第三十四話 攻防

「なるほど、実に巧妙だな」

「……陛下、感心している場合ではございません。本当に戦になれば、コチラも動かざるを得ないのですよ」


 国王は妃と並んで、一足先に倭国から戻って来た使者から報告を受けていた。


 使者がもたらした情報は、北明国が樢魏国をうまく誘い込み、その一方で倭国とも謀らい壕羅国と一戦交えるつもりである、というものだった。但し、まだ一応水面下でうごめいているだけで樢魏の王も倭国の大君も関与は認められない、とまで話したところで王は感嘆の吐息を漏らしたのだ。そんな王を、眉を寄せた妃が素早く非難する。


 壕羅は、独立国家だが友好国である凰都国と軍事同盟を結んでいる。それは国内軍がそれほど強くないからだ。だから、もし壕羅国内が戦闘状態になれば妃が按ずる様に、凰都は援軍要請という形で必ず戦に参加しなければならなくなるのだ。


「いや、だってなかなか手が込んでるなと思って。国をあげての侵略でないにせよ壕羅を潰すだけなら、樢魏だけでなく倭国まで引き入れる必要は無いと思うんだが」

「まぁ、確かに。んじゃ、各々に目的がある……とか?」


 納得しているのかと思いきや、あまりの用意周到ぶりに不思議だと首が傾く。漏れ出た言葉に、ただ思いついただけのような使者の返答は鋭い碧と紫を一瞬かち合わせた。

 と同時に、使者はあ、ヤな予感、とぼやくや否やそそくさと退散すべく踵を返す。勿論、妃が見逃すはずも無く使者の逃亡は飛ばされた小刀によって阻止されたわけだが。


 振り返った、あからさまに迷惑そうな金眼に満面の笑みを浮かべた王と妃が写った。


「優秀な友がいてくれて助かるよ」

「ううっ……報酬っ、三倍増しで請求してやるっス〜〜!!」


 号泣して捨て台詞を吐きながら、脱兎の如く部屋を後にする使者に王はヒラヒラと手を振って見送る。


 無言の圧力が伝えたのは、帝国もんはの動きを探れという。まだ内親王からの褒美を得ていない使者からすれば、凰都に残りたかったのが本音だが王命とあっては動かざるを得ない。子供っぽいことを言っていても、対応はなかなか大人といえるか。


「ところで暁、我にそんな目を向けているのはどういう了見?」

「いえ。口の上手さに、少々呆れていただけです」


 じとっ、という効果音でもつきそうな白い目で見る妃に、王は顔を向ける事なく尋ねた。さすれば、明らかに機嫌を損ねた声が返ってくる。

 更に、友などと思っていらっしゃらないでしょうに、と言えば、の友達は我の友達だよととても大事そうに王は語った。


 少し悲しげな碧を捉えた紫が、逃げるように下を向く。


「倭国は、動くのでしょうか」

「誰が話に乗っかったかにもよるが、内親王が出来うる限りの策を講じてくれるよ。最悪、足止めくらいにはなる筈だ」

「……信じて、いらっしゃるのですね」

「それが我の、唯一の仕事だからね」


 今にも泣き出してしまいそうなのを堪えている妃に、王は困った様に眉を下げた。苦笑して、詰まらせた言葉をどうにか吐き出した様子の妃の頬を優しく撫でる。

 それでも、偽りを背負う凰 華月はこの国の為に尽くすのが当たり前だから、君がそんな顔をする必要はないよ、と。王が声に出すことはない。


 そんな想いなど、どう伝えたとしても妃の心が晴れることはないと王には分かりきっているからだ。

 結局王はもしそれでもダメなら我が何とかするよ、とだけ言って徐に妃の膝に頭を乗せて身体を投げ出した。


「陛下、いきなり何を……?」

「んーそろそろ戻んなきゃいけないから、その前に少しだけ」

「……仕方がありませんね、一刻だけなら」


 意図的に会話を終了させた王の意を汲んだ妃は、柔らかな金糸を梳くように撫でていく。


 いくら夫婦、そして王に一番近しい立場といえど王宮では全てを共有することはない。

 否、それ以上聞く必要など妃にもなかった。王に守ってもらわずとも自衛をし、欲しいものすら王に頼らず己で手に入れる。それが王が望む妃の姿であり、妃はそれが出来るから王と同じ道を歩むと決めたのだから。


