第二十七話 紅線
新月の夜は、とても暗い。
だからこそ春の星座——特におとめ座が、南の方によく見える。ぼんやり浮かび上がる白い芍薬が、蛍のようにそよ風に揺れた。
「……陛下が、私を妃にされたのは両親の愛情を愛だと思えなかった同士だから、ですか?」
無音がその場を支配しかけた時、戸惑いを隠しきれていない表情で、妃はポツリと呟いた。
「それが君の疑問? 前王と国妃の罪と、現王と内親王の偽りを知っていながらも言葉に出来なかった気持ち?」
「ぁ……それだけでは、無いような気も致しますが」
「ふふ、いいよ、一つずつ聞くよ——まず、その答えはノーだ。確かに我も、父上達のした事が愛ゆえなんて思えない。けれど我は自分が性別を偽っていることを勿論認識していたし、君が王子だということも知っていた。同情なんかじゃなくいつでも惹かれているよ、君に。君の強さに、優しさに、弱さに、脆さに……君は色んな一面を見せてくれるからね」
戸惑いを隠しきれない、そんな様子の妃に王は愛おしそうに微笑んで告げる。そして腰に結ばれた紅い絹紐をするりと解くと、その端を自分の左手首に器用に結んでいく。次は、という促しは言葉にせず視線を投げかけて問いながら。
「疑いたいわけではないのですが、アナタのその記憶は、すべて本物でございますか?」
澱むことなくハッキリと言い切った王の、その動作に鋭く細めた紫暗を向けて妃は更に疑問を口にした。言葉を選ぶこともなきまま。箍が外れたかのように、止まることは無い。王は小さく頷く。
「大丈夫、その疑問は至極尤もなものだよ。我が君と違う性別だと君が気付いたのは、さして遠くないことだろうから。でもね、その答えはイエス。姿格好や立ち振る舞いがどれだけ似ていようとも、癖や仕草まではさすがに一致しない。君は我を、凰 陽華かもしれないと疑った事は一度もないでしょ?」
ね、と柔らかな口調で言葉を紡ぎ続ける王の碧眼は少しばかり左上を向いていた。
目は口ほどに物を言う、という言葉があるように人は過去を振り返るとき、相手をまっすぐに捉えているように見えてもその眼球は左上に向いていることが多い。存在自体は偽りだけど、だからこそ語るのは真実だというかのように。
「文所の整備などで王宮の外へ赴く時は、いつも内親王殿下とご一緒していましたが……それも陛下であられた、と?」
「それもイエスだ。王太子として行って何かあったらイロイロ面倒なのは君なら理解出来るよね。それに本来、我は内親王なのだから違和感は無かっただろう? だって君は、兄上に会ったことはないんだから」
「うまく使い分けるのですね……どうやら愚問だったようです。確かにアナタは昔も、そして今も私がお仕えすると決めた凰華月様にございます」
俄かな身体の震えがピタリと止まり、声にも覇気が戻って。
妃は、王の手首から垂れているもう一方の端を手に取ると己の左手首に、王と同じように器用に結びつけた。
「運命の赤い糸の完成、だな」
「白い芍薬が咲く庭園での避夜行。とりとめもない話の一つでしたのに、覚えていて下さったのですね」
「我が言葉を反故にしたことなどなかろう?」
妃の言葉と行いに、王は満足気にその金糸をかきあげて笑う。そして、繋がれた腕を軽く引っ張り妃の手を取ると、その環指に口付けを落とした。
女性である、とはとても思えない王の振る舞いは男である妃でも頬を朱に染めてしまうほど、妖艶でサマになっている。男として育てられたことも手伝って、女だと疑心を抱かせる事すらないくらい漢といえた。
「……さて、陛下の秘め事はそれで全てでございますか?」
「全部だよ、と言っても納得しそうにない顔をしてるな、我が妃は」
「陛下のお話には少々違和感がございます故。ただ、どのように尋ねればお答え頂けるのか、その言葉が思い付かないのです」
王の甘言に絆され、流されそうになっていた妃はハタと気がついた。疑心に満ちた紫暗を向けられた王は困ったように苦笑する。
妃の、何でも知りたがり知ったことは次から次へと吸収していく能力。そして何より、速い頭の回転。それが第五皇子であったにもかかわらず、皇位継承権を持つ者として狙われる羽目になった理由だ。
知らない事を知ろうとするのは何も悪いことではない。けれど、知られたくない事まで知られてしまうのは都合が悪いのだ。妃はそれを分かっていて尚、知らずにいられないタチだった。
「では、もう一つだけ話しておこうかな。あまり知られたくない話だし、結局のところ君を満足させれることじゃないだろうけど。君は、邪宮が存在する理由を知ってる?」
「咎人を一生幽閉しておくところ、と陛下からお伺いしたと思いますが?」
苦笑を浮かべたまま、王にしては珍しく前置きを並べて言葉にし始めた。今までとはあまりに脈絡のない話題に、妃の眉間の皺は深まるばかりだ。それでも認識済の解答を妃が述べると、王は真剣な表情で小さく頷き、今はね、と続けた。
「今は、ということは昔は違ったのですか」
「うん、あそこは産宮だったんだ。我が産まれた直後までは。王の妃は皆、あの宮でお産をしていた。お産だけは戦以外で血が流れる、だから場所が分けられていた」
「けれど、陛下と殿下の誕生で異なる意味の血が流れた場所になってしまった——それが元ご正妃様が幽閉された理由、でございますか? 身分を憚って、というのは口実なのですね?」
漸く、王が言わんとしていることに合点がいった妃は、ハッとした表情で王を見た。王は再度小さく頷く。
「……今まで十数年もの間、知られることのなかった秘密だ。いくら正妃という立場にあったとはいえ、国家機密を知ることなんて奇跡でも起こらないと無理だろうね」
「なのに、何故?」
「考えられる可能性は二つ」
焦りを隠しきれない表情で問う妃に、王は人差し指と中指を立てて言葉を続けた。
元々その事実を知る者がつい口を割った、又は我々が把握している者の他にまだ当時あの場に居た者が生きながらえている、のどちらかだ……と。
「やはり、お父上様はお優しいお方であられたのですね。後者であれば非常に問題ですが」
「ハッキリ言っていいよ。優しいというよりは詰めが甘いと我も思うから、勿論後者ならだけど。ただ、お産とはいえ侍医と産婆、薬師及び数名の侍女しか居合わせる事が出来ない状況で、いくら父上とはいえ事を仕損じたとは考え難い」
「ではやはり、わざと、ですか」
碧と紫、両の目がすっと険しくなった。前者の口を割る、という言葉には故意と過失、二つの意味が含まれている。しかし、皆々、現王に忠誠を誓う身。たとえ拷問にかけられても口を割ることなど考えられないのだ。暴露する意思を持って口を開かなければ。
「父上の件といい、ピースは足りてないままだ。裏切りと決めつけるにはまだ早い」
「……陛下、怨恨の線は無いのですか? 官吏の娘が後宮付きの侍女、というのは珍しく無いかと存じますが」
「ふふっ、だから我は君を妃にしたんだよ」
「陛下、わざと仰られなかったのですね」
必要以上に頭の回る妃に、王は会心の笑みを向けた。妃はむっとした表情で恨み言を言うけれど、王はどこ吹く風だ。大きな溜息が一つ漏れる。
嘘をつくことと、そもそも言葉にしないことは同義でない。知られたく無いことを、まるっと無いはずのことにしてしまうのは国王だから出来る技。
何か、を言おうとした妃の唇に立てた人差し指を王はそっと押し付ける。
その国は確かに、歪んでいた。
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