1-5
スキューアを出て十分ほど。
ノインは見慣れた通りを自宅へ向かって歩いていた。夜空にはまだ星が瞬いており、変わらず月も出ている。夜明けの気配はまだ少しだけ遠い。
「冷えるなぁ……」
白い息を吐きながら、片手でコートの襟を寄せる。
今、ノインが歩いているのは、先ほどまでいたイースト三番街とは別の区画にあるメインストリートだった。本来ならばヴェストシティ、イースト四番街と呼ばれる場所であり、ノインの自宅はこの地域にある。スキューアと自宅の距離は歩いて二十分ほどだ。そう大した距離でもないが、その間で一度区画を跨ぐことになる。
しかし、歩くノインの目に映る四番街の町並みは、明らかに三番街よりも寂れており、何とも粗悪だった。舗装されていない道に並ぶのは、崩れかけた家屋や荒れた店。街灯すらろくになく、どこの通りもかなり暗い。おまけに屋内外問わず、人の気配も圧倒的に薄かった。
――区画外。そんな俗称がつくのも仕方がないと思えるほどに。
全体的に円の形をしたヴェストシティは、中心にある市政府本部から東西南北に広がる扇状に『区域』を、同じく市政府本部を起点とした同心円状に一番~三番までの『区画』を割り当てている。河川などの問題もあるのでぴったりこの通りとはいかない場所もあるが、ほとんどの場所はこう区分されている。
各地域の名前は、区域と区画を組み合わせて呼称され、より細かく場所を指す場合は、この他にアルファベットと数字を使った『番地』を併用することになる。各地域の面積は中心から離れるほど大きくなり、また、生活レベルや治安レベルは外縁に向かって若干低くなっていく。
これがヴェストシティの全体的な概要と傾向である。
しかし、このヴェストシティにおける都市事情は三番街より外――四番街にさしかかると目に見えて悪化していく。番地などの区分はあいまいだし、生活レベルは若干どころでないほど低いし、治安も劣悪だ。区画外には役場や公安の分署もなく、公安官の巡回ルートからも外れている。おまけに、市政府からの都市計画予算なども一切下りない。
当然だ。四番街はヴェストシティであってヴェストシティではない場所なのだから。
今から三十年ほど前、人口の増えたヴェストシティは現在の区域、区画に繋がる大規模な街の整備計画を実行中だった。上下水道や送電網が地下に完備されたのはこの頃であり、当時は各区域に四番街を増設する計画も掲げられていた。そして予算や人員など、それなりに問題もありはしたが、ヴェストシティはさらに拡大し、生まれ変わろうとしていた。
しかし今から二十五年前。ある事件をきっかけに、その計画は見直しを余儀なくされた。
主に四番街として設定され、移住や建設が進んでいた地域に、後に魔法使いと名付けられる化け物が出現するようになったのである。
人々は逃げるように街の中心に向かって移住したが、当然、土地に収容できる人間の数には限りがある。貧困層を中心とした社会的弱者たちは街から弾き出される形になり、他のシティへの移住なども現実的でない彼らは、魔法使いに怯えながらの四番街での生活を余儀なくされた。ノインも、物心ついた時からそんな生活をしていた一人だ。
しかし、問題なのはここからだった。
そんな四番街の人々に、市政府は手を差し伸べなかったのである。それどころか、当時の市政府は魔法使いの対処や予算の問題から、四番街の整備計画を強引に打ち切り、そこに住む人間ごと、街から切り離してしまった。
なんとも非情な話だが、小を殺し大を生かす。そんな話なのだろう。
外縁部から現れる魔法使いの特性上、中心地ほど魔法使いの脅威は少ない傾向があるので、住む場所と一定の安全が確保された一番街から二番街の人間も、この決定に総じて現実に目を瞑ったという。資源や人材の問題で実行はされなかったものの、一時は三番街までをぐるりと囲う、巨大な防壁を建設するべきという世論すらもあったと聞く。
