第三十五話 衷情

「……華月様? 後宮こちらにいらっしゃって宜しいのですか?」

「妃はおかしな事を言うのだな。ここは王の家、華月わたしがいて何ら不思議はあるまい?」


 黒い寝巻きに身を包んだ、見慣れた金糸を目にした妃は神妙な面持ちで首を傾げ口を開いた。


 王が後宮に来ることは、月に一度あるかないか。常に多忙であるが、ことに今日は国妃達が倭国から帰ってきたので色々と話すことがあるはずで、後宮へ戻れる時間など取れるはずなど、ない、と妃は確信していた。


 けれども、妃も聞き慣れた声で発された言葉は正しいとしか言いようがない。後宮は、凰都国の王である凰 華月の家そのもの。言ってみれば、たとえば政務の途中に足を踏み入れることがあっても事実上、誰も咎めるなど出来はしないのだ。


「その、てっきりお仕事が山積みだと思い込んでいました故」

「立て込んでいるからこそ今一度、妃の顔が見たくなった——迷惑だったか?」


 そのことを十二分に理解していても余りにも突拍子のない行動に、妃は戸惑いを隠しきれずにいながらもどうにか取り繕った。その一瞬の油断に、左右はトンとつかれた両の腕に、背後は勿論壁に、あっという間に閉じ込められてしまう。


 その強い碧眼に抗おうと身じろぎすれば、逃げるな、といつもよりワントーン低い声を落とされて。徐々に近づくその口元には微かに嗤いが浮かんでいた。


「お、お巫山戯もいい加減にして頂きたく」

「くっくっ、流石、観察力は折り紙付き、というわけか。人払いをしておいて正解だったな……で、僕が本当の凰 華月だとどこで気が付いた?」


 本来なら尻餅をついていてもおかしくないくらい手加減無しの男の力だったが、疑惑をもたれている可能性も視野に入れていたのだろう。

 会ったことはないはずだし後宮の者は皆分からなかったのに、と愉快気に嗤う内親王は少しよろめいて後退っただけだ。


 しかめた顔を隠すように妃は俯く。


「ここは凰 華月様の家、と貴方が先程仰られたことが全てにございます」

「成程ねぇ、僕はてっきりアレに言われたのかなと思ったけど。さすがにそこまで気づけなかったかな」

「……それで、わざわざお出向きになられたのはまた、どういった趣向にございましょう?」


 刺々しい物言いにも愉しげに嗤いながら、それでもどこか試すような返答に妃はもはや苛立ちを隠すことなく問うた。

 さすれば、内親王も己が言った同じ言葉を繰り返す。妃の顔が見たくなった、と。まるで言葉遊びとでも言わんばかりに相変わらず唇に三日月のような丸みを携えて。


「正確にいえば、顔を見て話をしてみたかった。一度ゆっくりとね」

「……お二人について、お聞かせ願えるのでしたら」

「さっすが♪ そーこなくっちゃ」


 紫暗に宿る強き眼光は今すぐにでも襲いかからんばかりの殺気を秘めていたが、その心中とは裏腹に内親王の申し出に妃は潔く、かつ、勢いよく自室の戸をスライドした。王以外、たとえ侍女ですら招き入れることのない部屋が開かれ、内親王は満足気にまた、嗤う。


 いつもなら一つの長椅子に並んで座るのだが、今宵は別々の椅子に机を挟んで向かい合って腰かけた。当然といえば当然だ、王と妃の語らいではないのだから。


 そして立場は違えど自国の王子と他国の王子なれば、生まれは同じ。身分は同等。故、対面でも問題はない。何から話そっか、と内親王は腕を組んで首を傾げた。


 それは、問われた事なら答えようと、そういう姿勢。


「お義父上は、第一王位継承権を認め間違えたのでは?」


 妃は眉をひそめながらも、王と同じく声に出して問わなければ答えてはもらえないのだろうと、瞬時に理解して言の音を発した。


 そう、法典に違反をしてまで双子を生かそうと決めたのなら、第一子が男児にもかかわらずわざわざ第二子のしかも女児を後継者にする必要などない。法典が、王位継承を女児に認めないなら尚更だ。


