第九話  旧友

 ひとまず後宮へと戻った王は、それが当たり前かのように窓から王宮の屋根へと出て来た。

 まだまだ寒い、リンとした空気が肌を刺す。王は白い息を大きく吐き出すと、まるで普通の道であるかのようにサクサクと屋根の上を歩いていく。


「やぁ、睦月。来てくれてありがとう。ごめんね、正面から入れてあげれなくて」

「……本当に、王子様だったんですね。あ、いえ、国王陛下……」

「あれだけ言ったのに、信じてもらえてないなんて傷付くなぁ。此処に誰か来ることなんて無いから、いつも通りにしてね」


 一屋根分くらい進んで上から下町を、ひいては凰都国を見渡していると背後の屋根の下からひょっこりと覗き出る顔があった。その気配に王は、瞬時に振り返り苦笑を浮かべながら手を差し伸べる。

 控えめにその手を取って這い上がってきた十二、三くらいの少女は平民出身の王の友達だ。二人は屋根に腰をかける。


「別に信じてない、ってわけじゃ……ただこんな屋根の上に登るなんて王族の人っぽくないかな、って」

「あーー確かに見つかったら、ご乱心扱いされるだろうね。でも平気平気、今まで見つかった事ないし……ところで、学問所の方はどうかな?」


 王はニコニコと笑いながら、だけど睦月は一人で来ちゃダメだよ。何処ぞの密偵がいたりして危ないからねとサラッと喫驚な事を言ってのけた。全く有り得ない事ではないだけに、平民は顔を引きつらせながらコクコクと頷く。


 目に見えて動揺する平民に苦笑しながら、王は漸く本題へと入った。この場は、王太子の頃から続いている王と平民による月一の定例会議だ。


「え、あ、いつもと変わんないよ。王女様も来てるし」

「そっか、姉上がいるなら大丈夫かな。なかなか行けなくて気になってたんだ」


 会議といっても学問所という、広く教養を広めるための国の政策の一つについての報告会。下町にあるその学校は、王族も貴族も平民も通うものだ。


 因みに、その運営資金は通学している貴族がカバーしていた。というのも、平民は貴族の三分の一の料金で受講出来るのだ。その上、書物等も貴族が所有しているものを平民は共に使用する。後は国からの補助、という形で賄っていた。


 そんな不平等な条件でよく貴族が通うものだ、と思うものだがそこは同条件で王族が通う事により反発を上手くセーブしていた。


「やっぱり忙しいんだね」

「まぁ、色々とね。でも、近いうちに必ず時間を作って行くよ。何か催し、例えば簡易的なバザールとかしてみたいし」

「いいねソレ、楽しそう!! あ、ねぇ華月。前から気になってたんだけど、あの学問所は華月の為に作られたって噂、本当?」


 その問いに、王宮では絶対に見せないだろうイキイキさせていた碧眼に、突如陰が落ちた。刺客と対峙でもしている時の様な、鋭い眼光。ただ、それも一瞬で元に戻る。


「あーーまぁ、当たらずとも遠からず、ってところかな。でもなんで、そんな事気になったの?」

「だって、華月は下町の学問所に来なくたって知識も教養も身につけられるのに、華月が生まれてから出来たでしょ? だから華月を通わせる事に、何か他の理由でもあったのかなぁって」


 王宮でなら、誰もが怯える。けれど、一平民には気付かせることすらない。言葉と、ソレを聞かせる甘い声音で上手く隠して、王は微笑む。


「うーん、そういう意味合いでなら確かに僕のためって言えるかもね。けど、あそこは王族が行かないと成立しないよ」

「へーじゃあ私は、華月に感謝しなきゃだね。あそこに通えて楽しいんだ」

「そっか、良かった。それにしても、睦月もそんな事考えるようになったんだねぇ、感心するよ」

「えー華月と三つしか変わんないよ、子供扱いしないで」

「ゴメンゴメン」

「そういえば、華月は王宮で何を教わるの?」

「んー…………ツマラナイコト、かな? 学問所の方が全然有意義だよ。さて、もっと色々話したいけれど僕はそろそろ戻らないといけないかな、ゴメンね」


 そんな、動揺など微塵も見せる事のないハズの王様だったのに。間の取り方といい、言葉の濁し方といい、非常にあからさまだった。学問所と似たようなものだよ、と軽く答えられない程に。


 区切りを、一線を引かれたのだといくら平民であってもそれくらい気づく。それでも、追求は認めない、そんな空気に平民はそっか、じゃあ今日は帰るねと聞き分けよく手を振る。俄かにほっとした表情で王は次回は正面からおいで、待ってるからと手を振り返した。


「……宜しかったのですか、あれで」

「本当の事を話したら、もう会ってくれないかもしれないから」


 人影が完全に消えた後、王の背後で音が湧いた。


 敏い王は分かっていたが、気配を消してやって来た妃だ。ポツリと発された問いに、王は苦し気に答えを吐き出す。とん、と背中同士が僅かに触れた。


「睦月はそんなでは無いと思うのですが」

「たとえそうでも、嫌な話でしかないでしょ? 我が教え込まれたのは誰も傷つけずに総てを救うなんて出来ないって事だ。誰かを救えば誰かが必ず犠牲になって、それを決めるのは我で、なのにその犠牲になるのは我ではない、だなんて」

「でしたら、切り捨てておくべきだったのでは? 犠牲になる者を選べるとは限らないのですから……でも。華月様は不可能と解っていながら、全てを助けたいと。総てを受け入れると、そう決心されているのでしょう? だからこそ私は、好きになったのです」


 告げて、妃は上手に振り返り背後から王を抱きしめた。ギュッと、離さないように。繊麗な身体が崩れてしまわないように、強く。逃げてしまわないように。切れてしまいそうな糸を、繫ぎ止めるように。服を掴む手に、王の手が重ねられる。


「ありがとう、暁……我は、大丈夫」

「もし陛下が世界の全てを敵に回し、何も持たなくなったとしても私だけはずっとお傍に」

「勿論、君を手放すことはない。この巨大で窮屈な鳥籠に、その時が来るまで二人で」


 新婚とは思えない程、王は昏い笑みを浮かべ、妃は泣きそうな顔をしていた。お互いがどんな顔をしているのか、見ることのできないこの体勢だから、出来た事だった。暫く、ただただ白息を繰り返すとまるで世界から切り取られたかのような静寂が訪れる。


 そうして二人は、王宮へと戻るべく後宮へ続く屋根をゆっくり歩いて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る