そして決定から間もなく、主要な発電所や農場、工場などはすべて一番街と二番街に移され、四番街は中途半端に開発されかけたまま切り捨てられることとなった。よって四番街は、ノインのように住む人間はいるものの、ゴーストタウンあり、シティに住めないような貧困層やならず者たちの集落ありという、非常に荒廃した場所になってしまったのである。
(……でもま、俺みたいなのにとっては、こんなとこでもありがたいんだがな)
こんな場所でも、ノインのような貧乏人にはメリットも存在する。
区画外は家賃も物価も、ヴェストシティに比べてかなり安いのだ。
商魂逞しいというか、こんな場所でも商売人はおり、賃貸はあるし、生活雑貨や食料品も(当然質は悪いが)、ある程度なら買えてしまう。ものの値段が安いのは、税金の有無に関する部分が大きいのだろう。仕入れ段階で安く済ませられれば、それなりの値段で利益は出る。
またこの他にも、区画外には過去の開発の名残である地下の水道管や送電線を使ったモグリの電力会社や水道会社も存在し、場所によってはヴェストシティとそう変わらない生活を営むことができる場所もあったりする。ノインが住むのもそんな地域の一つであり、自宅として借りているボロいワンルームにも(少々不安定ではあるが)電気と水道は通っている。
残る生活の中での大きな問題は、魔法使いの出現と治安だが、その点に関しては討伐屋などといういささか粗野な職業に就いているノインである。暴漢程度に後れは取らないし、魔法使いも撃退は可能だ。
それに区画外は、討伐屋として見た場合も利点がある。
ノインら討伐屋は基本的に三番街~外縁部で魔法使いの侵攻を食い止めるような役目を任されているのだが、当然ながら外縁になればなるほど討伐数を稼ぎやすい。不良者も多いため良し悪しはあるが、ノインもたまに区画外で魔法使いを探すことはある。討伐屋には公安のように『管轄』という概念はないので、場所を変えて魔法使いを狩ることに何ら問題はない。
ちなみにだが、討伐屋の登録規定には『ヴェストシティの人間でなくてはならない』という主旨の文言がある。区画外に住むノインは当然条件を満たしていないのだが、ノインはボスウィットと共謀して討伐屋登録に必要な書類をいくつかごまかして提出しており、書類上はヴェストシティの人間として扱われるようになっている。
わざわざこんなことをしているのには主に金の問題が大いに関係しており――簡単な話、討伐屋になった当初は金がなく、区画外にしか住めなかったのである。今なら三番街あたりの格安物件にならギリギリ住めるかもしれないが、仕事を始めた頃は今ほど稼げなかったので、こうするしかなかった。あの狭苦しいスキューアに住み込むことも現実的でないし、そもそもあのオヤジと四六時中顔を合わせるなどたまったものではない。
しかし、収入が安定しつつある現在でも引き続きその状態であるというのは完全にノインの不誠実さゆえであるので、もし市政府に目を付けられれば一ミリも弁明のしようがなかったりはする。
(……帰ったらメシ食って寝よ)
胸中で呟いて、ノインは気怠そうにあくびをかます。自宅まではあと十分ほどだろうか。
通りを左折し、疎らに敷き詰められている石畳の道をひたすら進む。
だがその時、ノインは前方の交差点の暗がりに、黒い影が動いているのを見つけた。
(ラッキー……って言っていいのかね)
ノインは素早く〈ギムレット〉を抜いて構えると、廃屋と廃屋の間にできた空間に素早く身を隠した。夜闇の中だが、討伐屋であるノインにはあの影がなんであるかすぐに分かった。あれは、魔法使いだ。
(……やれるか?)
ノインは身を隠した隙間から顔だけを覗かせて、魔法使いの様子を窺う。
魔法使いはこちらに向かって歩いてきているが、まだ自分は気づかれていないようだった。先の路地裏のようなミスをしなければ、奇襲のチャンスはあるかもしれない。
だがノインは魔法使いの様子を窺いながらも、ふと眉間にしわを寄せた。
どうも様子がおかしい。
歩き方がやけにゆっくりで、ふらふらしているし……シルエットが変だ。
(なんだ……?)
