第七話  後宮

「何故、後宮に出入り出来るのは国王だけだと決めたんだろう」

「それは勿論、後宮は王の家、王のものだからにございましょう」


 政務室で仕事を片付けた国王は、判官以外の官吏が退出したのを確認して机上にうなだれた。


 特に、問いかけたわけでもなかったが口を開いた判官に、王は碧眼を向ける。その冷ややかな視線は、王の機嫌の傾き加減をしかと表していたが前王の宰相を務めていたこの判官が動じることはない。


 ニコニコと笑みを浮かべた判官を暫く睨んで——無駄な反抗だと悟った王は深く、深く息を吐き出した。


「……では何故、臣下が口出しをする? 王の家だというならばわたし義母ははうえがいるのはなんら問題あるまい。それに、我は暁以外の妃をもつつもりは無い故、あのままで支障もないぞ」


 親の目論見とは裏腹に前王の妃、つまり現王の義理母がいる状態の後宮へ入りたりと本気で思う女などいないから断る口実にはもってこい。声に出しては勿論言わないが、そんな王の思惑を正確に読み取った判官は眉をひそめた。


 不貞腐れた口調で王は言うが、勿論良い訳など無く寧ろ法を破っている事になる。王の規律破りが、王の優しさでまかり通っているうちに対処しなければ国を崩壊させてしまう事になると分からない方ではないでしょうに、と溜息をついて。


「お言葉ですが、王子殿下や王弟殿下すらいらっしゃらない状況が招く王宮の不安定さは陛下もよくご存知でしょう」

「しかし、強制法規でもない上、前王のように妃が複数いたところで必ず王子が複数になるとも限らんだろう」

「慣例とはいえ経験された上での正論なので、返す言葉も御座いませんね」

「それに……いや、皆々、頭が固くなっているようだな。ところで今の後宮に関してだけで言えばわたしのものとは言えんからあのルールは無効か?」


 尤もな意見に、判官の顔には苦笑いが浮かぶ。続けて王は何かを言いかけたが、その言葉の代わりだと言わんばかりに話を修正して肩を竦めた。


「その判断をするのは難しゅうございますが、陛下がそれをお許しになるのであれば大袈裟に騒ぎ立てる者もいないでしょう。どうぞ、ご命令を」

「では伯判官、我と共に後宮へ。義母上達の処遇は本人の考えも考慮した上でとする。次第を書き留め規則として運用出来るか塾考したのち、書簡を認めよ」


 結局のところ、グダグタと後宮へ行くまでの時間を稼いでいたものの、王はするべき事を弁えていた。そして、恭しく頭を下げた判官も王が本当に言いたい事を理解していた。王が言及するのをやめた、王子が複数いることでおこる権力争いについても。


 王は、スッと立ち上がると判官を待つことなく颯爽と部屋を出る。身を起こした判官も、遅れることなくその後に続いた。


「……陛下、まさかとは思いますが今日此方へ来られる事すら伝えられていらっしゃらないのですか?」

にいつ帰ろうが、我の勝手だろう?」


 王の妃が住む場所だというのに、王の訪れにも平静を保つ後宮の姿に判官の顔はみるみる青ざめていった。

 但しそれは、前王の妃が現王を出迎えないことにではない。現王がなんの話もしていない事にだ。侍女長に国王が訪れる事だけでも伝わっていれば、要件が妃の処遇についてということを仄めかしたのも同然だったのだが。


 私の意見は先ほど述べた通りだ、としれっと言ってのける王に判官は大きなため息をつく。


「では私は、侍女長と共にお一人ずつお話を伺うと致しましょう」

「任せる。我は、祭の件を確認してくる。あぁ、暇を出すにしても財は期待するなと念押ししておけ」

「承知致しました」


 イタズラが成功した、とばかりの得たり顔で指示を出す国王に判官はゆるりと腰を折るとまずは侍女長を探すべくしずしずと歩き出した。


「あ、兄上たま〜」

華音かのか……久しいな」

「まぁ陛下っ! お越し下さるとお知らせ下されば、お迎え致しましたのに……」


 それを見送るでもなく反対方向に歩みを進めた王を出迎えたのは、舌ったらずで無邪気な声。とてとてと、どこかたどたどしく近づいてくる王の末妹だった。

 王を取り囲んでいたトゲトゲしい空気が、その愛らしさにふと緩む。後ろについていた、妹姫の母が国王の姿に小さく息を飲むとサッと膝をつき面を下げた。


義母上ははうえ。そう、畏まらないで下さい。祭の件で、少し話しに来ただけですので」


 それに対して王は末姫にかけた声音より幾分か冷たく、国王でありながらもやや丁寧な物言いをした。視線も妹姫に向けたまま、壊れ物でも扱うかのように酷く優しくその頬を撫でながら。

 末姫は甘えるように、微笑み頬をすり寄せる。無邪気に、兄上たま〜〜と笑って。


「祭、と仰っいますと巫女の事……にございましょうか?」

「そうです。華音にやる気があるのなら、その気持ちを汲むこともできると」

「……いいえ。勿体ないお言葉を頂き大変僭越ではございますが、娘の舞は陛下にお見せできるものでは到底ございません。今回はどうか、内親王殿下にお願いしたく存じます」


 そんな二人に視線だけ動かして、義母は哀しそうに首をゆっくり横に振った。王の、想像通りの答え。王の御前でなくても、四歳では幼すぎる。

 王は、身を屈めると次回からまかせる、と頭を撫でた。末姫は佇まいをすっと直して恭しく頭を下げた。


「許可する……言い忘れていたが、翌月には華音を内親王宮に移せ。義母上は、後に来る伯判官とどうするかを決めて頂ければ」

「陛下のお心遣い、感謝致します」


 義母も、再度深々と頭を下げた。しかし、王がそれを目にする事は終になく静かにその場を後にするのだった。

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