1-3
そこは店というにはあまりに雑然とした場所だった。
大して広くもない店舗スペースに散らばる私物やゴミ。むき出しの木製の壁や床は、経年劣化によって元の色がわからないほどに色がくすんでいる。一応、壁の前には店らしく金属製の陳列棚がいくつか並んでいるが、それも塗装が剥げて所々錆びており、今はただの物置と化していた。奥に見える備え付けのバーカウンターのようなテーブルの上も同じような有様だ。
中を照らす照明は、天井からぶら下がる丸裸の電球が一つだけ。
最近では、蛍光管を使った非常に明るい照明器具もあるのだが、ここの主人にそうしたリフォームの気はないらしく、室内は微妙に薄暗い。そしてそのためか、外よりも妙に寒く感じた。
まぁ、ここには暖房器具の一つもないので、実際、相応に寒いのだろうが。
「帰ったぞ」
ノインは靴底を玄関マットで擦りながら、店の奥に声をかけた。後ろ手に閉めた玄関扉の上で、愛想のない乾いたドアベルがからりと音を立てる。
だがノインの声は、空しく店内を反響しただけで静かに消えていった。
「?」
ノインは不審に思って首を巡らせる。
いつもなら返ってくる主人の返事がないし、姿も見えない。
基本的にその男は、奥のカウンターテーブルでラジオを聴きながら煙草を吸っていたりするのだが、今日はそのラジオの音すらも聞こえなかった。
「奥にいんのか?」
ノインは主人の姿を求めて、ふと右奥にある扉に目を向けた。
店舗スペースの奥には、扉一つを挟んで住居スペースがあるため、居るとしたらそこかもしれない。ノインはコートのポケットに手を突っ込み、ずかずかと店の中へ足を進める。
ここは、ノインが所属する討伐屋拠点である。名前は〈スキューア〉。
トウゾクカモメという、いかにも荒っぽく感じる動物からつけた名前らしいが、主人のナリを考えてみると妥当なネーミングに思えた。
討伐屋拠点とは、討伐屋が所属する、いわば
討伐屋の最初期はこんなシステムはなかったらしいが、ちょうどノインが討伐屋を始めた時期の一年ほど前に討伐屋の規定が変わり、討伐屋には市政府が指定した拠点への所属が義務付けられることになったのだ。
そしてスキューアもそんな拠点の一つであり、ノインはたいていここから仕事に出て、自宅に帰る前にここに戻ってくる。別に仕事の度にわざわざ拠点を経由する必要はないのだが、もうずっとノインはこうして仕事をしている。これには銃弾の補給などの実益を考慮した理由もあるが、気持ちの切り替えという側面もあり、どちらかといえばノインはそちらを重視しているのだった。なお、現在スキューアに所属している討伐屋はノイン一人である。
「おい、いるんだろ?」
ノインは住居スペースにつながる扉を押し開け、声を飛ばす。だがそこにも主人の姿はなく、返事も返ってこなかった。明かりはついていたが、それだけである。
(出かけてる……わきゃねーしな)
すぐ傍の壁にかかった時計を見て、ノインは姿の見えない主人の行方を思案する。
現在の時刻は午前三時半を回ったところ。この時間ではろくに店も開いていないので、外出したということはまずないだろう。この街で日没後に営業を行っている店はかなり少ない。ライフラインの主要施設や一部の医療施設、公営のラジオ放送局は動いているが、それ以外の施設や店舗が夜に店を開けていることはほとんどないのである。市内を走る路面鉄道や路線車といった公共交通機関も止まるし、シティ同士を繋ぐ鉄道もヴェストシティ行きの便は夜間運行していない。
別に夜間営業が禁止されているわけではないが、霧の発生は不定期であるし、人食いの化け物が出現する可能性のある時間帯に積極的に商売する物好きはいないのだ。霧さえ出ていなければ、多少は夜にも活気はあるが、それでも住民の恐怖心は根強く、夜のヴェストシティの都市機能はたいてい昼間の半分以下となってしまう。
ただそれでも、今のところ街が潰れるような危機には陥っていない。この辺りは資源が少ないこともあってシティ間の移住が厳しく制限されているのだが、協定のあるシティ同士ではある程度の経済協力は行うので、そうしたシステムを使って市政府がうまくやっているということなのだろう。ちなみに、『シティ』というのはこの辺りに住む人間の最大の社会組織単位だ。
