1-4
「……公安官失格だな」
ヴェストシティ、イースト二番街C‐五二番地。
その住宅街の一角で、イースト二番署、特殊生物対策課所属の主任士官、セルジオ・マックフォートはぼやいた。
彼の年齢は二十代後半というところ。明るいブロンドの髪は短めに刈り揃えられており、引き締まった表情と合わせて、実に真面目で実直そうに見える。体も相応に鍛えているようで、官給品の黒いトレンチコートと紺瑠璃の制服は彼によく似合っていた。背筋を伸ばして立つその様は、まさにこの街の理想的な公安官の姿そのものであると言えるだろう。
ただ今は、彼のその立ち姿にもいささか陰りが見て取れた。
今、彼の視線の先にあるのは砲弾でも直撃したかのように壁に穴が開いた家屋や、抉れた道路。被害を受けた家の中には、支えを失い、自重で半壊しかけているものもある。そしてセルジオの背後では、彼と同じ格好をした数名の公安官らが、救助した民間人につき従いつつ周囲を警戒していた。
一帯は、まるで局地的な天災にでも見舞われたような状況だ。夜間であるため野次馬などはいないが、被害を免れた住宅の窓からは、こっそり様子を窺う者の姿も見える。
「…………」
セルジオは無言で足元に視線を落とした。
見つめるのは、既にこびり付いたようなっている大量の黒い血の跡。
つい先ほどまで、この場所ではセルジオが率いる特殊生物対策課の公安官五名のチームと、魔法使いとの戦闘が行われていた。ただ、その戦闘は偶発的に起こったものではない。セルジオと彼の部下である公安官らは、公安本部――公安省から直々の命令により、市政府の施設で暴れたというある魔法使いを追っていたのである。そして、今しがたセルジオらのチームが戦闘を行っていた魔法使いというのは、その『犯人』となる魔法使いなのであった。
出動要請があったのは一時間ほど前のこと。
ここにいるセルジオを含めた公安官は全員、イースト二番署の特殊生物対策課の人間であり、夜間勤務中だった彼らはイースト方面に逃走した目標の捜索を命じられた。
この件について公安本部は、イーストの公安署全てに同様の指令を下していたようで、施設を襲撃した魔法使い捜索はかなり広範囲に渡ったものであるらしかった。報告では、非常に好戦的な個体であるとのことだったので、いち早く始末したかったのだろう。そしてセルジオらは今より少し前に、その魔法使いに撃ち込まれた小型電波発信機の電波を拾うことに成功し、目標と戦闘を行っていた。
しかし彼らはその魔法使いを取り逃がしていた。今ここに残っているのは、討ち取られる直前に魔法使いが取った『反撃』の爪痕だけ。おまけにその反撃のせいで魔法使いに付けられた発信機は破損し、セルジオらは目標を完全に見失っている。
すぐに追撃隊を編成できればよかったのだが、その『反撃』でセルジオらのチームにも二名の負傷者が出てしまっていたので、住民含めた負傷者の警備として被害現場に残さねばならない人員を考えるとそれは不可能だった。どこの署も特殊生物対策課は万年人手不足なのだが、こういう時にはより手痛い。
つまり現在、セルジオらはこの場で完全に足止めを食らった形になっているのである。応援も呼んですぐ来られるものでもないし、夜間は負傷者の救急搬送にも時間がかかる。一応、現段階での報告は上げてあるので、しばらくすれば上から何か指示が来るかもしれないが。
「セルジオ」
その時、背後から声がした。先刻、応援要請を出すよう指示した部下の男である。
セルジオが首だけを動かして肩越しに彼を見やると、彼は各員に支給される
彼の名はロイ・ブラウン。
年齢はセルジオよりも少し下。赤茶けた髪と釣り目を特徴とした男で、体格はセルジオと変わらない。ただ、年齢差を考慮しても、ロイの雰囲気は公安官という仕事の割にやけに飄々としていた。
原因の一端は服装だ。制服と黒のトレンチコートはセルジオと変わらずだが、その着こなしが実にいい加減なのである。首周りのボタンは閉めていないし、制帽も乱雑にコートのポケットにねじ込まれている。おまけに耳には指輪大のリングピアス。
そんな男が軽薄な笑みを浮かべて、だらけた気をつけの姿勢で立っているのだから、彼の放つ軽い雰囲気は至って当然のことであるといえた。
「応援着くのは早くて三十分後だそうだ。イースト三番署のチームは別の魔法使いと会敵したらしくてすぐには来られないらしい。イースト一番署の連中も、今は被害受けたフラグメントの旧研究所の方に行ってるらしくて、すぐ応援は出せないんだとさ」
