二、
ちっ。
由宇奇は第四、つまり一番最近の殺人事件が起きた現場に立っていた。こういう場所に立つことで、由宇奇は稀に、過去に起きた事柄、その場所が記憶している“映像”を見ることが出来る。由宇奇は舌打ちした。半妖半人でありながら、こちらの世界に住む由宇奇は、嫌な空気を感じ取っていた。今回の“連続妊婦殺害事件”、全くもって、気持ちの悪い事件だ。悍ましい光景が脳内に映し出される。痛みにもがき苦しむ妊婦を、そいつは―――男か女かわからない―――ただ、観ている。胎児が無理やり、引きずり出されるように腹から這って出てくる。そのへその緒をちぎり、妊婦をを置き去りにして去る。とどめは刺さない。痛みのあまり、妊婦は子が外に出る頃には死ぬか、死ぬ寸前にまで陥っているようだ。
頭が痛い。映像が途切れた。由宇奇は頭を抱え、うう、と唸った。
この事件、早く解決しなければ、危険な事態が待ち受けている気がした。
―――綺堂の家へ行ってみようか……いや、俺の予想が当たっていれば、あいつの家に行くのは、今は危険極まりない。
それに、綺堂は今、人間世界に居る、そんな気がした。由宇奇はまだ血の痕跡が残る事件現場に花を手向けると、手を合わせてその場を後にした。
*
玄関のチャイムが鳴った。
「はあい」
春代が立ち上がって、クッキーのかすで汚れた服をパンパン、と払った。
「今いきまあす」
春代が去ってから、ドアを開ける音と、春代の悲鳴のような声が聞こえてきた。夏芽は驚いて、玄関まで走る。不審者だったらどうしよう。
玄関にたどり着いた時、夏芽は安堵した。
「綺堂さん……」
「夏芽さん、すまないね、突然来てしまって」
「いえ、綺堂さんが家に来るなんて、なんだか珍しいですね」
「ちょっと、“向こう”の世界で異常があってね。暫く、帰れなくなったんだ」
春代は綺堂の腕を取った。
「さあさあ、中に入って。夏芽の“彼氏”ですものね、歓迎しなきゃ」
「お母さん!それは違う!」
「違いませんよ、“お母さん”。夏芽さんは恥ずかしがり屋なんです」
「そうなのよ、この子ったらね。親に何も言わないんですもの」
「ははは、夏芽さん、少しくらいは僕の話をしてくれててもいいのに」
「だから、そういう関係じゃないです」
夏芽は正直うんざりしながら言った。
「まあ、積もる話は客間でしましょう」
少しして、客間に緑茶がとお菓子が運ばれてきた。
「こんなものしかないけど、ごめんなさいね。じゃあ、あとは若い二人でごゆっくり」
「お母さん!」
夏芽が一喝すると、春代は悪戯な笑顔を見せて去っていった。全く、困ったことになった。
「全く、困ったことになった」
「へ?」
今、夏芽が心の中で思った事と全く同じ文章を、綺堂は述べた。
「困った事って、なんですか?」
「妖怪世界で、妖怪たちが人間を襲うという事件が多発している」
「襲う!どういうことですか?でも、妖怪って、人間を脅かすのが本能なんじゃ……」
「脅かすだけならね。脅かすだけならともかく、人間を襲って喰っている妖怪も居るらしい」
「人喰い女じゃないですか!」
「ところが面白いことに、人喰い女は正常なんだよ。ぎょろ眼は……もうだめそうだったが。いや、それは置いておいて、こんなことは、通常、妖怪世界ではありえない。人間の世界でも、もちろんあり得ない話なんだ」
「どうしてですか?」
「前にも言ったじゃないか。妖怪というものは人間によって創造された存在だ。それが、創造主に危害を加えることは出来ない、と。だから妖怪たちは、驚かすことは出来ても、相手を怪我させたり、殺したりすることは出来ないんだよ。脅かす専門なんだ。ところが今回は、人間を“殺して喰っている”というではないか」
「人間世界で、じゃないですよね?」
「妖怪世界で、だ。妖怪世界にも人間はいる、と言っただろう」
