第6話 地味子ちゃんが風邪でダウンした!
木曜日の朝、8時に会社に着いて一休みしていると電話が鳴った。朝早くから何の電話?
「おはようございます。岸辺さんですか」
「横山さんか、どうした」
「昨晩から熱があって、今日一日休暇をお願いします」
「分かった、大丈夫か? ゆっくり休んで」
「大丈夫です。すみませんがよろしくお願いします」
声に元気がない。そういえば、昨日帰るころも元気がなかった。風邪でも引いたのか? 部下になってから2か月になるが、今まで、一日も休んだことがなかった。若いからすぐに元気になるだろう。
翌日の金曜日にも朝、電話があり、地味子ちゃんは2日会社を休んだ。少し心配になった。万一のことがあったら大変だから、帰りに寄ってみようと思って、室長に事情を話し、5時になるとすぐに退社した。
住所は分かっているので、WEB地図で位置を確認した。溝の口駅から徒歩で15分くらい。地味子ちゃんがどんな生活をしているか知りたい好奇心もあった。
駅でお弁当を2つとフルーツを買ってアパートへ向かう。2階建ての古いプレハブのアパートが見つかった。2階の端の201号が地味子ちゃんの部屋だ。明かりが点いている。携帯に電話を入れる。
「横山さん、岸辺だけど、心配なのでアパートの前に来ているけど、見舞いに行ってもいいかな」
「ええ・・・ご心配は無用です。大丈夫ですから」
「せっかく来たので、無事を確認したいから顔だけ見せてくれ。お弁当を買ってきたので渡したい」
「分かりました。2階の端の部屋です」
ドアをノックすると、トレーナー姿の地味子ちゃんがドアを開けてくれた。相変わらずの分厚い黒縁メガネ。ドア越しに僕の顔を見るとめまいがしたのか、よろけた。手を伸ばして身体を支えた。
「大丈夫? 入ってもいい?」
地味子ちゃんは力なく頷くので、身体を抱きかかえながら、部屋に入った。1DKの造り、部屋は古いが手入れがされてきれいに整っている。6畳間に布団が敷いてあった。そこへ寝かせる。額に手を当てるとかなり熱が高い。
「熱は何度あるの?」
「朝、計ったら39℃ありました。夕方も同じでした」
「冷やしている?」
「アイスノンが融けてしまってそのままです」
「少し冷やした方がいい。氷はあるの? 冷蔵庫を開けるよ」
冷蔵庫を開けると中はきちんと整理されている。製氷器から氷を取り出して、氷水でタオルを冷やして、それを額に当ててやる。
「冷たくて気持ちがいいです。ありがとうございます」
「医者へ行ったの? 薬は飲んでいる?」
「行っていないです」
「こんな高熱が出ているのに行かなきゃダメだ。今日はもう無理としても、明日の朝行かないとだめだ。咳は出てないから肺炎ではないとは思うけど」
「すみません」
「いつも携帯している解熱鎮痛薬があるから、これを飲んでみて」
地味子ちゃんはしぶしぶ薬を飲んだ。しばらくすると眠ったみたい。どうしようこのままにして帰る訳にもいかない。壁に寄りかかっていると眠ってしまった。
「岸辺さん」と呼ぶ声で目が覚めた。
「すみません。眠ったみたいで、少し楽になりました」
「ごめん、僕も眠っていたみたいだ」
「熱を測ってみよう」
熱を測ると37℃まで下がっていた。時計を見るともう10時だった。
「買ってきた弁当を食べないか」
「いただきます。今日は何も食べてなくてお腹が空きました」
「お湯を沸かしてお茶を入れてあげる」
「すみません。お願いしていいですか」
お茶を入れて二人で弁当を食べる。二人共、お腹が空いていたので夢中で食べた。手を洗ってから、持ってきたリンゴの皮を剥いてカット、キュウイを剥いてカット。
「器用ですね」
「これくらいできるさ」
「ありがとうございます。男の人に果物を剥いてもらったのは初めてです。いただきます。・・・・おいしいです」
「よかった。早く元気になってくれ」
「あのーお願いがあるんですが、聞いてもらえますか?」
「いいよ。何?」
「心細いので、どうか今晩泊まってもらえませんか? お布団はもう1組ありますので」
