4-3
「……違うみたいね」
暗い部屋の中で、カリーナは呟いた。彼女はペン型の使い捨て電気灯片手に、手にしていたバインダーを戸棚に戻す。
今の彼女の衣服はいつもとは違うもの。シンプルでスマートなシルエットの黒いブラウスとベルボトム、ブーツ、長手袋。視認性の低さと動きやすさを重視したスタイルだ。
そしてカリーナは棚の扉を閉めると、部屋をぐるりと見渡した。
今彼女がいるのはイースト三番街にある市営図書館の事務室だった。夜間であるため、彼女以外に人はいない。比較的広い部屋だが、物が多いせいで、割と狭く感じる。この図書館は木造二階建ての古い学校施設を再利用したものだが、当時ここは教職員室だったのだろう。部屋には木と金属を組み合わせて作られたデスクや椅子が整然と居座っており、壁に沿うように並べられた戸棚と本棚には、様々な種類の書籍やバインダーが収められている。また、空いた壁に取り付けられているコルクボードには、事務連絡と思わしき事項を印刷した用紙がピンでいくつも貼りつけられていた。
「…………」
するとそこで、彼女はあるもの見つけ、素早くその場所へ移動した。それは入口の扉から見て部屋の最奥にある戸棚。かなり背が低く、目立たないタイプのものだ。
彼女は棚の前までたどり着くと、腰にある小さなポーチから二種類のピッキングツールを取り出した。そしてペン型の電気灯を口に咥えると、棚の鍵穴にそれを突っ込む。そして彼女はものの数秒で、その鍵を突破した。
そしてカリーナは中にあったバインダーを取出し、パラパラと数ページめくる。そしてまた別の一冊を取り出して、目を通す。終えると、さらに次の冊子。
彼女が取り出した冊子の背表紙には、『特殊生物被害記録』『特殊生物対策会計報告書』『特殊生物関連民事訴訟陳述書』などといった文言が並んでいた。この棚にある他のバインダーも同じだ。棚の中にある冊子の背表紙にはすべて『特殊生物』という言葉が記載されている。
つまりここにあるのは、全て魔法使い絡みの行政行為の目録だった。
(……有名な天下り先にも理由があるってわけね)
普通こんな書類が、
書類の中身自体は変哲ないものだったが、ここにそれらが置かれている理由にはならない。
おそらくここにあるものは、利権やらなにやら、そうした思惑からのものなのだろう。こちらが欲しかった情報とは少し違ったが……まぁ、これはこれで貴重な情報だ。
(けど、あの子のことを調べてたはずなのに、思いのほか秘密は大きかったわね)
最初はあの少女――リリが、今は亡き友人の面影を宿していることについて疑問に思い、調べていただけだった。だが何日か前に、ノインから彼女が魔法使いとしての力を持っていることを聞き、魔法使いについての調査も並行して行うことにしたのだ。
そしてその中で分かったのは、どうも市政府は、魔法使いについて何らかの情報を隠しているらしいということだった。二日ほど前、市政府の機密書庫で魔法使い出現時の資料もいくつか調べたが、それとも大きく関係のある話かもしれない。
そして、そうして行動する中で手に入れたこの街の『ホロ・ファクト』の情報――。
カリーナは棚を元に戻して、立ち上がる。
とその時、彼女の耳はかすかな音を拾った。
「…………」
彼女は電気灯を消し、腰から愛用の
聞こえるのは、足音。木材がきしむ音。おそらく廊下に、誰かいる。
足音の大きさからすると、たぶん成人男性だ。数は一。
やがて足音は部屋の前で止まった。ここに夜間警備の人間がいないことは確認済みなので、ドアの向こうの人物はそれ以外の誰か――順当に考えれば、自分を追って入ってきた人間ということになるだろう。自分は一階裏口近くの無施錠だった窓を開けて侵入したが、この人物もそこから入ってきたのかもしれない。窓は閉めたが鍵は閉めなかったので、入ろうと思えば、簡単に入れるはずだ。
――魔法使いについて調べると消される。
カリーナは、いつしか聞いたそんな噂をふと思い出す。
実はカリーナには、ソフィアが死んだ後、魔法使いについて調べようとしていた時期がある。ただ当時は、この噂のこともあって最終的な行動は起こさなかった。
別に、真偽不明の噂を完全に信じるほど単純な思考をしているつもりはないが、噂を恐れているといえば、恐れていたのだろう。裏の社会に通じるからこそ、好奇心を制御する術をカリーナは身に付けていた。消されるのが当事者だけであればまだいいが、こういうものは身内全体に被害が出る可能性だってある。万が一でも取り返しのつかないことになってしまっては、責任が取れない。
(……けど今回は、流石にね)
嘘は気がかりだが、それでも今回、カリーナは決断した。当然、自分の周囲に被害が出ないようにカモフラージュは心がけている。
(直感もあるけど、どう考えてもきな臭いのよ)
扉の向こうの気配は変わらず動かない。ここはこの施設唯一の事務所だ。自分の目的を知っている者なら考えるまでもなく、ここにたどり着くだろう。その人物が敵か味方か。それは確実にはわからないが――そんなことは、
(のしてから聞けばいいのよ!)
カリーナは意を決し、木製の引き戸を勢いよく開けると、一気に部屋から飛び出した。この事務所は建物一階部分の廊下に並ぶ部屋の一つだ。ここ以外に部屋の戸は開けていないので、逃げ場は少ない。廊下に明かりはないが、建物の庭にある防犯用のガス灯の光が差し込んでいるおかげで、行動に不自由しない程度の明るさはあった。
そして廊下には、予想通り一人の男がいた。ロングコートを着ていて、右手には何か――おそらく拳銃――を持っている。だが意外にも、彼はちょうどこちらに背を向ける形で立っていた。どうやら、相手は自分がこの部屋にいることにまだ気づいていなかったらしい。
カリーナは飛び出した勢いのまま、男に肩からぶつかって不意を突く。が、男も非力な女性の力ではよろめく程度で、完全には倒れてくれなかった。男はこちらと正対しようと振り向く。
だがカリーナはさらに仕掛けた。こちらを向きかけた男の右手を左手で素早く取って、拳銃を上向けさせる。さらにそこから自身の右腕を男の首へ、踏み込んだ右足を男のひざ裏にかけ、そのまま男を背中からひっくり返す。男は一瞬の間に床に転がる形になり、思い出したかのように、小さく呻いた。
そしてカリーナは、うつ伏せになった男に素早く馬乗りになると、両膝で彼の腕を抑え込むようにしてから、後頭部に〈ブラック・ホーク〉を押し付けた。
だが、眼下で未だ呻く男の顔を見たとき、カリーナは呆れたような声を出した。
「……こんなとこで何してるのよ」
「そりゃこっちのセリフだ……」
目の前にいるのは、ノインだった。彼はじとっとした半眼で、肩ごしにこちらを睨んでくる。
そしてさらに背後から声。
「ノイン……?」
振り返ると、廊下の角から何やら不安げな表情で少女が顔を出す。
声も見た目も間違いない。リリだ。彼女はコート代わりにしているノインのシャツをはためかせて、とてとてと寄ってくる。
「……説明してもらっていいかしら」
状況を精査しつつ、カリーナは眼下のノインに向かって尋ねる。
「いいけど、まずは降りてくれ」
「あ、ごめん」
そう言って、カリーナは銃をしまってノインの上から身を退かす。
そして、のそのそと身を起こした彼に手を貸した。
だが彼は、こちらの手を掴んで立ち上がろうとした瞬間、呟いた。
「……意外と重いんだな……」
当然、手は振り払ってやった。
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