「……はぁ……んで、どこ行ったんだよあのオヤジは……」
主人の居場所の見当をつけられないまま、ノインは天井を見上げて、誰に向けるでもない台詞を吐く。上から足音はしないので、屋根裏に上がっているということもなさそうだ。
だがそこでふと思った。
別に今、あの男に会わなければならない理由はないのだ。消費した弾丸の補給などの話はあるが、今夜はもう仕事をするつもりもないので、その辺の話は次の出勤時でも問題ないだろう。
ノインはさっさと自宅に帰ることに決めると、住居スペースの扉を閉める。
だがその時、妙な音が聞こえた。
「……ぐがっ」
それは、寝ている者が喉に詰まらせた空気を吐く時に出る、そんな音。
「…………」
ノインは無言で音の発生源――自分の真横に見えるカウンターの、正面からは机に隠れて死角になっていた場所――に視線を移す。そこには、三つほど並べた木製の丸椅子をベッド代わりにし、こちらに頭を向けて寝こけるいかつい男の姿があった。
「……ぐおっ」
男は気持ちよさそうな顔で、再びいびきをかく。
「…………」
完全に気配が消えていて、まったく気付けなかった。ノインはその男の頭の付近に歩み寄ると、白い目で彼を見下ろす。
男は丸首の白い半袖シャツと、暗い灰色のごついカーゴパンツだけを着て惰眠を貪っており、筋肉質で太い腕をだらりと下げ、多少は精悍な顔を今はだらしなく緩めていた。暖房器具も防寒具もないというのに、よくもまぁここまで気持ちよさそうに寝られるものである。
ヴェストシティは年中涼しい気候が続く地域にあるため、ノインも含めたここの住民は寒さに慣れている者が多いが、いくらなんでも寒くないのだろうか。
「ごがっ……」
半眼で状況を眺めるノインの姿に気付くこともなく、男は三度鳴く。
するとノインは、その場ですっと片足を後ろへ引き上げ、男が頭を乗せている椅子に狙いを絞った。そして、引き上げた片足を無造作に前へと蹴り出す。
がたんっ!
男の頭を支えるという役目を強引に奪われた椅子が、鈍い音を奏でて狭いカウンター内を転がる。同時に男の頭は重力に従ってがくんと下がり、その動きにつられるように体が跳ねた。
狭い上にバランスの悪い寝床で男がそれ以上体勢を維持できるはずもなく、彼の体は成す術なく床に落っこちる。残りの丸椅子も男の体に引きずられるように倒れて床を転がった。
「…………」
背中から床に落ちた男は仰向けのまま、うっすらと瞼を開き、眼球だけを動かして視線を巡らせる。そして自分の傍で仁王立ちするノインの姿を捉えると、状況は察したといわんばかりに、がりがりと頭をかいた。
「……もうちょい丁寧に起こしやがれ」
見た目に違わぬ、重くしゃがれたバリトン。男はのっそりと身を起こして床に座り込むと、無精髭を生やした顎をさすりながらノインをじとっと睨む。
しかしノインはそんな男に向かって、ぴしゃりと言った。
「やかましい。この前仕事の後に俺が居眠りしてたら、だらしねぇとか怒りやがったくせに」
「いやぁ、すまんすまん。今日昼間は忙しくてな」
「どうせ賭博場行ってただけだろうが」
「なはは……」
男は気まずそうに笑って見せる。どうやら図星だったようである。
日没後に出現する魔法使いの特性上、討伐屋の仕事は当然夜がメインとなる。霧の有無は当日になるまでわからないが、出た時のためにも生活リズムは夜型にしておかなければならない。
つまりノインらにとって昼間は貴重な睡眠時間となるのである。
眠りこけていたこの男は拠点の運営者というだけで討伐屋ではないのだが、拠点運営者は霧の夜は休まず拠点を開けておく義務があるため、彼にとってもそれは当てはまる。睡眠時間をギャンブルに当てて、勤務中に居眠りなど不誠実極まりない話だ。ノインはこの何ともいい加減な男に対して、軽くため息をついた。
この男こそ、スキューアの主人だ。名をボスウィット。