「秩序が、乱れ始めているっていう事ですか?」
「……そういう事だ。妖怪世界は、いま“喪“という時期でね。皆、妖力を弱めて―――祭りで使った妖力を回復する期間として―――喪に服している期間なんだよ。それが、お祭り好きの妖怪たちの”残りの六十五日間“の秘密さ。だがそうやって、眠っているすきをついて、誰かがよからぬことを吹き込みながら歩いているのだろう。妖怪たちに”命令“したり、秩序を変えることが出来るもの、それは何かわかるかい?」
「え?妖怪の、王様とかですか?」
「違うよ」
「じゃあ、“お偉い方”?」
「それは、完全に違うとは言い切れない」
「一体誰なんです」
「誰かは分からない。確実にわかっているのは」
綺堂は緑茶をずずっと啜ってから言った、
「人間だ」
夏芽は驚愕した。
「人間?たかが人間が、そんなことできるっていうんですか?」
「無理だろうね、たかが人間ごときには、そんなことできやしない。しかし、そういった力を持った人間ならば、例えば霊力がある人間や、半妖半人であれば、可能だ」
「前例とかはないんですか?」
「聞いたことはないが……」
綺堂は頭を掻いた。
「家に帰れば即座に調べることが出来るというのに。ああ、もどかしい」
本を持たない綺堂など、想像し難い。
「あの、よかったら、図書館とか行ってみますか?」
「人間の図書館には新しいものばかりが並んでいて、参考にならない。無駄足だ」
綺堂は尚も頭を掻いていた。取り乱している様だ。
「ああ、もどかしい、もどかしい」
項垂れる綺堂に、どう声をかけていいかわからない。辰之助の事も心配だった。綺堂は『もうだめそうだった』と言っていた。もうだめそう、という事は、辰之助も、人を食べる妖怪に変わってしまったのだろうか。
辰之助と初めて出会った日を思い出す。迷う夏芽の手を優しく引いて、綺堂の元まで連れて行ってくれた。蟲男事件の時も、一緒に青森まで行ってくれたり、資料を探してくれたり……世話になってばかりだった。辰之助を助けたい。しかし、夏芽は無力な人間だ。何もしてやることは出来ない。
そう言えば、と夏芽は話を変えた。
「こっちの世界でも怖い事件が起きているんです」
「怖い事件」
綺堂が興味深そうに言う。
「はい、連続妊婦殺害事件、っていう事件なんですけど、臨月の妊婦さんばかりが狙われて殺されるんです。中の胎児は持ち去られているみたいで……この街の周辺で起きている事件なのでちょっと気持ち悪いんですよね」
「ああ、その話なら、新聞で読んだよ。非常に気味が悪く、興味深い事件だ」
綺堂は腕を組んだ。いつもの綺堂に戻っていた。新聞が、妖怪世界にも届くのか、と疑問に思ったこともあったが、綺堂曰く”新聞というものは、お金さえ払えば、全ての人が例外なく読むことのできる筈のもの”なのだそうだ。
「それで……」
夏芽はふとたかねの事を思い出した。
「たかねのお母さん、まなみさんっていうんですけど、今妊娠しているんです」
「……なんだって」
綺堂は険しい顔をした。
「あとどれくらいで生まれる」
「一ヶ月くらいって。しかも男の子だってわかってるって言ってました」
「この事件の犯人は、男児を身ごもった女性ばかりを狙っている。たかねくんのお母さん、まなみさん、危ないかもしれないな」
「はい。でも、安全な病院に入れるから大丈夫だって」
「そういう油断が一番いけない。人間はすぐ、人に任せて安心しようとする。よろしくない」
夏芽は肩をすくめた。綺堂はいつものように、扇子を懐から取り出すと、
「相手は恐ろしい殺人鬼だぞ」
と言った。
