第二十二話 静閑

「———」

「———」


 雨が降っていた。凰都国では珍しく、土砂降りである。


 国妃と内親王が、人気のない後宮で何やら話をしているのだが、ひそひそ声などかき消してしまう程の激しい降りだ。二人の足は、やがて正反対の方向へ動き始めた。国妃は自分の宮へ戻っていく。


 つまり、内親王の行く先は——王宮。その身に纏うは、左側の裾に一輪の芍薬があしらわれた上衣下裳。但し、漆黒の。


 それは即ち、国王が選ぶ装い。


「殿下」


 後宮の出口。

 ぽつり、と発せられた音はすぐさま雨音に呑み込まれる。王宮の入り口には、まるで行く手を阻むかのように薬師が佇んでいた。閉じているのかと思えるほど細い目を、片方だけ開けて。露わにされたその琥珀は、しっかりと美しい碧眼を捉えている。


 薬師から伝わってくる無言の圧に、歩みを止めた内親王は小さく溜息をついて渋々口を開いた。


「……分かってるよ、格好だけ真似ても僕は僕でしかない。だからこそ、僕にしか出来ない事ををやる。たとえ先生でも、邪魔は許さない」

わたくしは常に中立、邪魔立てなどは致しません。しかし、陛下がお喜びにならないことくらいお分かりにならない殿下ではありますまい」

「そうだね。だから、これは国王をきよいままにしておきたい僕のエゴ。でもね、陛下も確信犯なんだよ。僕が動くのを見越して、宮を空けたんだから」


 残念そうに、それでもゆるりと首を横に振る薬師に内親王は、王によく似たその顔に、王が浮かべるのと同じ昏い笑みを浮かべて答えた。そして、そっと呟いた。


 己の代わりに穢れた存在ものを背負う為にね、と。


「あくまで、共犯だと」

「常に犠牲はついてまわる。そのことは陛下も承知済み。だって僕らの罪咎ひみつは、一人で抱えられるものじゃないからね」


 雨音に呑み込まれてしまいそうなほど小さな声音だったが、眉間に深い縦皺を刻みながらも片足を後ろに引いたところをみるに、薬師にはきちんと届いたようだ。

 やれやれと肩を竦めて再び歩を進め始める内親王は、早めにお戻り下さいとかけられた声に片手をヒラリと挙げて答えた。


「なんか今日、人少なくね?もしかして、陛下がいないのバレてんじゃね?」

「そのようなことはありませんよ。この大雨で川が氾濫した時に備えて皆様総出で対策を講じておられるのです」

「ナルヘソ、土嚢積みに精を出してるってワケね」


 所変わって王の執務室にひょっこり顔を覗かせたのは使者。

 飛び交う、大きくない声も消し去ってしまいそうな程、王宮にも変わりなく雨音が響いている。空はどんよりと曇り、明かりの灯されていない執務室は仄暗い。そんな中、業務をこなす側近の筆を持つ手は止まることを知らない。


「で、なんでそれで右京サンはご機嫌ナナメなんすか?」

「それは間違いなく陛下のせいです、貴方が気になされる事ではございません。それより、報告を」


 勿論、側近のこの状況は王が宮を空けたせいで作り出されている。

 それを分かっていて尚、愉しげな黄金の瞳を窓の外に向けながら尋ねてくるものだから側近の顔がひきつるのも無理はない。眉をピクピクさせながら側近は早口で認めて話の先を促す。


 そう、使者とて側近の不運を笑うためにタイムリーに現れたわけではないのだ。漸く手を止めた側近の近くまで寄ると、耳元でそっと口を開く。遠くの方で、大きな雷が鳴り響いた。


「ってとこすかね。まっ、帝国うちはよっぽどでない限り動かないと思うっス」

「陛下に伺ってみなければ分かりませんが、凰都こちらも様子見でしょうね」

「確かに干渉するにはまだ早いっすね。倭国の出方次第っしょ」


 何かについての意見がまとまったその途端、うす暗い部屋で黄金と青が鋭くなった。両者の瞳が同じ方向に同時に向く。


「……そろそろ出ていらしてはどうかと、存じます。盗み聞き、とは些かお行儀が悪いかと」

「ありゃ、もしかして最初からバレてた?」

「またまた、気配を完全に消さなかったのは故意的なくせに」


 厳しめの声で咎められて、ペロッと舌を出しながら顔だけを覗かせるのは内親王。上手く雨に紛れさせて来たつもりなのに、と不満顔で口するあたり反省の色などみられない。

 頭を抱える側近の隣で、使者はププッと声を上げる。


「それで、そのような格好をされてまた何をなさろうとお考えで?」

「まぁちょっとね。あえて言うなら、お仕事?」

「むしろお遊びっすよね。陛下には出来ないような、ア・ブ・ナ・イ・オ・ア・ソ・ビ」


 呆れ返りながらも聞かないわけにもいかないとばかりにチラリと片方の青眼を向けた側近に、鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌で返す内親王。それに乗っかるようにチャチャを入れる使者。


 それこそ度の過ぎている二人のお巫山戯は、側近のこめかみに青筋を走らせる。それでもどうにか堪えていられるのは、身分を弁えているからか。それとも慣れきってしまっているからか。


 側近は無言のまま国王の執務机へ移動すると、一番下の引き出しから一枚の紙切れを取り出した。


「さっすが右京、分かってるぅ♪」


 すると内親王は、側近が差し出すより早くスッと引き抜き筆でササっと何かを書き足すとすぐさま懐へと直してしまう。そして再び片手をひらりと上げるとそそくさと出て行ってしまった。


