第十八話 権力

 何故王自ら、ろくに話も聞かずに全速力で走る少年の後に続いたかといえば、少年の毛色が自国に住む大多数の民とはかなり違っていたからだ。


 凰都国に住む民は、特徴の一つとして象牙色の肌をもつ。王族には北方系の血が混ざるのでやや異なるところではあるのが、基本的に多少の濃淡はあれど瞳や髪も、色素が薄い。


 しかし、王に突進をかましたこの少年はもっと濃い小豆色の肌にクセの強い群青色の髪、そして空の色を写した蒼い瞳をもっていた。それは、東部の民の印。隣国である樢魏国との長い交流の間に生まれた印だ。


 凰都国だけに限ったことではないが、大抵の国で見た目による差別は法典によって固く禁じられている。けれど、法を犯した者全てを速やかに取り締まれるわけでも、なかった。取りこぼしというものが、必ず出てきてしまうのだ。

 生理的に受け付けない、そんな理不尽な人間の性によって作り出される姑息な手段があり溢れている。哀しきかなそれは、少数派を対象にしてしまいがちだ。それほどまでに人は、異なることを恐れる。


 そしてそれは耳に入ることがなければ、対処する事も出来ない。なのに樢魏の民の特徴を強くもつ、役人なのかそうでないのかすら分からない年端もいかない少年がこうして助けを求めて必死に手を伸ばしてきた。

 王だからこそ、詳細を聞かずに蔑ろにするわけがない。考え過ぎなだけなら、それでいい。烏滸おこがましくとも、全てを助けたいと思う王のその心に偽りなど無かった。


 だからこそ王は、ただ駆ける。


「このアマ、客に向かって水ぶっかけるとはやってくれるじゃねぇか」

「アンタこそ、若い娘に手出すなんざ客でも許せないっちゃ」


 少し走って行くと、目指す先に飯屋が見えてきた。既に見せ物のように人垣が出来ているがヒートアップしていることもあり、大声が響いている。どうやら、昼間から酒に酔った荒くれ者が、従業員にボディタッチでもしたようだ。成敗として水をかけられた、という事はあまりにしつこかったのか。


「間の子のくせに生意気な。引っ捕らえるまでもねぇ、手打ちにしてくれるっ」

「……法典第二百四条、何人たりとも公共の場でむやみに刀剣等を引き抜いてはならない」


 そんな状況だろうと瞬時に当たりをつけた王は、その男が腰に吊ってあった剣を勢いに任せて引き抜くより早く己の短剣を男の首に突きつけた。風のような所業、零コンマ何秒の世界。


 勿論男は何が起こったのか分からないまま、ウグッと唸り声をあげるしかない。王は顔にニコリとした笑みを貼り付けてはいたけれど、その碧眼は全く笑っていなかった。


「因みに、むやみにっていうのは武器を持たない相手に対して、と解釈される事があるね」

「なんなんだテメェは、いきなり現れて説教たれてんじゃねぇよっ! それに、テメェはどうなんだよ、ゴラァ」

「武器を持ってる貴殿に対する粛清だから、我が法に触れてることにはならないかな。それにしても昼間っから酔っ払って汚い言葉で人を罵った挙句、子どもに説教されるなんて残念過ぎるよね——」


 ドスのきいた暴言を吐かれても、王であるが故に怯むことなどない。

 むしろ、嘲笑のまま返した言葉は挑発してるともいえた。酒に溺れた男の顔が、茹でタコみたく更に真っ赤に染まる。


 王は少しだけ、片方の口の端を上げた。


「このガァキ、ブン殴られてぇか!!」

「ねぇ、口は禍の門、って言葉知ってる?」

殿下っ!!」


 緊迫した空気に大声が投げ込まれた。どのような結末を迎えるのか、固唾を飲んで見守っている野次馬どもを掻き分けるようにして直進してくるは王の側近だ。その後ろには、まだ官吏の格好のままの妃も続いている。状況を切り裂いたたった一言が、響めきを起こす。

 まだ言葉を理解出来るだけの脳の回転は残っていたらしい男の顔が、瞬時に青く変わった。


「法典百十二条、王族に対し中傷または侮辱あるいは敵意を表す者は何人たりとも懲罰に処す……不敬罪、に該当するよね?」


 王は無邪気に微笑んで、淀みも曇りも一切ない鋭い声で言葉の剣を振り下ろす。

 聞き間違えたわけで無かった男は放心したようにガックリ、と机に半身を伏せた。王が突き付けていた短剣はいつの間にか鞘に戻されており、目配せするよりも早く男は側近に拘束される。鳴り響く拍手喝采。


「……殿下っ、誠に申し訳ないっちゃ!!」

「あぁ、やっぱり。君が、というよりこの店も含めて計画的に起こした事だよね? 女、名は? 説明してくれるね?」


 ざわざわとした外野もひと段落ついたところで、男とやり合っていた女が突如王に向かって勢いよく土下座してきた。

 それに対して王は、男に向けていたのと同じ冷たい碧眼を向ける。内親王だと、偽ったまま。やっぱり、と言ったあたり王の中では事の全ての大体を把握していそうだが、ややトーンを落された声音に女はビクッと肩を震わせて面を下げたまま口を開いた。