軽く目を擦り、ノインは未だ暗がりにいる魔法使いを注視する。
だが、しばらくして月明かりの下に魔法使いが出てきたとき、ノインは思わず呟いた。
「……なんだあいつ」
化け物の様相は異様だった。一応両足はあるが、ほとんど左半身がない。頭部も半分近く損傷していて、おまけに各所の傷からは、魔法で一部止血したような痕があるものの、黒い血が止めどなく流れ出ていた。もともとこんな体であったというより、ダメージを受けて、それをできる限り回復したような状態だ。
(狩り逃し、か……?)
相手は人の手に余るレベルの化け物だ。狩り逃しという事態そのものは別に珍しくもない。
だがそこで、ノインは魔法使いが右腕に何かを抱えていることに気付いた。
見た目からすると子供――髪の長さからすると少女か。はっきりと生死はわからないが、五体満足であるし、外傷も少ないように思う。どこかで連れ去られたのだろうか。
するとその直後、魔法使いはひとりでにその場でくずおれた。抱えていた少女を手放し、半分の顔面を地面に投げ出すようにうつ伏せに倒れこむ。
「…………」
ノインは物陰から出ると、恐る恐るその魔法使いに近づいた。
だが目の前の化け物は完全にこと切れているようで、動かない。
「……ま、死にかけだったってことか」
言いながら、ノインは〈ギムレット〉をしまう。ほどなくして、魔法使いは砂塵と化した。その中にはペレットが残り、辺りには静寂が戻る。
残されたのはノインとそのペレット。そして素性の知れぬ少女だけであった。
「……で、なんだ?」
ノインはペレットを拾ってから、横向きに眠るように地面に倒れている少女の下へ歩み寄る。
まず目を引くのは長い灰色の髪。この辺りではあまり見ない髪色だ。所々黒い血がついていたが、腰ほどまである髪はしなやかに地面に広がり、彼女をどこか神秘的に彩っていた。
年齢は、十代前半といったところか。着ている服はくすんだ白色の、入院着に近い衣服。靴ははいておらず裸足だ。
身長は百四十センチほど。体つきも華奢であり、非常に小柄である。着ている服と体格から判断するにやはり子供、それも少『女』で間違いはないだろう。今は目を閉ざしているが、顔のつくりは非常に愛らしく、白い肌と相まって彫刻のような均整のとれた美しさを放っていた。
「……生きてはいるのか」
彼女の口元に手をかざすと、手のひらには小さく息がかかった。たぶん気を失っているだけなのだろう。体には大小いくつかの擦り傷と切り傷が見て取れたが、そのいずれも致命的なものではないように見える。どこで魔法使いに捕まったのかは知らないが、人食いの化け物に連れ去られて生きているとは、何とも運のいい話だ。
「……けど、どーすっかな」
ノインは意味もなく周囲を見回す。悩んでいたのは当然、少女の扱いだった。
(保護……するにしたっていろいろ面倒だよな……)
あまり関わりたくない、というのが今のノインの本音だった。近頃は子供に対する防犯意識も高いのだ。控えめに言っても浮浪者じみた自分のなりでは、彼女を公安に連れて行って経緯を説明したとしても、余計な嫌疑をかけられかねない。
とはいっても、今はまだ魔法使いの跋扈する時間である。ここは治安の悪い場所でもあるし、子供一人を放置するのは当然危険だった。本来そんなことを気にする義理はないが、自分が見捨てたことで彼女に何事かあっても、それはそれで後味が悪いように思う。
「……仕方ねーな」
ノインは彼女を背中に負ぶって立ち上がった。そして元来た道を振り返る。
(とりあえず、店戻るか)
夜でも誰かはいるはずなので今すぐ公安署に行ってもいいのだが、ここからではどの公安署も遠いし、彼女を背負って行くのは骨が折れる。傷の手当ても必要だろうし、まずはスキューアに連れて行くのが賢明に思えた。なんなら、彼女を公安署へ預けるのはボスウィットに頼んでしまえばいい。
「……しっかし、なんでこーなるかね……」
仕事とボスウィットの件で肉体精神共にくたびれ、早く帰りたかったのに、見ず知らずの少女を保護する羽目になってしまった。大した戦闘もなく漁夫の利的にペレットを得られたのはラッキーだが、少女の件が面倒なのは変わらない。
背負った少女の体は驚くほど軽かったが、ノインは体を引きずるようにしてスキューアへと足を向けたのだった。
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