「それに、人間世界で起こっているこの事件、妖怪世界がおかしくなった時期と同じころ発生している。もしかしたら、二つの事件は何か関わりあっている可能性がある。しかも、妊婦という神聖なる存在から、その根源である胎児を、生まれ出でる前に取り出している。新たな人間を産ませまいという、犯人のメッセージなのかもしれない。そして、男児ばかりが狙われているのは……自分が男だからではないだろうか」
「男?」
「ああ。この事件は、殺人鬼の過去に影響されていると推測される。あくまで僕の推測だがね。犯人像を推理してみよう。こちらの世界で犯罪を起こしている殺人鬼は、“母親”というものに恨みを持っている可能性が高い。母親に、自分よりも大切な子供を奪われ、そして殺される―――正確には死に至るまで放置される―――という恐怖と絶望と悲しみを与えているのだから。そしてそれは妖怪の世界で起きている異変にも共通する。母なる人間を殺し、食べることで排除しようとしている。やはり犯人は“母”というものに大いなるコンプレックスを抱えている者に違いない。僕はそう推理する」
綺堂の推理は、余りに暴挙的だった。しかし、綺堂の推理は中々外れない。こんな短時間に、綺堂は普段は十パーセントしか使われていない脳味噌の、二十パーセント、三十パーセントを使って考えたに違いない。
夏芽は一瞬興奮した。また、綺堂が、事件を解決に導いてくれるかもしれない。綺堂が、たかねの弟となる少年を、救ってくれるかもしれない。
しかし、ふっと夏芽の胸を満たしたのは、希望でも怒りでもなく、切なさだった。
「自分の親に恨みがあるからって、他の親を傷つけていい筈ないです。きっと、その人が犯罪を犯していなかったら、幸せな家庭が築かれていたはずです」
夏芽たちの様な、幸せな家庭が。
「そうだね」
綺堂も、寂しそうに言った。
「同時に二つの命が、“奪われた”んだ。それが四回も繰り返されている。許されることではない。決して。夏芽さん」
綺堂は立ち上がった。
「この事件、僕が解決してみせよう」
*
くくくく…………。
不気味な笑い声が、人混みの中、微かに響く。誰もその派手な着物を気に留めない。夜崎拾は、今日もいつもの姿で、人間世界を歩いていた。妖怪たちを操るのは簡単だった。今、妖怪たちは催眠状態にある。眠ったまま、人を襲い、喰らい続けている。そしてその内、八千代トンネルが開き、妖怪たちは人を喰らいに街に繰り出す。ああ、楽しみで仕方がない。
こいつらが生きていられるのも、あと少し。あと少しで、妖怪たちによって、人間は滅びる。
俺を捨てた、人間たちを。
俺を捨てた、母さんを。
絶望の中、滅ぼしてやる。
殺してやる。
想像するだけで、心が躍った。
夜崎拾の瞳孔は開いていた。前を見ているのか、空を見ているのかわからないまま歩き続ける。
太陽は苦手だ、日焼けする。日焼けすると、爛れた顔が、痛む。
しかし今は、その痛みすら心地いい。
ああ、早く皆、
死んでしまえばいいのに。
*
綺堂と夏芽が客間で会話をしていると、再び玄関のチャイムが鳴った。春代は、
「今日は来客が多いわねえ」
と言いながら、玄関に向かった。
玄関に立っていたのは、茶色の背広にスラックス、光に当たって緑っぽく見える不思議な髪色に、無精ひげを生やした、青年、由宇奇秋人だった。
「まあ!秋人くんじゃないの!」
「ご無沙汰っす」
以前、秋人の父親が死んだときに、葬式に行って以来だった。こんなに早く再会するとは。春代は嬉しく思った。
「でも、秋人くん、どうして家なんかに?」
「あーはい」
由宇奇はだるそうに、
「夏芽さんって人、居ますか」
「夏芽?なっちゃんに用事?会った事あったっけ?」
「あーはい。実は、春代姉さんの知らねえところで会ってたりして。ほんで、たぶん綺堂って奴が一緒に居ますよね?」
「あらまさか、お二人でうちのなっちゃんを取り合ってるの?まあ、あの子ったら、隅に置けないんだから」
