第7話 地味子ちゃんの風邪がうつった!
木曜日の午後からなぜか身体がだるくて、仕事に集中できない。幸い今日の午後は会議もないので、早退することにした。室長に断って午後の休暇届を出す。吉本君と地味子ちゃんに仕事の指示をして退社。
帰ったらすぐに寝たいので駅前のコンビニで弁当を買った。明日の朝食は冷蔵庫とストッカーに何かあるのでそれを食べれば良い。
家で熱を測ると38℃あった。手持ちの解熱鎮痛剤を飲んでベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。気が付くともうすっかり暗くなっていた。8時か。熱を測ると37℃。解熱薬で少し下がったようだ。買ってきた弁当を食べてまた眠る。
夜中に目が覚めて、体温を測ると39℃あった。解熱剤をまた飲んで、アイスノンを冷凍庫からとりだして頭を冷やしてまた眠った。明朝、まだ熱があったら休んで医者へ行こう。
習慣で目が覚めたら6時。体温を測ると39℃ある。身体がだるくて、節々が痛い。インフルエンザ? 地味子ちゃんからうつったかも。9時前に会社に電話する。地味子ちゃんが電話に出たので、休暇届を出すことと今日の仕事の指示をした。
今日の金曜日には午後からプロジェクトの進捗会議を設定してあった。進捗会議は各担当がそれぞれの進捗状況を報告して情報を共有するための会議で、何かを決めることもないので気楽な会議だ。
司会はプロジェクトリーダーの室長が行う。説明はプロジェクトマネージャーの僕が行うことになっていた。
会議に使う資料はすでに地味子ちゃんが作って完成していた。室長のところへ資料を持って行って室長に内容を説明して指示を仰ぐように言っておいた。
9時になるのを待って、駅前の医院へ歩いていった。風邪の診断だった。薬をくれた。帰りにコンビニに寄って、おいしそうなケーキや飲み物を買った。家に着くと貰った薬を飲んでまた眠った。
気が付いたら3時だった。お腹が空いたので、買ってきたケーキを食べた。冷えたポカリがおいしい。ここのところ、仕事が忙しかったので、疲れが溜まっていたのかもしれない。また、眠った。
6時半ごろに携帯が鳴って目が覚めた。地味子ちゃんからだ。
「岸辺さん、調子どうですか」
「熱が下がらないので、1日寝ていた。医者へ行って薬を貰って飲んだからじきに良くなると思う」
「お見舞いに来ました。マンションの入り口にいます。ドアを開けて下さい」
「ええ…お見舞い、分かった、開けるから。部屋は3階の309号だ」
ドアのチャイムが鳴ったのでドアを開けると、地味子ちゃんがレジ袋を提げて立っていた。「失礼します」と靴を脱いで上がってくる。
リビングに荷物を置いて、キッチンを見て「休んでいてください。夕食に何か作ります」と料理を始めた。
「気になさらないでください。上司の様子を見に来ました。室長に許可を得ていますし、住所も教えてもらいました。私の風邪をうつしたみたいで申し訳ありません」
「横山さんも誰かにうつされたんだろう」
「吉本さんかもしれません。先々週、身体がだるいとか言って、1日休んでいましたから」
「我がチームは、はやり風邪で全滅か! ところで、進捗会議どうなった? 報告だけだから問題はなかったと思うけど」
「はい、岸辺さんに言われたとおり、室長のところへ資料を持って行って説明しました。そして岸辺さんに室長の指示を仰げと言われていますといったら、資料を作ったのは私だから説明役をしなさいと言われました」
「それでどうなった?」
「いつも岸辺さんがしているように説明しました」
「それで」
「滞りなく会議は終わりました。会議録をすぐに作って室長に提出してきました」
「室長はなんか言っていた?」
「岸辺君がいなくても大丈夫だな! といっておられました」
「それは言い過ぎだと思うけど、まあ、うまくいってよかった」
「消化の良いうどんにしました。食べてください。食欲はありますか?」
「お腹は空く。いただきます」