 いきなり核心ついてくるね〜と、軽口を叩きながらもその碧眼がすっと細まる。父上がどうお考えになったのかは、今となっては分からないから僕の推測になるけど、と前置きしてから内親王は口を開いた。


「とりあえず後継者にしてしまえば、王宮では一目置かれるってのはあると思うよ。隙さえみせなければ必要以上に探られることもない、疑うイコール王家侮辱になるからね。幼児期は生みの親が育てると決まっているし。それに第一子も第二子も国妃が産んだ男子となれば、臣下の気も緩むでしょ」

「なるほど、木を隠すなら森の中……全てはあなた方を生かす為の策、と」

「まぁそんなとこ。それに、これは後から知った事だけど、僕はどうやら子が為せないみたいだから丁度良かったんじゃない?」


 まぁ父上はそれも知ってたのかも、だけどねとサラッと返された答えに妃は口をあんぐりとあける。だから男子としてだけでなく、女子としても振る舞えるように仕込まれたと思ってるんだよね〜〜とか何とか続ける内親王の言葉に、理解が全く追いつかなかったのだ。


 生気のない顔をしている妃に内親王は苦笑する。何故、苦笑いされたかすら分からない妃は内親王に目前で柏手を打たれてようやく正気に戻った。


「——申し訳、ございません」

「いやいや、ごく一般的な反応だと思うよ。寧ろすんなり受け入れられたらどうしようかと思ったくらい。まぁそういう事だから後は頼んだよ、お妃様」


 さすがに踏み込んではいけない領域だった、ととにかく頭を下げる妃に内親王はあっけらかんとして笑う。

 それは完全に受け入れてしまっている様な、それでいて現実逃避をしているような、複雑な心境を表していた。


 居た堪れなくなって、また口を開く。


「……義父上ちちうえがお二人とも王子として育てるとお決めになられた、とお伺いした後からずっと不思議でした。では何故、今は内親王なのだろうと。成長に合わせた目眩し、なのですね」

「ほんと、父上も母上も手の込んだことをするよね。どこまで算段を用意しているんだか……さて、君が知りたいことはそれだけ?」

「いいえ、義父上の死について貴方の知る真相を」

「やっぱそうくるか、いいよ? でもその前に、アレと君の結論を教えてよ」


 何とか冷静さを取り戻したらしい紫暗に、軽々しい物言いとは裏腹に鋭い碧眼がぶつかる。有無を言わせんとするその威圧感は、王のそれよりもずっと重い。けれど妃は口を閉じなかった。


「殿下には、選択肢などありはしないでしょう。わたくしは、他殺であるなら貴方か義母上かと愚考致しましたが、筋が通らないので自殺という結論に至っております」

「なるほどね。確かにアレは、疑えない。そして君はいい線いってる……因みに僕の調査じゃ王宮では一時、王太子の仕業って事になってたよ」

「……な、何を、言って」

「どうやら父上が最後に口にしていたのが、王太子からの献上品であるお酒だったってのが理由になったらしい」


 再びショートを起こした思考回路で、それでも妃はどうにかその言葉だけ捻り出す。

 そんな妃の状態を、もしくは王宮の状態自体を面白がってるかの如く内親王はまた無邪気に嗤った。本来真っ先にあるはずの王太子への報告が最期までなかったのもそのせいだよ、と。