「ううん、心配だからそうしようか。部下の面倒を見るのも仕事のうち、室長にも訪問すると断ってきたから、いいだろう」
それを聞くと、地味子ちゃんは少しよろけながらトイレに立った。部屋を改めてみると家具は少ないが、清潔感があり、さっぱりしていて落ち着く。
小さな机の上にラップトップのパソコン、また、本箱にパソコンの雑誌も並んでいた。地味子ちゃんらしい地味な部屋になっている。
戻ってくると、よろけながら押入れから布団を出してくれた。それを地味子ちゃんの横に少し離して敷いた。狭い部屋は布団で一杯になった。
「すみません。眠らせて下さい」
布団に横になるとメガネを外してすぐに眠ってしまった。どんな顔をしているのか、寝顔を覗き込んだ。
目をつむっているが、寝顔が思っていたよりも随分可愛い。あの太い革のベルトの腕時計も外していたが、そのあたりに刃物で切ったような傷跡があるのに気が付いた。
手首を切った痕かもしれない。腕時計で隠していたんだな。知らないふりをしよう。明かりを落として布団に横になると眠ってしまった。
習慣からか6時に目が覚めた。起きるとすぐに寝ていた布団を畳んで押入れにしまった。これでまた部屋が広くなった。地味子ちゃんはまだ眠っている。
そっと額に手を当ててみるが、まだ熱がある。やはり医者へ連れて行った方が良い。地味子ちゃんが目を覚ました。すぐにメガネをかける。
「おはようございます。泊まっていただいてすみません。よく眠れてだいぶ良くなりました」
「まだ、熱があるみたいだから、9時になったら近くの医者に行こう」
「すみません。行って診てもらいます」
「もう少し横になって休んでいて、8時になったら冷蔵庫の中のもので簡単な朝食を作るから」
8時になったので、牛乳を温めて、パンをトーストして、卵をゆでて、簡単な朝食を作った。男の作る朝食は簡単極まりない。地味子ちゃんは何も言わずに食べていた。
それから9時にタクシーを呼んで、地味子ちゃんが行ったことがあるという駅前の医院へ連れていった。診断は風邪だった。薬を貰って、コンビニによって昼食用にサンドイッチやおにぎりを買って、またタクシーで帰った。
帰るとすぐに地味子ちゃんに貰ってきた薬を飲ませて、布団に寝かせた。地味子ちゃんはしばらく眠った。昼前には、熱もほぼ平熱まで下がっていたので、昼食を食べたら帰ることにした。
地味子ちゃんはサンドイッチを、僕はおにぎりを食べていると、玄関の鍵を開ける音がする。誰か入ってくる。
「母です」
「はじめまして、岸辺さんでしょ。美沙の母親の野上咲子です。娘がお世話になっております」
「はじめまして、岸辺です。横山さんが熱を出して会社を休んでいたのでお見舞いに来ています」
「美沙が話していたとおりの素敵な方ですね。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。娘が病気で休んでいることは知っていましたが、私もどうしても離れられない用事がありましてようやく来てやることができました」
「僕は何の役にも立っていません」
「そんなことはありません。娘は随分安心したと思います」
「それではお母さまが来られたのでこれで失礼するよ。月曜日は無理して出勤することはないから、火曜日からでもいいからね。朝、連絡を入れてくれればいい」
「私のためにわざわざお見舞いにきていただいて、その上こんな汚いアパートに泊まってまでいただいて、本当にありがとうございました」
母親が訪ねて来るとは思わなかった。でも地味子ちゃんの母親らしい感じのいい人だった。これで、母親に任せて一安心。やれやれ部下の世話も大変だけど、地味子ちゃんといるとなぜか心が休まる。帰って風呂に入ってゆっくり寝よう。疲れた!
地味子ちゃんは月曜日から出社した。元気になったみたいで良かった。
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