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「なんだと!?」
静かだった寝室に、中年男の怒鳴り声が響いた。
壁にかかった振子時計の針が示す現在の時刻は、午前三時過ぎ。男は最初、寝ぼけた頭で電話を受けていたが、その内容が頭を巡るにつれ、彼の意識は覚醒した。
そして先の罵声である。男は、同じ寝室で寝ている妻の機嫌を損ねるかとも思ったが、今はそんなことには構っていられなかった。
『現在目標はロスト。逃げたのはおそらくイースト方面ですが、詳しい居場所は未だ不明です』
電話口の男が伝える状況は、控えめに言って最悪だった。
「なぜそんなことが起きたんだ! 何があった!」
『事故の詳細は判明次第、報告致します』
「施設被害は!?」
『崩落した土砂と、破裂した水道管のおかげで火災は軽微ですが、被害は小さくはありません』
やけに淡々とした彼の口調に苛立ちが募らないでもなかったが、ここで彼にそれをぶつけてもどうしようもない。気持ちを静めつつ、尋ねる。
「……逃げた個体の討伐は可能か?」
『中枢に現れた時に、私の方で小型発信機を撃ち込みましたので、個体識別と討伐自体は可能です。ただ、発信機は強力なものではないので、電波さえ拾えればの話ですが』
「……逃げたのはイースト方面と言ったな?」
『はい。崩落個所から逃げ出した際、目視と発信電波の双方から方角を確認済みです。今現在もそうである保証はないですが、可能性は高いかと』
「……わかった。逃げた個体は公安に討たせる。お前はまず地下施設の被害状況を把握しろ。上には私が直接向かう」
『承知しました』
正直、あまり大事にはしたくなかったが、こうなってしまっては隠しようもないだろう。公安に協力してもらうより他に選択肢はなかった。
「地上の旧研究所付近は、イースト一番署の連中に封鎖させておく。事態に動きがあればまた連絡する」
それだけ言って、男は半ば強引に電話を切る。そして彼は立ったまま傍のテーブルに力なく両手をついた。男がふと部屋を見ると、二つ並んでいるベッドは、そのどちらも空になっていた。寝ていた妻の姿はどこにもなく、寝室の扉は小さく開きっぱなしになっていた。
「くそっ!」
行き場のない怒りを乗せた男の拳がテーブルを叩く。
もし逃げた個体によってさらなる被害が出るようなことがあれば、自分の立場は一気に危うくなるだろう。市議会や内閣からそれぞれ責任追及を受けることになるだろうし、最悪、今の立場からの更迭もありうる。所長の椅子に収まって『彼』を監視するだけの役職だと思っていたのに、就任して数か月でこれとは、まったく運が悪い。
自身の悲惨な未来を想像した男の顔には、汗の滴がひとすじ流れた。
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