第二十八話 揺動

『陛下は総てを把握の上で動かれています。それでも、行かれるのですね』

『えぇ。たとえ陛下の手の内でも、陛下が王宮に居る時に僕が動くわけにはいかないから』


 内親王は、大雨が降ったあの日に国妃と交わした会話を脳内で再生させて、大きな溜息をついた。


 王宮の地下にある、第二書庫。否、書庫というには無理があるかもしれない。ただ書物が乱雑に置かれているだけなのだから。どちらかといえば、倉庫といえるか。


 王宮には、王が入ってはならない場所がある。けれども、王だけが入れる場所もある。王宮神殿はその最たる場所だが、もう一つ。それが第二書庫。何故なら、そこにあるのは咎人の本名と、執行された日及び刑罰を記した記録書だからだ。


「殿下……少しオイタが過ぎるのでは?」

「そんなの今更でしょ。これも陛下の手の内。ココは国王ですら、んだからさ。そしてその判官の地位は、宰相同様空白でもオーケー。どう考えても作為的、だよね?」


 苦虫を嚙み潰したような表情で声をかける判官に、お目当てのモノを探す為に片っ端からものすごい勢いでオブジェのように積まれた書物の山を崩していく内親王は聞く耳を持たない。それどころか、悪戯な笑みを浮かべている。


 国王にも意見を述べることが出来る権限がある宰相ならば、内親王にも強めの口出しが出来るものの判官にその権限はない。ちゃんと見張っててよーと口調は内親王のままだが、一応国王として振舞っている今は猶更だ。

 判官も大きな溜息をついた。


「殿下、あまり時間をかけられては……」

「って言うなら手伝ってよねー」


 つい出てしまう小言に何とも気のない声音を返す内親王は、面倒臭そうにまだまだ積まれている書物を次々に押し崩していった。

 万が一見つかったとしても内親王だと見破ることが出来る者は皆無といっていいし、そもそも生まれながらにして大きな規律を破っているのだから気にする必要すらない気もするが、バレないに越したことはないのだから、判官の冷や汗も頷ける。


 別に好きで規律を破っているわけではないのだから。


「私が触れることは許されておりませんので、せめてそれくらいは……」

「全く、頭かったいんだから——お、コレだ。僕たちが生まれた十七年前の今日の記録。何かあるはずなんだよねぇ、父上が隠した事実が」


 情けなく声を震わせる判官に呆れ声を返す内親王は、碧眼だけを忙しなく動かして、表紙に刻まれた年号を確認していっては崩した半分くらいのところにあった一冊を手に取った。


「何というか、随分あっさり見つかりましたね」

「ねー、埃もあんまりかぶってないし……さては誰か規律を破った人でもいるのかな——?」


 内親王は意味深に笑って独り言のように呟くと、取り合えずさっさと出よっか、と目で合図を送りそそくさとその場を後にした。


「おや、手に入れられたようで」

「伯判官を丸め込むのは簡単だったけどね。簡単だけに、ツマラナイ」


 側近に用があるという判官とは途中で別れて、やって来たのは王宮の外れに建てられた第一書庫だ。


 待ち合わせていたように落ち合った薬師に、書物を放り投げると、内親王は設置されている椅子に身体を投げ出した。薄い唇を一文字に結んだ、そのブーたれ具合で整った顔を台無しにして。


「陛下にとっても殿下にとってもリスクは小さい方が良いと存じますが」


 内親王の、どこかスリルを求めているような発言に薬師は顔をしかめながら、その書物を半分よりやや後ろあたりで開けた。


 四月二十日。二十四節気第六、穀雨。執行時刻、九十五刻。一刻は八百四十六秒に値する為、換算すると日が変わる一時間と十二分前だ。罪状は——不敬罪。適用範囲が曖昧であるのに、最も適用される罪状。その刑罰も、選り取り。


 対象者は侍医、産婆、侍女三名に水子の計六名。


「やはり、私が記憶している姓名と相違ございません」

「ってことは、無駄足?」

「いえ、後宮の侍女が皆、本名とは限りませんし、血縁者が同じ苗字だとも限りません」

「講釈はいいよ。大事なのは繋がりが分かるのか分からないのか」

「探りは入れてみますが、ご期待には添えないかと」


 少しイラつき混じりの声音に返す薬師の声のトーンが変わることはない。薬師は、その当時より前から王宮で薬師として仕えていたのだ。ある程度の人物関係はその頭に入っている。その薬師が言うのだからそもそも怨恨の線は否定的であるか、或いはもっと巧妙に隠されているかのどちらかだろう。


「あーぁ、手詰まりかぁ。母上なら、何か知ってんのかなぁ」

「最たる当事者であらせられますから。その分、口外などされないでしょう——ところで殿下、先程より少々暑くございませんか?」

「あぁ……これはもう、ハメラレタって感じ?」


 少しばかり不毛なやり取りを続けた後、薬師の閉じられているかのような細い目の片方が開かれた。色素の薄い琥珀が、険しく光る。窓ガラスに、朱い揺らめきがぼんやりと写っていた。


 内親王は肩をすくめた。


「逃げ出すのか、それとも残るのか、この場合はどちらが正解でしょうか」

「この場合は逃げないと仕方ないでしょ、癪に触るけど。助けが来るより、火の回りの方が早そうだし……さて、どれだけ持ってく?」


 薬師の問いかけは、護衛としてついているであろう隠密が助けてくれる可能性の高低を問うものだ。それに対して内親王は主の救出か不届者の追跡を秤にかけて隠密ならば後者を選ぶだろうと踏んで返答する。その理由は、隠密の優先度が国王にあるからだ。

 王宮に害を為す者は、即ち国王に害を為す者なのだ。


 まだ死にたくないよ、っと軽口を叩いてはいるがその碧眼には焦りが滲み出ていて真剣そのものだ。

 王宮は地下まですべて大理石で造られているのに、この第一書庫だけは何のこだわりか木造建築なのだ。そして、その室内は本棚に書物が埋め尽くされている。その材質は勿論、全て木材だ。そんなものに火が放たれれば、それは一気に灰と化す。


「殿下はソレだけをお持ちになって、陛下の執務室へお急ぎ下さい。吾が必要なモノだけ持ち出します」

「…………了解。じゃまた後で」


 内親王の言葉を全て聞き取る前から、薬師は本棚からものすごいスピードで書物を引き抜いていた。書庫の書物の持ち出しは原則禁止なのだが、王の命令があれば全く問題はない。


 火災という非常事態に考えなければならないことでもない事柄ではあるのだが、内親王と薬師が書庫で会っていたこと自体が異常なのだから仕方ない。


 内親王は渋々頷くと、第二書庫から持ち出した書物を袂で隠すようにして抱えると薬師を見ることなく大股で部屋を出た。焦る気持ちは抑えて、何とか走ることはない。幸い、執務室までの道のりでは誰かに会うことは無かった。


「右京っ!!」

「陛下? 如何なさいました、そのように懸想を変えられて」

「放火だ、早急に消火を」

「すぐに警備兵を動かします」


 執務室に飛び込んで開口一番、叫ぶように告げる。何処、と言わずしても目を見開いて瞬時に把握した側近は迅速的確に号令を行なっていった。その為、鎮火まではあっという間だったが、それでも書庫の半分は燃えてしまった。その報告を、内親王は沈痛な面持ちで受ける。


 薬師が内親王の前に漸く姿を現したのはその二刻ほど後で、更にその二刻程後。目隠しをされ、手足を縄が食い込む程キツく縛られた女性を担ぎ上げた隠密が姿を見せたのだった。

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