第五話 内探
「昨日は言い含められてしまったが、陛下は一体何を考えておいでなのだ」
「全くです。どこの骨とも分からぬ者を勝手に妃に迎えて」
「しかも、我々臣下に対し妃のあの振る舞い……無礼ではないかっ!!」
朝議前。
政務室で王を待つ官吏達が、ヒソヒソとざわついていた。話題は勿論、専ら国王の、
「しかし、あの者は"漣"と名乗っておったな」
「"漣"といえば、
「確かに、姓としてもかなり珍しい部類に入る…」
「しかし、それならばあのように隠す必要などないっ!!」
隙あらば己の娘を妃にと、企んでいる者達の不満がヒートアップしていく。隣の執務室に影を潜めていた王は、徐々に漏れ始めた声に必死で笑いを堪えていた。
「……陛下、お顔が緩み過ぎかと」
「いやだって、この我が、蝶よ花よと育てられた者を妃に迎えるはずないと何故分からないのか、逆に分からなくて」
「それは、慣例だからでございましょう。それより、早く仕度をなさって下さい」
「慣例ねぇ……って、暁もなかなか大胆だね」
妃は、あからさまに不服だという声をあげながら未だのんびり構えている王の、崩れきった黒い夜着をなんとか止めている腰紐をしゅるっと引きはずす。重力によって、夜着が肩から落ちた。
「寝台にいらした時から、今とそう変わらない格好をされていたと記憶しているのですが」
「だって、あの方がやりやすかったし。暁もよく頑張ってくれたよね」
「あんなのはもう願い下げですので」
「え、何で? 好きでしょ、激しいの」
こりごりです、とうんざりしたように言う妃に王はきょとんとした顔を向ける。妃がギョッと、目を見張った。
「……そう何度もあっては身体がもちません」
「そっかぁ。まぁ、昨夜は特別だったから、ね。じゃ、行ってくるよ」
眉をつりあげ、粗雑に白い衣裳を押し付けてくる妃に、王は苦笑いを浮かべつつ速やかに身にまとう。そして、宥めるように妃の頬にゆるゆると手の甲を滑らせる。
見上げた先の、今にも泣き出しそうな碧眼に少し戸惑いながらも、いってらっしゃいませと妃はそっと王に口付けた。
「お妃様、失礼致します」
王が出てから数分、妃はその場で動かずにいたが外からかかった声に慌てて頭巾を被り
「えぇっと、侍中さんが何か……?」
「へぇ、ちゃんと妃っぽい」
「あ、
ひょっこりやって来た幼さ残る青年の顔を見て、妃は声をひっくり返して驚愕した。それはもう、せっかくかぶり直した頭巾がはらりと落ちる程。
「久しぶりッスね、暁サマ」
「定期報告に
「そそ。国へ戻って、また派遣され中。コッチのオーサマにも報告あるんで謁見申し込んだら、その前にオツカイ頼まれたッス」
状況を把握しきれず、目を白黒させる妃を使者はケラケラと笑う。
ブリオーという長い丈のチュニックを着るのが紋波帝国での本来の姿だが、今は凰都国の深衣という長い丈が広がった衣装だ。
ちょいっと変装をね、っとウインクを返しながら使者はぽいっと
「これは……?」
「さぁ? 俺はコレを暁サマに渡して、一緒にいない時は妃でなくてよいって伝えろと言われただけなんで。でもまぁ、それなら宮中に出てもバレないって
「確かに、
さぁね、と能天気に首を傾げながらも告げられた使者の言葉に、王の代替わりで見かけない顔があっても不審に思われませんね、と妃は納得して浅葱色の袍服に着替え始める。
官吏が一人出来上がり、妃がひとり姿を消した。
「へぇーーそれなら、どっからどうみても男ッスね! あ、もひとつ伝言ってか王命、昨夜の片付けしとけって」
「……人使いが荒くないですかね、あの方は。昔からそうでしたが、いつもいつも……」
「でも、それも含めて惚れちゃったんデショ」
わなわなと、震える唇と拳をどうにか抑えようとしながら、妃は念には念をと適当に髪を結い眼鏡をかけて、足早に部屋を後にする。プププと笑って、後を追うように使者も外へ出るとそこには側近が控えていた。
武官である兄とは違う日焼けのない白い肌に、深い青眼はとても涼やかだが何やら非常にゲッソリした顔をしている。細身の身体にまとった漢服はところどころよれており、ハーフアップしている黒髪もやや乱れていた。
「陛下のおつかい、ご苦労様です」
「いやいや、右京殿こそお勤めお疲れさんッス」
「恐れ入ります。さぁ、陛下がお待ちですよ、朱鳥殿」
私は待機を命じられていますので、と続けた側近に使者は苦笑を浮かべ、了解と手を上げて謁見室へと向かう。中には、人に会う為に居るとは思えないほど忙しなく書類を見比べている王の姿があった。
「…………紋波帝国が
「前置きはいい、報告を」
その様子に暫しポカンとしていた使者だったが、気を取り直して、畏まる。けれど、王は低い声で遮ると目を向ける事すらなくただすっと手を差し出した。
使者はやれやれと、肩をすくめて懐から取り出した書簡を手渡す。取り敢えず王が座具に腰かけたのを合図に、使者は口を開いた。
「
「そうか」
「皇太子妃、陛下の姉君も息災ッスよ。殿下とも仲睦まじく」
「そうか」
「後は……あ、近隣国と険悪になりかけてるみたいッスけど」
「近隣国というとあれか? 最近倭国にちょっかいを出しているという……確か、
書簡に夢中で聞いていないんじゃないか、と思えるくらいの生返事だった手応えのない会話に、漸く王が反応した。用意されてあった昼餉に、勝手にありついていた使者の手が止まる。
「そーッス。にしても、即位して間もないのによく知ってマスね。ほんと、感服するッス……ま、今はまだ様子見ってトコっしょ」
「水面下での話、というわけか……皇帝陛下のご様子は?」
ふぅん、と王は関心を失ったが、その冷めた碧眼を使者から離すことはない。どこか伺うように王を見たまま、使者は食事を再開した。
「今は王妃サマと離宮にでも行ってるんじゃないスかね。それより、今、どういう状況?」
「正直、図りかねている。世代交代を促すような大きな問題があったわけではないからな」
「にもかかわらず、オモテに引っ張り出されたと。つまり、反王政の可能性があるわけだ」
「あぁ。全く、裏で画策せずとも正面切って言ってくれれば、我はすぐこのつまらん職を辞せるというのに」
疲弊しきった表情で頬杖をつき大きく息を吐き出す王に対して、まぁそう簡単にイカナイっしょと使者。ごちそうさま、と口元を拭って手を合わせる。
「で、実際のところは?」
「まだ調査中だが、父上の事も私の事も気に入らんというのは確かだろうな。そんなところだ」
「うっへ、まさかの私怨ッスか……陛下、少々動かせてもらっても?」
「勝手にしろ。紋波帝国にも既に早馬は出してあるからな」
ぽーい、と投げ寄越されたブツを軽くキャッチすると、使者はさすがッス、と眩しい笑顔を王に向け立ち去った。一人残った王も、いくつかの書類に署名をすると執務室へと戻っていった。
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