身長百九十センチに届こうかという大柄な男で、兎にも角にもゴツイ。歳は五十半ばに差し掛かったが、その筋骨隆々とした体躯と色黒の肌に衰えの気配はない。
白髪一つない黒々とした髪はさっぱりと短く刈られており、無精ひげが目立つ彼の顔の印象は頑固親父、というのがしっくりくるだろうか。
性格は基本的に快活。しかし生活における多くの場面で『テキトー』であり、ギャンブル好きで金にもだらしがないので、深く付き合うには少々難ありといった人物でもある。
ただ、ノインとボスウィットとの付き合いは、もうかれこれ六年になる。この店はノインが討伐屋を始めるきっかけになった場所であるので、ノインは討伐屋を始めてからはずっとこの男と仕事をしていることになるのだった。
なお、ボスウィットは元討伐屋であるらしく、昔はここも普通の道具屋として運営し、兼業という形にしていたらしい。当時のことをノインはほとんど知らないが、ノインがここのことを『店』と呼ぶのにはそうした理由があったりもする。
そして、ボスウィットという名は偽名である。本名はノインも知らない。
聞いても、はぐらかすばかりで教えてくれないのだ。討伐屋を引退した理由や、この場所を討伐屋拠点とした理由も同じくである。
「ったく。あんまり適当なことしてると、ここ出てくぞ」
ノインはカウンターテーブルの縁に体重を預けて腕を組み、床のボスウィットを見下げる。
今現在ボスウィットは、拠点に所属する討伐屋の数に応じて市政府から支給される拠点支援金と討伐屋時代のわずかな貯蓄を頼みに生活している。そのためノインにここを離れられればボスウィットの生活は相応の打撃を受けるはず……なのだが。
「ぬはは。そう怒るなって」
ボスウィットは腰を叩きつつ立ち上がり、笑いながら答える。ノインの言葉に、脅しの効果はなかったようである。身の上とか、その他諸々、ノインの転職や拠点離脱が現実的でないことをボスウィットは知っているので当然だった。
ノイン自身もその辺りは理解しているので、もうそれ以上は何も言わない。
「で、どうだったよ。今日は」
ボスウィットは、近くのグラスに残っていたウイスキーを飲み干すと、ノインに尋ねた。
「狩ったのは一体だ。ナハトレイドは二発使っちまった」
言いながら、ノインはカウンターの前に移動して、ボスウィットと対面するように椅子に座る。そして腰から〈ギムレット〉を抜くと、彼に手渡した。
「……今月、ナハトレイドの消費が激しいじゃねぇか。今日使った分差っ引いたら、あと一発だろ。まだ月半ばだって知ってるか?」
「うっせーな。しゃーねーだろ。しぶとい奴とばっか出くわすんだから。おまけに最近、全体的に魔法使いが利口な気がすんだよなぁ……」
ノインはテーブルに突っ伏すようにして愚痴る。
するとボスウィットはそんなノインを尻目に、テーブルの上の私物を雑に退かすと、近くにあった金属製の工具箱から工具をいくつか取り出した。そしてさっき受け取った〈ギムレット〉をさっさと分解して、銃のメンテナンスを始める。
ノインは、特に仕事終わり、ボスウィットにこうして銃のメンテナンスを頼むことが多い。
もちろん自分でも整備はするが、ボスウィットは銃や弾丸に造詣が深く、こうした作業に関してはノインよりも手際がいい。しかもボスウィットは独自に銃器関連部品の仕入れルートを持っており、修理なども非常に安く済ませられる。
ついでに言うと、ノインの使う通常の弾丸もボスウィットが趣味で作成したものであり、一般的な弾丸よりも威力が高く、しかも低コストという一品だ。一応、拠点所属の討伐屋には毎月頭に一人につき二十発の通常弾とナハトレイドがそれぞれ支給されているが、同月における弾丸の追加支給はないので、万年金欠なノインにとってボスウィット作の弾丸は、非常にありがたいものであったりする。ただし、資源のこともあるので大量にとはいかないし、規格外弾丸の製造は市法上グレーゾーンではあったりもするのだが。
ちなみに、魔法使い討伐においては拳銃が主に使われる。
軍事行動用の
