四章 血の夜風
4-1
ある日の昼間。レーツェルは例の広大な部屋の一角で、再びマクレーンからの電話を受けていた。部屋の明かりは、やはりデスク用の蛍光電気灯一つで、案の定暗い。
『先日、僅かだが、市政府の第三書庫に侵入者の痕跡が見つかった』
電話口のマクレーンの第一声はそれだった。
ちなみに今この電話は、スピーカーホンの状態にしてあるため、マクレーンの声はノイズ交じりに部屋の中を小さく反響している。
「……久しぶりですね。ここ一年ほど、そういった話は聞かなかったと思いますが」
『そうだな。まったくもって鬱陶しいネズミどもだ。どこにでも、すぐに湧く。しかし既に尻尾は掴めた。この街で我々を出し抜けるはずもないのに、馬鹿なものだよ』
「全くです。………しかしそれにしても、なぜその話を私に?」
この『侵入者』に関する話は、市政府上層部が把握し、動くべきものであった。当然今までもすべて市政府が判断し、片づけてきたのだ。わざわざこちらに話すようなことではない。
だが、マクレーンは言った。
『先の事故の汚名返上を兼ねて、今回の実行は私が引き受けた』
「……結構なことですが、さすがに専門外では?」
『あの男を使えないかと思ってな』
――ああ。なるほど。
レーツェルは彼の思惑に合点がいった。まったく、賢しく立ち回るものだ。
「実行そのものは可能でしょうが、彼が納得するかどうかですね」
『できるのならやらせろ。私としても一度引き受けたものは断れん。あの男の説得はお前に任せる。借り受ける話を彼にした時も、うまくやってくれたようだからな。さすがは元上役といったところか』
「…………」
『まぁ、そう難しい話でもないだろう。何か報酬を用意してもいいし、脅しをかけてもいい。最悪、薬でもなんでも使えるだろう。まぁ、借り物であるから滅多なことはできんがな。ミドルトンも、面倒だといいつつも、あの男の戦闘力だけは手放すには惜しいと思っているらしい』
くつくつと、マクレーンは笑う。
『後でターゲットの資料は渡す。公安への根回しは過去と同じように行われる予定だ。事後の始末は気にしなくていい。いつ仕掛けるかもそっちの判断に任せる。ただ当然だが、彼を使ったことは、どこにも口外するな。証拠を残すのも厳禁だ。いいか、頼んだぞ』
と、その後、マクレーンは一呼吸挟んでから、少しトーンを落としつつ話を変えた。
『ところで、少女の件はどうなっている』
「……申し訳ありません。まだ少々かかりそうです。彼の返却期限までには必ず」
『ふん……』
マクレーンは不快感を隠そうともせずあからさまに鼻を鳴らす。
実は、少女は既に発見済みである。
完全に偶然だったが、『彼』は、公安から一時的に抜けるための手順を踏んでいる際に、彼女を発見している。人目があったため回収は断念したようだが、彼はいくつか情報を収集するだけして、こちらに合流してくれた。彼女の『音』は極端に小さいものなので、見つけるにもある程度時間がかかると思っていたのだが、嬉しい誤算だ。
しかし、思うところあって彼女は泳がせている。居場所は完全に特定しているし、いずれ回収には向かうが――まさか彼らが保護しているとは、運命とは実に面白いものである。
ちなみに、マクレーンにそのことを伝えていないのは、完全に自身の目的のためだ。彼女はある事件をきっかけに得た『特殊個体』であり、『器』。そんな彼女をマクレーンに利用させる気などレーツェルには始めからなかった。
そしてしばらくの沈黙の後、マクレーンは何も言わないままで、一方的に電話を切った。
○ ○ ○
「――だ、そうですよ」
部屋の暗がりに向けて、レーツェルは呼びかける。
するとそこから返事があった。
「けっこーなことで。つーか、やっぱまだやってたんだな。んなこと」
それは若い男の声。男は暗がりから動いていないようで、レーツェルも彼の姿は視認できなかった。
「どうしますか。私としてはどちらでも構いませんが」
「……お前の立場を考えると、やらないわけにもいかないんだろ? 上との摩擦は少ないに越したことはねーしな。計画や実験の不安要素ってのはできる限り無くしとくもんだ」
「……優秀な助手ですね」
「『元』、だろ。……ま、怪我してまで公安抜けた意味がなくなるのは、俺も癪だしな」
男が闇の中で肩をすくめたのが、気配でわかった。
尚、今現在この部屋に監視の目はない。
部屋の上方にあるガラス張りの壁に面した廊下からはこの部屋が一望できるようになっているが、今その場所に人の姿はない。本来ならば、その場所には定期的にフラグメントの所長が足を運ぶわけだが、例の事故でその廊下へ繋がる唯一の通路が寸断されてしまっているため、マクレーンもここ一週間ほど姿を見せない。その廊下には盗聴器や映像撮影機の類もあるだろうが、それすらも放置のままだ。
まぁ、マクレーンが姿を見せないのは、ここへの経路が遮断されているからというより、引き受けた事故の後始末で手一杯であるからなのだろうが、別に理由は何でも構わない。一時的にでも監視がないこの状況は、今のレーツェルにとっては非常に好都合だった。市政府から補給される物資もまだ残っているし、当分、行動に支障は出ない。
実は、マクレーンらに知られず、こっそり地上に出るルートもいくつかあったりするのだが、下手に外に出て、市政府に目をつけられても面倒である。
「……にしても、またお前と組むことになるとはな」
「私はいずれ戻ってくると思っていましたよ。あなたの体では人間の社会には到底馴染めないでしょうしね。今回の件は、いいきっかけになったのでは?」
「……そうだな。もう市政府のための道化にも辟易したよ。お前の『計画』も、俺なんかにはちょうど良かったってことだな。……さっきの話も、その踏ん切り付けるにはうってつけだよ」
「相手は半分同胞ですが、本当にいいのですね?」
「いいさ。……忘れるようにしてた空腹ってのは、思い出すと辛いもんがあるしな」
「……わかりました。ただ言われた通り、無駄な証拠は残さないようにしてくださいよ」
「わかってるよ。……顔も隠すさ」
そして彼の足音だけが部屋から消えてゆく。
後には、鬱々としそうなくらい濃密な静けさだけが残った。
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