第三十二話 表裏

 一つ。また一つ。


 女官から手渡される五色の縒り合わせられた糸が、宮女達の手によって床に立てられた針の小さな穴に通されていく。

 用意された針は、全部で七本。その一本一本に、素早く、丁寧に、そして確実に。全ての針に鮮やかな糸を通し終えると、歪な柄杓ひしゃくの形が出来上がった。


 その後、宮女達は果物などが並べられた宮庭に出てて、針仕事の上達を祈り始める。宮廷内に、祭祀が振るう大幣おおぬさの音が響く。


 長月七日、子の刻。本来ならば牽牛星、織女星が最も見頃になる時間帯だが、梅雨時期である倭国は、例外なく生憎の曇り空。そんな、粛々と祭事が進む中、祭典用の衣裳である五衣唐衣裳に身を包む内親王も鎮座していた。国王が進めている機織りのプロジェクトの成功を祈ってなのか。はたまた、別の事か。もしくは、何の思考も存在しないのか。


 内親王のみぞ知る心の内は、祭祀に注ぐその真摯な眼差しから読み取ることは一切出来なかった。


「内親王殿下、先刻の無礼、心よりお詫び申し上げます」

「秋藤宮様……顔をお上げくださいませ。そもそも先に無礼をはたらいたのは私の方ですから、お互い様でございましょう?」


 三刻ほどで終了した祭典の後の直会なおらい。寝ているのか、とすら危惧するほど祭典中から微動だすることのなかった内親王の御前に、神酒を注ぎに来たのは複雑な表情をした宮だ。


 謝罪を口にしながらも、まるっきり申し訳なさそうな表情を浮かべているわけでもない、むしろ悔しそうな、不服そうな面持ちの宮に、内親王はそう告げると愉快そうに微笑む。


 五衣唐衣裳。俗称、十二単。

 倭国の女性の、第一正装。さすがに大垂髪おすべらかしまではしていないが、左肩のすぐ上でお団子状に束ねられた髪に添えられた翡翠の簪が、その金糸をより一層際立たせていた。


 そうして黙座している姿は、まるで雛人形のように御淑やかで、麗しい。真相を知らぬままのファーストコンタクトがあっただけに、宮にはそれだけ衝撃的だった。


「……寛大なお心に感謝申し上げます。さすが、凰都国で一番美しいと称される王女様。大変お美しゅうございますわ」

「お褒め頂き幸甚に存じます——それにしてもこの重さ、想像以上です。倭国の女性が何故あんなにも健かなのか、身に染みますね」

「いえいえ、下町にて襲ってきた暴漢を追いかけて行かれるほどの強さなど、持ち合わせておりませんもの」

「恥ずかしながら驚くよりも先に、咄嗟に足が動いてしまっただけの事なのです」


 バチバチ。

 音にするならやはり、火花の散る音だろう。そんなにも交流があるわけでもないにかかわらず、顔を合わせたら静かにいがみ合うのは、そりが合わないからか。もしくは、生理的に受け付けないからかもしれない。


 謝罪というには程遠い宮の嫌味にも内親王はニコリ、と愛想笑いを浮かべつつ酒を一気に煽ることで話の腰を折った。直会終了の、合図だ。大王と話をしていた国妃が退場しようとするのに合わせて、失礼致しますとその動きにくさをもろともしない立ち振る舞いで後に続く。


 扇で隠した口元を、三日月にしていたのはやはりすまし顔を浮かべている内親王のみぞ知る。


「はぁ、あの宮様、さすが母上の姪御なだけはある。なかなかに侮れない」

「そーいう割に、ニヤけそーになるのを澄まし顔で隠してるみたいに見えるッスケドね。龍氏なんかはカワイソウに、やつれてマシタよ?」


 一枚、また一枚。


 内親王に充てがわれた部屋の扉が音もなく閉まるやいなや、手触りのいい正絹が、内親王の両肩からするすると滑り落ちていく。


 唐衣からぎぬ表着うわぎ打衣うちぎぬ五衣いつつぎぬを足元に溜めた、長袴に単衣たんいの姿で手が止まる。漏れ出た言葉とは裏腹に、背後からの声にゆるりと向けられた顔には、実に好戦的で愉しげな笑みが浮かべられていた。


「あれは別に、なかなか弁の立つ宮様を少し大人しくする為の過程、だっただけだよ。確かに先生があんな暴挙にでるとは思わなかったけどね……というか、君だって頗る愉しそうに見えるけど?」

「だって総ては必然の理、って事っしょ?」


 ほんの一瞬、碧眼とゴールデンアイの鋭い視線がかち合って——内親王はすっと首を戻すと、まぁね、と勢いよく残りの着衣を取り払った。


 華奢なラインながらも、ほどよく引き締まった身体が惜しげもなく露わになる。当然そこ胸の膨らみなど皆無だが、その白き絹肌は触れずとも滑らかさを伝えていた。


 それも束の間、寝衣に筋肉が覆い隠されれば再び性差を超えた魅惑的な人物が姿を現われる。けれども使者は全く驚くことなく、寧ろ見慣れた様子で自ら注いだ酒を一気に煽った。


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、っていうけどそれにしたってハイリスク過ぎっしょ。この間だって、一歩間違えたら丸コゲになるとこだったし?」

「リスクリスクって誰もが言うけれど、それがそもそもの僕の役割で、そして僕自身が決めた事なんだよ。陛下が全てを信じるなら、僕は全てを疑うと」

「あーぁ、相変わらず月の道は険しいこって」

「……そうじゃない。僕は、疑うという、簡単な道を先に選んだんだ」


 ピクリ、と動いた眉に気付かず、まぁ確かに信じ抜く方が難しいっすよねぇ、と間延びした声を発しながら使者は再び酒を注ぐ。

 他人事とばかりに溢れ出る笑い声に内親王はうるさいっ、と不快感を隠すことなく近づくと、なみなみの盃を乱暴に奪い取って喉の奥へと流し込んだ。あろうことか、使者から徳利までもをひったくると盃を使うことなく一気に飲み干す。