現にノインも、この仕事に就いてからずっと〈ギムレット〉を愛用している。
尚、近接武器は魔法使い相手には危険すぎるので、使われることはほとんどない。
「ま、ナハトレイドがなくても魔法使いは狩れるんだ。何とかなるだろ。俺が現役の頃はこんな便利な弾、無かったんだしな」
「簡単に言うんじゃねーよ。しぶとい個体が多いって言ってんだろ」
「だらしねーな」
「黙ってろ糞オヤジ」
ノインとボスウィットはしばらくそんな取り留めもない会話を続ける。途中でボスウィットがラジオの電源を入れ、店には聞き覚えのないジャズ・ミュージックが流れ始めた。
そしてしばらく経ったころ、ノインはふとあることを思い出して、ボスウィットに言った。
「そういや、そろそろペレットの換金行ってきてくれ。結構集まったはずだ」
言いつつノインは、コートのポケットから今日の成果であるペレットを取り出す。
ペレットの換金は討伐屋本人でなく、拠点の運営者が市政府役場で適宜行うシステムになっている。個々で提出に来られても窓口が混むし、手続きが煩雑になってしまうのだろう。
スキューアでもペレットの管理はボスウィットが行っており、月の半ばに一度だけ換金しに行ってもらっている。時期的にはもうそろそろだ。いつもの如く財布事情が厳しいノインとしては、明日にでも金を受け取りたいところだった。
だが、ノインの言葉に対するボスウィットの返事はどうも覇気がなかった。
「おう」
それだけ言ってボスウィットは作業に戻る。
(……?)
反応を怪訝に思ったノインは、ペレット片手に無言でボスウィットを見やる。
彼の額には、なぜかびっしりと脂汗が浮いていた。しかも手に持ったブラシは〈ギムレット〉の
「……何かあったか?」
「なんもねぇよ?」
そう答えたボスウィットの声は完全にうわずっていた。
するとボスウィットは不意に作業の手を止め、まるでノインの視線から逃れるように、近くの戸棚から小さな茶封筒を取り出した。そしてそれを無造作にノインに差し出す。
「もう行ってきたんだ。渡しとく」
「へ?」
唐突なボスウィットの行動と言葉にノインは少々面食らった。ボスウィットと封筒を交互に見つめながら、彼の言葉を脳内に浸透させる。
封筒は市政府役場で使われているものだった。ペレットを換金した際にはたいていこれに金を入れることになる。ボスウィットも毎回こんな感じで金を渡してくるので、彼の言葉を考慮すれば、封筒にはペレットを換金した金が入っている、ということになるのだろう。
「ほれ、いらねぇなら貰っちまうぞ」
ボスウィットは封筒をひらつかせて、受け取るようにせっつく。
仕方ないので、ノインは持っていたペレットをテーブルに置きつつ、おずおずと封筒を受け取った。ボスウィットが自発的に換金しに行ってくれることは珍しいことでもないが、今回はなんというか、妙な違和感がある。
しかしまぁ、ともかく給料が入ったのだ。ノインはいつものように中を確認する。
が、その時、ノインは異常に気付いた。
「…………」
ノインは封筒の中身を取り出して絶句する。封筒の中を何度も確認し直したが、何度見ても、中にはそれしかない。
「なんだこれ……」
ノインの受け取った封筒の中身は明らかに少なかった。
正確に数えていたわけではないが、保管していたペレットは少なくとも二十個はあったはずだ。単純に計算しても六百ゴルトはあるはずなのに、今手元には三百ゴルト分の紙幣しかなかった。ノインは目の前の男に問おうとしたが、それより早くボスウィットが口を開いた。
「いやぁ、なんか今月だけ買い取り額が半分になるらしいぞ」
――んなわけねぇだろ。
そう思いながらノインはボスウィットに疑念の眼差しを送る。
明らかにボスウィットの視線は泳いでいた。
「……あ、いや違った。実は割れたペレットが多くてよぉ……」
――それでこんな少なくなるかよ。
確かに、物理的に破損したペレットの買い取り価格は下がるのだが、それも微々たるものだ。
ボスウィットは、たびたびその破損をやらかしていたりするが、たとえ全部破損させても、よほどでなければ半減とまではいかない。
