことがあった。もしかしたら彼がその人物なのかもしれない。それならば、自分のことを彼が知っていたのも合点がいく。
「……カリーナさんは?」
「ああ悪いね。ここはもうからっぽだ。手続きやら何やらはもう終わっちまったよ」
「……そうですか」
事件のあった日からはもう三日ほどが経っている。葬儀は身内だけでひっそりと終わってしまったのだろう。そして目の前の老人は明言こそしなかったが、やはり彼女は死んだらしい。
知って足を運んだのに、セルジオはその事実に大きくショックを受けた。
「すみません。遅くなってしまって。きちんとお別れを言いたかったのですが」
「いやいや、謝ることはない。特に訃報も出さなかったし、あいつもわかっているさ」
「だといいのですが。……今、これをお渡ししても?」
言ってから、セルジオは持っていた花束をフィデルに示す。
「これはご丁寧に」
フィデルは箒を店の壁に立てかけると、セルジオから花束を受け取った。
「……ただ、すまんな。実は今この中はとっ散らかっていて、お茶出しもろくにできんのだよ」
「お構いなく。カリーナさんとは墓前で顔を合わせますので」
「そうか。では墓の場所が決まったら教えるとしよう」
「お願いします」
そこで二人の会話は一度途切れる。
だがセルジオは十秒と経たぬうちに、フィデルに言った。
「……化け物は必ず、この街から全て排除します」
セルジオの眼には決意と、怒りがこもっていた。彼女を死に追いやった化け物を許しはしない――それは公安官としての宣言であり、また、セルジオ・マックフォート個人としての意志でもあった。なぜそこまでこの件に固執するのかは、改めて自身に問う必要もない。
「…………」
そんな彼を、フィデルは無言で見つめる。しかしあるとき、フィデルはベストの胸ポケットに手を入れ、そこから四つ折りにされたメモ用紙と何かの鍵を取り出した。そして、
「ま、直感には従ってみるか」
と、言いつつそれらをこちらに差し出す。
「……?」
フィデルの目的は不明だったが、セルジオは差し出されたものをとりあえず受け取る。鍵には見覚えあるキーホルダーが付いていた。それは公安のイメージキャラクターのデザインされたもので、彼女が車の鍵につけていたものだ。
――このキャラクター、あなたに似てるわよね。
そんなことを言いながらカリーナが見せびらかしてきたことがあったのを、セルジオは思い出す。
「……これが、なんです?」
「いやなに、使いを頼まれて欲しいんだよ」
するとフィデルは、セルジオの承諾など無視して説明を始めた。
「行ってほしいのは儂の店――アウルという討伐屋拠点だ。そこにいるノインという男にこれを渡してほしい」
「ノイン……?」
その名を聞いて思い出すのは、赤目の一件。
確か、灰色の髪の少女があの男をそう呼んでいた。
「そろそろ奴の麻酔も切れるころだから、直接渡せるはずだよ。……まぁ、起きていても体はろくに動かんと思うがね」
「……どういうことです?」
「ちょっといろいろあってな。事情は本人からでも聞いてくれ。……アウルの場所はこの道をこのまま真っ直ぐ行って、小さい煙草屋のある角を右折したらすぐだ。右手に、ハーラルというでかい宿が見える。宿屋の入り口の隣にある小さい扉が玄関だ。勝手に入ってくれればいい」
「…………」
「それじゃ頼むよ」
言ってフィデルは箒のほかに塵取りも持ち出して、玄関先の掃除に取り掛かる。セルジオはまだ了承を口に出していないのだが――フィデルはそれ以上話すこともないとばかりに店の裏の方に姿を消してしまう。
(……行くしかないのか)
セルジオは胸中で呟くと、踵を返す。
まぁ、昼休みではあるし、多少なら時間の融通は利く。フィデルの意図は不明だが、あまり無下にするのも気が引ける。
そしてセルジオはフィデルに言われた通り、アウルへと足を向けたのだった。
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