「いや、あの、そういうんじゃないんですけど、とりあえず、用事有るんで、上がらせてもらっていいっすか」
「勿論どうぞ!二人は客間よ」
春代は客間を指した。由宇奇は靴を脱いできちんと揃えると、
「邪魔します」
と言って、客間へ向かった。
がらがらがら。
客間の引き戸が開く。綺堂と夏芽は驚いて、目をやる。
「やっぱここか」
由宇奇は言った。
「ああ、由宇奇。無事だったか」
綺堂は笑わずに言った。
「妖怪の世界がなんか変なんだろ。何となく雰囲気で分かる。てか、言えよな、一応友人だろうが。ただでさえクオーターの俺が向こうの世界に行って喰われちまったらどうしてくれてたんだ」
「喰われるってところまで知ってるなんて、流石ルポライター由宇奇だ、愉快愉快」
綺堂は扇子で口を覆って笑った。
「何が愉快だこの野郎!」
それから小さな声で、
「いつかぜってえ殺す」
と言った。
「それで、由宇奇、何の用だ?」
由宇奇は腰を下ろすと、
「こっちと“向こう”で起こってる事件の、犯人に心当たりがある」
と言った。
「なんだって?」
綺堂は眉を顰めた。
「蟲男事件の時に、週刊誌に駄文を書き散らしが糞野郎がいただろう」
「ああ、いた。あいつのせいで、あの事件は始まったようなものだ。夜崎、拾とか言ったな」
「私と同じ苗字……」
夏芽は項垂れた。
「でも、親戚で拾なんて、居ないですよ」
「まあ、夜崎って苗字も辿ればいくつか出てくるからね、君の親戚とは限らない」
綺堂は言った。
がらがらがら。
また戸が開いた。春代だった。
「あら失礼。なっちゃん、秋人くんはね、夏に、あの人喰い事件があった時に、仲人さんのお葬式があるって言ったでしょ?その亡くなった、仲人さん、秋男さんの息子さんなのよ。秋男さんがいなかったら、私達出会ってなかったし、なっちゃんも居なかったの。感謝しなさい、秋人くんに」
「いや、その当時、俺まだ小っちゃかったんで記憶にないっす。感謝されても困るんで」
「いいのいいの。ほんとは夜、家族三人で食べようと思ってとっておいたケーキ、三人にあげるわ。綺堂さんは夏芽をいつも救ってくれる方で、秋人くんは私達の生みの親。その二人に求婚されてるなんて、なっちゃん、幸せよ」
「ちがう!私たちはそんなんじゃない!」
「ちげーっすよ!俺たちゃ腐れ縁で」
「ちがいますよ、夏芽さんは僕のヒトですから」
三人が同時に抗議する。
「賑やかでいいわあ」
春代は微笑んで、戸を閉めた。
静寂が訪れる。由宇奇は夏芽を見、
「お前と綺堂は分かるけど、なんで俺まで巻きぞいなんだよ」
「知りませんよ!てか、お母さんと知り合いなら言ってくださいよ」
「まさか本当にあの夜崎だとは思わなかったんだよ」
「じゃあなんでここがわかったんですか」
「もしかしたらと思って来てみたら当たってたんだよ」
「夏芽さん、由宇奇、ふたりでこそこそ何を言い合っている」
綺堂は腕を組んで一喝した。
「だいたい、夏芽さん、なんで勘違いされるような態度をとるんだ」
それは夏芽のセリフだった。
「由宇奇、お前もだ」
由宇奇も、同じことを思った。
「……ところで、話の続きだ」
由宇奇は言った。
「夜崎拾ってのはな、俺の幼馴染であり、従兄弟だ。顔半分が爛れてて、包帯でそれを隠している。俺は単に普通の人間と妖怪のクオーターだったから、妖怪の力はそんなになかったが、そいつは、霊力の強い一族を父に持ち、俺と同じ、妖怪の中でも力の強い火間蟲入道を祖父に持つクオーターだったから、妖力に身体がもたなくてな、妖力が溢れだして顔半分が爛れちまったんだ」
「そんなこと、よくあるじゃないか。由宇奇、お前だってクオーターだが、腕に“蟲”が生えている」
綺堂は立ち上がると、由宇奇の袖を捲ってみせた。白い細長い虫たちが、産毛のように揺れている。夏芽は思わず悲鳴を上げて、由宇奇から遠ざかった。
