第二十一話 視察

 一向は凰都、呉越、紋波に跨る三國みくに大山たいざんの方から流れる川に沿って上っていた。


 王のワガママで御輿ではなく、馬での旅路。向かう先は、王都より北西方向にある呉越公国と共同で建設中の機織染色工場。公務という名の、ハネムーン。政務の暫くは、国妃と側近、それこそ内親王に丸投げして来た。


 なので、いわゆるこれはお忍びだ。


「殿下、お待ち下さいっ。お一人で先々飛ばされませんようっ!!」


 王宮から出た王は、まるで水を得た魚。否、風のように馬で駆けていた。その後ろに、相変わらず官吏に扮した妃が続く。更に後ろにハラハラと焦り顔の親衛隊長が、国王だとバレない様にわざと内親王だと言いながら付いてくる。


「維嗣、遅いぞ。それでは護衛の意味がないだろう。それとも暁にさせるつもりか?」

「そんなこと仰られても、お二方がお速いだけですって」

「陽華様、あまり意地悪されるのはお可哀想ですよ」


 ハハハ、とテンション高く冗談を口にして笑う王の、馬で駆ける速さが落ちることはない。凰都と呉越を南北に走る雄大な川を左手に、砂利道を物ともせず駆けていく。王でありながら国内一、二を争う騎馬の腕。


 そんな王に、ふふと上品な笑みを浮かべながらついていく妃は、何者か。


「暁にそう言われてしまっては仕方ないな」

「では、少し休憩に致しましょう。馬達も休ませてあげませんと、後に支障が生じますので」


 妃の諌めに応じる形で、王は速度を徐々に落とし馬を止まらせた。ようやく追いついた親衛隊長はゲンナリとした顔で、馬を降りた王と妃から手綱を受け取ると馬の給水のために川へと向かう。


 王はと言えば、小麦を練って作られた瓶という携帯食を妃が機敏に用意するのを待ちながら、竹林の合間から大空を見上げていた。その若葉の隙間からは、日の光が雨のように降り注いでいる。相変わらず、宣言通り白い襦庫に身を包む王は儚く、その木洩れ日に溶け混んでいた。


「美しいですね。後宮庭園も見事なものですが、比べる事すら赦されない気にさえなります」


 瓶と茶を運んできた妃は王の御前に立つとどうぞ、と微笑む。まるで光線を遮ることで王を守ろうとするかのように。境界をハッキリさせる影に包まれた王は、どんな美しさも暁には敵わないよ、と軽口を叩く。

 紫の両目に、王宮にいる時では決して見ることのできない穏やかな笑みが写った。またご冗談を……と、どことなく戸惑いをみせる妃の視線が僅かにそれる。


 王は苦笑いを浮かべた。


「殿下、本日のスケジュールですが建設現場の視察の後、どちらの離宮へ行かれますか? お近くでしたら、姫百合宮か杜若園かきつばたでしょうか」


 手綱を適当な枝に引っ掛け、餌を与えた親衛隊長は王の元に寄って広げた地図を指さす。この大山の凰都領に建てられているのが候補に挙げられた二つだ。


「鈴蘭は良いとしても、杜若はまだ見頃ではないだろう。それにもう決めてある、枸杞園ぬみぐすりだ」

「!?」

「殿下っ、そこは一応、帝国領だと認識しておりますが?」


 しかし、王が指差したのは工場のある麓より更に北北東に大山を登った中腹に建てられてある宮だった。それを知る妃は目を見張り、親衛隊長のあげた声がひっくり返る。


「勿論、把握している。しかし、あの辺りは国境というには曖昧だし、そもそもあそこを建てたのは我が義姉上だ。それに我が后は紋波の出身、問題あるまい」

「……そう言い切られるからには、総てお手回し済ということなのですね」


 それもそのはず。他領に建てられた宮を訪ねるなど、いくら国王であっても問題ないわけがないのだから。何か口を開こうとした親衛隊長より早く、妃が口を開いた。あまりにも冷静だった。


 そう、この狡猾な王に限ってそのような初歩的なミスをするハズがないのだ。ならば、言わなかっただけで既に許可は得ていると考えられる。眉間に皺を寄せた妃の険しい面持ちは、ふてくされているというより悔しさに満ちていた。