「君とずっとこうしていられたらいいのに」

「私も、陛下と同じ気持ちにございます……同じ想いを胸に、陛下と同じ道を共に歩むことをここで再度お誓い致しましょう」


 誰もいないけれど、誰にも聞かせたくないとばかりに身を屈め、王の耳元で妃は囁く。

 髪を梳く手が頬へと滑り落ちてくるのと同時に碧眼が伏せられれば、もう言葉などいらないとでも言うように唇が押し付けられた。


 角度を変え、何度も。息も継げないほど矢継ぎ早に何度も、なん度も。もっと、と強請るかの如く王の腕が妃の首に絡まる。

 響く水音すら飲み込む静寂が、二人を優しく包み込む。その空間ごと、時間さえも切り取ったのかと思わせるほど二人だけの世界。


 心の奥底まで堕ち、深淵までも覗き込んで互いの境界すら、曖昧に混ざり溶け合わせていく。

 それでも、やがて銀の糸が名残惜しそうに複雑な距離を描いて——プツリと切れた。


 そんな、一刻だった。


「陛下、調査結果でございます」

「進展は?」

「これといって特に」


 どうにもつまらなさそうな面持ちをぶらさげて仕事場にやってきた王は、側近の言葉を聞くや否や受け取った報告書に目を通す事なく机の片隅へと追いやった。

 その行動に呆れ半分の、それでも非難に満ちた側近の視線は異なる見解を示せる官吏に報告させろ、と一蹴される。


 事は、最近下町で被害が増えている悪徳商業についてだ。悪徳、といっても被害は少額。ただ、最近頻度が増えてきているのでその経緯を探っているところだった。


 次の書簡は無言で手渡される。王は渋々目を通した。


「作業工程をもう少し急がせろ。来月末には終わせねば、雨の多い時季になる。間に合わせるように、と」

「では、視察の調整と共に早速人員増加すると致しましょう。増税したということもあり、災害で収穫量が減るのは本意ではありませんし……こちらはどうなさいますか?」

「またか」


 サインをした決裁済み書簡と入れ替えに、王の手に渡ったのは呉越公国からの三度にわたる結婚の申し込み。渋い顔をして受取を拒否る王に、お断りされるにしても一度くらいお会いになられた方が良いのでは、と溜息をつく側近。


 デリケートな問題ゆえ、王とて個人感情だけで突っぱねてしまうことなど出来ないと承知してはいるのだが。そもそも意に沿えることはあるわけがないので、会うなんて無駄の一言に尽きる。更にいえば王は王宮からあまり離れられないので、振られるためにわざわざご足労願うことになるのだ。


 王はむくれ顔のまま、菊望きくもちの宴への招待をとだけ口にした。側近が目を丸くする。


「宴への出席ともなれば、大公も招待ということになりますが宜しいのですか?」

「仕方あるまい、そうでもしなければ大公にお目にかかれそうもないからな。あぁ、もちろん皇太子殿下と義姉上にもだ。菊水も呼んでおけ。可能なら、強羅の誰彼も」

「承知致しました」


 すんなりと己の意見が通ったことに驚きを隠せなかった側近だが、山のように抱えている問題に一気に当たりをつけようと画策していると知り、恭しく礼を取った。


 菊望の宴。


 年間の節目にある、秋の節供せっく。重陽に不老長寿のシンボルである菊で食卓を彩り、酒を酌み交わしながら月を眺める宮中行事。


 隔年毎に国内だけの者だけでする小宴と、国外からゲストを呼ぶ大宴で開催し、今年は大宴。大掛かりになりますね、と頭を悩ませながら署名が入らないどころか受け取る事さえ終ぞなかった書簡を片付ける。


 そして他の未決裁書簡や報告書を王に押し付けると私は一旦失礼致します、と続けて執務室を後にした。王は目すら向けることなく、ヒラヒラと手を揺らす。


「で、どうだった。追いかけっこは」


 鎮座していた重圧感から解放されたように、伸びをしながら問う王の前に音もなく姿を現したのは言わずもがな隠密だった。


 内親王が使者に隠密を探れ、と言い出す事は王にも分かっていた。とはいえ、それを隠密に伝えていたわけではない。自分でそれに気付き、どんな対処をするかすべて隠密に一任しているからだ。


 まぁ、ある種イジワル、といえなくもない。王の顔がどこか愉しげなのがいい証拠だ。


「なかなか手強きにございましたが、ひとまず小生の嫌疑は晴れたかと」

「まぁそもそも検討違いもいいところだからな、紫苑に義姉上を誑かしアレを危険に晒す理由などない」

「そうであるならば、追っ手まで差し向ける必要などあったのでしょうか? あのお方は確かに全てをお疑いになるのでしょうが、それにしては手緩かった気が致します」

「勿論、疑ってるのは我の方だろう」


 勘違いでしょうか、と隠密が言葉を続けるより先に潮時だな、とカラカラと渇いた笑いが漏れた。王を探るべく放った追っ手だとあっさり告られ、普段から変わらない隠密の表情が微妙に歪む。


 凰都国の現国王は、全てに信頼を置くのを信条としている。情報を欲して追加調査を命ずることはあるが、齎された結果に擬を付することは一切許されない。その中で一番最良なものをただ、選ぶだけだ。だから、その中に悪意ある情報が紛れ込んでいても一つの可能性として王は受け入れるしかない。排除するのは、王以外が行う仕事。


 たとえ都合の悪い事実が上手く隠されて伝えられたとしても、それ以外の情報が出て来なければすなわちソレが真実となる。


「イツワリ貫きマコトと成せ……ですか。つまり陛下はご納得された、と」

「というか初めから一貫して変わらなければ、そう結論づけるしかあるまい。過程が違うのに結果が同じなればそれは必要な現実であるし、それに我という者をまるで分かっちゃいない兄は、王太子の時の命すら見逃すつもりはないようだからな」


 納得というよりは諦めに近い口調で告げると、王は投げつける勢いで分厚い紙の束を隠密に放り渡した。


 自殺他殺の線が完全に否定されていないにも関わらず病死である、という結論だけは変わりのない前王の死に関する報告書。かといって、病死であるという決定打も非常に曖昧であるのでただの紙切れに過ぎないから処分しておけ、とばかりに乱雑に。


「……陛下、誠に勝手ながら少々いとまをお許し頂きたく」

「好きにしろ。弥明後日までには戻れよ」


 結局王は隠密をも一度も見ることなく早く行けと手をヒラヒラさせると、積まれた書簡の山を切り崩しにかかったのだった。

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