うどんは出汁が効いていておいしい。味付けが良い。地味子ちゃんも食べている。
「おかわりある?」
「食欲があるから大丈夫みたいですね」
お腹が一杯になると元気が出てきた。地味子ちゃんのお陰だ。熱を測ると37℃。地味子ちゃんは、後片付けをしてくれた。
それから部屋を一回りしてから、ベッドのそばにある一人掛けのリクライニングソファーに腰かけた。
10畳くらいの生活スペースには、家具と言っても、他には大型テレビ、パソコン用の机と椅子、大きめの書棚、座卓しかない。それに少し大きめのセミダブルのベッド。これくらいの大きさがあるとベッドの上で1日過ごせる。
「この一人掛けのソファー座り心地が良いですね」
「外国製で値段も相当したけど、これに座ってテレビをみるといつのまにか眠ってしまう。椅子とベッドは休息に使うから納得のいくものにしている」
「やっぱりブランド好きですね。このお部屋も広くて良いですね、お家賃も高いでしょう」
「本社に異動になった時に独身寮から引っ越した。家賃を会社が1/3払ってくれると言うので少し高いけど良い物件を選んだ。広めの部屋だとゆったりできる」
「彼女が来ても良いように?」
「ううんーまあ、それもあるかな。でも残念ながら誰も来たことがない。横山さんがはじめてだ」
「女の人が独身男性の部屋に行くときは相当な覚悟をして行きますから」
「相当な覚悟ね!」
「私が来たのは業務の一環ですから、誤解しないでください。室長にも断ってきましたから」
「分かっているよ」
「確かに、女性の痕跡が全くありませんね。それに彼女がくるのに本棚にアダルトビデオなんか置いていませんよね!」
しまった! 本棚に10巻ほどビデオを並べているのを忘れていた。地味子ちゃんは目ざとい。しっかり、見られたみたい。困った。
「会社で女の子に言いふらすのだけはやめてくれ。健康な独身の男なら誰でも持っているよ」
「大丈夫です。言う訳ありません。だって、ここへ来たのは室長しか知りませんし、誤解されると困るので他言はしません。安心してください。でも私も興味があるので貸してください」
「もう、勘弁してくれ、熱が上がりそうだ」
「へへ・・・」
「ここに引っ越してから何度も風邪で寝ていたけど、来てくれたのは横山さんが初めてだ。本当にありがとう」
「彼女がいたって前におっしゃっていましたよね。看病に来てくれなかったのですか」
「ああ、風邪だと言うと、うつるといけないから治ってから会いましょうとか言われた」
「そういえば、私の元彼も風邪で寝込んでいた時に見に来てくれなかった。大事な仕事があるからとか言って」
「僕も彼女が風邪で寝込んだと聞いた時、お見舞いに行かなかったけど」
「彼女は一人暮らしだったのですか?」
「いや、両親と同居していた」
「それなら行く必要がありません」
「そうだけど」
「本当にお付き合いしていたんですか?」
「彼女の家まで行って両親に紹介されたくらいだから付き合っていたといってもいいんじゃないか」
「そこまで進んでいるのなら、なぜ来てくれないのか私には分からない。私なら泊まり込んででも看病しますけど」
「横山さんの言うとおり、別れた理由はその辺にあったと思っている。本社に来てしばらくしたころ、提携先の会社を打合せで訪問した時に、頼まれて合コンに出ることになった。そこで彼女と知り合った。彼女は有名大学を出ていて美人で良家のお嬢さんと言うか、気立て良い優しい子だった。僕は一目で彼女が気に入った」
「品質重視でブランド好みの岸辺さんらしいです」
「どういう訳か、彼女も僕のことが気に入ってくれて付き合いが始まった。彼女は3姉妹の末っ子で、姉2人は結婚していた。付き合って3か月くらいで家に招かれて両親に紹介された。奥沢にある大きな一戸建てだった。父親は商社の取締役で、我が家とは雲泥の差。天涯孤独だと言ったら構わないと言われた。結婚したら娘さんとの同居を望んでいたのかもしれない」
「婿養子を考えていたのかもしれませんね」
