第三十一話 外遊
「蓮華様、陽華様、ようこそ参られました。此度、
「秋藤宮様、今年も
倭国、
王都から最南端へ下ったところにある港町・
そんな三人を出迎えるは、倭国の統括者である
普段の軽い物言いとは異なる、形式ばった内親王の挨拶に宮はその薄い唇を綺麗な三日月に描く。
「お話には聞いておりましたが、随分と凛々しくていらっしゃるのですね」
「宮様の御前でのこのご無礼、どうかご容赦願いたく存じます。祭典の際は、正装にてお伺い致しますゆえ」
「さてはて、このようにボーイッシュな姫君がどのようにアレをお着こなしなされるのか大層楽しみにございます」
まるで、かの秘密を見透かしているかのような意地悪で、嫌味ったらしい声音だった。
無理もない。
内親王の身を包んでいる長袍は、主に武人が戦場以外で出かける時の格好であり間違っても内親王が公務時にする格好ではないのだから。それが不自然なく似合いであれば尚のこと。
けれど内親王が動じることは全く無かった。頭を下げて丁寧に切り返すと、本日は下町に行くお許しを頂いているので動きやすい格好をと、と続けて上品に微笑む。
そんな二人の間に静かに飛び散る見えない火花に勿論気付いた国妃は、二人の後ろで密かに含み笑いを浮かべたのだった。
「……倭国では確か、カジの葉に願い事を和歌で記すのではなかったですか?」
宮廷にて国妃と別れた後、内親王は薬師を連れ立ち御輿にて下町を訪れていた。いたるところに笹に吊るされている色とりどりの紙が風に揺れるその街は、とても鮮やかだ。しかし、そんな目が覚めるような、様変わりした光景に内親王は首を傾げた。
「えぇ、貴族の邸宅ではそうです。ですが、下町ではこのところ純粋に願い事だけを紙に書いて笹の葉に吊るすのが一般的なようです」
「……なるほど。カジより笹の方が手に入りやすく、詠に拘らなければ子どもでも親しめる。また、道脇に飾れば皆で楽しめるし、何より非常に見目美しい——面白そうだ」
いくら内親王といえど、他国の、しかも変わりやすい下町の情勢を事細かに知っているわけでは無い。御者の説明に納得を示してニッと笑うと、誰が止めるよりも早く動き続けている御輿からサッと飛び降りた。
青褪めた御者が慌てて大騒ぎをするが、内親王は何処吹く風。僕にも一枚、と商人から長方形の短冊を受け取っている。
「殿下、どうぞ御輿にお戻り下さい」
「何故? 市政を知るには自らの足で歩き、触れなければ本当の姿を図れないでしょ」
「……殿下の仰る事はごもっとも。しかし、郷に入りては
「であるのなら、余計に輿になど乗るべきではないんでないの? ここは下町なんだから」
とにかく内親王を追いかけてきた御者は頭を深々と下げて懇願するが、怪訝な顔をした内親王は聞く耳をもたない。御輿から降りてきた薬師の説得にも、独自の理論で応じなかった。
そもそもこの好奇心の強い内親王が見るだけ、などで終われるはずが無いのだ。話しながらも手にした短冊に、数多の選択に幸あれと、かろうじて読める字を刻んでいるところを鑑みるに受け応えが出来ているのが不思議なほど右から左に聞き流しているに違いない。
その状態の内親王には何を言っても無駄であると学習済みの薬師は、肩をすくめながも御者にお引き取り願うべく言葉を交わし始める。だからといって御者も、ハイそうですか、と他国の王族を残して引き下がれるはずもなく困り顔で食い下がる。そんな二人の攻防など、気にすることなく内親王は露天商から腹ごしらえを始めようとしていた。
それに気付いた御者は、間一髪、内親王の元へ全速力で駆けてくる。
「殿下っ! 一体何をなさるおつもりなのですかっ!? お願いですからお立場を弁えられて下さいませ」
「えー火を見るよりも明らかなのに、聞いてくる意味あんの? それに、この国は毒味をしなきゃならないような
「そんなっ!? 滅相もございませんとも。ですが、万に一つ、億に一つという可能性は否定しきれないのです。どうぞご理解頂きたく」
「その何億分の一に当たったなら、それは自己責任だよ……と言っても納得してくれそうにないよね。だったらこの後四刻ばかり僕を自由にして、なんて出来ない相談なんだろうな」
身を震わせて懇願する業者に、さすがの内親王も口元にもっていきかけていた団子を寸でのところで止め、苦笑いを浮かべた。
自由奔放、とはいえ王族である以上、内親王の生活には柵が付き物だ。それ故、御者の言葉は尤もだと、理解は示せる。但しそれは、従うとは別物。
極論を述べれば、内親王がその立場より下の人間のお願いなど聞き入れる必要など全くないといっていい。それが他所の国の者なら尚更。勿論それは、国との関係性を鑑みなければ、であるが。
内親王の相談に、言葉を無くした御者は顔を青くしてただただ首を横に振る。御者にしてみれば、国賓である内親王にもしかのことがあれば非常に困るのだ。それも勿論、己が為で国同士の親交など建前に過ぎないのだが。
どうしたものかな、と頬を掻きながら内親王がついた小さな溜息にさえ、御者は身体を震わせ勢いよく腰を折り曲げる。噛み合わない思惑に、内親王が良策を求めて薬師へ視線を送ろうとした瞬間、大きな音と共に砂埃が立ち上った。暫しのちクリアになったその面前には、うつ伏せに倒れている御者の姿が献上される。
「あーぁ、なるべく
「選択の余地などなかった、かと」
非難の言葉を口にした割に、内親王は悪戯な笑みを浮かべていた。それは半分だけ見えている御者の顔が、その身に起こったこととは裏腹に恍惚としていることにある。
今、三人の近くに他の人間はいない。内親王が手を出していない以上、薬師が何かをした事は明らかだがその顔は普段通り飄々としていた。
「まぁ、ね……それにしても、先生の一瞬で人を昇天させちゃうその手技、スゴイよね。絶対食らいたくない」
「お褒めに預かり光栄にございます」
そんな悪びれた様子もなく語る薬師に褒めてないけどね、と内親王は肩をすくめここぞとばかりに冷め切った団子を口に放り込んだ。
そう、御者とて相手が王族だから下手に出ているだけで、内親王が他国の者である以上、絶対に従わなければならないこと無いのだ。たとえそれが命令であっても、である。
この御者の対応ぶりからして、強硬手段に出るとは到底思えないが、それでも話は平行線を辿るだけで内親王の望みが叶う可能性は低い。そこで、薬師の方が内親王からその命が出る前に強硬手段に踏み切ったのだ。口実は、襲ってきた暴漢を内親王は追いかけたが捉えられなかった、と。
「そいじゃまぁ、僕は自由にさせてもらうよ」
「必ず四刻でお戻り下さいませ」
唇をペロリと舐めて、内親王は上機嫌に再度足を進め出す。残された薬師は、未だ惚けたままの御者をまるで何事も無かったかのように御輿の中へ詰め込んだ。
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