「ウチは燐猫りんまおと申す者っちゃ。殿下の仰られた通り、これは王族が下町にいらっしゃる日だと分かって決行したんす。この店の若い娘は、この男の愚行にずっと嫌な思いをしてきたっと。娘子達はなかなか声を上げられん、さりとて間の子のウチが役人に訴えても相手にしてもらえん。だから……」

「直訴する事にした、と?」


 王は、一気に告げられたその結論だけを女から拾いあげた。

 まだ鋭いままのその声音に、女はカタカタと身体を震わせながらも小さく頷く。王が小さく漏らした溜息にさえ、肩をビクッと揺らしている。怯えているのは明らかだった。


「殿下、処分は覚悟の上だっちゃ。だけん、この店は関係なかよ、ウチ一人にしてほしんす」

「燐猫、といったか。処分は覚悟出来ているというが、貴女は此度の事がどれほど重大なのか理解しているのか?」

「…………ウチのした事ちゃ告発、と理解してもうて結構でありんす。この区域の役人はこの男から金で買収されてるも同然だっちゃっ!!」

「成程。殊勝な心がけ、だ……右京」

「すぐ確認致します」


 けれど、人種差別と賄賂という二つの役人の不正を告げる女の気迫が落ちる事は最後までない。もしこの告発が、たとえ勘違いであったとしても事実無根ならば自ら言った通り女が処罰を受ける事になるにもかかわらず、だ。

 その心意気に、王は優雅に拍手を送ると側近の名を口にした。言わずもがな、とばかりに武官の一人に男の身柄を預けると親衛隊長と共に区域統括役人の元へ走って行く。


「あの——もしやすっと以前から続くこの騒ぎ、殿下の耳に入ってたと? だからこれが計画的なもんとお分かりなのに、来てくださったと?」


 静まり返った飯店で、恐る恐る、けれど今までと同じくハッキリとした声を発したのはやはりその女だった。

 少しだけ上げられた不可解だという面持ちから、困惑した蒼い上目が覗いている。悪戯にチラリと向けられた碧眼がかち合うと、急ぎ逃げてくのだが。女から見えないのをいい事に、王はニヤリと笑った。


「いや——ただあの少年、我のところに辿り着いたのが偶然にしては早過ぎた、それだけだ。が、まぁそれも含め我に口論を聞かせるまでの図りかた、水をかけるタイミング、実に見事であった。我からも一つ、我を見て聞かせよ。どのように内親王わたしが王族だと子どもに分からせた?」

「どのようにも何も、碧の瞳に金の髪をもつ内親王殿下を知らんもんなどおらんとでは無いですか。それに、その芍薬の柄は王家の紋と思っとっちゃが違っとりましたか?」


 言い付け通り、女はきょとんとした顔を意味深に告げる王に向けて首を傾げた。


 女の言ったことは何一つ間違っていなかった。王家を表す紋は芍薬であるし、金髪碧眼をもつ内親王は戦場にまで行ってしまうくらい、昔も今も内親王宮にいる事が少ない。以前より、あちこちの区域で文処もんどころの創設に携わっていた為、その特徴的な容姿を把握している民衆も多かった。

 その事を勿論知っている王は、不敵に微笑んで頷く。


「なかなかに優秀、だな」

「殿下、お話中失礼致します。事実確認致しましたところ、この区域の統括役人は賄賂の事実を認めたため柊隊長が連行しました。人種差別についてもいくつか証言が取れておりますが、もう少し調査を続けるとの事です」

「燐猫、聞いての通りだ。不届者捕獲への協力、感謝する……それと、対処が遅くなり済まなかった」


 側近からの報告を受けて、王は自らの身を屈めると女の手を取り床から立ち上がらせた。店の内外から、再び拍手が沸き起こる。女だけが、殿下に謝ってもらう事ちゃなか、と慌てて首をブンブンと振る。


「むしろ、殿下を利用した形になってしもうてこちこそ申し訳なかったとよ」

「それは構わない、我はその為に在るのだから。今後、このような事がないよう善処する事を約束しよう……もし良ければ、貴女の力を貸して貰えると助かるのだが」


 唐突な申し出に、女は目をまん丸にした間抜け面で王を見返す。漸く碧眼と蒼眼そうがんが相見えた。


「殿下、そろそろお戻りになるお時間です」

「そうか。では、失礼する。燐猫、今の話考えておいてくれ」


 とそこで、タイムオーバーを知らせる妃の掛け声。内親王として接していても王は王。長く王宮を空けるわけにもいかないし、今日に至っては顔を出した以上学問所にも戻らなければならない。


 妃と側近を引き連れ手を挙げて去っていく後ろ姿に、女は深々と頭を下げていた。

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