第二十三話 文所

「遠路はるばる、お疲れ様でございます。此度の陛下のご訪問、誠に嬉しゅうございます」

「久しいな、十九翔つづと。こちらの方までなかなか足を運べず済まない。いつも報告ごくろう」


 親衛隊長に妃を枸杞園へ連れていくよう指示を出した王は、国軍官長を連れ立って後立州ごりゅうしゅうへとやって来ていた。


 王都から北東方面へ抜けた、田舎地方だ。王の来訪を受けた地方公使は、深々と腰を屈めて出迎えた。


「勿体のうお言葉ありがたく頂戴致します。暫しご休憩を、とも一考致しましたが本日もご多忙のご様子。すぐにご案内申し上げると致しましょう」

「助かるよ、頼んだ」


 長々と述べられる返答の端々に、どこか角があるように見受けられるもののその穏やかかつ柔らかな表情には嫌味を言っている様子はない。王の受け答えからしても、元々のようだ。

 嘘偽など一切表れていない橙色の瞳を真っ直ぐに王に向けて、地方公使は畏まりましたと再度腰を折った。


「今は確か、灌漑施設の増設を急がせている最中だったな」

「左様でございます。川から水を引いてくるのは困難を極めそうではございますが、この乾燥地で農作物を育てるには自然の恵みだけではやはり厳しゅうございます故……王都の方でも一部整備されるとか?」

「相変わらず、情報の仕入れが早いな。滅多にはないが、ひどい大雨の時はあの川は決壊の恐れが常に付きまとってね」


 王がまず案内を受けたのは、なかなか広範囲に及ぶ田畑だった。七割を超える食料自給率の三分の二がここの田畑で賄われている。元は荒地に近かったこの土地がこのように再生されたのは、前国王とこの州に派遣された地方公使の努力の賜物だ。


「なるほど……お父君同様、ご尽力されていらっしゃるのですね。呉越公国についても、随分お手をお回しになられたとか」

「その話、もう出回ってるのか。十九翔にはあまり知られたくなかった、さぞかし幻滅しただろう」

「いいえ。今も公国に助力されていらっしゃるとか。茶番とはいえ、守るため育むため戦いであると理解しております」


 少し後ろめたそうに頭をガシガシ掻く王に、ふふと見守るような眼差しを向ける地方公使。白髪混じりの頭に、微笑むだけで顔に刻まれる深い皺は初老を思わせ、まるで孫でも慈しんでるかのようだ。


「そういえばどうだ、文所はその機能を果たしているか?」


 ズバリと言い切られてしまい、照れ臭くなってしまった王は案内人より先にズカズカと進んでいく。その金糸はやはり人目を惹くのか、農業に勤しんでいた庶民に好奇の目をチラチラと向けられていたが気にかけられないほどそのスピードは速い。

 突き進んだ先にさほど大きくない建物が見えて、王は漸く足を止めた。


「えぇえぇ。非常に博識な方をお迎え出来ましたお陰で、皆々が教養を身につけようと日々励んでおります」


 大きく二回頷き返しながら、地方公使はゆっくりと王に追いつく。その反応に、王は顔を綻ばせた。


 文所とは、主に王国の庶民が通う学校である。広く教養を広めるための国の政策の一つである学問所を創設した際に、地方にもと内親王が働きかけて創設されたものだ。

 といっても王都のある南から順々に建設を開始した事もあり、隣国との境目でもあるこの後立州にたどり着くまでには大層長い年月を要したのだが。


 因みに、文所で教鞭を振るうのは元国王の元妃達も含まれる。これこそ法典にて定められた奉仕活動の一種だ。とはいえ、元妃の人数など限りがあるので実際には官吏になりそこねた貴族が勤めるとこが多いのだが。