「説明してくれるんだろうな?」
ノインは封筒を乱暴にテーブルに置いて、腕を組む。
するとボスウィットは、手元をさっと片付けると、近くにあった
ヘビースモーカーであるボスウィットだが、銃のメンテナンスをしている時に彼が煙草を吸うことはまずない。彼の行動は、動揺しているか、逆にその気を落ち着けているかのどちらかであるのだろう。何か深刻な問題なのかと身構えたノインだったが、やはりボスウィットの目は一切ノインを捉えない。
だがしばらくして、ボスウィットは咥えていた煙草を手近なグラスにねじ込むと、ノインの様子をちらちらと窺うようにしながら、衝撃の事実を述べた。
「今日、
「…………」
その一言でノインは事情をだいたい理解した。
勢いよくカウンターに平手を叩き付け、無言でゆらりと立ち上がる。
「いやぁ、借りた分は勝って返すつもりだったんだが、どうも負けが込んじまってよぉ」
後頭部を掻きながら、ボスウィットは引きつった笑いを浮かべる。だがそれをすんなりと許せるほど、ノインも聖人ではなかった。カウンターの端、小さな写真立ての前に置かれていた銀色のオートマチックを手に取ると、テーブルの上に無造作に転がっていた弾丸一つを素早く弾倉に込め、がちりとスライドを引く。
「はらわた売るか? クソオヤジ」
ノインは左手を伸ばして目の前の大馬鹿者の襟元を捕まえると、カウンター越しにボスウィットを引き寄せた。そして右手の銃をボスウィットの腹部に思いっきり押し当てる。
「俺が命がけで稼いだもんをネコババしやがったわけか? あ?」
「違う、借りただけだ。今日はちょっと腕が振るわなかったんだって」
ボスウィットはノインを制するように顔の前に平手をかざしながら、言い訳にならない言い訳を口にする。負けているのは毎度の事であるくせに、よく言えたものだ。
ノインは額にでっかい青筋を浮かべながら、一層強くボスウィットの襟首をねじ上げた。
「借りた総額は?」
「三百ゴルト」
「……俺の普段の給料のほぼ半分を、ちょっとだけだと?」
「ぬはは……」
「残金は? 端数があるだろ?」
「……ゼロだ」
「一ゴルトも残ってねーのか」
「ない。帰りに残った金で酒一本買ったらぴったりなくなった」
ノインは腕を振るわせつつ、ボスウィットの供述を脳内で整理する。
だが何度精査してみても、この男に生かしておく価値はないという結果が導き出された。
「言い残すことはあるか?」
ノインはついに銃のセイフティを外し、トリガーに指をかけた。
もう迷いはない。ノインはこの時すでに、目の前のオヤジの死体の埋葬先を考えていた。そういえばここの近くに手ごろな空き地があったはずである。
すると、ノインの殺意の膨れ上がりを感じたのか、ボスウィットは慌てて口を開いた。
「お、落ち着け。ちゃんと返す」
「……本当か?」
「ああ。ちょっとしたへそくりみてぇなもんがあるから、それを渡す」
「へそくり?」
聞き返しながら、ノインはボスウィットを睨めつける。
本当にそんなものがあるのか、怪しいところだ。この男の討伐屋時代の蓄えは、もう底を尽きかけていると聞く。加えて、酒とギャンブルで毎日のように散財している現状を見れば、へそくりが貯まるほどきっちりやりくりしているようには思えなかった。
「んなもんがあんなら、なんで最初からそれ使わなかった?」
「へそくりってのは、緊急時までとっとくもんだろ」
実に、調子のいいものである。
「出せる額は?」
「三百ゴルト」
「誠意がねーな」
「三百……三十出す」
「お前の臓器の方が売れそうだな?」
「うそうそ。四百だ」
「死にてーみたいだな」
「わかった。今度おごる。一番街に美味いステーキを食わせる店を知ってる」
「……言ったな?」
「ああ。言った」
その返事を聞いて、ノインはボスウィットを解放した。
銀の銃を元の位置に戻し、ボスウィットに背を向けてカウンターの椅子に座り直す。
「……ったく。なんでてめーはそんなに馬鹿なんだ」
なぜすぐにバレるようなことを、バレるような形でやるのか。上手くやられてもそれはそれで困るのだが、ノインは背後の男に心底呆れかえっていた。
