第5話「しあわせを選ぶ」


ホテルの一室。

「畳の匂いが好き」と云ってくれた。

和室の窓際に置かれた椅子に腰掛け、間を置く、ふたりの姿。

明日の天気について、話題を振ると

「星がいっぱい出てたよ」と、空を見上げる余裕が彼女にはあった。

それを享受できなかったことが、残念に思った。


数日前に、デパートで取り寄せて購入したボストンバッグの中身。

手渡す予定で持ってきた、僕の片割れの本が入っていた。

渡すタイミングは…帰り際かな、と思っていた。



ふたりの好みを照らし合わせたり、共通の基盤について語ったり。

ささいなことや

明日の観光を考えたり

ビールを飲みながら

「お腹がぽんぽこぽんになってる」と

徐々におやすみの時間が近づいていった。


布団の中のことや、お互いの気持ちを確かめたこと。

それがあって充分な思いになった。



今の僕が選ぶのは、

このしあわせを守ること。


そう思った途端、ボストンバッグの中身は、今必要なことに思わなくなった。




自分の過去や、自分の引きずりなどを「打ち明けたい」という気持ち

その「打ち明け」が、相手(彼女)にとって、今必要なことなのか


しあわせな気持ちを感じているなら、

そのままで良いのかもしれない


過去の僕について、彼女が知りたいと訊いてくれた時、

ボストンバッグの中身を手渡してみよう


僕に身を預けてくれた彼女が、これから僕の何処を見てゆくのか



自宅まで送り、車内でふたたび重ねた唇の感触ーー確かな感触だった













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る