「ところで、陛下は暁様以外にお妃様は召されないおつもりで?」

「…………お前がそれを聞くのか?」


 ニンマリ顔を崩さないまま興味本位に聞いてくる地方公使に、王は呆れ顔を返した。

 文所の先生として迎えるなら、教養を身につけている元妃の方がただの貴族よりもずっと良い。そういう考えからの言葉であるとは王も理解したが、王に多数の妃を迎える気の無い事を地方公使もよく知ってる。


 それ故に、地方公使の発言は王を苛立たせた。


「いえ、まぁ、お気持ちが変わられる事もあるかと思いまして」

「もし仮に我が妃を迎えることになっても、その者は後宮の家具のごとく陳列するだけになるだろうな」

「それは残念——陛下、これは老いぼれの節介にございますが、あまり王家を蔑ろになさいますと後々面倒でございますよ」

「……全くだ」


 すぐに引き下がったところを鑑みるに、ただの老婆心であった様だ。気持ちはどうあれ、頭では理解している王は深く息を吐きつつ同意を示す。


「さて、その他、陛下のお望みは何でございましょう」

「そうだな、隣国については」

「至って良好な関係を保っております。特に隣接部とは特産品の売買が盛んに行われております。ただ……そのお隣は、何やら不穏かと」


 始終穏やかな微笑を浮かべていた地方公使の、その橙が鋭く細まった。王は眉間に縦皺をつくる。


 隣の東西に長い同盟国、壕羅ごうら。その国の更に東側が、北明国だ。完全に閉じているわけでないが、外交が盛んではな上にガードが固く国内の情報が殆ど漏れでてこない、未知の国。


「やはり、そうか。あの国は何考えてるか分からんな……まぁ倭国は海の向こうだからすぐに何か、などは無いとは思うが」

「気にされるのは無理もありませんがいっそのこと、お母君様に委ねてしまっては? もし陛下のお力が必要となることがあれば、直接お申し出になられることでしょう」


 会って初めて、その橙に碧眼が合わさった。意表をつかれた、とばかりのきょとんとした顔にほわほわしたドヤ顔が向けられる。良い提案というよりはつまるところ様子を見るしかないだけ、ということなのだが王はふむふむと頷いた。


 凰都国の国妃の地位は、本来王妃ほど権力を持ち得ない。しかし、王妃が不在であるならば一時的にその権力は国妃へと移ることが法典で定められている。加えて今の国妃は倭国出身。情報を集めるのに苦労はない。


 そういう状況であるのに、王はあらゆる全ての事をその背に背負おうと躍起になっている。それが王として正しい姿といわれればそうかもしれないが、若齢の王がすぐにでも潰れてしまいそうで地方公使は気を揉んでいた。


 まぁ今の王の反応は、どうやら考えつかなかっただけの様だが。


「……一応、引き続き探りは入れておけ。何か動きがあれば、報告を。灌漑についても随時」

「仰せの通りに。ところで、国軍官長殿をお連れになられて陛下はこれからどちらへ?」

「ちょっと、姉上に会いに……な」


 歯切れ悪く答える王は、怯えている様にも期待しているようにも見えた。その姿に、地方公使は成程、あの事でございますねと小さく頷く。


「ここから枸杞園までは、二刻ほど馬を走らせる必要がございますね。少し休憩なされた後、早々に立たれるべきと存じます」

「あぁ、そうさせてもらう。問題はない、と思うが暁が心配だしな」

「……陛下、無礼を承知で申し上げますがあまり物事をお抱え過ぎてしまわれませんよう」


 やはり孫、否、これはもう子どもに向ける心配が小言になって表れていた。王は面倒くさそうに分かったを二回繰り返して手をヒラヒラと振る。但しこれは、反抗心ではない。

 王は王で地方公使の心遣いをきちんと汲んでいるし、地方公使の方も王には無理しなければならない時が多少なりともあると分かっている。だから互いに穏やかな面持ちなのだ。


 王はもう暫く地方公使と談笑した後、国軍官長とともにその州を立ち去った。

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