しかしその当人は、
「新台は大したことなかったし、災難だなぁ……」
などと、反省していないらしいセリフを吐きながら、そそくさと銃の整備を再開していた。
ノインはもはや彼の言葉や態度に深く突っ込むようなこともせず、疲れた顔で店の汚い天井を見上げる。この男との喧嘩など日常茶飯事だが、今回ばかりはさすがに嫌気がさしてきた。彼との間にそこまで大した縁はないが、一度真剣に縁切りでも考えた方がいいのかもしれない。
(歳くってこいつが銃の作業できなくなったら、俺がここにいるメリットなくなりそうだよな)
肩越しにボスウィットの作業を見つめ、ノインは身もふたもないことを心中で呟く。
今まではノイン自身もここを去る選択肢を真剣には考えていなかったが、今回の件はなんとも許しがたい。ある人物にはよく『お人よしだ』などと言われるが、自分はそれほど面倒見はよくないと思う。
ただ、ここを出て行くにしても、討伐屋拠点などそもそも数が少ないものなので、後の仕事が面倒臭くなるのは目に見えている。遠方の拠点に登録するにしても、生活のことを考えるとあまり現実的ではないだろう。ノイン自身の境遇に心底うんざりした。
そしてほどなくして、〈ギムレット〉のメンテナンスは完了した。
ノインはボスウィットから銃を受け取り、腰のホルスターにしまう。ついでに、先ほどの封筒もコートのポケットにねじ込んでおいた。返金は催促したが、次の夜まで待ってくれと言われたので、とりあえず今日はこれだけ持って帰るしかない。
「……じゃ、帰るわ」
ノインはボスウィットにそう言って、椅子から立ち上がる。
壁の時計を見ると、時刻は午前四時に差し掛かろうとしていた。終業にはまだ少し早いが、あと一時間もすれば夜明けだ。魔法使いの出現は一旦途絶えることになる。討伐屋は公安に属するとはいえ、住民からの緊急通報などは受けられないので、魔法使いが居なくなればできる仕事はなくなってしまう。
「じゃな」
コートを羽織り直し、ノインは今度は少し小さな声で別れを告げる。
だがそれは、ボスウィットに向けられたものではなかった。
ノインの視線の先にあるのは、先ほどの銀銃の傍に置かれている木製の写真立て。
それそのものは安物で、ありふれたデザインのものだ。
写真立ての中、少し色あせたカラー写真に写っているのは、このカウンター席で向かい合い、何やら言い争っている少し若いノインとボスウィット。その奥には、呆れたように二人を見つめる赤い髪と瞳を持つ女性の姿があった。
そして写真立ての手前には先の銀のオートマチックと一緒に、一輪挿しの白い百合の花が置かれていた。ちなみに写真は、この女性の友人が撮影したものである。
「…………」
ノインは無言で写真から視線を外すと、黙って玄関へと向かう。
くすんだ真鍮製のドアノブに手をかけ、扉を引く。
ドアベルの音と共に外へ出ると、目の前の街路を、冷たい風が通り抜けた。
「寒っ……」
ノインは身を縮こまらせ、小さく震える。
暖房のないスキューアでも、風よけとしては機能していたようである。風に吹かれ、軒下にある『スキューア』の釣り看板と、室内の電球が頼りなく揺れた。
「気ぃ付けてな」
店を出たノインの背中に、ボスウィットの声がかかる。
ノインは返事代わりに軽く手を挙げると、ドアを閉める。そして自宅へと足を向けた。
地霧はほとんど晴れていた。この霧は出ると一晩中晴れないことも多いが、今日は少しだけ早く晴れたらしい。あとは街の各区画に一基ずつ設置された時計台の鐘が鳴れば、物騒な夜も終わりだ。ちなみにこの鐘は日の出と日没――魔法使いの出現と消散時刻を知らせる専用のものであり、その音色も独特なものである。
「ふぁ……」
あくびをしながら、疲れた体を引きずるようにノインは夜明け前の街に消えてゆく。
しかしその背中は年不相応にどこかくたびれ、また、寂しげな哀愁を孕んでいた。
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