「こんくらい仕方ねえだろ。ハーフなのに外見に何の損傷もないお前のほうがおかしいぞ、綺堂」
由宇奇は綺堂の手を振り払うと、腕を袖の中へ隠した。
「ハーフとか、クオーターとか、とりあえず半妖半人と呼ばれる奴らは皆、それぞれ見た目や心に黒い影を持ってて、それと戦いながら生きている。妖怪世界に逃げ込んで生きる奴の方が多い。何故なら、その方が楽だからだ。でも、親の都合とかで俺みたいに、人間世界で生きていくことにする奴もいる。拾も、その一人だった。俺は、腕という隠せるところに妖怪の面影を残したが、拾は顔と言う致命的な所にその痕跡を残してしまった。本人はそれをとても気にしていてな。本人だけじゃない。親もそれを気にしていた。だからか、母親は拾を虐待してな……」
由宇奇は苦々しい顔をした。
「父親が死んでから、母親は拾を捨てた」
「ひどい」
「顔が醜かったからな。父親がいたからこそ、何とかやっていたようなもんだったんだよ、あいつの家は。母親の虐待を、父親が止めてた。でも、その父親が死んだ。俺は見ちまってよ、死んだ父親の前で泣く母親が、拾に、“お前なんか産まなければよかった”と言うところをね。葬式が終わると、母親はすぐどっかに消えちまった。拾のやつ、泣きもしねえで、な。その日からあいつは心とやらを失ってしまった。人間に最も必要不可欠なものだ。それを、失っちまった。祖父母も居ない拾は、児童養護施設に引き取られていった。それ以来、俺はあいつに会ってねえ」
言い終わると、由宇奇は大きなため息を吐いた。
「人喰いの事件で夏芽が見た男、週刊誌にありもしねえ駄文を送りつけた男、そして、今、妖怪の世界を狂わせ、人間の世界で“母親”を殺しているのは、俺は、拾、あいつだと思う」
「成る程」
綺堂が言った。
「有り得る」
「じゃあ、その人を止めればいいんですね」
由宇奇はため息を吐いた。
「それが、そう簡単じゃねえ」
「そうなんですか?」
「拾は神出鬼没でどこに現れるか、俺でも探れない。見た目は派手で分かりやすいらしいが」
「どんなだ」
「花柄の女物の様な着物姿で、長髪だと聞いている。あくまで、噂だが」
「その男なら、僕も”向こう”の世界で出会った。謎の言葉を吐いていったよ。まさか、あいつだとは……」
由宇奇は腕を組んだ。
「あいつは、何より、強い。恐ろしい程に。あいつは身体の外見以外、すべて妖怪だ。それ故に顔も歪んでしまった。そして、脳味噌は人間。心の歪んだ人間だ。綺堂なら、俺の言っていることがわかるだろう」
綺堂は扇子をぱたりと閉じて、テーブルに置いた。
「妖怪の力を持ち、人間のように恐ろしい思想を持つ。妖怪よりも、人間よりも恐ろしい化物だ」
夏芽にはまだ理解が出来ない。綺堂は説明を加える。
「妖怪というのはね、恐ろしい力を持ちながらにして、それを人間に向けないのは、創造主が人間だからだ。創造主を壊すことが出来ないという“秩序”が、妖怪にはある。人間は、夏芽さんに何度も言っている通り、妖怪のように規則正しく生きず、“秩序”を乱すことで生を得た存在だ。人喰い事件でも、蟲男事件でも、犯人は皆妖怪を利用した人間だっただろう。しかし、この拾という男は、妖怪の妖力を持ち、それを以て人間に危害を加えることが出来る。何故ならば、人間だからだ。人間の血が通っているからだ。だからあの八千代トンネルを通って、この世界とあの世界を行き来することが出来る。しかも、どうやら由宇奇の話によると、拾という奴の心は壊れているらしい。あの平沢利夫のように、宮本雪江のように。すなわち僕が言いたいのは、拾という人間は、人間に危害を加えうる、妖怪だと言っても過言ではない、ということなのだよ」
「ああ」