「僕は彼女を大切にして付き合った。デートの場所やレストランにも気を遣った。プレゼントにお金も使った。そして男女の関係にもなった。素敵な娘と付き合うのが嬉しかった。でも段々付き合うのに疲れて来た。気を使うのはいつもこっちで彼女はそういうのに慣れていた。僕の気遣いが当たり前で、確かに病気の看病にも来てくれなかった」
「そこが私には分かりません」
「そんな一方的に気を使う関係がいやになってきて別れを切り出した。彼女は突然の別れ話に驚いて泣いた。彼女には僕が別れたいと言う理由が理解できなかった。彼女は悪くない、当たり前に自然に振舞っていただけだった。彼女には本当に悪いことをしたと思っている」
「岸辺さんは悪くない。元々相性が合わなかったのだと思います」
「僕が悪かったんだ。それからは女性との付き合いができなくなった」
「私は今の話を聞いて元彼とは別れてよかったと気が楽になりました」
「彼はきっと悔いていると思うよ」
「岸辺さんは優しすぎる。もう少し我が儘に、自分に正直になった方が良いと思います」
「僕には僕の生き方しかできないから」
「私だったら別れたいと絶対に言わせなかったと思う。こんな良い人に!」
「慰めてくれてありがとう」
地味子ちゃんは本当に聞き上手だ。風邪で弱気になっていたのか、こんな話をしてしまうとは。ビデオも弱みだけど、誰にも話してないことまで言ってしまった。
地味子ちゃんだから安心して話せたのかもしれない。聞いてもらったら、いままで持ち続けた鬱積がなくなって少し楽になった気がする。
気立ての良い子より、苦労した子が頼りになる。好きな子より好きになってくれる子がいい。
9時前に地味子ちゃんは明日のお昼にまた様子を見に来ると言って帰って行った。明日にはもう少し回復しているだろう。
土曜日の朝、熱を測ったら37℃だった。ここまで下がってきたから、明日の日曜日一日あれば回復できるだろう。
お昼に地味子ちゃんがまた来てくれた。すぐに部屋の中をひととおり見て回っている。
「お弁当を作ってきました。多めに作ってきましたので、夕食もこれで済ませて下さい」
「ありがとう、弁当を買いに行かなくてもいいから、助かるよ」
「そのうち、食事をご馳走するよ」
「気にしないでください。私の看病をしていただいたお礼です。心細かったのでとっても嬉しかったです」
「AV片付けたんですね」
「もう、それを言ってからかわないでくれ。だから片付けた」
「本棚に『史記』という本がシリーズでありますが、確か中国の歴史の本ですよね」
「そう、先輩から勧められて1巻だけ買ってみたけど、結局7巻まですべて買ってしまった。もう3回くらい繰り返し読んだかな」
「おもしろいですか?」
「紀元前の中国の王朝の栄枯盛衰の歴史だけど、それに絡んだ国王と家臣の信頼、忠義、嫉妬、親子の情愛、男女の憎愛などがリアルに描かれている。紀元前の大昔から人間は全く変わっていないとつくづく思ったし、人間はどう生きるべきかを考えさせられた」
「私も『
「それなら僕も持っている。本棚にないかな?」
「ありました。読んだのですか?」
「ああ2回くらい繰り返し読んだかな、でも納得できない箇所がまだ相当にある」
「私は気持ちが落ち込んでいる時に読んだので、随分助けられました。同じ本を読んでいたなんて思いもしませんでした」
「AVばかりを見ている訳じゃないから、本棚はチャンと見てほしいよ!」
「ごめんなさい。岸辺さんのこと見直しました」
それから、持って来てくれたお弁当を二人で食べた。また、高熱で汗をかいていたに違いないから着替えをした方が良いと言うので、下着などを着替えた。
そして、またひと眠りした。地味子ちゃんはその間に溜まっていた衣類を洗濯してベランダに干してくれたみたい。僕が昼寝から目覚めるのを待って帰っていった。ありがとう。助かった。
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