第十七話 間隙

「今日、陛下も来るって本当かな?」

「おぅ、マジらしいぜ」

「宮中行事も終わって、ひと段落して時間に余裕が出来たはずって王女様が仰られてたわね」


 王都、緑翠。下町の外れにある、学問所。そこに通う庶民や貴族の少年少女達は騒めきたっていた。話題は専ら、王が久々やって来るかもしれない、という噂。


「そこんとこどうなんだよ、睦月」

「うーん、また来るとは言ってたけど忙しくて、って」


 同じ人間であるのだが、王族、とりわけ国王ともなればやはり特別だ。


 そもそも通う学問所などが無ければ、貴族であってもあいまみる事など無いに等しいのが王族なのだ。

 たとえそれが、人として線引きをし、特別扱いする事で遠ざけていたとしても。人には見えない絶対的な線は、王族だから、という言い訳を成立させる。それに違和感を覚えるのは、当事者か。それとも第三者かだけだろう。


「ってか、そもそもなんで今日?」

「それは勿論……」

「校外学習だから、だよ」

「「「華月っ!!」」」


 当たり前のように湧いてきた疑問に、その場にいた一人が答えるより早く楽しげな声が降ってきた。聞き知ったその声音に皆が一斉に振り返る。

 そこには凰家の紋があしらわれた、絹の袍服をまとった国王が満面の笑みを浮かべて立っていた。


「皆々、変わりないようで何より」

「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」

「久々にお会いでき、大変嬉しゅうございますわ」

「とうとう華月も国王サマかぁ、全然実感湧かないぜ」

「暁サマも、陛下のお付きご苦労さん」

「夕霧さん、光蘭さん、凛翔さん、東雲さん、お元気そうで安心致しました」


 わらわらと王を取り囲み、貴族は貴族なりの、庶民は庶民なりの挨拶を送る。

 昔来ていた頃と同じように袍服をまとう妃にも、同様に。丁寧に腰を折る妃の、髪を高い位置で結いあげ眼鏡をかけた姿はやはり男性的に見えた。


「だけど華月、校外学習っていっても今日は写生だよ?」

「絵は……うん、書かない。我が欲しかったのは口実だから」

「そっか、やっぱ忙しい事に変わりないんだね」


 色々と話しかけてくる人々への対応は妃に丸投げしてその輪からそっと抜け出た王は、遠巻きにそれを眺めていた一人の庶民に歯切れ悪く答えた。どことなく余所余所しく頷き返すのは、以前に秘密会議の為に王宮にやって来た庶民だ。あの時の気まずさを引きずった様子に、王は苦笑いを浮かべる。それが余計に気まずさを増長すると気づいていながら。


 そう、どうしたってその距離は縮まらないのだ。王は一度だけ、庶民の頭をくしゃりと撫でた。


「華月様、そろそろ参りましょう」

「あぁ……では、また後ほど」


 挨拶の全てに対応したのか、それともそこそこで切り上げたのか定かではないがいつの間にか散り散りになった人の群れから取り残こされた妃が王の傍で囁く。恐らく、張り詰めた緊張感に気付いていたのだろう。促されるままに、王は庶民に背を向け歩き出した。


「下町に行かれるのは久しぶりでございますね」

「前はこっそり来ることも可能だったけど今じゃ流石に難しいからね。時間作れて良かったよ、本当に」


 凰都国はそもそもが大きく豊かな国であるが、王都は勿論特に栄えている。


 国産品は元より、輸入品も多い。呉越公国の服飾と樢魏国の宝石類の露天商は一際目を引くが、他にも自国にはないフルーツや野菜、ハーブや調味料なども取り扱われているようでなかなかの人で賑わっている。娯楽店まであり、子ども達がはしゃいでいた。


 その様子をまるで子どもでも見守るかのような穏やかな笑みで眺める妃と、どのお店へ行こうかとそれこそ子どものようなウキウキした顔で物色する王。やれやれ、と肩をすくめるも妃の表情は大切な人に向ける眼差しそのものだ。