由宇奇は目を伏せながら同意した。
「あいつは、もう人間というよりも」
夏芽は息を呑んだ。
「妖怪だ」
妖怪は恐ろしくない、という夏芽の“常識”が、今簡単に覆されてしまった。
「人間世界に現れた、妖怪だ」
「じゃあ本当に危ないんじゃ!」
夏芽が言った。
「私の親友のたかねのお母さんが今妊娠してて」
「どのくらいで生まれるんだ?」
「あと一か月後です、しかも、男の子が」
「……夏芽、そりゃほんとか」
「先程詳しく聞いたが、どうやら、本当のようだ」
綺堂は腕を組んだ。
「全く、彼女は悉く、夏芽さんを事件に巻き込んでくれる」
ため息を吐く。
「しかも今回は、我々の手だけでは防ぎおおせない事件かもしれないというのに」
「夏芽、今すぐ、安全な場所にそのたかねの母さんとやらを隠せ!」
「それは、大丈夫です。病院に、入院させるみたいだから」
「それにしても、夜崎拾とやらは、一体何故、こんなことをしているのだろうか。単に恨みだけの犯行にしては、少しやり過ぎな気がするが……」
その時、夏芽の携帯電話がぶるる、と振動した。画面を見ると、『唐沢たかね』と表記されている。
「もしもし、たかね?」
『あ、夏芽?心配していると思って、電話したんだ。お母さんの入院先、決まったよ』
「ホントに!よかった!」
『うん。でもね。どこの産婦人科さんもいっぱいで、結局近くの岐山会病院になっちゃった』
「……そう」
『でも病院だから、大丈夫だよ。心配しないで。てか、寂しがってるから、明日、お見舞いにでも行ってあげてよ』
夏芽はぎこちなく頷きながら、
「お母さんの容態は?」
『容態?全然普通だよ?』
たかねは嬉しそうに言った。
『それに、妊婦さんなんかいっぱいいるんだから、私のお母さんが狙われるなんて、そんなこと有り得ないから大丈夫だよ』
たかねは平気そうに言う。しかし、なんだかんだ今までの事件、たかねが関連している。察するに、たかねはきっと、不吉な何かを寄せ付けてしまう体質なのだろう。心配だ。
「明日、必ずお見舞いに行くね」
『うん、じゃあ、明日』
電話を切ると、綺堂が、
「たかねくんかい」
と言った。
「はい。能天気な子だから、全然事件のこと気にしてないみたいで……。でも、お母さん、病院に入ったみたいです」
「そうか、それはよかった」
「明日、みんなでお見舞いに行きませんか?」
綺堂は頷いた。
「そうだな。心配なご婦人でもあるし、一度顔を拝んでおきたい。まなみさんと言ったね?」
「俺もそうしようかね」
由宇奇が気だるそうに言った。
「あ、それから」
由宇奇は綺堂を見る。
「てめえ、今夜何処に泊まる気だ」
「夏芽さん家に決まってるじゃないか」
「馬鹿言うな。未成年の家に泊めるわけに行くかよ。まあ、両親の仲人の息子としての意見だ」
由宇奇は頭を掻いた。
「とりあえず、お前はうちにこい。その方が夏芽のご両親も安心するだろう、“色んな意味で”」
確かに。と夏芽は頷いた。
「しかし、僕たちは」
「お前のそういう言動が、夏芽のお母さんまであんな風に洗脳しちまってるんだぞ。少しは反省しろ」
由宇奇は綺堂の耳をつまんだ。
「痛いじゃないか!何をするんだ」
「こんくらい、罰だと思って受け流せ。行くぞ」
由宇奇は綺堂を連れて、客間を出た。
「明日、学校休めるか?」
由宇奇が夏芽に聞く。
「多分、大丈夫です。風邪だとかなんとか言って」
「じゃあ、早えが、朝十時に、神坂公園に集合な」
「分かりました」
「夏芽さん、また明日」
綺堂が手を振る。それから、
「お母さん、お邪魔しました」
と大きな声で言った。由宇奇が綺堂を肘で軽く突く。
「だから、そういうところだっつーの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます