第十九話 逢引

「ねぇ華月、僕、たまに不安になるよ」

「陽華……また何か良からぬ事を考えてるね?」


 明かりなき、新月の真夜中。

 そんな時間に、この兄妹けいまいはそこに居た。後宮の屋根の上で、背中合わせに座っている。離れまいとするかのように、手持ち無沙汰な両の手の指を絡め遊んで。互いの身体を、完全に預けあっていた。


「総てが歪んで見えるんだ。それはきっと、僕が歪んでいるから」

「まだ、後悔してるの?そんなに居心地悪い?」


 覇気の無い妹の声音に、機嫌を伺うかのような兄の声が返される。妹はふるふると頭を振った。そうじゃないんだけど、とかすれ声でポツリ。


「この歪みが、いつか押しつぶすんじゃないかって」

「あれ、珍しく弱気だね」

「華月は、思ったりしない? そういうこと」

「ん——考えない事も無くはないけど。心は決めているから」


 対照的な揺るぎない声音が、宙に浮いた。その碧眼は遥か彼方に輝く北の一等星を捉えている。


「それは、偽りを真実にする覚悟?」


 もう一つの碧眼が、南の一等星を捉えた。と、同時に発された声音がワントーン低い厳しいものになる。


「どっちかと言えば、偽りを偽りだとしない心算かな。その為なら我は、何でもやる……たとえ規律が崩壊しようとも」


 兄の声が妹のそれより更にワントーン下がった。互いにどんな顔をしているかなど見えはしないのに、妹は小さく肩を揺らす。妹の表情が曇ったのを察知したかのように、兄は昏い笑みを浮かべた。


「そっか、まぁそうだよね。そもそも規律は既に崩壊してるし——まぁ僕達がそうしたんだけど」


 あまり危ないことはしてほしくないな、と妹は消え入りそうな声で言って、自虐的に笑う。勿論、その音はすぐさま静寂にのまれた。


「それは我も常に思っているよ。陽華は、いつも一人で無茶をするから心配が絶えない」


 けれど、兄にはしかと届いていた。絡めたまま指を止め、両方とも力強く握る。報ずるように、妹も握り返した。精一杯のありがとうと、ごめんなさいの想い。


「なんとなく、僕自身がやる事に意味がある気がして……」

「それは、罪滅ぼしのつもりか?」

「…………」


 責めるような問いに、妹は答えない。兄は小さく息をついて、再度口を開く。


「陽華、偽り続ける事は確かに苦しい。だけど、その罪を背負ったのは何も我々だけじゃない」

「分かってる、分かってるよ。だからこそ此処に居続けられるし、これからも居座り続けられる」

「ならいい。総てを助けたいと、その理想は美しいけど、現実には削ぐわない。美しく咲かせたければ、他は摘み取らなきゃならない。それは花も人も同じだ」

「だからこそ、真実も嘘も、偽りでさえも総てを呑み込む……そういうことだって、分かってる」


 妹は、まるで自らに言い聞かせるが如く分かっていると繰り返す。力を込め過ぎた拳は、ブルブルと震えていた。

 兄がそれに気付かない筈もなく、静かに苦笑いを浮かべると預けている身体を僅かに加重する。妹の身体が少しだけ、前屈みに傾いた。


「陽華、忘れたわけじゃないだろう? 我らは確かに違う道を歩いているけれど、向かう先はいつも同じだ」


 相手を包み込まんとする、柔らかな声が降り注ぐ。ピタリと止まる震え。二つの碧眼が、すっと細まる。


「うん、僕達は一人じゃない。そう約束した、ちゃんと覚えてるよ」

「ならば、我らは進むしかない——たとえ、どんな犠牲を払っても。この国を保つ為に。その為なら揺れていい。心を揺らすのは生きているからだ」

「ありがとうございます、兄様」


 相手のことなど手に取るようにわかっていると言わんばかりに、片手がパッと離れては両者共に握り拳を左胸に当てる。


 それは、この兄妹の誓いの証だった。

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