 王がまず買いに行く事にしたのは、歩きながら食べれる羅漢果を使ったお団子だった。一本を買っては、先に妃の口元へ差し出す。口を開けろ、と無言の圧力。妃が団子を口内へ消すと、嬉しそうに己も口へと運ぶ。半分ずつ食べ終わると、次の甘味店へと駆けていく。その姿は王太子の時の、昔のままで。妃は再び顔を綻ばせると、その後を追いかけていった。


「ふむ、作物の流通量は十分足りていそうだな」


 葛饅頭や焼き林檎などのスィーツから鶏や羊などの肉を堪能した後で、王はお腹をさすりながら満足そうに頷いた。

 晴明の空から注がれる暖かな日差しと、頬を撫でる風は心地よい。妃は山にかかる春霞を遠目に見ながら、同意を示す。


「はい、近年は天候にも恵まれていますし穀物の収穫量も安定しているようです」

「ふむ。ならば王宮の貯蓄を少し増量しておくか。いつ旱魃に見舞われるとも限らないし……暁、どう思う?」

「今の状況ですと、多少であれば増税しても不満もそう出ないかと」


 国策として、作物の流通量が減少するような事があれば国庫を開いて支給する手筈になっている。その貯蓄量を増やすということは、つまるところ納めてもらう税を増やすことになるのだが。

 話を振られた妃は納税が出来高に左右される事は民も理解するところでしょうと、首を縦に振る。


「灌漑の設備の普及も本格的に考えなければな。後は呉越との貿易の半分を樢魏に渡した影響がどれほどでるか、か」

「機織染色工場の完成にはまだかかる予定でございましたね」

「あぁ、地方の様子見も兼ねて一度視察に行かねばな」

「…………公務、と仰られるのでしたらお付き合いさせて頂きます」


 そこまで言って王は、悪戯な笑みを妃に向けた。


 その笑顔に隠された意図を理解した妃は、じっとりとした白い目で王を見る。王にとって、王宮以外で行う仕事は全て王宮から出る口実に過ぎない。

 現に、いいハネムーンになるといいねなどとルンルン気分な王に妃は公務だと繰り返す。けれど、妃がどれだけくどくど言ってもうんうんと愉しげに頷き返すだけの王は、全く聞いていなかった。


 妃は盛大に溜息をついた。


「……っと、危ない危ない」

「うっわ、何モンだよアンタ、背後うしろに目でもあんのかよっ⁈」


 のほほんとした、その空気に緩みでもあると感じたのだろうか。それとも、偶々だろうか。王なだけにそんな隙など勿論ありはしないのだが、王と分かっていなければ無理もない話だ。


 王の背後から木の棒を振り上げてイノシシの如く突進して来た少年は、王によっていとも簡単にいなされた。その腰には長剣も短剣も吊るしてあるにもかかわらず、素手で。背負い投げだった。

 地面に打ちつけられた少年は、腰をさすりながら恨み言をぶつける。


「何モンって、それは我の台詞だよ。後ろから突撃してくるなんて、危ないよ?」


 その返しは語尾のトーンを若干上げた疑問形。それはつまり、己ではなく相手がという意味に他ならない。

 一般論でいえば、突撃される方が危険なのだがそんな人並みな意見は王には通用しなかった。しゃがみ込んで首を傾げる王から少年は目を背ける。


「アンタ、そんな格好してんだからおエライさんなんちゃろ? 助けてくれっと、このままじゃ母ちゃんが……」

「暁、残念だけど今日のお出かけはここまでのようだ。早く右京のところへ」

様も、お気をつけて」


 大粒の涙を、目尻に溜めた悲痛な少年の姿にただならぬ雰囲気を感じ取ったのか。

 王が静かに告げると、妃はとっさに偽名を呼んで足早に人を掻き分けて行ったのだった。

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