 自分の妹のことを話しているとは思えない、そうまるで他人事のように。


「王位継承者が殿下しかいなかった以上、殿下に義父上を殺害する動機などない。王宮の方がそんな事も分からないとは。それに…………え、王太子、ですか?」

「色々混乱してるだろうに、違和感を覚えられるってのは賞賛に値する」


 その時口にしていたものが偶然王太子からの献上品だっただけでは、と言いかけて難しい顔を向けてきた妃に内親王は極上の笑顔を浮かべた。


 王宮で王太子といえば勿論、現国王のことを指す。当時の王宮の人達もそう思ったから最期を迎えてからしか、王太子へ報告しなかった。

 けれど内親王は、今まで通りアレと言わずわざわざ王太子という名称を口にした。国王のことを言ったわけでないのは明白だ。ましてや真実を知る者同士の、質問に対する答え。


 それが示唆するのは、歪められる前の現実。


「貴方が献上した、と?」

華月ぼくは父上のお願いを叶えただけ。タイミングを選んだのは父上だ」

「なっ、義父上は知ってて口にした、と貴方はおっしゃるのですかっ!?」

「たんま。着眼点は素晴らしいけど僕が仕込んだ、なんて一言も言ってないからね?」


 まるで自分が仕込んだ、というような思わせぶりな言葉を羅列しておいて内親王はキョトンとした顔で全てをひっくり返した。許容範囲のパンク寸前、やっとのことで言葉を絞り出した妃だったが三度、混乱の渦へいざなわれる。


 確かに、内親王は前王がその時飲んでいた酒が王太子の献上品だったから、王太子が疑われたとしか口にしていない。更に言えば言葉の端々に仄かしただけで毒殺である、とも明言していない。内親王はただ、王宮で湧いた見解を述べただけ。


「そもそも何故、最終的な結論が病死になったのですか? その状況ならば、毒殺の方が自然な流れでしょう」

「そりゃあ都合が悪かったってことなんでない? それに国王の身体には紫斑があった。どちらとも取れる状況なら、すぐ処理できる方がいい。毒殺だと他殺か自殺かのどちらかで、そうすると事は国王のことだから調査は後継者御自ら行うからねぇ」


 美しき碧眼に影を落とす内親王は、怪訝な顔を向けてきた妃に一切の否定をしなかった。王太子による正式な調査ともなれば、真相はすぐに明るみになる。ソレを良しとしない人物——そもそも病死でないのなら、犯人など明白だ。国王と二人きりになれるなれる人物など、一人しかいない。偽装工作を行える者も然り。


「そんな……だけど、何故……」

「これは僕の推測だけど、僕らの咎事ひみつを義母上に話したの父上だったんじゃないかな。父上はきっと僕らのことを思っての行動だったんだろうけど、母上はそれさえも許容できなかった。案の定、君は罠にはめられかけたしね。だけど今思うと、ソレさえも父上の算段の一つだったのかもしれない」

「何を、言って…」

「何も驚くことじゃないでしょ。王宮がそういうところだって、君も知ってる」


 ただ父上の歪んだ望みを母上がまた叶えただけ、と内親王が吐き出す内容ことばに上手く対応出来ない妃。今まで無邪気に笑っていた内親王はいつの間にか、王とそっくりのその顔でそっくりな昏い笑みを浮かべていた。


 そう、王宮は"チカラ"に群がる人が巣喰う場所。様々な思惑が入り混じり、時にぞっとするほど陰湿で、奇怪。人と人との繋がりが、殺伐としている。嘘偽りが蔓延っているにもかかわらず、それを現実とし真実が明るみに出ることは一切ない。


 王など、言ってみれば血統と歴史を重んじる国という監獄に幽閉された哀れな狗。


 そんな王が自分を納得させる為の結論をどう下したかは、分かりはしない。分かるのはただ、己の為に国妃や内親王がその手を紅く染めたかもしれない、という可能性に呻吟するだろうということだけ。それでも王は、前を向かなければならない。


「……陛下は、お気づきなのでしょうか」

「さぁ? もしかしたらその同じ答えに辿り着いているかもしれないね。でも、そんなことはどうだっていいよ。だって、ソレすらアレを生かす為の布石。それ以上でも、それ以下でもないんだから。僕は、アレと同じ道を歩むことは出来ない。でも、向かう先が同じになるなら何だってする。それが僕の、」


 王を按じて憂いを帯びる、そんな紫暗に向けられたのはやはりどこか他人事のような口調とは裏腹な、どこまでも真っ直ぐな碧の視線。それには真実を胸に秘めながら、偽りを誠ととして貫き通す覚悟の強さがみて取れる。


 言葉は故意的に切られ、その代わりと言わんばかりの嫌になったかな、とは声にはならなかったが確かにそう口が動いた。小さく横に首を振ることで、否の意が伝えられる。漸く、少し安堵したような笑みが浮かんだ。


 語り尽くした、とばかりに内親王は音もなく席を立つ。開いた扉の外は既に、朝ぼらけていた。

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