「えーいいんすか、へーか居ないのに、んな勝手して」

「ご心配なく。陛下は宮を空けているわけではないことにしてありますので」

「な〜る。さすが右京サン、分かってるぅ♪」


 内親王にどんな書類を授けたのか察しがついたらしい使者は怪訝な顔で問うが、側近は全く動じることはない。まぁその答えの意味を理解した使者の内親王を真似たお巫山戯には眉をピクピクさせていたが。

 完全に無視を決め込み再び手を動かし始めた面白みのない側近に肩をすくめると、使者もまた音もなく部屋を出るのだった。


 雨はまだまだ降り続いている。


 シーンと静まり返った王宮は、まるで誰もいないかの様な不気味な雰囲気を醸し出している。遠くの方で稲妻が光る。けれど、使者は構うことなく王宮を立った。


「紫苑、待たせた。雨の中、ご苦労だった」

「いいえ華月様、小生に気遣いなど無用でございます。どうぞこちらへ」


 内親王が急ぎやって来たのは、監獄の裏手にひっそりと創設されているだった。


 それは苔刑と呼ばれる鞭打ちや焼印刑といった、場所も道具もあまり要しない刑罰以外を執り行う場所だ。なるほど身体に耐え難い苦痛を与える拘束具を設置していたり、身体の一部を切り落としたりする道具も置いてある。故、勿論、死刑も執行出来うる。


 今そこには、頭に布袋をかぶせられ両手を拘束された咎人が、木製の立籠に首を固定されて雨に打たれていた。その足先は地にスレスレでしか届いていない為、立位の身体を支えているのはもはや首だけ、つまりほぼほぼ首吊りの状態である。

 立枷という刑罰。


 隠密が被されていた布袋を取り去ると、あからさまに疲弊している女の顔が現れた。何事かと女が徐に内親王を捉えたその瞬間、灰色の瞳が大きく見開く。


「……あ、……あぁ……」

「お久しゅうございますね、義母上様?」


 ガクガクと目も顎も震わせる女の顔は、なんでアンタがココにと分かりやすく驚愕を表現していたがその気持ちが言葉として発される事はなかった。

 無理もない、そもそも話しが出来る状態ですら既にないのだから。辛うじて屋根のある場所で、優雅に語りかける内親王の唇が形のいい三日月を描く。


「……あっ、あっ……」

「我と顔を合わすのが不思議で仕方ない、というお顔をしていらっしゃいますね。まぁココも獄所や監獄同様、王ならば来てはならない場所ですので無理もない——けれど、そんな事よりも義母上はどうしてこのような所にいらして、また何をしていらっしゃるのでしょう? 確か邪宮へとお連れした筈ですが」


 内親王は無邪気な笑顔を浮かべたままゆるく首をかしげた。その拍子に、絹のような金糸がサラリと流れ落ちていく。

 そんなほんのちょっとした動作にさえ、女はピクリと肩を揺らし表情を歪めた。


 但しそれは、怯えているわけではない。憎悪を隠す事なく、内親王を睨みつけているのだ。


「……まぁいいでしょう。その状態ではお答えてして頂く事は無理でしょうし、もとより我としても興味はありません。さて、時間もありませんので早速本題に参りましょう。そこからでは殆ど見えないでしょうが、ココに一枚の書類があります」


 一瞬にして、誰もが見惚れるであろう全てを許しあるいは全てを包み込むような微笑みが消え失せた。全くの無表情でそう告げると、内親王は王の執務室から持ち出してきた紙切れを懐から取り出す。


「っ!?」


 すると、途端に灰色の瞳がより一層見開かれた。視界もぼやかすようなこの豪雨であるにもかかわらず、だ。けれど、その反応は決して不思議ではない。この場に回ってくる書類の形式はたった一つしかないことくらい王族なら知っているからだ。


 そう、それは、刑罰執行許可書。


 これが発行されれば、死刑を含む身体刑および追放刑が速やかに執行される。因みに、執行対象はランダム。そして対象者の咎人ナンバーの記載は絶対的に要しない。その理由は対象者が分からない方が良い場合があるのと、極稀に同じ咎人に何度か刑罰を執行することがあるからだ。


 正に今、この時の様に。


「全く、とても驚かされました。邪宮にあのようなカラクリが仕掛けられていたなんて。昔の人は実に博識だ。まぁあの暗闇の中で、それを探し出せた義母上にも驚きですが繋がっていた先が執行場このばしょとまでは思い至らなかったご様子——あぁ、少し話が過ぎてしまいましたね。咎人とはいえ父上の元お妃様をずっとその状態にしておくのも忍びない、お別れのお時間と致しましょうね」


 相手が話せないのをいいことに一方的につらつらと述べた内親王は、ふっと力を抜いて微笑を見せた。死刑を執行する直前とは思えない、つい気を許したくなるような優しい笑みだ。


「あ、ぁ……」

「え? あぁ、我がココにいる理由をお伝えしていませんでしたね。といっても一つしか無いのですが——それは勿論、 に他なりませんよ、義母上様が薄々感づいていらっしゃった通り……ね」


 まだ、強い嫌悪を向けたままの女のなんでアンタがココに、という崩れない主張を汲んだ内親王はサラッとそう告げて一度だけ指を鳴らした。するとそれを合図に隠密によって女の足元に置かれてあった鉄板をすっと引き抜かれる。女の足先が宙に揺れた。完全に首を吊った状態。


 女の顔が、絶望に満ちる。


 あっという間に、死刑の執行は終わりを告げた。後は命が尽きるのを待つだけだ。良い夢路を、と呟いた内親王の声は届く事なく未だ降り続いている雨にかき消される。


 王に害を成したモノは、王の知らぬ間に、静かに、速やかに排除された。

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