上官への報告とは思えない口調で、ロイはセルジオに連絡事項を告げる。
だがセルジオは、彼の態度については何も指摘しなかった。指摘したところで、直る見込みがないと知っているからだ。
ロイがイースト二番署に来て一年。彼が公安署を転々とさせられている理由は、もう何となく察せる。人当たりはいいものの、仕事は基本的に不真面目だし、規則違反も日常茶飯事となれば、上に嫌われ、飛ばされるのも当然だった。むしろ公安官を続けられている方が驚きである。彼の実力――ことさら戦闘力については上も評価しているようだが、この性格でそれも帳消しだとセルジオは思っていた。
ちなみに、ロイの言ったフラグメントとは、市政府主導の魔法使い研究機関の名前だ。そして彼の言った通り、今回魔法使いが暴れたという施設は、そのフラグメントの旧研究所なのである。一番街にあるその施設に魔法使いが現れたというのはあまり聞かない話だったが、可能性がないわけではない。その辺りも、いずれ情報は入ってくるだろう。
セルジオは一通りロイから報告を聞き終えると、短い黙考ののち、口を開いた。
「よし。応援が到着次第、俺とお前を中心としたメンバーで先の魔法使いの追撃に入る」
「……追撃? どーやって探すんだよ?」
「奴の血を辿る。脳はある程度破壊したんだ。瀕死なのは確かだったし、再生能力も衰えてはいるだろう。そこまで遠くには逃げられないはずだ」
魔法使いという生物の内包する血液量は他の生物の基準よりにもはるかに多い。そのため、魔法や再生で血を止めていなければ、血痕を追うことは可能なはずだった。
「真面目だねぇ……もうすぐ朝なんだし、ロストで報告あげちまえばいいのに」
「民間人が絡んでいる。そうもいかないだろう」
そう。
セルジオらが会敵した時、先の魔法使いは片腕に灰色の髪の子供――おそらく少女――を抱えていた。助けることは叶わず、彼女は魔法使いと共に姿を消しているが、公安官として見過ごすわけにはいかなかった。
そんな情報は一切入っていなかったが、おそらく街のどこかで連れ去られたのだろう。人食いの化け物に食われることなく連れられていたというのは、少々珍しい話だったが。
「生きてるかね。あのお嬢ちゃん」
「そう願う」
言ってセルジオは被害現場を改めて睥睨する。
この状況を作り出した魔法使いの反撃というのは端的に言えば『自爆』だった。
あの魔法使いは、こちらからのナハトレイド含めた銃撃をものともせず、何らかの作用で左半身を吹き飛ばしつつ、魔法で精製した巨大な血の棘を広範囲にまき散らして攻撃してきたのである。その血の棘は既に自壊しており、爆発も、例えて言うなら風船が破裂したようなもので、火災などには繋がらなかったが、被害状況の通り、単純な質量兵器となった棘の破壊力は凄まじかった。少女は魔法使いの右側に抱えられていたため無事のようだったが、もし直撃していれば、その場で即死していたことだろう。
そしてその後、魔法使いは少女を連れたまま、残った半身だけでその場から逃げ去ったというわけである。
「全くもって、化け物だな」
言いながらも、セルジオは魔法使いという生物に対してもはや感心すらしていた。
魔法使いなどというふざけた名前を冠した生物だが、人間には到底できない芸当を軽々とやってのけてしまう様を見ていると、その名前は妥当なもののように思える。
するとそこでロイが言った。
「で、主任殿の見解としては?」
軽薄な笑みも口調もそのままに、彼が今回の件についての意見を求めてくる。
セルジオはごく端的に答えた。
「おそらく、特殊個体だろう」
特殊個体とは、通常の魔法使いの範疇から逸脱した魔法使いのことだ。自爆する個体など初めてであるし、ナハトレイドがまともに効かなかった事実からしても、まず間違いではないだろう。特殊個体そのものも近年報告件数が上がってきているので、遭遇自体も珍しくはない。
「特殊個体、魔法使い、か。……なんだろーな、ホント」
ロイはぼんやりと呟く。
「なんであろうと、人にとっては害になる。殺すしかあるまい」
「……ま、そーだな」
そして二人はその場を後にして周囲の警戒へと戻っていった。
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