4-2

「ふぁ……」


 自宅を出てイースト三番街に差し掛かった辺りで、ノインは大きなあくびをかました。

 隣には、灰色のニットと茶色のショートパンツという格好で、頭にお気に入りのハンチング帽子を乗っけたリリの姿。上着としては変わらず、ノインの黒シャツを羽織っている。金の問題で上着はまだ買ってやれないままだったが、彼女はこのシャツを気に入っているらしい。

 これからノインは、スキューアへ顔を出して仕事だ。

 時刻は午後七時半を回ったところ。少し寝坊してしまったため、既に日は完全に落ちてしまっている。そして当然、地霧が広く街を覆っていた。


(……昨晩は気張りすぎたなぁ……)


 ノインは心の中で呟いて、もう一度あくびをしてみせる。昨夜は珍しく六体もの魔法使いを討つことができたが、相応に体の疲れは溜まっていたようである。

 尚、リリと出会ってからは今日でちょうど一週間になる。

 彼女との奇妙な共同生活も少し落ち着き、ノインにはいくらか心の余裕も出てきていた。

 リリの様子は相変わらずだ。記憶も戻らないままであるが、それを気にする様子もない。

 変化らしい変化といえば、出会った頃より少し会話が増えたということぐらいだろうか。

 より一層懐かれたということなのだろうが……まぁ、別に悪いことではない。

 しかし彼女に関することで、最近ノインは悩みの種を一つ抱えていた。

 彼女が必ず仕事についてくるようになってしまったのだ。

 あの赤目との一件以来、リリはノインを心配し、絶対に一人で仕事に行かせようとはしなくなった。ノインとしては当然、おとなしくスキューアに居て欲しいのだが、彼女は頑として譲らず、公安官などのことも含めて危険なのだと説明しても結局首を縦に振らなかった。


(……けど、あんま怒れねーんだよなぁ……)


 この件において問題なのは、基本的にそれだった。そうなる要因としては、彼女の心情を考慮して云々、ということもあるが、もっと現実的な部分が一つ。


(こいつ居なかったら一晩で六体とかまず無理だからな)


 そう。仕事で一緒に行動する際、彼女の魔法使い探知能力は頼りになるのだ。昨日のような成果もほとんど彼女のおかげであり、二人分の生活費を考えると、彼女の同行をそう強く否定できないのである。しかも今のところ、ノインがヒヤヒヤするようなことは起こっていなかったりもするので、尚更だ。

 ……まぁそれでも、いつ何時、赤目の時のようなイレギュラーが発生するか、わからないのではあるが。


(……どーしたもんかね)


 ノインはあれこれと思い煩い、軽いため息をつく。

 ちなみに、あの赤目の魔法使いの詳細に関しては不明のままだ。あの日の出来事はボスウィットとカリーナには話してあるが、二人ともあの特殊個体についての情報は持っていなかった。

 ついでに言えば、セルジオという公安官が言っていたことの真偽も、結局わかっていない。そちらについても、赤目の事を話すついでにボスウィットらと話したが、明確な答えは出なかった。その公安官の名前に、カリーナは何やら思うところがあるようだったが、別段何かを知っているようではなかった。

 だがなんにせよきな臭い話ではあるので、ノインは今のところ、リリを公的機関からは遠ざけるようにしている。セルジオの言葉通り、公安――あるいは市政府もか――が、あえて彼女を黙殺しているのなら、彼らがリリの『能力』含めて、彼女の素性に関する情報を持っている可能性は十分にあるのだ。リリを実験室送りにしないためにも、下手な行動は避けておくべきだろう。『いなかったことにする』という命令の裏に何があるのかは知らないが、それがなんであれ、市政府や公安が、街を脅かす化け物と同等の力を持つ者を丁重にもてなすとは思えない。

 尚、当然だが、彼女の元いた場所云々や、記憶についてのことも、今は積極的には動かず保留中である。

 と、そこで、リリがさっきのノインの溜息を拾って口を開いた。


「ノイン、お疲れ?」

「……ま、そこそこな」


 ここでリリに心中を吐露する気にもなれないノインは、それだけ言ってもう一度溜息をつく。シャツの中に入れるようにして首から下げている銀貨のペンダントが、妙に重く感じた。


(……これも、何なんだろうな)


 結局ノインは、このペンダントをほぼ毎日身に着けさせられていた。寝るときや風呂以外で外そうとするとリリが怒るのだ。従っておけば彼女はそれで満足そうなのでノインも自然とそうするようになっているが、リリの意図は全くもって不明だ。

 ただ、あの遺影の前の花といい、これといい、彼女はソフィアに関係があるものにピンポイントで強い興味を示すように思う。面影のこともあって、何かソフィアに関わりのある存在なのかとも思うが、彼女に子供などいなかったし、そういうものとは違う気がする。

 そう、仮に常識を取っ払って考えるなら――生まれ変わりであるとか、そんな感じがしっくりくるだろうか。


「……わっけわかんねぇ」


 唐突なノインの言葉にリリは反応したが、ノインはそれに気づかないふりをして、スキューアへの道を急いだ。

 しかしそこで、横にいたリリが突然立ち止まった。


「どーした?」


 半身を翻して立ち止まり、ノインは背後の彼女を見る。

 するとリリは、道の右側――低い植込みに囲まれたある施設を見上げて、ぽつりと言った。


「……変な音……」

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