「あぁ、俺の酒ぇ〜」

「情け無い声を出してないで、さっさと報告しろ」

「うぅ……陛下の護衛はほぼ白っす」


 オーボーっす、とかなんとか涙目でボヤきながらも使者は居住まいを正してそう口を動かした。


 そう、使者とて別に酒を飲む為に、ましてや内親王を突っつく為にわざわざ海を渡ったわけではない。彼は紋波帝国の遣いではあるが、あくまで主は妃だ。その為、王宮に害を為すような動きが少しでもあれば働きかけるのだ。


 王宮の敵を排する、その点において内親王と使者は協力関係にあるのだった。


「ふぅん、そう言うからには僕が納得するに足る事実がある——というよりは、紫苑よりもっと怪しい奴が浮上したってところかな」

「うっわー、結局殿下の想定内なんすねー」

「言っただろ、僕は全てを疑うと。それに、陛下が紫苑に話すだろうことは予想出来てたしね。で?」


 とはいっても、情報収集において使者が内親王を出し抜けることは毎回ない。何もかも分かったような余裕すらみせる内親王に、使者は口を尖らせはするけれど、内親王に笑顔で続きを迫られれば素直に口を開くしかない。

 国王よりは出歩けるといえども、立場上の柵が存在するにもかかわらずそこまで正しく把握すること出来る内親王は使者にとって不気味でしかなかった。


「あの元お妃様が、一枚噛んでるのは間違いないんスけどね——どうも以前に陛下がしょっ引いてきた二人も絡んでるようで」

「確か一人は昼間から呑んだくれて女にちょっかいをかけていた体たらくで、もう一人は……」

「その体たらくから賄賂を受け取ってた区域統括役人、っスね」

「なるほど、ね。そこへ繋がっちゃうんだ」


 碧と金が再び、今度はしっかりとかち合って、内親王の口角が片方だけ上がる。


 二人が追っているのは無論、内親王に危害を加えた姉姫を唆した人物だ。学問所のある下町へ王族も行くとはいえ、国王という名の例外はあれど王女が王宮に通じているような権力者と一人で密会できることは無いに等しい。となれば、姉姫に悪知恵を吹き込めるのは相当な地位にある王宮内の者ということになるのだが。


 そもそもが最重要機密である国王と内親王の咎事ひみつを、後から知った可能性のある者など前王の正妃か国王の護衛、側近くらいなのだ。絶対と言い切れない為に疑っただけで、護衛や側近が国王を裏切るとは考え難い。勿論、国妃や薬師など元より知っている者も容疑者ではあるが、その者達ならばわざわざ姉姫を実行犯に仕立てる必要などない。


 そこまで推考して、内親王は使者に隠密の動きを探るように伝えていた。隠密は、国王の命など無くても国王の為なら単独で行動する。王に害をもたらす事なら尚更のこと。


「とはいえ、関係はなかなか薄いっすよ。一応、元お妃サマとは幼馴染的な関係らしーっすけど、一方は王宮勤めで一方は一介の地方官吏に過ぎない。当人同士の接点なんてフツーに考えたらほぼ無いデショ」

「でも、その固定観念が裏目に出た」

「まー仕方ないと思うケドね。必要とはいえ補佐官と統括役人を買収するなんて正気じゃないデショ」

「確かに、我が義母上は常にご乱心みたいなものだった——さて、この件はとりあえず終了、かな」


 窺うようにチラリと向けられる視線に、使者は小さく頷く。


 以前、咎人二人を告発した女が言った事とは少し違うが、言われてみれば地方官吏ではその息子が働かず昼間から飲んだくれられる程の金銭的余裕はない。統括役人に賄賂を渡すなど以ての外だ。けれど、補佐官が統括役人を買収している格好ならば話は別。


 凰都国では、王宮の外に出る書簡は国王がしたためたもの以外、必ず補佐官の検閲を通す必要がある。そして補佐官は、書簡を渡す相手を王宮まで呼び寄せ、当人の面前で手渡さなければならない。だから元王妃は補佐官を懐柔し、補佐官に地方官吏を買収させる事で元お妃の幼馴染に秘密裏に王宮の咎事を伝える事にした。幼馴染から、姉姫への書簡も然り。


 国王がどこまで把握してその二人をしょっ引いてきたのかは分からないが、少なくとも補佐官の横領の証拠は掴んでいたのだろう。でなければ、御自ら下町に赴く理由に出来ない。


 使者から一枚の紙が差し出された。内親王は、内容には一切目を通さずにただ一つ、書き加える。凰華月、と。己の名を。読まずに書いていいんスか、と首をかしげる使者に王は信じる者だから、と内親王は嗤った。


 横領か画策か、いずれにしろ当事者として生き残ってるのは実行犯である姉姫だけ。となれば、文字通り解決とで良いねと。


「それで、もう一方は?」

「そっちは、限りなく黒に近いグレー……ってとこすかね」

「そっか。それは、母上にも伝わってるんだろうな……朱鳥ありがとう、助かったよ。褒美は帰ってからたっぷり、ね」

「期待してマス」


 漸く話が途切れた頃は、もう既に東雲の空。内親王は軽く肩を竦めると、音もなく部屋を後にする。

 残された使者は、山あり谷あり、などと呟きながら内親王の為に用意された寝床に身を沈めるのだった。

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