第八話  国妃

「母上、ご機嫌麗しゅうございます。唐突な訪問の無礼、まずはお詫び申し上げます」

「陛下……今後は必ずお呼出し下さいませ。国王が頭を下げるなど、ないようにして頂きたく」


 侍女からの国王来訪の伝令を受けて急ぎ国妃宮門前までやって来た国妃は、国王の謝辞にゆるゆると首を振り平伏した。

 国王とは異なる、長い黒髪がサラリと地に落ちる。身に纏った褖衣たんいに白い肌がよく映えた。


「母上こそおもてをおあげ下さい。本日は、母上にお願いがあって参じた次第ですから」


 王は苦笑しながらそっと国妃の手を取り身を起こさせる。薄く開かれた焦げ茶の瞳が、遠慮がちに王へ向けられた。

 小柄な体格以外、親子とは思えないほど似ても似つかない。


「陛下の願いとあらば、聞き届けたいもの……しかし、望めば何でも手に入るその座にいながらとは。この母を余程困らせる事なのでしょうか」


 そして、射抜くような碧眼から逃れるように扇で顔を隠したまま控えめにそう告げる国妃の様子はきわめて他人行儀だった。


 それが作法、といえばそれまで。我が子であろうと、年下であろうと、即位したてであろうと王は王。見下ろすなどは論外であるし、ガッツリ視線を合わすことさえ許されはしないのだ。


 その上、産まれながらに王太子ともなれば実母と接する機会はそう多くない。言葉を交わすだけでも躊躇いが表れるのも無理はなかった。


「さすがは母上、誤魔化せませんか。では率直に申し上げましょう。父上が身につけていたこの手纏たまきをどうか我にお譲り頂けないでしょうか? 確か、母上の祖国では形見分け、と言うのだとか」


 命令は本当に意を通したい時だけですよ、とそんな余所余所しさにやや自嘲的な笑みを浮かべて国王は手に取った国妃の手首に視線を移した。そこには、二連になった翡翠の腕輪がかかっている。前王の形見。


 王として使用する物は当たり前に次の王に継承されるが、王の私物は処分するのが凰都国では一般的だ。それを国妃は回収していた。

 処分には王も立ち会うので、有るはずのものが無ければ露見するのは免れない。だからといって、咎められる程の事でもないのだが。国妃はバツが悪そうに、遠慮がちに口を開いた。


「恐れながら陛下、こちらをお渡しする事はしたくございません。お預けする、という形で許しては頂けませんか? 不要になられた際に、返して頂きとうございます」

「…………そうきますか、分かりました。ではまたいつか、母上の腕にお返しするとお約束致しましょう」


 遠回しな言い方に含まれた、ハッキリした国妃のいなの意思に王の眉間に皺が寄る。しかし、次の刹那には柔らかに微笑んであっさりと引き下がった。

 やはり、聞き届けられる願いではないと分かっていたようだ。国妃の手首から王の手首へと、ゆっくりと腕輪が移りゆく。


「ところで陛下、南の方が何やら少し騒々しい、という話を聞き及んだのですが」

「あぁ、心配には及びませんよ。左京には一つ策を授けましたから」


 迷ったように発された少し震えた声音に、全く危惧などしていない、といわんばかりの自信に満ちた声で王は答えた。


 戦は好まない、とそう口語していた国王だったが王太子時代のその功績は全戦全勝だった。その事を思い出したのか、少し寂しそうな陰を茶目に潜ませて王妃そうですか、と呟く。


「それはとても頼もしいですわ……どうやら差し出がましい事を申し上げてしまいましたね」

「いえ、そのような話を聞けば憂慮されるのも無理ありません。それにしても、相変わらず母上の九ノ一方は優秀ですね。余計な不安を煽るのは許容出来ませんが。そういえば……玉座についた日の夜の、母上のお心遣いには感銘致しました」


 好戦的で、挑発的。そしてどこか誘惑的な眼光で王は国妃を見た。

 確か、飲んだ後に側近に対して毒だ、と言い放ったシロモノの事だが。含みのある言い方をする王に、国妃は強かに微笑む。


「刺激的な一夜をお過ごし頂けたようで何よりです。お好きでしょう、そういうの」


 王が妃に問うた時と、そっくりな顔で。


「ふふ、是非今後ともお力添え頂ければどれほど心強いことか……さぁ、ここは冷えます。我も王宮に戻りますので、母上もどうぞお戻り下さい」

「久々お会い出来て嬉しゅうございました、陛下……いらぬ節介とは存じますが、寄り道も程々になさいませね」

「敵わないですね、本当に。ではもし誰かに我の居場所を聞かれたら、王宮に戻ったと必ずお伝え下さい」


 企んでいるイタズラが見破られてしまった、とばかりに困った風に笑って……これは命令ですよ、とシーーっと人差し指を唇に当て静かに王は国妃宮を後にした。

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