第十六話 夜伽
「お妃様、ご無事でなによりでございました」
「宴の最中にあのような事が起こるなんて……さぞ怖い思いをされた事でしょう」
「皆さん、ご心配をおかけして申し訳ありません。でも私は大丈夫です、陛下が守ってくださいましたから。それに、前もって陛下からあのような事が起こる可能性もお伺いしていましたし」
前王の妃達が一掃された後宮で、頭巾を取り去った妃は真っ青な顔をして慌ただしく駆け寄って来た侍女達にふわりと微笑んだ。
「ではお妃様はご承知の上で宴に出られたのですか!?」
「そんな危ない事ならならくても……」
「私は陛下を信じています。それに、陛下のお役に立てるのならどんな事でもやり遂げると決めていますから」
爆弾発言ともいえる妃の返答に、侍女達は驚愕の表情で震え上がる。
そんな侍女達の肩をポンポンと叩いて諌めながら、妃は迷いも澱みもなく言い切った。妃が王との間にある絆の強さを示唆すると、一変、侍女達は素敵などと呟いてぽぅっと頬を赤らめる。
親王宮から移って来た侍女達であるので、王太子時代からの妃との仲の良さには常に憧れていたのだった。
「お妃様、お部屋はどちらになさいますか?」
「無論、王宮に一番近い場所だ。我と少しでも近くにいる事が出来るようにな」
「陛下っ!?」
「少し妃を連れて行く、支度を進めておけ」
「畏まりましてございます」
ほわほわしている侍女達を微笑ましそうに眺めながら口を開いた侍女長に、妃以外の声で当たり前だと言わんばかりの口ぶりの答えが返された。
唐突に、ばさりと覆い被さるようにして抱きついた妃の肩に顔を乗せた王だ。
あまりにも急な王の訪れに、侍女長と侍女達は慌てて拝礼する。妃が口を開くより早く王は続けて短く告げると、腕を回した妃の腰を引き寄せて庭の方へ歩き出した。
「陛下、如何なさいました?」
満月より少し欠けたとはいえ、柔らかな月光が淡い桃色の寒牡丹に降り注いだ庭は幻想的な雰囲気を醸し出している。
少し温かみを帯びた、春の兆しを含んだ風に包まれながら黙々と歩き続ける王に妃は小首を傾げた。
普段から突拍子も無い行動を見せる事が多い王であるとはいえ気配を消して後宮に現れた挙句、この夜更けに宮庭へ連れ出された理由が妃には思い当たらなかったのだ。
「…………良かった、暁が無事で」
と、いうよりもどちらかといえば己の身体を預ける様に王は妃にしなだれかかった。掠れた声が安堵の息と共に漏れ出る。
妃がやんわりと腕を回すと、王の身体が僅かに震えている事が伝わってきた。王より妃の背の方がやや高いのが幸いして、あまり加減のない体重のかけ方だったがよろける事はない。
月明かりに、金糸が反射してキラリと光る。
「陛下でも、怖がられる事がおありになるのですね」
「……君は我を何だと思ってるの」
普段、何事にも動じる事のない王の姿ばかり見てきた妃は回した腕に力を込め、冗談めかしてくすりと微笑んだ。
その輝く髪を梳くように優しく撫でる。眉を寄せた王は歳相応の顔で剥れていた。
「どんな陛下でも、私の愛しい陛下でございます——さて、華月様を苦しめているのは、影宮にございましょうか」
見ることは叶わないのに、王がどんな顔をしているのか分かっているような少しトーンの落ちた妃の声に、王は身体をピクリと揺らす。どうやら当たりのようだ。
王は暫し沈黙してから、大きく息を吐き出した。
王太子の頃から、妃に対して隠し通せた試しなど一度も無かった。紫暗の瞳に、引きつった王の顔が映る。
「
「そうしたらしたで、また苦しまれるでしょうに」
「確かに、向いてない」
「ふふ……それにしても、宜しかったのですか? そのような事を私に申し上げられたりして」
観念して白状した王に怪しげな薄笑いを返すと共にすっと、細められた紫暗が鈍く光った。意味深な言葉に込められた妃の意思を王はどう読み取ったのか、慌てて身体を離しては思い切り首を横に振る。
「今のは……そう、冗談。冗談だから。暁は否定するかもしれないけど、もし
それはそれは尋常でない慌てぶりだった。怒らせてはいけない相手を怒らせてしまったかのように。
その狼狽ぶりは何とも情けない姿であったが、さて何のことでしょう、ととぼける妃にとっては新鮮だったらしく可笑しそうに顔を綻ばせる。からかわれたのだと気付いた王は、ぷぃっと顔を横に背けた。その態度が更に子どもじみたものだと理解していながら。
「王宮は、まだまだ理解出来ない事ばかりだ。覚悟を決めて王座に就いたつもりだったけど、狭っ苦しさは想像以上だったな」
妃が一頻り笑い終えるのを待って、落ち着きを取り戻した王は生気のない声をポツリと零した。尤もその言葉の端に見えるのは覚悟というよりは、諦めに近かったが。
「では、逃避行でも致しますか?」
「王を誑かすなんて悪い妃だな……君も知っての通り、我は
「ならば
「あーー、それは頼もしい限り。だが、それでこそ我が后」
それでも妃の甘言に乗ることが無いのは、生まれながらに王がもつ強さだろう。漸く光の戻った碧眼が紫暗とかち合うと、妃のやや肉厚な唇が王の薄いソレにそっと触れた。角度を変えながら、何度も。何度も。いつの間にか繋がれた手の、指が自然と絡まっていく。
白い肌が僅かに上気したところで、二人は一呼吸おいた。
「そういえば、
照れを隠すべくこころもち伏せられがちな紫暗に、抑えきれない好奇心が見え隠れしている。凰都国に来てからというもの王太子と行動を共にすることが多かったからか、妃にしては珍しく、政治的動向にも聡い。己が後宮に来れるようになった理由を知りたがるのも無理はない。
幾分か調子を取り戻した王は、肩を竦めて首を縦に振った。
「あぁ、杞莉と話をさせた上で決めさせた。いくら我が構わないと言っても、王の寵愛なく居られる所ではない」
「廃妃なる者は流刑し、生涯かけて善根功徳を積ますべし……ですか。確かに温室育ちの貴族の娘御が地方でボランティアに勤しむのは大変な事でしょうね」
「全くだ。やった事もない苦労をさせ続けるか、出戻りさせるかのどちらかなんて魔でかないでしょ?」
まぁ変な規則はこれだけじゃないけどね、とウンザリ顔の王。
凰都国の規律は、王族ですら容赦なく拘束する事を知る妃は苦笑いを浮かべるしかない。
「それにしても、陛下といい御義父上様といい、伯大臣を随分信用なさってらっしゃるのですね」
「父上はそうだったかもしれんが、我はそうでもない。だからこそ、宰相から外したんだ」
「それでも手元に置かれるのは、何か訳でも?」
「まぁ、優秀には違いないし……相当な狸ジジイだが、他の大臣達の抑止力的存在にはなるからね」
いつのまにか、色を薄くした月が空の中へ消えようとしている。
「陛下、もう暫くしたら夜が明けます。少しばかり、お休みにならなくては」
「残念だ……もう少しこの宮庭を眺めていたかったが仕方ない、な」
「ではまた、白い芍薬に変わり始めた頃、避夜行にお誘い下さいますと嬉しゅうございます」
「王を何度も誘惑するとは、本当に悪い妃だ」
王は愉しげに形の良い唇を歪めると、強引に妃のソレに押し当てたのだった。
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