 王の昏い笑みが深くなった。


「我についてきたこと、後悔するか?」

「……いいえ、愚問でございます。私はいつだって、陛下あなたと共に」

「では、参ろう。待たせ人は気が短い故、一気に駆け抜ける」


 王はくるりと妃に背を向けると、大股で馬のところへと戻り軽々と飛び乗っては早くも走らせ始める。

 一瞬呆気にとられた妃と親衛隊長も、急ぎその後に続いたのだった。


「陛下、お待ちしておりました」


 竹林を抜け切ったところに大きな建物が川を挟んで二つ立ち並んでいた。その手前には長さ一尺二寸程の新しい石橋が架けられている。その横に一人佇んでいたのは、武官だった。長い茶髪と、マントが川風に靡く。


「しばらく、だな。どうだ、首尾は」

「万事上手く、と申し上げたいところですが流入の影響は思ったより大きいものになっています。公子様がご対処なさっておいでですが……」

「今ひとつ、というところか。まぁ二月程だからな、まだ暫くかかるだろう。上手くサポートしてやれ」


 あの茶番戦争からの呉越の開国以降、武官は呉越にて度々勃発する乱闘を収束させる役を担っていた。それが凰都が約束した軍事力の援助というわけだ。

 あまり芳しくない報告を受けた王は、腕組みをしてため息をつくとやや投げやりに告げる。王と同意見なのか武官は敬礼しては、公子様も既に到着しておいでです、と石橋の先へと王を促す。王は川の流れすら確認するように、ゆっくりとした足取りで川を渡った。


「お久しゅうございます、国王陛下」

「弥凪、宴以来だな。息災のようで何よりだが……苦労しているようだな」

「陛下の御力をお借りしておきながらお恥ずかしい限りです。しかし、少しずつですが父上も内政外交ともに向き合うようになりましたので、これより好転に向かうかと」


 王が橋を渡りきると同時くらいに、タイミングよく、出迎えるかのように姿を現した公子はゆるりと腰を折った。その拍子に腰ほどまである白銀の髪がさらさらと落ちていく。


 王は片方の口角を上げた。


「それは朗報だな。コレが完成したら統制も更にしやすくなろう。協力は惜しまぬ故、どんどんコキ使うが良い」

「ありがたく存じます、陛下」

「で、雇用数はどうなりそうだ? 定員は染色に二十五、機織三十、栽培その他予備員に八と聞いているが」


 王は横に控えている武官をチラリと見やって告げる。そのしたり顔を見ても、武官は表情一つ変えない。


 いくら国軍とはいえ、他国での揉め事の仲裁など任務外のナニモノでもなければ、そもそも軍官長自ら遂行するモノでもない。けれど、それも国王直属ということもあって、国王の命ならばたとえドンナモノでも優先して遂行すべき任務に成り代るのだ。


 武官の無反応を是と受け止めたのか、王は満足そうに機織工場の外周を歩き始めた。半歩後ろを公子が追従する。


「はい。それぞれの職人を総じて二割ほど我が国の雇用で既に決定させて頂いております。それらも今は無職の者ゆえ、残数は貴国の割合が大きくなるようにする予定にございます」

「公国の民の割合が大きめにならざるをえないのは承知している。が、あまり偏らぬよう注意を払え」

「人は少数派を排除する傾向にありますので、その辺りはキッチリと。建設に携わられてる方で希望があれば、引き続き来て頂くことも考えております」

「火種は最初から摘んでおかねばと思ったが、要らぬ心配だったな」


 緩やかに談笑しながら、二人は石橋を渡り染色工場も見回り始める。あちらが木造に対し、こちらは石造だ。なるほど、排水設備も整えてある。工場の裏手は、綿花を育てる環境整備中らしかった。


 建設に携わっている者は、ざっと三十人ほどだろうか。少ない気もするが、完成まで後一歩まできているからだろう。王にはチラチラと視線が向けられはするものの、庶民の格好をしているからか働き手の動きが止まることは無い。


「陛下、そろそろ」

「もうそのような刻か……弥凪、我はそろそろ失礼させてもらう。ついでに地方も見ておきたいのでな」

「相変わらずご多忙であらせられるのですね」

「我にしか出来ない事だからな。大公にも宜しく伝えてくれ。後、左京を少し戻してもらう」

「ご存分に」


 内部を窓から覗き見て、あらかた確認し終えたところで計られたように武官から声がかかった。王は南西に傾いた太陽にチラリと目をやって、ふぅと一息つく。先回りして、この後に予定されていそうな付き合いをやんわり拒絶を示した王の言葉に、公子は眉をハの字にして苦笑いを浮かべた。


 けれど、王の意思が変わることはない。それを察した公子はゆるりと腰を折り曲げる。王はひらりと後ろ手に振って、馬へと飛び乗り行ってしまった。

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